Cogito

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ネコ物語①

2005-04-25 21:27:15 | 動物記
我が家のネコはずいぶんと減って現在5匹。オス2匹とメスが3匹。全部同族である。年長はオスで黒と白のジョイス。名前から想定するとジョイスは1999年か2000年の生まれだ。私たちがアイルランドに行ったのが1999年だから。ついでその妹のファジーなマルメ。マルメの子どものアカトラのバーリ、黒トラのリミニ、三毛トラのトリノ。メスは全部避妊してあるので、もうこれ以上同族が増えることはない。
marme
マルメ・ジョイスの妹。バーリ、リミニ、トリノの母親。

私のテーブルの下にはホットカーペットがつけっぱなしになっているので、ネコたちはたいていここで寝ている。でも2匹のオスは甘ったれようとテーブルの上に乗って寝ている。2匹乗っても十分余裕はあるのだが、私の愛情を独占したいのか、勢力争いか、常に喧嘩をしている。仕方がないので、どちらかを下に追いやる。追いやられるのはどちらかといえばジョイスが多い。膝にのるのはジョイスの方だが、ともかくバーリを目の敵にしている。まだ双方とも力は拮抗しているのだろう。反目しながらも一緒にいるのだから。どちらかの力が勝ればどちらかは追い出されてしまうか、片隅で小さくなって生きなければならなくなる。

joyce
ジョイス、現在では最年長

ジョイスの親はリモージュで、先日死んだシャモニーとは同胎だった。ジョイスは、アカトラのアラン、真っ白で長毛のエンヤとオス3匹同胎だったが、1年も経たないうちに、後の2匹は同じ病気で死んでしまった。だからジョイスも同じ病気になるのではないかと心配され、「不憫な子」と大事にされてきたのだった。マルメが生まれてすぐ、親のリモージュは交通事故で死んでしまった。だからジョイスは「不憫」さが増したのである。

bari
バーリ

バーリは一族では若手である。パルマ、リミニ、トリノと同胎なのだが、パルマを追い出してしまった。ジョイスにはケンカを売っているものの、人間に対してはわがまま一杯の甘ったれである。庭先までは静かに入ってくるが、玄関近くからは「いま帰ったぞ~」とばかりに破裂音を響かせて帰ってくる。私が留守の間に、不憫だとpapasanが生アジを食べさせたので、アジが主食になってしまった。「お腹が空いた。アジよこせ~」とこれまたうるさい。アジを食べたあと、ミルクを飲み、さらに騒ぐ。それはヤクがほしいからである。ヤクとはマタタビのこと。この粉はどのネコも大好物である。ネコにマタタビとはよくいったもの、ちょこっとなめただけで、ひっくりかえってごろごろし始める。

ネコ以外には2匹のコリーと2匹のウサギ、2羽のアヒル、そして4匹の金魚がいる。動物社会はみんな仲良しである。そんな平穏な毎日に異変が起こった。新しい仲間が増えたのである。それも4匹の仔猫とその母ちゃんの5匹である。形勢は一変した。


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クモ日記3

2005-04-25 18:03:22 | クモ日記
ジョロウグモのオバサンとの短い付き合い。日記から
kumo






2005・1・4
暖かいので、ゴキブリが出てきた。それを捕まえてジョロウグモのオバサンのところへもって行く。クモに近づけるとゴキに襲い掛かるようなしぐさをしたが、軍手の白い指に驚いてか、クモは端の方に逃げてしまった。ゴキの足を持って、どこかへつけようと試みるが、すぐ落ちてしまう。こうしてみるとゴキは大きいし、重みもあるようだ。やっとこ中心からかなり外れた網の横糸にゴキの後ろ足がくっついた。頭を下にしてぶらりとぶら下がっている。長いひげをやたらと動かしている。風にゆられながら、なんとか逃げようとゴキももがいている。
「可哀想だよ、逃がしてやったら」とpapasan。
「運天だよ。運があれば逃げれるさ」とクモに肩入れしている私は非情だ。何回も見に行ったが、状況はかわりなし。12時過ぎ、クモは中心に戻っている。気がついたかな。

13時、のぞきに行くと、クモがゴキの上にいる。急いでマクロレンズをつけて、カメラを持っていく。クモがさかんにゴキのまわりをまわっている。レンズでみると、ゴキの後ろ足に糸をかけている。ゴキは前足を動かし抵抗している。まずはうごかなくするのかと見ている。ゴキの体長はジョロウグモの1.5倍ある。横はもっと幅広だ。だからゴキはジョロウグモの倍以上に見える。

