時間的経過を説明するのが面倒なので、HPから3月17日の日記を抜粋しておく。
ホームページのURLは
http://www.manazuru-today.net/
Cogito。
まなづるToday No.180にもふれてある。
議会の議決は真鶴町まちまちづくり条例に定められているもの。以下抜粋。
3月定例議会最終日。雨の中出かけたくはなかったが、傍聴に行った。最終日だから、初めのうちは儀式みたいなもんだ。
もちろん目的は赤浜マンションに対しての議会の議決である。真鶴町民が自分たちが作った条例に従えと言っているのだから、それに行政も賛成しているのだから、どう考えたって賛成するのが普通。マンションを作って売り払えばいい業者の肩をもってはおかしいのだが。業者に義理立てしなければならない、なにかある、と町民が勘ぐるが、そう勘ぐられても仕方がないところもある。事実、山崎社長に議員が会ったそうだから。私は合併問題の後遺症だと思っていたが、それだけではないのかもしれない。
建築確認されてしまっているから、建設が強行されてもしまう確率は高い、しかし、何の手も打たずに強行されてしまうのと、議決で意思表示してから強行されるのでは、真鶴の未来に影響する。だからきちんと議決してほしいのだ。そして町との交渉のテーブルにつかせてほしいのだ。
議案が提出されるかどうか、すったもんだしたらしく時間がかかって待たされた。提案者は青木雅人さん。内容だって、業者に「まちづくり条例に従え」という簡単なもの。真鶴町の議員なら、当然そう考え、賛成するだろう。
ところが採決すると、なんのこっちゃ、4人の議員が座っていた。驚いたことに、まちづくり条例の制定のとき、議長であり、さらにまちづくり審議委員もつとめ、まちづくりフォーラムで他市の市会議員から「議決が盛り込まれているが議員はどう考えるのか」といった質問をされ、「責任の重さを感じている」なんて格好いいことを言っていた青木茂さんが反対で座っていた。あとは福井弘行、岡ノ谷佳子、青木透の3人。まぁ、この4人は真鶴を愛していないんだ。なんで議員になっているんだろう。この町に住む資格はないね。
ヤマザキの建設予定地にやっと出た看板。4月15日写す。この看板、小さいものだ。
掲示にある会社を検索するが???である。
4月16日
熱海、ホテルニューアカオで開かれたシンポジウム「観光都市熱海の景観を考える」に出席した。開会前、真鶴のまちづくり条例を守る会のパンフを出席者に配った。熱海市の主催なので、参加者には市民は500人以上も集まった。きれいどころも、日本髪姿で参加していた、熱海ならではの風景である。熱海の人たちは真鶴は目と鼻の先だから、よく知っている。真鶴にまちづくり条例のあることも、かなりの人たちが知っていた。だから「なぜ」と言った言葉が返ってきた。
パネルディスカッションの前に、篠原修さん(東大大学院教授)が20分ばかりスライドを使って、景観についての話をした。
昨年景観法ができたが、欧米から見れば100年は遅れている。
日本の都市計画は欧米を手本としてきた。パリの都市計画を見ると、建物が中心に置かれ、ビスタといわれる風景画広がっている。欧米は建物を中心にして都市計画が行われている。オスマンのパリ改造もそれをしている。ただしヨーロッパの風土と日本の風土とはちがう。
一方、日本のまちづくりは建物が主役ではない。浮世絵を見てもわかるように、建物や町並みの向こうに富士山があり、江戸の海があり、隅田川がある、外に広がる風景、つまり主役は自然である。だから日本の町の素質にあった、特色を生かすようなまちづくりをしなければならない。ものまねでない都市づくりが必要。
借景の例として、古い写真を数枚映してくれた。この写真、見たことがある。しかも最近だ。やっと思い出した、いま東京都写真美術館で開催されている「写真はものの見方をどのように変えてきたか」に展示されている写真だ。
