明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



何故外側にレンズを向けず眉間に当てる念写が理想、と考えるようになったか。そのきっかけが昨日のBBキングの制作であった。最新のコンサートビデオ、写真を参考に制作したが、完成した頃、遊びに来た人に指摘された。資料のBBは髪が伸び、腹がせり出し歳もそれなりに取っているが、私が資料を元に作ったつもりのBBキングは髪は短く腹も出ておらず若い。私が熱中して聴いていた時代のBBキングなのであった。何より問題なのは、指摘されるまで気が付かなかった、ということである。もちろん指摘された瞬間に我にかえった?が。つまり目の前の視覚として見えている現実よりも頭の中に在るイメージが優ってしまう私の〝タチ”ともいうべきものを知った瞬間であった。    乱歩いうところの〝現世は夢夜の夢こそマコト”という性質である。 荒俣宏さんが書かれた物で好きな話がある。大航海時代、帆船に乗った白人が、ある島にたどり着く。ところが原住民のイメージの中に白人も、大きな帆船もない、なので彼等は島内の白人に気が付かない。  幼い頃、頭に浮かんだイメージはどこへ消えて行ってしまうのか?と思い悩んだが、私の創作行為とは、眉間にレンズを当て、消える前に記録し、やっぱり在ったと確認することである。

 



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90年に、富士通プレゼンツ、BBキングジャパンツアーがあり、企画プロモーションのM &Iカンパニーより広告用のBBキング像制作依頼があった。当時実在者は不慣れだったが、何とか完成し撮影も行った。担当者から本人に人形を直接プレゼントしてもらえないか、と連絡があった。直接渡せるなら、とウェルカムパーティーの席で渡すことが出来た。横で担当者が「梱包をちゃんとしなくちゃ」といった。88年にはスティービー・ワンダー、89年にはシュガー・ブルーにも直接人形を渡している。あとはマイルス・デイビスとジェームス・ブラウンだな、ど思ったものである。それから幾年月。 BBキングが亡くなり雑誌の追悼号で、M &Iカンパニーの代表I瀬某が、私のBB像を前に、自分の持ち物のような顔をしてインタビューを受けているのを見たと聞いた。そんな馬鹿な。しかし昔はいい加減な輩はいたものである。個展会場で撮った写真を無断で大手家電メーカーのカタログに使われたり、製作費を払わず逃げ回ったり。そんな輩はみんな消えていった。サーフボートが頭に当たって死んだのもいた。 抗議するも、BBキングがツアー中なので預かってくれと言ったという。百歩譲って、なんでその後何十年もお前が持っているのだ、という話である。スティービーの時は同じ理由で私がすぐにアメリカに送った。返却を要求すると、引っ越しの時、社員が落として壊してしまったという。こういう会社がいつまであるか?は知らないが、サーフィンはしない方が良いと思う。 肝心な話は制作中に起きた。明日へ続く。



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明日は雪が降ると言われた先日、洗濯物を取り込まなくては、と思いつつ寝てしまい、朝テレビのニュースで降雪を知って取り込んだ。幸い東京では珍しく、ボタ雪前だったのでたいして濡れずに済んだ。子供の頃は、どこからともなく「奥さん雨よー。」と近所から声が聞こえたのを思い出す。 色々な物が値上がりしているが、食料品など何も気にすることなく買っていた。何しろ数字が覚えられない。野菜の値段が覚えられるくらいなら他の事柄も、もう少し何とかなるはずである。しかし量を減らされれば気が付く。なので最近はたまに砂町銀座で買い物をする。引っ越し先を決める時、砂銀が多少頭にあった気がする。駅まで遠く、陸の孤島などといわれたりするが、通勤する訳ではないし、まして出歩くことが減った今日この頃、犬の遠吠えを聞きシミジミしたりする。近所の飼い犬だろうけれど。   一休が後小松天皇の落胤だという説は、賛否あるようだが、宮内庁では正式に認めているという。



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一日  


ボクシングに転向する那須川天心、無事プロテスト合格。せっかく鍛えて来た足技が使えないのは惜しいけれど、キックではもうやることはないだろう。転向は簡単ではない、という意見もあるようだが、私はそうは思わない。中高の頃、ライオン古山やガッツ石松を倒した、センサク・ムアンスリンを観ているからである。ムエタイチャンピオンから国際式ボクシングに転向した選手で、ムエタイ時代、誰だか忘れたが、日本選手を膝蹴りで内蔵を破裂させている。ボクシング転向後、たった3戦目で世界チャンピオンになっている。当時ムエタイ出身はスタミナがあり、ボディが強い、ともっぱらであった。日本での防衛戦で石松を倒した夜、ソープを3軒ハシゴしたと聞いた。確かにそんな顔をしていた。 小説を読んでいると、映像が浮かび続けるのだが、誰しもがそうではないと知って驚いた話は以前かいたが、幼い頃から読み続けた人物伝も同様である。なので私が制作対象である人物の評伝を読むということは、カメラ片手に、その人物に付かず離れず着いて回り、作るべき場面を探す、そんな感じである。近いうちに、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想と言い出したきっかけについて書きたい



