私の知る蘭渓道隆像3体は、生きている本人に会ったことがない、とするなら私と条件は一緒である。であるなら江戸時代に作られた、まるで別人の像を別にした建長寺の2体は、生前描かれた自画像を参考にしたのは間違いないだろう。だとしたなら、私とは見え方が違うな、と思うのだが、死後まもなく作られたという一体目の真横の顔を見たら、私の作った横顔と似ており、肖像画では表現されていない部分を推理して作った結果が似ていたことに、七百年前の作者にシンパシーのような物を感じた。実に奇妙感慨だったが、私は私の信じたまま作るだけであり、結果が違うことに作った意味がある。同じ物作っても仕方がない。蘭渓道隆は3度の修理で元の色はなく、無学祖元も剥落し真っ黒である。来日前の若く肌の色のある姿を見てみたい。
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