平成18年3月18日(土)
今朝も雨です。この頃はよく雨が降ります。ヒヨドリがモチノキの実を啄みながら鳴き声を出しているので、間もなく雨も上がるでしょう。
庭の白木蓮が満開になりました。水仙のように花の寿命が長いといいのですが、白木蓮の花はあっという間のはかなさです。

1メートルそこそこの苗を植えていたのですが、いつの間にか大きく育ち、小学1年の外孫が木登り出来るような幹になりました。木蓮というと普通は紫色の花を咲かせるのを言いますが、この白木蓮の花は本当に清楚で、すがすがしい感じです。

文字通り蓮の花を連想させます。白い花弁の奥に雌しべ、雄しべがひっそり息づいています。風雨にさらされると、白い花弁はあっけなく散ってしまいます。
もうしばらくは眺めていたい花です。


今朝も雨です。この頃はよく雨が降ります。ヒヨドリがモチノキの実を啄みながら鳴き声を出しているので、間もなく雨も上がるでしょう。
庭の白木蓮が満開になりました。水仙のように花の寿命が長いといいのですが、白木蓮の花はあっという間のはかなさです。

1メートルそこそこの苗を植えていたのですが、いつの間にか大きく育ち、小学1年の外孫が木登り出来るような幹になりました。木蓮というと普通は紫色の花を咲かせるのを言いますが、この白木蓮の花は本当に清楚で、すがすがしい感じです。

文字通り蓮の花を連想させます。白い花弁の奥に雌しべ、雄しべがひっそり息づいています。風雨にさらされると、白い花弁はあっけなく散ってしまいます。
もうしばらくは眺めていたい花です。


春になるとなぜか、花から咲いてくる植物が多いので一際美しさが引き立ちますね。
母が、何でも「きれい。」という人がいるけど、花や自然は「美しい。」と言うものだと言いいます。
「きれい。」は掃除したり、汚れを落としたりした時に使うもので、花はきれいではなく、美しいと言わなければいけないと言わされます。
以前、仕事をしていた頃、お局さまが「白い木蓮を観ると自分と重なる。」と言われたことを思い出します。
なんでも、花の無い時に、真っ白に咲き、はかなく散る様が自分のようだ!と言うことだそうでした。
今で言う、泉ピン子のような方でしたが風の便りに聞けば、今も元気で過ごされているそうです。
木蓮は毎年変わらない美しさを保っていますが、お局さまが、泉ピン子のまま変わらずにいらっしゃっても会わない方が木蓮のためになりそうです(笑)
我が家の庭はきちんとした庭造りをしている訳ではなく、元の家を壊し、今の家を作った折、昔からあった竹藪を切り開いたり、家を覆うような大木は伐採したりして、無計画に、思いつくままに植えた花樹、果樹ばかりです。花はカミさんの分野でう。球根類は絶えないので相当昔からのものもあるでしょうね。
広い庭はこれからは草取りが大変だし、カミさんは草取りの季節になると「ああ、マンション住まいが羨ましい」とこぼしています。
盛りまではいいですが、花の末期は仏教で言う無常な感じで、はかないですね。生まれくるものにはまた終わりがあると言えばそれまでですが、花の寿命があっという間だけに、余計身につまされるのでしょう。
ピン子さん似の方のように自分を白木蓮に喩えられる人は幸せの極でしょう。ウラヤマシイ限りデス。
クラッシックさんの『きれい』と『美しい』のお話もためになりました。
今朝見たら、まだ昨日の雨にもめげず、散ってはいませんでした。朝日に“美しく“(クラシック・ママさん流に表現)輝いていました。
『きれい』と『美しい』の違いは私も意識せず使っていましたので、ハッとさせられました。言葉に敏感であることは大切ですね。