2022年(令和4年)4月2日(土)
荒尾海岸には3月末から4月の初めにかけてこの緑の海草のようなものが見られます。
養殖海苔が黒から緑に変色し流れ着いたものです。
以前はこれを拾って食べていたものですが、今は放置されています。
こうして干潟いっぱいに広がっています。
波打ち際の緑の海苔。動画(50秒)をご覧ください。
黄昏(たそがれ)時の荒尾干潟。若いカップルの姿も見えます。
潮が満ちてきて海面も赤く染まります。連続してコメント欄オープンです。
2022年(令和4年)4月2日(土)
荒尾海岸には3月末から4月の初めにかけてこの緑の海草のようなものが見られます。
養殖海苔が黒から緑に変色し流れ着いたものです。
以前はこれを拾って食べていたものですが、今は放置されています。
こうして干潟いっぱいに広がっています。
波打ち際の緑の海苔。動画(50秒)をご覧ください。
黄昏(たそがれ)時の荒尾干潟。若いカップルの姿も見えます。
潮が満ちてきて海面も赤く染まります。連続してコメント欄オープンです。
もったいないです、ノリは高価なものなのに!拾い集めて・・・、
有効活用、ノーベル賞モノです!!
◎ 黄昏(たそがれ)時の荒尾干潟。若いカップルの姿も見えます。
▼ 荒尾海 ドンコ画像や 逸品で!!
黄昏時に 若きカップル
昔々(25年以上昔)、仕事でそちらは何度も行っていたのですが、一度も海岸は見たことがないです。
いつも仕事だけでそのまま戻っていました。
もったいないことです。
いつも画像拝見しております。
何度も行っていますが海苔は見た事が
ありません。
また荒尾干潟の海岸に行って夕陽を見て
心を癒したいです。
又、文字がおかしいのが入っていたので訂正しました。
↑のコメントは削除してくださいね。
最近、キーボードおかしくなりましたのでwin11に
買い直しましたがブログ投稿が出来ないです。
近くにパソコン通の人がいれば助かりますけど!
この前はカルガモが群れて食べていましたよ。
カモたちはまだ黒い海苔を好んで食べると
漁師さんたちから嫌われているのですよ。
週末の夕暮れ時には、老若男女が
群れて集まりますよ。大半はスマホで写真を撮って楽しんでいます。
最近は野菜作りなどに専念されているのでしょうか。
かなりきめ細かな熱の入った栽培や管理をされているようですね。
いつも拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
荒尾においでの頃は夜の仕事だったのでしょうか。
お暇な折にはどうぞ荒尾の海岸においで下さい。
海苔の養殖が行われているは知りませんでしたか。
この海苔の養殖が3月末に終わりかかると
黒い海苔が緑色に変色し始め役に立たなくなります。
地元ではこの緑色の海苔のことを青のりと言っていますよ。
養殖の網からちぎれて、流れ着いたのは写真の通りです。
このコメント、win11でしていますが、何お師匠もありませんよ。
黒い海苔が緑に変わったんですか
別ものと思っていました
青のり
海岸で拾ったことが有ります
あの海苔ですから、食べられないことはないのですが
今は全く無視されて、朽ちるのをまっています。
そうそう、青のりと言っていました。
アオサとは別物ですね。
有明海の夕景は天下一品だと思います。
どんこさんの写真が楽しみです。
青のりとあおさは違うのですね。
祖母が あおさを取ってきたことがありました。
そして新しいパソコンに変わっているのですね。
荒尾干潟の 夕日 素晴らしいです。
今日もいい日でありますように・・・
夕焼け空の荒尾干潟を撮りにくる人たちが増えてます。
アオサは自生の海草です。懐かしいですね。
昔は干し上げて、おつゆに入れて食べていました。
パソコンは並行して使っています。
ノートパソコンはwin11ですが、画面が小さいのがね・・・。
1日、岩本橋に中学の同級生と行きました。
護岸工事のため、今年も耕鯉のぼりは上げないそうです。
この前、行橋に行き千本桜を見てきました
これはこれは素晴らしものでしたよ
https://reiwa00502.hatenablog.com/entry/2022/04/05/000000
綺麗なものは心を和ませすね
ちょっと体調不良もあってPC開ける気にならず・・・すっかり出遅れてしまいました。
私、「青さ海苔の佃煮」買ったことがあります。
美味しかった気がします。
荒尾海岸の風景も、満開の桜の光景もいいですね~♡
美しい自然よ何時までも・・・と願います。
↑ 万道臭く × 面倒くさです💦
もうだいぶ前ですが、私も行ったことがあります。
なおみくんさんは一人で出かけられたんでしょうか?
美しいものを美しいと思う心は
いつまでも保ち続けたいものですよね。
気をつけて大事になさって下さいね。
私は青海苔の方は食べたことがないのですよ。
きょうは荒れた畑の草取りに行きました。
かみさんはソラマメの手入れを怠っていたので
竹の杭を打って紐で支えをしていました。