明治時代、日本に来た欧米人が高いところから町の全体を見て、町の建物自体には欧米的感覚から文句をつけているが、木々が豊かで庭園都市のようだと感心している。木々にしてもいろいろな緑が豊かにある。こういう特色はヨーロッパにはない。
ディスカッションに入った。
面倒なのでパネラーは後で入れることにするが、要するに今回のシンポジウムの狙いは、東海岸町、ビーチ沿いの8000㎡の土地に建設されかけている高さ60mのマンションにたいする反対集会なのだ。60mのマンションが建つと、3軒ほどの旅館が影響を受ける。前にマンションの壁が出来、景色が見えなくなってしまうのだ。
このマンションの建設主体ははゼファー、カドキチグループが12.5%の株を所有している会社だ。確認申請はOKされている。裁判も市は負けている。後は市民の結集した力と市長の度胸しかない。
ただし、客観的に見ると、熱海市の高さ制限は近隣商業で31m、住居地域で21m、商業地域では60mまでとなっているそうだ。ということは、マンションは規制ぎりぎりの60m。熱海市の都市計画に問題はなかったか。市長の弁だと、この夏には「まちづくり条例」を議会に上程し、建物25m以上は、3分の1にして、いわゆる鉛筆にして背後からも海は臨めるようにしたいと言う。
ベローナの町では委員会の人が、町の建物一軒一軒をチェックして色付けしている。緑は町並みにふさわしいから残すべき建物。黄色は撤去した方がいい建物。さて、この判断をしているのは議員たち。美しい町にしようという議員たちのレベルは日本とは段違いだそうだ。たしかに美意識なんて、どの程度あるのかと思うくらいだものな。
日本の議員のレベルが低いってことは、それを選ぶ住民もまた美意識は低いってことだ。残念だがそう思うね。
つくずくと現場を見た。廃墟跡になってはいるが、空間ができ、後ろが見渡せていい。後ろの建物も海が見え、今がいいときだろう。景観を守る会のジュラクの森田さんも言っていたが海岸通は建物の壁にしないでだんだん状態にしたい。それには今がチャンスだと。せめて5,6階位で横並びにして、後ろの建物がのぞけるような感じにできればいいんだが。熱海はコンクリートの建物をいまさら変えるわけにはいかないだろう。ならばヨーロッパ式に段々に傾斜地の美しさが出るような景観作りをして貰いたいとは思うけど、景観法が遅すぎたなぁ。でも有力な助っ人が仲に入ってくれそうだから、協議できるといいねぇ。
参考:毎日新聞から
サンデー時評:
熱海の「景観争い」が投げかけるもの
日本は美しい国だ、と漠然と思っている。しかし、それは郷土愛か、〈住めば都〉に近いような感覚で、本当に美しいかどうか、を本気で考えたことはない。
観光立国のスローガンはよく聞くが、外国の方々に美しい国と思われているか、と真剣に検証したためしはなく、美しいと思われるように努力してきたかと言えば、それも疑わしいのだ。
「日本人は美意識に非常に敏感だけど、汚いものには鈍感ですね」 とある高名な学者が日本人の二面性を指摘するのを聞いて、確かに、と感心したことがある。どの駅前にも乱雑に置かれている放置自転車の群れは鈍感の見本だろう。
とはいえ、国際観光振興機構が先日まとめたところによると、二〇〇四年に日本を訪れた外国人旅行客は六百十三万人と初めて六百万人の大台を超え、過去最高を記録したそうだ。韓国が百五十八万人でトップ、あと台湾、米国、中国が続いている。
この数字はうれしいが、一方、日本からの出国者は千六百八十三万人で入国者の二・七倍、出超である。美しい国、という評判をもっと高め、できれば外からを三倍増させて入超に持っていきたい。そう思うが、残念ながら、現状は国をあげて観光政策を進めるような構えになっていない。
そのことを改めて痛感させられたのは、四月十六日、熱海市で〈観光都市熱海の景観を考える・10年後の熱海を見据えて〉というシンポジウムが開かれ、縁あって私がコーディネーターをつとめたからだ。主催は市民団体〈熱海の眺望と景観を守る会〉と熱海市である。
きっかけは高層マンションの建築だった。熱海はバブル崩壊のあおりをもろに受け、ひところ海岸に面した目抜き通りのホテル、旅館が次々につぶれた。あの貫一・お宮の松がある、〈東洋のナポリ〉と呼ばれたもっとも熱海らしい街並みだ。
