平成28年3月28日(月)
3月もそろそろ終わりが近づきました。荒尾海岸の海辺のスケッチです。廃棄された漁船が放置されています。
タコ壺、時期になると活躍するのでしょう。
「荒尾市潮湯」、細々と営業され、お年寄りには人気です。
潮湯と並んでいる旧福祉総合センター跡。今は廃墟となっています。
ずうっと南へ行くと一部港があります。漁船の係留場所になっています。
防波堤には「私の名まえをおぼえてください」の看板が見るも無惨な姿です。
平成21年4月9日に設置され、7年ほど経っています・・・。鳥の写真は私、説明文は安尾さんでした。
東側に見える南荒尾駅の跨線橋。左側が博多方面です。
一部港からの出口。干潟が夕陽に光っています。
砂が盛ってありました。何に使うのでしょう。
旧荒尾海水浴場の入口。全盛期にはこの付近に夏場だけパチンコ屋やダンスホールが出店していました。電車が→熊本方面へ向かっています。南荒尾駅は乗降客で溢れ、帰りには積み残しも出るほどの賑わいでした。今、南荒尾駅は無人駅です。
旧海水浴場の無料休憩所跡。軽く200人ほどは収容できる施設でした。跡地はしばらくはお年寄りのゲートボール場になっていましたが、もうゲームする人もいなくなり、荒れています。海水浴場が閉鎖されて久しい歳月が流れています。
当時はこの防波堤もなく左側の松林から右へ白砂が広がり、界隈には海の家が建ち並び、それぞれ、かき氷、飲料水、軽食を販売し、貸しボートを何艘も持っていました。海水浴客で芋の子を洗うような盛況でした。
往年の海水浴場風景です。(「有明小学校百周年記念誌」昭和51年刊より引用)
上空に飛行船がゆったりと飛んでいました。
【桜便り・1】わが家のソメイヨシノ。やっと数輪咲きました。(3月27日撮影)
【お断り】コメント欄、閉じるのを忘れていました。この後、閉じさせていただきます。
3月もそろそろ終わりが近づきました。荒尾海岸の海辺のスケッチです。廃棄された漁船が放置されています。
タコ壺、時期になると活躍するのでしょう。
「荒尾市潮湯」、細々と営業され、お年寄りには人気です。
潮湯と並んでいる旧福祉総合センター跡。今は廃墟となっています。
ずうっと南へ行くと一部港があります。漁船の係留場所になっています。
防波堤には「私の名まえをおぼえてください」の看板が見るも無惨な姿です。
平成21年4月9日に設置され、7年ほど経っています・・・。鳥の写真は私、説明文は安尾さんでした。
東側に見える南荒尾駅の跨線橋。左側が博多方面です。
一部港からの出口。干潟が夕陽に光っています。
砂が盛ってありました。何に使うのでしょう。
旧荒尾海水浴場の入口。全盛期にはこの付近に夏場だけパチンコ屋やダンスホールが出店していました。電車が→熊本方面へ向かっています。南荒尾駅は乗降客で溢れ、帰りには積み残しも出るほどの賑わいでした。今、南荒尾駅は無人駅です。
旧海水浴場の無料休憩所跡。軽く200人ほどは収容できる施設でした。跡地はしばらくはお年寄りのゲートボール場になっていましたが、もうゲームする人もいなくなり、荒れています。海水浴場が閉鎖されて久しい歳月が流れています。
当時はこの防波堤もなく左側の松林から右へ白砂が広がり、界隈には海の家が建ち並び、それぞれ、かき氷、飲料水、軽食を販売し、貸しボートを何艘も持っていました。海水浴客で芋の子を洗うような盛況でした。
往年の海水浴場風景です。(「有明小学校百周年記念誌」昭和51年刊より引用)
上空に飛行船がゆったりと飛んでいました。
【桜便り・1】わが家のソメイヨシノ。やっと数輪咲きました。(3月27日撮影)
【お断り】コメント欄、閉じるのを忘れていました。この後、閉じさせていただきます。
今日も天気がはっきりしない。
桜開花宣言してから、ズルズルと1週間が経ちました。
どんこさんの庭、桜、数輪ですか?
花冷え、と言いますか寒いという日が続きます。
1日だけでも暖かい日が有れば一気に咲くのでしょうが・・・・・・・・。
廃棄された漁船、旧福祉総合センター廃墟と目にとまりましたが、人口減が原因なのだろうか。
荒尾海岸ラムサール条約で息を吹き返しているかと思いましたらさびれるところもあるんですね。
もうよそは満開の所もあるというのに
わが家の晩生のソメイヨシノはスローペースです。
まだ体調が優れず、コメント欄は閉じるつもりで忘れていました。
廃棄の漁船は他にもたくさんあります。
海苔業者の激減です。不安定な生産や老齢化、機械化に追いつけない状況など様々です。
旧福祉センターは老朽化のため、合併で廃校になった学校へ移転しました。
ラムサールの荒尾干潟一帯息を吹き返すのには
これまで以上行政と住民の一体化が必要でしょうね。