13:30なぜ足に糸をかけていたのか、そのわけが分かった。クモはゴキを網の中心部に持ってきたかったのだ。
ゴキがついているのは、中心の網からはなれた、もう一つの網のはずれにぶら下がっていた。前足を伸ばしてゴキをまいている糸にかけ、ぐいっと引っ張りあげる。ゴキがぐっと持ち上がる。たいした力だ。もうゴキは毒液を注入されたのか、びくともしない。15分ほどで網の中心部に移動した。
14時、ゴキは頭を下にしたまま。クモはゴキの横腹に噛み付いたようだ。

かぶりついた姿を、左手に持った懐中電灯で、光らないようにライトを当て、右手にカメラを持ち、プログラムで風に揺れるクモを撮る。ましてマクロだ。ぶれていないといいが。
jorou
ゴキに食らいついたオバサン

2005.1.5
さぁ、気分を変えてジョロウグモのオバサンを見に行こう。残り少ない生を一生懸命生きているのは感動ものだ。
昨日のゴキブリは頭と胴の間がきれいに食べられている。胴の中が空洞かどうかは確認できないが。クモは消化液をかけて、溶かしながら獲物を食べるのだそうだ。だからちょっと見には体液を吸っているように見えるが、ちゃんと食べているのだそうだ。昨日食べ始めたのが14時。一晩かけても、ゴキの残骸は残っている。こころもちオバサンのお腹が膨らんだように見える。餌は取れたが、これからはさらに寒さが厳しくなる。いつまで生きられるか。

2005・1・10
夕べも冷えた。ジョロウグモのオバサンを見に行くとさすがに元気がない。
昨日は触ると逃げようとしたが、今朝は触ってもただ前足を動かすだけ。
お別れも近いようだ。よく頑張ってるよ。

2005・1・11
ジョロウグモのオバサンを家に連れてきた。風で外の網が壊れてしまったから、つれてきたのである。余命いくばくもないものならば、私の観察相手になってよ、と。急に暖かなところにおいても環境が違いすぎるだろうからとピアノのそばの比較的暖かくないポトスの葉の上においてやった。しばらくはじっとしていたが、ポトスの葉の上に行ったり、下に下りたりしている。新しく網をはればエサは探してつけてやれるのだが。それだけの余力はあるのかな。
体長は2.2cm。一番足は体長の1.5倍はある。動きを見ていると飽きない。この場所が気に入ってくれるといいんだが。

2005・1・14
ジョロウグモのオバサンは小さいが網を張ったみたいだ。この間、ハエがいたはずだが、と思っていたら、視界を横切った。殺さないようにそっと叩く。羽をつまんで、網にかけてやる。でも網が小ようやくさいのでなかなかつかない。ようやくつけたが、オバサンハ驚いて上の方に逃げてしまった。
灯油を取りに外に出ると、玄関先にゴキブリがいる。死んでいるのかな、とつまんでみると生きている。いい獲物だ、とばかりに羽をつまんで、オバサンのところに持っていく。目を凝らして網をみて、横糸にくっつけた。うまくついた。

18時、オバサンがゴキの傍にいる。気がついたんだ。この前と同じようにゴキに糸をかけている。どうやら上まで引き上げようとしているみたいだ。たいした力だ。ハエは蘇生したらしく逃げてしまった。

これを食べれば、長寿の記録ができるかもよ。でも記録ってどのくらいのがあるんだろう。

2005・1・24
ジョロウグモのオバサンにゴキブリをやってから10日たった。そろそろエサをやらなければ、と台所をごそごそ探したが、ゴキは見つからなかった。ゴキの中身が入っていると思える卵のうを見つけた。そこで網につけてやった。ゴキが抱えていた卵のうは食べたが、卵のうだけでは分からないのか、逃げてしまった。折角つけたのにねぇ。

2005・1・25
寒い、寒い。
ジョロウグモのオバサンのエサが見つからない。もしかして土の中にブンブンの幼虫や甲虫が眠っているかもしれないと、土を掘ってみる。小さな小さなダニの仲間のような虫はいるが、手でつかめるような大きいのは見つからない。ようやく鉢をひっくり返すと、ハサミムシを見つけた。素手でつかむとハサミで応酬する。ちょっと痛かったがもって帰ってオバサンの網につけてやる。なかなかつかない、ということは網の粘着力が落ちているみたいだ。
すこし大人しくなったので、大丈夫かと思って少し後に行くと、もう逃げてしまっていた。また鉢をひっくり返すとハサミムシ、ヤスデ、ムカデの小さいのを見つけた。そこで先ず、ヤスデをつけた。大人しくぶら下がっている。それももう少したっていくともう姿が見えなかった、あちこち探したが見つからない。下が鉢だから、土の中にもぐりこんでしまったのかもしれない。てなわけでムカデも、ハサミムシにもことごとく逃げられてしまった。それを聞いてもともと虫の嫌いなpapasanは「考えただけで、背筋が寒くなる」とぞっとしている。