しかし、ここ数年、少しずつ元気を取り戻し、市当局もサンビーチのライトアップなど活性化の手を打ってきた。そんなとき、一等地の一角に、東京の業者が地上十九階建ての高層マンションを建て始めたのだ。
これを阻止しようとする〈景観を守る会〉は、「熱海の顔である海岸線がマンション通りになったら、熱海の観光は終わる。熱海の今後を決める大きな闘いだ」 として、一月、工事差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請した。根拠法になったのは昨年十二月施行されたばかりの〈景観法〉である。しかし、同地裁は、景観利益が個別具体的な権利ではないという理由で却下、〈守る会〉は東京高裁に抗告、裁判争いが続いている。
◇〈景観後進国〉離脱の流れを加速させねば
シンポジウムはそうした景観を守る運動にはずみをつけ、市民も意識を高めてもらおうと開かれたもので、約六百人が詰めかけた。パネラーの一人、景観デザインの権威である東大大学院の篠原修教授は、「欧米と違い、日本の街の特色は自然をどう生かしていくかだ。物まねでない自然を生かした熱海らしい街づくりを考えていこう。建設中止などは法的にむずかしいが、景観法制定でこれからは市民の熱気が街をつくっていく」 と述べ、やはりパネラーの川口市雄熱海市長も、「自分の土地ならどんなものを建てても良いというのを否定しているのが景観法だ。市民、市が反対しているところにマンションが建つのはいかがなものか」 と訴えた。
景観騒動で最近注目されたのは東京都国立市のマンション訴訟だ。同市は以前から街の美化運動に取り組んでおり、景観の保護を理由に高層マンションの一部撤去を求めた地域住民の裁判で、一審は景観利益の考え方を示して勝訴、しかし、昨年十月の二審判決は、「地域住民に良好な景観を享受する私法上の権利や利益はない」 と逆転敗訴になった。これがいまの景観問題の法的レベルである。
熱海の争いは、単に街の美観だけでなく、観光立国という国家的課題に直結していくだけに、モデルケースとしての意味が大きい。それにしても、日本は遅れている。
〈景観〉という言葉は明治の中ごろ、植物学者の三好学という人が、英語のLandscapeやドイツ語のLandshaftの訳語として作った学術用語で、一般に広まったのは一九八〇年代という。つい最近のことだ。
これまでは、都市づくりにしても、基本法は〈都市計画法〉で、景観のことなどまったく考慮されていない。だから、たとえば京都で、町屋造りの家屋の隣に高層ビルが無造作に建ったりする。景観は台なし、およそ美しい国づくりとは無縁の時代が続いていた。
また、〈江戸の富士山可視マップ〉というのをみると、江戸時代には東京都内のあちこちから富士山の雄姿が眺望できたことがわかる。〈富士見坂〉の地名が数多く生まれたのもそのためだ。ところが、いまは地名も減ったが、建物の乱立と排出ガスなどで富士山の可視個所がすべて消えた。東京における景観計画の失敗を象徴している。
しかし、悲観ばかりしていても仕方ない。最近は、住民の景観意識の高い街も全国的にできてきて、住民訴訟も増え、すでに五百の地方自治体で景観条例が制定されている。そうした動きにも触発されて、景観法が生まれた。国土交通省も昨年七月、〈美しい国づくり政策大綱〉をつくって、やっと本腰を入れだしたのである。遅ればせながら、〈景観後進国〉からの離脱が始まったということだろう。この流れを加速させなければならない。
私のつたない旅行経験をたどると、二十数年前になるが、モスクワ郊外で、帝政ロシアの女帝、エカテリーナ二世(在位一七六二-九六)の大邸宅跡を見物したときだ。高台の邸から見渡すかぎり建物がまったくないのに一驚した。類まれな専制君主だった女帝は、視界の遮へい物をいっさい禁じたのである。
そのすばらしい景観が、共産ソ連になっても保存されていたことに、二重の驚きがあった。景観は政治でもある。
