平成23年4月11日(月)
市の万田坑跡が世界遺産に暫定登録されたことはこれまで度々紹介してまいりました。詳しいことは万田抗HPをご参照ください。
周辺の整備も進んでいます。(3月の半ばに立ち寄った記事です。)
丸印は旧職員社宅の門です。職員社宅はこのように煉瓦・ブロックの塀に立派な門構えで、一般坑員の社宅とは格段の相違でした。建物は現存せずに塀と門だけがあちこちに残っています。
炭坑全盛時の一端が偲ばれます。ブロック塀が両脇に残っています。
朽ちた車が歳月を物語っています。この煉瓦の塀はまだしっかりしていました。
門には木製の扉があったことが分かります。
隆盛を誇った石炭の町で優雅な生活を送っていた職員家族の夢の跡です。炭坑の町荒尾・大牟田ではかつて「三井さん」「職員さん」などと「さん」付けで呼んでいたと言われています。
「沈殿池」は坑内から汲み上げられた水を一時的に貯めて、不純物を沈殿させる働きをしていました。
煙突の跡です。
手前の赤煉瓦は汽罐場の跡です。
このようになっています。
案内板の一部で当時の様子をご覧ください。
知り合いのボランティアガイド・Iさん(中央青帽子の方)です。炭坑OBで経験に基づく奥の深い名ガイドをされます。
市の万田坑跡が世界遺産に暫定登録されたことはこれまで度々紹介してまいりました。詳しいことは万田抗HPをご参照ください。
周辺の整備も進んでいます。(3月の半ばに立ち寄った記事です。)
丸印は旧職員社宅の門です。職員社宅はこのように煉瓦・ブロックの塀に立派な門構えで、一般坑員の社宅とは格段の相違でした。建物は現存せずに塀と門だけがあちこちに残っています。
炭坑全盛時の一端が偲ばれます。ブロック塀が両脇に残っています。
朽ちた車が歳月を物語っています。この煉瓦の塀はまだしっかりしていました。
門には木製の扉があったことが分かります。
隆盛を誇った石炭の町で優雅な生活を送っていた職員家族の夢の跡です。炭坑の町荒尾・大牟田ではかつて「三井さん」「職員さん」などと「さん」付けで呼んでいたと言われています。
「沈殿池」は坑内から汲み上げられた水を一時的に貯めて、不純物を沈殿させる働きをしていました。
煙突の跡です。
手前の赤煉瓦は汽罐場の跡です。
このようになっています。
案内板の一部で当時の様子をご覧ください。
知り合いのボランティアガイド・Iさん(中央青帽子の方)です。炭坑OBで経験に基づく奥の深い名ガイドをされます。
期待に応えられるように資料収集をしたいと思っています。
いわゆる軍需工場の旧跡も以前にリクエストされていましたがまだ探訪していません。
ブログの写真に目を留めていただき
ありがとうございました。
当時、テニスをされていたなんてやはり優雅な生活だったのですね。
今は駐車場となっている所を発掘されていた時に職員社宅跡がそっくり出てきていました。
かすかに生活の匂いが残っていましたよ。
懐かしい写真、ありがとうございます。
長くなるので、リンクしておきました。
これまでも触れてきておりますが万田坑跡単独での世界遺産暫定登録ではありません。
リンク先でも紹介されていますように
「九州・山口の近代化産業遺産群 」を大きくまとめての取り組みです。
お暇な折にでもリンク先を参照していただければ幸いです。
これだけのものが残っているのかと驚かれると思います。
それでも価値がないとお思いでしたら
見解の相違でしょうね。仕方ありません。
万田坑跡を知ってからまだ6,7年しか経っていません。
倉掛のバス停の乗降客の多さは多分炭坑関係者だったのでしょうね。
一度駐車場に車を置いてゆっくり歩いてみるのもいいですよ。
いきなり万田抗を見学(有料)するよりも
万田炭鉱館、万田抗ステーションを見学し(無料)、説明を聞いて(無料)予備知識を先ず得てからの方がいいですよ。
工夫の長屋はじめ、至るところが炭で真っ黒であったのを記憶しています
草の生えていない真っ黒の山を指差し