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写真が残っている実在者は、依頼でもなければもう作らないが、絵画しか残っていない人物は、創造の余地があるので作りたい。前回は一休宗純と共に、宗純の弟子でもある曽我蛇足が描いた臨済宗の開祖、中国の臨済義玄を作ったが、それは〝喝!”の憤怒の形相が良かったからだったが、中国の検索エンジンでも蛇足の絵が出てくる始末で、認知度が低いようである。開祖ともあろう人物が、と思うが私には良く判らない。日本で臨済宗といえば禅と共にお茶を日本に持ち込んだ栄西ということになるのだろう。栄西を作れば、臨済義玄を作ってしまった〝唐突感”を薄めることが出来るのではないか?という腹もある。 それにしても臨済義玄の後頭部から前頭部にかけて盛り上がっている、なんてことはあり得ないが、歴史の重み、ルールには勝てない。また栄西の頭の形が、浄土宗の法然の法然頭以上の頭頂部の平さで、型にはめて育てたスイカのようである。どう見ても自然ではないが、それもこれも臨済宗の特徴でもある師の迫真的な肖像を門弟が受け継ぐ、という習慣が生まれていないからであろう。それでもやはり解剖学的な正確さより、歴史の重さルールを尊重すべきである。最初にあのように描いた人には、ああするだけの何か理由が何かあったはずである。それに納得しなければ2人目はそう描かなかったろう。

 



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寒山拾得を手掛けながら、英一蝶の不動明王図と共にムラっと来ていたのが久隅守影の『夕顔納涼図屏風』である。国宝というにはあまりにものほほんとした味わいが良い。夕顔の棚の下にムシロを敷き、夫婦と幼子が夕涼みをしている。木下長嘯子の和歌『夕顔の咲ける軒端の下涼み 男はててれ(襦袢または褌)女はふたの物(腰巻)』をモチーフにしている。だとすると幼子は久隈の創作だろう。 久隈守影は元々狩野派で、同じ狩野派の息子は不業績で島流し、やはり狩野派の娘は、同僚と駆け落ち。その責任を取って守影は狩野派より離脱。そう思って見ると、画面の余白の多さに朧げな月がしみじみとしている。夕顔棚のロケ場所を探し、腰巻一つの女房役に『ゲンセンカンの女』に再びお願いしていたのだが及ばず。背景の雰囲気はともかく、もし作るとしたら、亭主をどこまでのほほんとさせるかだろう。



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英一蝶の滝に打たれる不動明王は戯画調で、身体に当たった滝が左右に分かれて流れている。実際はそんな風にはならない訳で、滝や飛沫で不動明王が隠れないように、ということだろう。そんなことや、背負った火焔やなど置くための岩など都合よく配するためにも背景も作ることにした。デジタル処理といっても、主役はチマチマ粘土で作った物だし、背景も作りものだから、やり過ぎたとしても、デジタル臭さで鼻が曲がることもないだろう。やってみると必要なのが、色調整、形の調整、切り抜いて貼ることで終わっている。前年の一日だけの個展を別にすれば、2000年の古典技法オイルプリントの初個展『ビクトリアリズム展』は、すでに合成をし、印刷用フィルムには出力した物をネガとして使っていた。それは大正時代の作家等を倒す気概でやっていたからで、どんな手を使っても連中がやれなかった物を、と。人形を被写体に、さらにプラスデジタルだ。という事だった。だがしかし、亜麻仁油を油絵用の速乾ニスに変え、ゼラチン層を厚く、と改良はしたものの、これは昔の連中が生み出した技法だ、という思いから抜け出す事は出来なかった。それが今の手法に至る遠因となっている。当時古典技法を試みる人も少なく、目に明かりが灯らない来廊者に技法の説明の繰り返しでウンザリした。最近の手法は一切質問されないのが何よりの成果である。



