近くのデパートに有名なカツオ節屋さんがそうめんの出張販売に来ていた。そうめんは三輪しか食べないというと、味見してくれと言う。鰹節削りはその店のを使っている。「量が少ないですから」と手を出さない私にも試食品をくれた。ぺろりと食べて、「麺はいいけど、このそばつゆは まず~い。老舗がこんなそばつゆつかっちゃいけないよ」と言うと、店員さんたちは困った顔をしていた。
鰹節の需要は伸びている。それは鰹節と言ってもフレッシュパック入りのものと麺つゆの需要によるものだ。日本人がかつお節がきらいなのではないが、削るのは敬遠された。それを削り節にして袋詰めにして売り出したのは大正解だった。このパック開発に苦労を重ね、やっと売り出したのが「にんべん」である。そして小袋をを売り出したのも。これはヒット食品だったろう。私もおひたしに便利に使っている。
市販の麺つゆというものを使ったことがない。いつも煮切みりんと醤油を半々にした本返しを冷蔵庫に保存してある。麺の時はこれを昆布と混合節でとった出汁でのばして使っている。つけ汁があまれば、ひじきや肉じゃがといった煮物に使う。手間でもないし、むだでもない。私には食べることに関しては、簡単でまずいものより、ちょっと手をかけても美味しい物のほうがいいのである。いままでは食品添加物の問題も気にしていたからなおのこと。当然化学調味料も出汁の素も使ったことがない。ダシの素も以前とは違って食品添加物のかたまりみたいではなくなっているようだが、それでも使うことはない。
麺つゆに使われている鰹節は、というより鰹節そのものを少し眺めてみよう。
鰹節とは、カツオをおろし、熱湯の釜でゆで、骨をとり、焙乾と言ってあぶって乾燥させる。これに更にカビ付けして乾燥させて作る、これは常識と私たちは思っている。そのたたくとカチンと言う音がする鰹節を、朝晩、味噌汁や汁物や煮物のために、鰹節削りで毎日削らされていたものだ。上手に削れなくて粉ばかりになってしまったことも多々あった。母はなくなるまで鰹節を買ってきては、鰹節削りで削って使っていた。私も削り箱を買ったことはあるが、刃がよくなかったらしく、すぐ切れなくなって、多分それは倉庫に眠っているか、あるいは捨ててしまったかもしれない。いつしか出汁は削り節を使うようになった。伊東に行ったときは鰹節屋さんでその場で削ってくれたものをたくさん買って来て冷凍保存して使っているが、ないときはどこでも売っている袋入の花かつおを使っている。ただし、これはあの鰹節(枯節)を削ったものだと思っていた。
手元にある花かつおの袋の表示を眺めてみる。
品名 かつお削りぶし
原材料 かつお・ふし(国内産)
密封の方法 不活性ガス充填、気密容器入り
内容量 120g
賞味期限 06.04,03 T
保存方法 高温・高湿、直射日光を避け、常温で
保存してください。
製造者 ヤマキ株式会社・住所
の順になっている。
麺類にはこの出汁を使っている。
名称 混合削り節(厚削り)
原材料 かつおぶし(国産)、さばぶし(国産)
内容量 360g
賞味期限 06。05.19
保存方法 直射日光を避け、常温で保存してください。
販売者 カドヤ株式会社 住所
ただし、これは表には保存方法として残ったら密封して冷蔵庫に保存と明記してある。だから冷蔵庫で保存している。
パック3g入りのものの表示。
名称 かつおぶし削り節(薄削り)
原材料 かつお・かれぶし
密封方法 不活性ガス充填、気密容器入り
内容量 30g(3g×10袋)
賞味期限 06.04.18 (枠外に記載)
保存方法 高温・高湿、直射日光を避け、常温で
保存してください。
製造者 株式会社マルモ 住所
そして枠外に販売者の住所・会社名が入っている。
パック5g入り
名称 かつおぶし削りぶし
