平成21年7月19日(日)
豊前街道南関御茶屋跡に行ってきました。南関町は私の住んでいる市の東部に隣接する町です。公民館の裏道の塀が目印です。

藩主の参勤交代や領内巡視の際の休憩、宿泊の場所として嘉永5年(1852)頃に完成したと言うことで、平成15年の国の史跡指定を機に修理工事に着工、5年ほど前に完成したものです。詳しくはリンクを参照ください。

石垣がしっかり築かれています。

近くの小学校や幼稚園の子どもたちが作った七夕が室内を飾っています。以前は外に飾っていたのを室内で飾るようになって長く楽しめるようになったとニコニコ顔で説明してもらいました。

室内です。

藩主の座られる床の間の前で抹茶とお菓子をいただきました。入館料込みで200円は安いと感激しました。

すぐそばには曰くありげな板碑が立っていました。他の所からここに移されてきたものだと説明の看板に記してありました。

南関町は北原白秋の母の里です。歌碑が四つありますがその中の素麺歌碑です。「南関素麺」は細麺で有名な特産品です。

白秋の生家もそう遠くないところにありますが、ひっそりと石井家が守り続けておられるそうです。町の観光ルートにもなっていないし、対応もされていないようです。

豊前街道南関御茶屋跡に行ってきました。南関町は私の住んでいる市の東部に隣接する町です。公民館の裏道の塀が目印です。

藩主の参勤交代や領内巡視の際の休憩、宿泊の場所として嘉永5年(1852)頃に完成したと言うことで、平成15年の国の史跡指定を機に修理工事に着工、5年ほど前に完成したものです。詳しくはリンクを参照ください。

石垣がしっかり築かれています。

近くの小学校や幼稚園の子どもたちが作った七夕が室内を飾っています。以前は外に飾っていたのを室内で飾るようになって長く楽しめるようになったとニコニコ顔で説明してもらいました。

室内です。

藩主の座られる床の間の前で抹茶とお菓子をいただきました。入館料込みで200円は安いと感激しました。

すぐそばには曰くありげな板碑が立っていました。他の所からここに移されてきたものだと説明の看板に記してありました。

南関町は北原白秋の母の里です。歌碑が四つありますがその中の素麺歌碑です。「南関素麺」は細麺で有名な特産品です。

白秋の生家もそう遠くないところにありますが、ひっそりと石井家が守り続けておられるそうです。町の観光ルートにもなっていないし、対応もされていないようです。