まだ1匹ムカデは残っているが、ムカデの力では糸を切って逃げてしまうだろう。仕方がないので、オバサンをポリ容器にいれ、網をかぶせた。その中にムシを入れれば捕まえることができるかもしれないと考えたからだ。しかしそれが有効かどうか、専門家にメールを送っておいた。夜、メールの返事が来た。ジョロウグモが網を張るにはエサを捕まえるという目的と、もうひとつかかったエサが自分の力におえるかどうか判断するため。でないとかえって自分の身を危険にさらすことになる。自分の力で処理できないものには果敢に飛び掛っていくことはない、と。
なるほど、たいしたもんだ。しかし、それではお手上げだ。
「家に連れてきたこと自体、自然に逆らっているんだから」とpapasanが非難めいた言をいう。それはそうなんだが、おかげで知識も増えたし、でも観察できてよかったじゃないか、と自分に言い聞かせている。オバサンはもとのポリ容器から出して、ポトスにつけてやった。

ごめんよ、エサ探しの努力はしてるんだけどね。ゴキの卵のうもビンに入れて、ホットカーペットの上に転がしてある。そのうち孵るかも。

2005・2・4
ジョロウグモのオバサン。普通はこんなに近くで見ることはないが、きれいだ。

立春。今朝の気温8度。昨日より暖かいと思ったら、2度高い。2度の差を感じることが出来る。

それでもまずは部屋を温めることから始まる。オバサンがいるからなおのこと気を使っている。私の机が占領している部屋は6畳に床の間分が1畳の部屋である。もともとは和室で畳が入っていたのだが、犬のアヌビスがお漏らしをして畳を傷めてしまったのと、私が腰を痛めているので椅子にしたほうがラクということで、フローリングに変えてしまったのである。
コタツにもぐってテレビを見るのが好きだったのだが、コタツがなくなってからはテレビを見ることが少なくなってしまった。床板に転がることがないので、前はよくしていた柔軟体操もしなくなってしまった。ちょっとしたことでライフスタイルもかわるものである。

その床の間部分も板に代え、でも作りはそのままになっているから、その部分の天井は仕切られている。その隅にオバサンはしがみついているのだ。下にはポトスの鉢は置いてある。今は背中しか見えないが、毎日のように場所を変えているから、生きていることは確かだ。14日にゴキを食べただけだから、お腹が空いているだろうと人間サマは思うのだが。
でも、ユウレイグモもトイレの前の天井でじっとしている。餌を食べている様子はない。となると、おばさんもまだ大丈夫かなと思うのだが、ユウレイグモは体も細いし、エネルギーがそんなに使わないのかもしれない。

2005・2・7
昨日、ジョロウグモのオバサンの様子がちょっと違って、横向きになっていた。「オバサン、死んじゃったかな」
今朝も同じ姿だ。そこでイスを持ち出し、菜ばしでそっと触ってみた。動かない。もう少し触ると、ぽとん、と下に落ちた。あぁ、やっぱり。お腹はぺったんこになっている。papasanが帰ってきたら見せてやろうと、ピアノの上に置いておいた。

クモ先生に、メールをうった。「オバサン死す」と。折り返し先生から返事が来た。
「死因はエサがなかったからではなく、老衰だろう」と。

papasanが帰ってきたので、オバサンの死を伝えた。
「やっぱり。エサがなかったからかなぁ」
「いや先生からのメールでは老衰だろうって」
「・・お前の子どもたちはどこかにいるんだね。子どもたちをかわいがってやるからね」

そうだよね、自然においておけば、もっと前に外の寒さで死んでいたろう。
無理に長生きさせてしまったけど、それでも、毎日観察させてくれて、私にはたのしかったよ。

蛇足:
オバサンのエサにしようとビンに入れておいたゴキの卵のうは、オバサンが死んでしまったので、すっかり忘れてしまっていた。ゴキの卵は1ケ月位で孵るらしい。はっと思い出して、ビンを見ると、黒いゴキの子どもたちがうじゃうじゃ。やっぱりあの卵のう、まだ生きていたんだ。そこでタマネギのスライスとチーズをいれてやった。水も少し下に入れた紙が滲みるくらいにいれた。日に何度もふたをあけ、空気を入れ替えた。バターも入れてやった。しかし2,、3日、忘れたら全部死んでしまっていた。ふたを網にいておくべきだったかなぁ。





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