現在江東区の芭蕉記念館では、私の芭蕉像は小川芋銭の隣に飾られている、というのは聞いていた。行った方によると、芋銭もまた、自分の想像で芭蕉像を描いているらしい。芋銭の時代には、当然弟子達の描いた芭蕉像を印刷にしても見ているはずである。 鏑木清方は、良く知っているはずなのに、三遊亭円朝像を何故アレンジしたのか。それが近しく知っているがゆえの表現であろう。私がそれをやってはいけない。そこで私にはこう見えると清方の円朝像いへのオマージュとして、同じ構図にした。 芭蕉は俳句の枯れたイメージに利用されまくった。そこで私は嫌味なくらい門弟の描いた肖像のみを参考にした。来年の芭蕉サミットは記念館でやるそうなので、是非その点を大書きしてくれるよう言ってある。 ところで芋銭の顔を思い出していたら、少々しやくに触って来た。私がいくら乾燥機に入れられダイエットしようと、反省して心を入れ替えようと、死ぬまでに枯れそうもない。もうここまで来たら、枯れる事を一切拒否し、生臭い道を邁進すべきであろう。谷崎潤一郎という立派過ぎる先達がいる。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界