中学生の時にはまったのは谷崎と乱歩であった。乱歩と並んで作家シリーズの初期に手がけた谷崎だったが、特定の作品について描いたことはない。やらない訳にはいかないだろう。ここまでやってきて川端康成を作らないというのも不自然に思える。一度始めたが、何かの理由で止めている。随分前になるが、富岡八幡の骨董市でノーベル賞を受賞した時の、毎日新聞社の袋に入った写真の束を入手したのを思い出した。残念ながら三島は束のなかにはなかったが。 エドガー・アラン・ポーの謎の死に関しては映画化されたくらいで様々な説があるが、泥酔状態で死んだのは間違いないようで、私が手がけるのは挿絵のように作品に関してばかりではないので、創作のしがいはあるかもしれない。 考えてみると、依頼されて製作した作家以外は、ほぼ高校生までに読んでいた作家が大半であり、せいぜい二十歳までである。改めて読み直すまでもなく、勢いでやれるような作家はそろそろネタ切れといえるかもしれない。 黒人のジャズ、ブルースシリーズから一年で転向し、以来黒人は1体しか作っていない。黒人といえば昔、思い出したように作りたくなったのがボクサーである。6体くらい作ったろうか。共通して顔がボコボコに腫れ、敗者のようだが表情は勝者の物である。テーマは“自分が負けたと思わなければ敗者ではない”。諦めの悪い男といえなくもないが。おそらく自分自身の確認のため、たまに作りたくなったのであろう。
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石塚公昭HP
『タウン誌深川』“常連席にて日が暮れる”第5回