明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 




南宋時代の中国。元寇(蒙古軍)を恐れて他の僧が避難しているところ無学祖元は一人坐禅していた。そこに蒙古兵が現れ喉元に剣を突き付けられる。しかし動ぜず〝乾坤孤笻(けんこんこきょう)を卓するに地なし、喜び得たり人空法亦空、珍重す大元三尺の剣、電光影裏に春風を斬る”「有り難く大元三尺の剣を受けよう。私は春風である。斬れるものなら斬りなさい。」と唱えると、その姿に感銘を受け、蒙古兵は立ち去った。 頂相彫刻の傑作といわれる像を参考に無学祖元を作ったのはひとえに元寇に剣を向けられ平然としている無学祖元をイメージしたからで、名場面だと思うが、作品化されたものは未見であり、私自身が見てみたい。この辺が『昇龍図』とは違う。当初蒙古兵の顔は、無粋な兵士として作ったが、無学祖元の姿に打たれるからには、それなりの兵士でなければならない。いくらか貫録を加えた。 この後公安2年(1279)北条時宗の招きで無学祖元は来日することになる。

※何でも昔しの坊主は人に斬り付けられた時、電光影裏に春風を斬るとか、何とか洒落(しや)れた事を云(い)ったと云う話だぜ……。『吾輩は猫である』より 夏目漱石は円覚寺にて禅を学んだ。



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