今週のひと言
大型連休は出歩かない、正真正銘休む、というテもある。
ホームページのURLは
http://www.manazuru-today.net/
Cogito。
まなづるToday No.180にもふれてある。
議会の議決は真鶴町まちまちづくり条例に定められているもの。以下抜粋。
3月定例議会最終日。雨の中出かけたくはなかったが、傍聴に行った。最終日だから、初めのうちは儀式みたいなもんだ。
もちろん目的は赤浜マンションに対しての議会の議決である。真鶴町民が自分たちが作った条例に従えと言っているのだから、それに行政も賛成しているのだから、どう考えたって賛成するのが普通。マンションを作って売り払えばいい業者の肩をもってはおかしいのだが。業者に義理立てしなければならない、なにかある、と町民が勘ぐるが、そう勘ぐられても仕方がないところもある。事実、山崎社長に議員が会ったそうだから。私は合併問題の後遺症だと思っていたが、それだけではないのかもしれない。
建築確認されてしまっているから、建設が強行されてもしまう確率は高い、しかし、何の手も打たずに強行されてしまうのと、議決で意思表示してから強行されるのでは、真鶴の未来に影響する。だからきちんと議決してほしいのだ。そして町との交渉のテーブルにつかせてほしいのだ。
議案が提出されるかどうか、すったもんだしたらしく時間がかかって待たされた。提案者は青木雅人さん。内容だって、業者に「まちづくり条例に従え」という簡単なもの。真鶴町の議員なら、当然そう考え、賛成するだろう。
ところが採決すると、なんのこっちゃ、4人の議員が座っていた。驚いたことに、まちづくり条例の制定のとき、議長であり、さらにまちづくり審議委員もつとめ、まちづくりフォーラムで他市の市会議員から「議決が盛り込まれているが議員はどう考えるのか」といった質問をされ、「責任の重さを感じている」なんて格好いいことを言っていた青木茂さんが反対で座っていた。あとは福井弘行、岡ノ谷佳子、青木透の3人。まぁ、この4人は真鶴を愛していないんだ。なんで議員になっているんだろう。この町に住む資格はないね。
ヤマザキの建設予定地にやっと出た看板。4月15日写す。この看板、小さいものだ。
掲示にある会社を検索するが???である。
4月16日
熱海、ホテルニューアカオで開かれたシンポジウム「観光都市熱海の景観を考える」に出席した。開会前、真鶴のまちづくり条例を守る会のパンフを出席者に配った。熱海市の主催なので、参加者には市民は500人以上も集まった。きれいどころも、日本髪姿で参加していた、熱海ならではの風景である。熱海の人たちは真鶴は目と鼻の先だから、よく知っている。真鶴にまちづくり条例のあることも、かなりの人たちが知っていた。だから「なぜ」と言った言葉が返ってきた。
パネルディスカッションの前に、篠原修さん(東大大学院教授)が20分ばかりスライドを使って、景観についての話をした。
昨年景観法ができたが、欧米から見れば100年は遅れている。
日本の都市計画は欧米を手本としてきた。パリの都市計画を見ると、建物が中心に置かれ、ビスタといわれる風景画広がっている。欧米は建物を中心にして都市計画が行われている。オスマンのパリ改造もそれをしている。ただしヨーロッパの風土と日本の風土とはちがう。
一方、日本のまちづくりは建物が主役ではない。浮世絵を見てもわかるように、建物や町並みの向こうに富士山があり、江戸の海があり、隅田川がある、外に広がる風景、つまり主役は自然である。だから日本の町の素質にあった、特色を生かすようなまちづくりをしなければならない。ものまねでない都市づくりが必要。
借景の例として、古い写真を数枚映してくれた。この写真、見たことがある。しかも最近だ。やっと思い出した、いま東京都写真美術館で開催されている「写真はものの見方をどのように変えてきたか」に展示されている写真だ。
