中国の臨済宗の開祖臨済義玄は、検索しても肖像の類いは少なく。臨済宗の寺にはどこでも掲げているような様子はない。それが私には不思議だった。ならば禅を茶と共に日本に持ち込んだ栄西こそが日本での開祖として、と思っていたら、これがまたそう単純な事でもなさそうである。梅原猛によると〝栄西を祖師として尊拝するのは、彼が創始した鎌倉の寿福寺及び京都の建仁寺を本山とする寺などにかぎられ他の禅寺には彼の頂相(肖像)すらない” 血脈、系統の違う臨済宗の各本山も栄西にはほとんど敬意を払わない。という!? 私も手がけた道釈画のモチーフ『虎渓三笑図』で仏教、道教、儒教を象徴する三人が登場し、三教一致と、禅宗の懐の深さを表現していたが。そう額面通り単純に受け取る訳にも行かなそうである。 祖師の歴史的エピソードは、長い歴史の中でことごとく図象化されて来た。しかし名場面に思えるのに、可視化されていないある祖師のエピソードに着目している。とはいえ、一筋違えば栄西すら敬意を払われない、となると。図象化されていない理由もあるのか?無邪気にはしゃぐ訳にもいかず。