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力道山の没年39歳を超えたのに気が付いた時かなり驚いたのを覚えている。中学の時、アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの『さらば友よ』を3本立て150円で観た。2人の男が危険を犯しながら、何事もなかったように別れる。当時別れといえば、友達の転校ぐらいしか知らず、そのあまりの格好良さにサントラ買って聴きながら、しばらくボーッとした。ブロンソンが50になろうという〝老人なのに”その肉体にも驚いた。半年後、整髪料マンダムのコマーシャルで大ブレークした。大人になってビデオを見返して観たが、それほどの感慨はなかった。原因はすでに各種、各分野の別れを経験してしまっていたからに違いない。 その頃だったろう近所の幼馴染のビートルズ仲間と聴いた中に『When I'm 64』があった。〝どんな老人”の歌だと思ったが、いつの間にか超えていた。 限られた持ち時間、限られた能力。これからも、やりたいことの妨げになる事には一切関らず、チューブの絞り残しのないよう行く所存である。

 

 



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二年間飾っていた掛軸が、ほとんど水墨画だったせいもあり、できれば多少でも色のある物を飾りたい、と一度掲げた長谷川潔のコロタイブの複製を外した。日当たりだけは良いので、どうしても梁より上の壁にかけることになる。あと2点は飾って気分を変えたい。 一休禅師の朱鞘の大太刀は、残された絵画はいずれも正装に椅子に座って傍に太刀である.鞘の中身は竹光である。〝寺中においては偉そうであっても、人々の中にあっては木剣の如く役に立たない”当時の僧侶の現実を風刺している。  当初、半裸の姿で胡座を描いて、と考えていたが、一休は竹竿に骸骨同様、それを持って街中を闊歩した。街角に立つ一休にしようという気がしてきた。一休を一休たらしめたのは、後小松天皇の落胤という出自、乱世という時代背景があるだろう。



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助走の期間というか、潜水の前に肺に空気を溜め込んでいる期間というか、それをいつまで、と想定するか。それにしてもちょっと寒過ぎる。事前に読んでおきたい本もある。 考えてみると作家シリーズはもちろん。文字情報によりイメージする事が多い。小説など読むと、読んでる側から映像が浮かび続けるが、皆がそうではない、と知った中学の休み時間、だったらその間、お前等の頭に何が浮かんでるんだってんだよ?曖昧な答えしか返って来なかった。以来そういうことには触れないようにしている。思えば小学校に上がり、図書室と出会い、伝記人物伝好きが始まった。もちろん映像は浮かびっぱなし。キュリー夫人が寒さに耐えるために机を乗せて寝ている所など、見てきたように記憶している。当時は伝記は見てきた人が書いていると思い込んでいた。野口英世伝など、子供相手だと思って随分騙されていた訳である。それはともかく。今日も今日とて、相も変わらず、人物伝を読んでいる。



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ネタ元である英一蝶の滝に打たれる不動明王は、背中の火焔や剣などの持ち物を濡れないように傍に置いている。絵師と太鼓持ちの二刀流らしいユーモアである。画調は戯画タッチであり、濡れている所までは表現されていない。不動明王が濡れるシュチュエーションはまずないだろうし、必要もない。 仮に濡れる不動明王を描こうとした絵師がいたとして、ネックになるのは火焔だろう。一蝶の〝着脱式火焔”というアイデアのおかげで、濡れる不動明王という、制作上のテーマを得る事が出来た。天を衝く怒髪も滝に打たれれば、いくら癖っ毛の剛毛でも、衝いてばかりもいられないだろう。 幼い頃、迷子除けか、真鍮製の米兵の認識票みたいなのを首から下げていた。住所と酉年の守り本尊、不動明王が筋彫りされていた。『ゲンと不動明王』という小柳徹主演の映画を家族でテレビで観た記憶もある。不動明王は三船敏郎だった。



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ハンブル・パイの73年来日公演が2枚組CDとなって出ていたのを知った。来日はこの一回だけだったはずである。俳優の林遣都をテレビで観るたび、スティーヴ・マリオットを思い出すのだが、潮吹きのように、やたらと飛沫を飛ばして歌っていた記憶がある。こういうどうでも良いことばかり覚えている。 団塊の世代のロックオヤジに羨ましがらされるのが、箱根アフロディーテのピンクフロイドと、グランド・ファンク・レイルロードの後楽園球場である。嵐の中のグランド・ファンクは感電しないのか?と思いながらテレビで観ていた。逆にTレックスの武道館公演などは今となっては羨ましがられるが、周りに内緒で行った記憶があるから時代は変わるものである。 70年代の終わり頃、ボリスのファーストアルバムを聴いて、フーがレゲエをやっているみたいで、私の好きなブルースを基本としたロックは終わる予感がしたのを思い出す。黒人が大学で、初めてブルースを聴いた、なんて時代になっていた。そして今日も今日とて、中学の頃に買ったフリーやマウンテンのライブを聴くのであった。YMOのドーナツ盤『TIGHTEN UP 』が出てきた。



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