明治時代、日本に来た欧米人が高いところから町の全体を見て、町の建物自体には欧米的感覚から文句をつけているが、木々が豊かで庭園都市のようだと感心している。木々にしてもいろいろな緑が豊かにある。こういう特色はヨーロッパにはない。
ディスカッションに入った。
面倒なのでパネラーは後で入れることにするが、要するに今回のシンポジウムの狙いは、東海岸町、ビーチ沿いの8000㎡の土地に建設されかけている高さ60mのマンションにたいする反対集会なのだ。60mのマンションが建つと、3軒ほどの旅館が影響を受ける。前にマンションの壁が出来、景色が見えなくなってしまうのだ。
このマンションの建設主体ははゼファー、カドキチグループが12.5%の株を所有している会社だ。確認申請はOKされている。裁判も市は負けている。後は市民の結集した力と市長の度胸しかない。
ただし、客観的に見ると、熱海市の高さ制限は近隣商業で31m、住居地域で21m、商業地域では60mまでとなっているそうだ。ということは、マンションは規制ぎりぎりの60m。熱海市の都市計画に問題はなかったか。市長の弁だと、この夏には「まちづくり条例」を議会に上程し、建物25m以上は、3分の1にして、いわゆる鉛筆にして背後からも海は臨めるようにしたいと言う。
ベローナの町では委員会の人が、町の建物一軒一軒をチェックして色付けしている。緑は町並みにふさわしいから残すべき建物。黄色は撤去した方がいい建物。さて、この判断をしているのは議員たち。美しい町にしようという議員たちのレベルは日本とは段違いだそうだ。たしかに美意識なんて、どの程度あるのかと思うくらいだものな。
日本の議員のレベルが低いってことは、それを選ぶ住民もまた美意識は低いってことだ。残念だがそう思うね。
つくずくと現場を見た。廃墟跡になってはいるが、空間ができ、後ろが見渡せていい。後ろの建物も海が見え、今がいいときだろう。景観を守る会のジュラクの森田さんも言っていたが海岸通は建物の壁にしないでだんだん状態にしたい。それには今がチャンスだと。せめて5,6階位で横並びにして、後ろの建物がのぞけるような感じにできればいいんだが。熱海はコンクリートの建物をいまさら変えるわけにはいかないだろう。ならばヨーロッパ式に段々に傾斜地の美しさが出るような景観作りをして貰いたいとは思うけど、景観法が遅すぎたなぁ。でも有力な助っ人が仲に入ってくれそうだから、協議できるといいねぇ。
参考:毎日新聞から
サンデー時評:
熱海の「景観争い」が投げかけるもの
日本は美しい国だ、と漠然と思っている。しかし、それは郷土愛か、〈住めば都〉に近いような感覚で、本当に美しいかどうか、を本気で考えたことはない。
観光立国のスローガンはよく聞くが、外国の方々に美しい国と思われているか、と真剣に検証したためしはなく、美しいと思われるように努力してきたかと言えば、それも疑わしいのだ。
「日本人は美意識に非常に敏感だけど、汚いものには鈍感ですね」 とある高名な学者が日本人の二面性を指摘するのを聞いて、確かに、と感心したことがある。どの駅前にも乱雑に置かれている放置自転車の群れは鈍感の見本だろう。
とはいえ、国際観光振興機構が先日まとめたところによると、二〇〇四年に日本を訪れた外国人旅行客は六百十三万人と初めて六百万人の大台を超え、過去最高を記録したそうだ。韓国が百五十八万人でトップ、あと台湾、米国、中国が続いている。
この数字はうれしいが、一方、日本からの出国者は千六百八十三万人で入国者の二・七倍、出超である。美しい国、という評判をもっと高め、できれば外からを三倍増させて入超に持っていきたい。そう思うが、残念ながら、現状は国をあげて観光政策を進めるような構えになっていない。
そのことを改めて痛感させられたのは、四月十六日、熱海市で〈観光都市熱海の景観を考える・10年後の熱海を見据えて〉というシンポジウムが開かれ、縁あって私がコーディネーターをつとめたからだ。主催は市民団体〈熱海の眺望と景観を守る会〉と熱海市である。
きっかけは高層マンションの建築だった。熱海はバブル崩壊のあおりをもろに受け、ひところ海岸に面した目抜き通りのホテル、旅館が次々につぶれた。あの貫一・お宮の松がある、〈東洋のナポリ〉と呼ばれたもっとも熱海らしい街並みだ。
