平成31(2019)年1月10日(木)
期せずして港シリーズになりました。明治日本の産業革命遺産三池炭鉱関連遺産の一つである三池港をぶらつきました。
上の「現在地」から①の方向を眺めています。
三池港については過去にアップしています。
これが有名な閘門(こうもん)です。これも「三池炭鉱近代化遺産巡り」でアップしています。もう10年近く前です。
岸壁では釣り人が糸を垂れていました。
対岸には海上保安庁の巡視艇が停泊しています。
島原と結ぶ高速船乗り場前も閑散としていました。
乗船券売り場の若い女性はかつてこことカニで有名な竹崎港と定期便があったことは全く知りませんでした。もう20年前のことです。無理もないですね。
乗船客は2.3名ほどでした。
島原港とは50分の船旅。港内は凪(な)いでいますが沖合に出ると結構波が高いとのことでした。
いざ出港です。確かに名の通りの高速でした。
新聞の文化面に
「筑豊石炭王の歴史を掘る」
△御三家の貝島財閥 創業者や子の伝記をまとめる△
を読んでいた。
九州は明治末期、国内エネルギーの基幹を担っていた…と当時の様子が書かれていた。
明治の産業革命の遺産と、どんこさんの中にも書かれていますね。
じっくり読み進んでいくうち最後の方に
「・・・・・山内炭鉱で働いていた絵師、山本作兵衛さんの記録ノートを編集したことがある。
何とこれが、ユネスコ世界遺産に登録された…・との話でした。
郷土史家 福田康生
そしてユネスコ世界遺産
http://www.y-sakubei.com/
、
今日はとても寒いから海を見てるのも冷え冷えとします。
高速船に乗られたんですか??
最近乗ったのはもう10年くらい前でしょうか?・
大分空港からホーバクラフトとかいう水陸の船が終わりです。
その後行ったらもう
ホーバ―は有りませんでした。
あ~∻さむか・・これで終わりにします。
風邪など引かんでくださいね。
事を思い出しました。(後に新湯ホテルには奇しくも新婚旅行と鳥取出身の友達夫婦と泊まり)
(四年前)当時の三池港はまだ黒ダイヤ(石炭)を艀で三角港迄出していたのかな⁉️(定かでないが)
でも様変わりしていますね〜。
*(いだてん)韋駄天が始まり金栗四三さんの偉大さが改めて分かりました。
*来たる2月17日に第二十回記念関西荒尾会が浅田敏彦市長やシンガソングライターの関島秀樹様他多数の方が出席の元開催されます。(大阪市内で)
国策に忖度NHK大河
私も昨年11月にお昼のローカルニュースを見て早速
行って来ました。
そのブログ写真は投稿していますがどんこさんの方がもっと詳しく記事を書かれています。
港の閘門の写真は撮られたと思いますが私は閉まっている
閘門が少しづつ開いて行く様子を撮りました。
以前は此処の三池港から島原迄大きな船が何便も出入り
していました。
今は閑古鳥みたいで一日の船の便は4便程度になっています。
子どもの時は 築港というのがわかりませんでしたが大きくなれば
文字通りというのがわかります。
昔はここから 島原港へ行き、雲仙に行ってましたが
今は 長洲港からですね。
今は寂しい感じのする港ですね。
こうして並べてあると分かりやすいですね。
私 石橋探訪のついで?に行ったことがあるんですよ。
しかも係員の方があられて・・
女子力でちょっとだけ入れてくださいましたよ。
3歩くらいですけど・・・
それと、、、 島原からフェリーで熊本港にわたったことあるんですが
それはこことは違うんでしょう?
大きな建物があって レストランもありました。
今日は初出勤でしたよ。また頑張ってみようと思いました。
石組みの風格ある閘門は見てみたいです。
パナマ運河と同じなのは、三池港だけだそうですね!
水平式運河のことをmariaさんだったかUPされていて、岡山にも吉井川水門がある・・と思った記憶があります。
5年前とほとんど変わらない雰囲気で、往時がしのばれます。
お天気の良い日にこのような所をのんびりと散歩が出来るといいですね!
かつては大きなデパートが二つもあり
私たちの子どもの頃は、盆正月には大牟田で買い物をして
松屋デパート食堂でランチを食べるのが贅沢な習慣でした。
デパートが撤退し、通りの商店街もシャッターがが下りていて
夜の飲み屋街もネオンが少なくなっているようです。
山本作兵衛さんのお孫さんが荒尾に見えられ
講話をされたことがあります。その時に画集も買いました。
リンク、ありがとうございました。
交わす言葉は「寒かぁ、寒かぁ」ばかりです。
こちらはインフルエンザが蔓延しています。
かかりつけの医院へ薬を貰いに行ったのですが
インフルエンザ患者で溢れていて、
風邪ではない私らは別室で簡単に問診されて
すぐに処方箋を貰うことが出来ましたよ。
高速船?いやいや乗りませんでしたよ。
界隈をぶらついただけです。
「新湯ホテル」、孫たちと何回か泊まったことがあります。
首都圏の孫が具合が悪くなったときに
女将さんがとても親切にされてお礼の手紙などで交流したこともありますよ。
旧制sonoda tosirou君が昨秋亡くなったと言うことです。
同窓会には必ず参加していましたよね。
「国策に忖度NHK大河」、朝日川柳に載っていましたね。
NHK大河ドラマを皮肉ったものですが、こう言う見方は貧しいなあと思いましたよ。
「いだてん」2回目以降はいよいよ地元が搭乗しますね。
勘九郎さんの帽章は旧制玉名中のものですよ。