原材料名 かつお・かれぶし
密封の方法 不活性ガス充填、気密容器入り
内容量 50g(5g×10袋)
賞味期限 06・6.19(枠外に記載)
販売者 にんべん 住所
ここには製造者の記載はない。賞味期限の後ろのN3というのが製造者の記号らしい。
混合節は別として、あとはかつおには違いないのだが、製造過程に違いがある。
◇かつお節を分類してみると、大きく分けて
①製造過程のよる分類、
②加工部位による分類にわけられる。
③として削り節の分類もあげてみよう。
①製造過程による分類
●荒節 焙乾、薫蒸工程まで終えた節。削り節、粉末の原料節 として使われる。
●裸節(赤剥き) 荒節の表面を滑らかに削って整形し、乾燥させた節。沖縄ではもっとも多く消費される。
●枯節(仕上節) 裸節に日乾し・カビ付け工程を2回加え、水分を減らし、香りを高めた節。同じ工程を4,5回加えた最高級品を本枯節という。
親が使っていたのは枯れ節か、本枯れ節だったと思う。
②加工部位による分類
●本節 カツオを三枚におろし、背側、腹側のわけてつくる。
背側を雄節、腹側を雌節という。
●亀節 小ぶりのカツオを三枚におろし、左右2枚からつくる。
③削り節の分類
●削り節 カツオ、サバ、マグロなどの節、乾燥したイワシ、アジなどをうすく削ったもの。原料が一種類の場合はサバ節、ソウダ節などという。
●かつお削り節 かつお節の荒節、裸節をけずったもの。
●かつお節削り節 かつおの枯節を削ったもの。
●混合削り節 2種類以上の魚の削節を混合したもの。
●粉末混合削り節 粉末含有率25%以上のもの
●削り節粉末 粉末100%のもの
私の使っている花かつおはかつお削り節、パック入りはかつお節削り節ということになる。ちなみにスーパーでは枯節や本枯節は売っていない。スーパーにある花かつおや小袋の削り節を眺めてみたが、ほとんどがかつお削り節と表示されてあった。かつお節けずりというのはにんべんの製品にはあったが、どこにでもあるわけではなかった。
先日、人が来たので、かつお節の話をして「かつお節っていったら、どこを連想する?」と聞いてみた。たいていの人が土佐・高知と答えた。かつおの一本釣り、かつおのたたき、土佐作り・・・かつおとは縁が深い。土佐のおみやげになまり節がある。私が行ったときも桂浜ちかくにはずらりと売店が並び、それも味つけを変えたなまり節が売られていた。私は枕崎にも行ったことがある。あそこはほんとのかつお節、枯節、本枯節を売っていた。雄節を買ってきた覚えがある。もっともそれを自分で使うことはなかったが。私は、近海もののあぶらが乗ったかつおは生食用に使われているのではないか、と思っている。
ここで一冊の本を紹介する。
藤林泰・。宮内泰介編著
「カツオとかつお節の同時代史」
(ヒトは南へ、モノは北へ)
コモンズから出版されている本である。
まだ全部読み終えていないが、この本によれば、現在のかつお節生産は鹿児島県と静岡県がぬきんでている。鹿児島の枕崎市、山川町と静岡の焼津市がかつお節生産量の9割を占めている。
かつお節の歴史を見ると、百科辞典では日本の伝統と書いてあるが、どうもそうではないらしい。
通説によれば1674年紀州の角屋甚太郎が、土佐で培乾をはじめたとある。それが土佐に伝わり、以来土佐を主産地とするかつお節は大阪や京都の上層階級に間でその消費を伸ばしていく。江戸時代後期には土佐与一というかつお節職人がこの製法を江戸に伝え、全国に広まった、とある。
しかし昭和16年から行われた食べものの調査では、普段の生活にかつお節は使われてはいない地域が多く見られた。この調査の時代、一番かつお節を生産していたのは、国内ではなく南洋諸島であったという。
