今日は祖父の話をしたいと思います。
建具師であった職人気質の祖父が、孫である私に、面と向かって人生論を語ることはありませんでした。
早稲田はおろか滑り止めの大学にもすべて落ちて浪人が決まった高3の終わりに、祖父は私を大衆食堂に呼び出しました。そこで「もう飲めるんだろ?」とビールを注がれたことが昨日のことのように思い出されます。
そのときは浪人についての話は一切なく、「まあもう一年頑張ってみろ」とだけ言われた記憶があります。今となればその不器用さがとても嬉しく感じます。
早稲田に受かった年の夏、年老いた体にもかかわらず、ひとり暮らしの私の東京のアパートまで上京してもらいました。そのとき撮った写真は、今でも大切にアルバムに保管されています。
そんな祖父から、私が中学生の頃、クリスマスプレゼントとともにそこに添えられたメッセージカードをもらいました。「他事に頼らず自分の信ずるとおりに進め」。なぜだか分かりませんが、この言葉は私の心にスーっと入り込んできて、今でもそのカードを大切に持ち続けています。
浪人、早稲田合格、就職、結婚、留学、再就職、そして出版。私の人生の節目に、私を後押しする言葉として、祖父は常に私の心の中に現前するのです。
今日はそんな祖父の12回目の命日です。
建具師であった職人気質の祖父が、孫である私に、面と向かって人生論を語ることはありませんでした。
早稲田はおろか滑り止めの大学にもすべて落ちて浪人が決まった高3の終わりに、祖父は私を大衆食堂に呼び出しました。そこで「もう飲めるんだろ?」とビールを注がれたことが昨日のことのように思い出されます。
そのときは浪人についての話は一切なく、「まあもう一年頑張ってみろ」とだけ言われた記憶があります。今となればその不器用さがとても嬉しく感じます。
早稲田に受かった年の夏、年老いた体にもかかわらず、ひとり暮らしの私の東京のアパートまで上京してもらいました。そのとき撮った写真は、今でも大切にアルバムに保管されています。
そんな祖父から、私が中学生の頃、クリスマスプレゼントとともにそこに添えられたメッセージカードをもらいました。「他事に頼らず自分の信ずるとおりに進め」。なぜだか分かりませんが、この言葉は私の心にスーっと入り込んできて、今でもそのカードを大切に持ち続けています。
浪人、早稲田合格、就職、結婚、留学、再就職、そして出版。私の人生の節目に、私を後押しする言葉として、祖父は常に私の心の中に現前するのです。
今日はそんな祖父の12回目の命日です。