「あの山は・・」と聞くと、通称ボタ山と知りました
神戸家には、廃坑を世界遺産として残す意味が、理解できません
管理に行き詰らない事を祈ります
テレビを見ていると次々と地震発生の情報が流れてきて
遠く離れた九州にいても気が気ではありません。
BSプレミアムで「青い珊瑚礁」を見ていたら
またまた強い余震の発生、しかも震源地は千葉と言ったので、案じていました。
お陰様で風邪の方はだいぶ良くなりました。
完治にはもう少しです。ありがとうございました。
正式に登録されると、九州・山口の広域な文化遺産として
再び日の目を見るようになるでしょうね。
門構え、門扉、煉瓦塀等々当時としてはハイクラスの住宅だったことが伺えます。
万田坑は遺産として脚光を浴びていますが
被災した福島原発の行く末はどうなるのでしょう。
負の遺産として残しても放射能が完全に消えてしまうには
相当の年数を要することでしょう。
でも絶対安全だと吹聴していた学者や関係者の名前を記念碑に刻んでおくのもいいですね。
すっかり撤去されて、再開発され
ご案内のようにシティーモール・「夢タウン」になって昔を偲ぶよすがもありません。
しかし、万田抗周辺にはまだこうした遺物がたくさん残っています。
いずれはここも開発されて行くことでしょう。
でも私は今のこういう風景に心を惹かれます。
万田坑は見たことがないので、実際の沈殿池の様子は全く分かりません。
万田抗を舞台にしたドラマがいくつか作られています。
地元の人もエキストラ出演で協力し、喜んでいるようです。
車のバックはむずかしいですね。私は比較的得意です。人呼んで「バックのどんこ」と言われています(笑)。
風邪の方はまあまあですが、持病が出てきてまだ本調子ではありません。
小さい頃、バスに乗っていると『倉掛』で乗り降りする人たちが多かったのは覚えています
あの人たちは、炭鉱に勤められていたのですね
昔のバス通りの道は狭く、新しく出来た未知のバイパスに入り込んだりしますが、まだ十分に把握していませんので、先日ショッピングや食事などで回り道をしているうちに、気付いたら万田鉱跡の建物を発見しました
「これか~・・・」と、やっと発見しました
どんこさんのお庭の桜の開花と共にお元気になられているかなと思っていますが。
万田坑の周りには社宅跡などが荒れたまま、残っているのですね。ほんと、三井さんという言葉がありました。一年生の時は運動会も学芸会もたしか、四山坑の施設を借りてやったのを覚えています。
昨日から、今日は大きな余震があり、福島の原発を痛めないでと祈るばかりです。
栄枯盛衰、
炭鉱といえばつい最近まで日本の近代化のエネルギーであった。
腐っても鯛の骨という言葉がありますが、
タイルで作られた塀はまだまだ新しいような気がします。自動車が無残・・・・・。
きっと上級幹部宅の宿舎であったのでしょう。
下から二番目の画像、
TVで目にする福島原発のような気がしてならない。
もう使い物にならない、行く末は廃墟となり人がちかずかないようになるのでしょう・・・・・・・・か?早く終息宣言してもらいたいものです。
、
炭鉱鉱員社宅は今は跡かたも無く街の姿もすっかり変わってしまいましたから未だこんな所が会ったのは知りませんでした。
往時を偲ぶには余りに荒れ果てていますが、それでもレンガ塀に囲まれた屋敷跡は炭鉱隆盛のころの名残りがりますね
荒れ果てたこの場所を自転車で走っているのを見ましたよ。
全くのような沈殿地 かつては違う景色を映してきたのでしょうか。
赤レンガはいいなぁ~
夢を見て・・・赤レンガの橋梁の下を通ろうとして通行禁止に気付きバックしたんです。バックが下手なんです。ぐーーっと斜めに海に落ちかかりブレーキを踏んだまま助けを待ってました。
助けられたんですが 目が覚めたら足が攣ってました。。。
急に歳とったような・・・・
風邪の具合はいかがですか? お大事ななさって下さいね。