南洋諸島でかつお節が作られていることは、以前から知っている。浜で煙でいぶしていた。モルジブフィッシュも知っているし、現物を持っている。南洋諸島でのかつお節の生産は日本が技術を教え、生産させたものだと思っていた。そういう側面もあるかもしれないが、カビ付けは日本のようには思うが、現地のカツオの保存方法として茹で、乾燥させたことは十分ありうる。日本でも庶民がかつお節を日常的に使い出すのは、かなり新しいことのようだ。
手元に「伝統食品の智恵」(「藤井達夫監修)がある。かつお節のできるまでが写真入でくわしく載っている。かつお節・本枯節をつくるのに手がかかっていることはいうまでもない。カビづけでかつお節の水分を10%にする。しかも香りがいい。この本を読み返すと、グラインダーを使った削り節の味に満足しない人々もまた多いという件が目を引いた。う~ん。
私はソバが好きで、ソバのあるところでは日本中ソバを食べている。しかもよほどなことがないかぎり、食べるのはザルかせいろといったつけソバである。利賀村にはソバ博物館がある。そこで見たのだが、ソバの原産は北インド、ヒマラヤ近くである。ただ、平安時代にはもう日本に入ってきていたとも書いてあったと思う。原産の近くのネパールでソバを甘く練って食べているのは知っている。はるか離れたヨーロッパのブルーターニュやノルマンディーでソバのクレープを食べたことがある。日本ではいまでこそソバ饅頭とかソバ団子にして甘味を添えているが、専ら主食として食べられていたようだ。練った物を汁にいれたり、蕎麦掻にもしたろう。切りソバの歴史は新しい。ソバ博物館の記述を思い出すと、たしか切りソバをいまのようにたれにつけて食べるようにしたのは、江戸深川の何某が始めたことだとあったように思う。
それを読んだとき、私としては疑問に思っていたことがひとつ納得したのを覚えている。何に納得したかと言えば、このかつお節の出汁のことであった。かつお節は、私が子どもの時代とはいえ、高価なものであった。毎日少しずつ削って使っていたにせよ、掃いて捨てるようなものではなかった。盆暮れの贈り物に木箱に納められたかつお節を頂いた。その茶色い粉がいっぱいついたようなかつお節をぬれふきんで丁寧に拭いて削り始めたのも覚えている。そういうかつお節を、まだ流通のよくなかった山村部で日常的に使っていたとは思われなかったのと、都市部との経済的格差ももっとあったのではないか、と思っていた。山間部の人がが刺身をしらなかったという話は親からいくつもきいていた。
ソバは山のものである。山だから川魚や肉や野菜と煮込んだというならわかる。しかしかつての山間部の食生活が、晴れの日は別として、日常的にそんなに豊かであったとは思えない。海から隔たっていても城下町には食文化が発達していて、身欠きにしんなど美味しいものがあるのは知っているが、山間部とはもっと山のイメージだ。
切りソバの美味しさはソバそのものにもあるが、それをひき立たせるには美味しいそばつゆは欠かせない。そのソバと出汁の出会いが深川ならうなずける。と考えてみると、今ではソバは安価な食べものとして、軽食として、広く普及している。贅沢な話である。では贅沢なかつお節はそれほど安価なものになったのだろうか。どう普及したのだろうか。ここでこの本「カツオとかつお節の同時代史」とがドッキングしてくる。
さて表示にもある国内産という文字、これを追ってみよう。
国内産、国産、普通なら国内で生産されたもの、のことだ。しかし魚が国内産というのはおかしい。近海で取れたものという意味か、国内で製造加工したものと言う意味なのだろうか。そこで調べてみた。国内産とは原材料は他から持ってきても、国内で解体し加工した物を国内産というのだそうだ。
「カツオと鰹節の同時代史」はこのカツオをスラウェシまで追っている。
つづく