しかし、ここ数年、少しずつ元気を取り戻し、市当局もサンビーチのライトアップなど活性化の手を打ってきた。そんなとき、一等地の一角に、東京の業者が地上十九階建ての高層マンションを建て始めたのだ。
これを阻止しようとする〈景観を守る会〉は、「熱海の顔である海岸線がマンション通りになったら、熱海の観光は終わる。熱海の今後を決める大きな闘いだ」 として、一月、工事差し止めを求める仮処分を東京地裁に申請した。根拠法になったのは昨年十二月施行されたばかりの〈景観法〉である。しかし、同地裁は、景観利益が個別具体的な権利ではないという理由で却下、〈守る会〉は東京高裁に抗告、裁判争いが続いている。
◇〈景観後進国〉離脱の流れを加速させねば
シンポジウムはそうした景観を守る運動にはずみをつけ、市民も意識を高めてもらおうと開かれたもので、約六百人が詰めかけた。パネラーの一人、景観デザインの権威である東大大学院の篠原修教授は、「欧米と違い、日本の街の特色は自然をどう生かしていくかだ。物まねでない自然を生かした熱海らしい街づくりを考えていこう。建設中止などは法的にむずかしいが、景観法制定でこれからは市民の熱気が街をつくっていく」 と述べ、やはりパネラーの川口市雄熱海市長も、「自分の土地ならどんなものを建てても良いというのを否定しているのが景観法だ。市民、市が反対しているところにマンションが建つのはいかがなものか」 と訴えた。
景観騒動で最近注目されたのは東京都国立市のマンション訴訟だ。同市は以前から街の美化運動に取り組んでおり、景観の保護を理由に高層マンションの一部撤去を求めた地域住民の裁判で、一審は景観利益の考え方を示して勝訴、しかし、昨年十月の二審判決は、「地域住民に良好な景観を享受する私法上の権利や利益はない」 と逆転敗訴になった。これがいまの景観問題の法的レベルである。
熱海の争いは、単に街の美観だけでなく、観光立国という国家的課題に直結していくだけに、モデルケースとしての意味が大きい。それにしても、日本は遅れている。
〈景観〉という言葉は明治の中ごろ、植物学者の三好学という人が、英語のLandscapeやドイツ語のLandshaftの訳語として作った学術用語で、一般に広まったのは一九八〇年代という。つい最近のことだ。
これまでは、都市づくりにしても、基本法は〈都市計画法〉で、景観のことなどまったく考慮されていない。だから、たとえば京都で、町屋造りの家屋の隣に高層ビルが無造作に建ったりする。景観は台なし、およそ美しい国づくりとは無縁の時代が続いていた。
また、〈江戸の富士山可視マップ〉というのをみると、江戸時代には東京都内のあちこちから富士山の雄姿が眺望できたことがわかる。〈富士見坂〉の地名が数多く生まれたのもそのためだ。ところが、いまは地名も減ったが、建物の乱立と排出ガスなどで富士山の可視個所がすべて消えた。東京における景観計画の失敗を象徴している。
しかし、悲観ばかりしていても仕方ない。最近は、住民の景観意識の高い街も全国的にできてきて、住民訴訟も増え、すでに五百の地方自治体で景観条例が制定されている。そうした動きにも触発されて、景観法が生まれた。国土交通省も昨年七月、〈美しい国づくり政策大綱〉をつくって、やっと本腰を入れだしたのである。遅ればせながら、〈景観後進国〉からの離脱が始まったということだろう。この流れを加速させなければならない。
私のつたない旅行経験をたどると、二十数年前になるが、モスクワ郊外で、帝政ロシアの女帝、エカテリーナ二世(在位一七六二-九六)の大邸宅跡を見物したときだ。高台の邸から見渡すかぎり建物がまったくないのに一驚した。類まれな専制君主だった女帝は、視界の遮へい物をいっさい禁じたのである。
そのすばらしい景観が、共産ソ連になっても保存されていたことに、二重の驚きがあった。景観は政治でもある。
今週のひと言
大型連休は出歩かない、正真正銘休む、というテもある。