7日、お天気がいいから、箱根周りで小田原へ行こうか。そうだね、カメラを持って出かける。湯河原から上る。下はまだ紅葉の跡が残っていたが、上に行くにしたがって、葉をすっかり落とした冬枯れの木立に変わっていた。冬枯れのすすけたような色に包まれる山の感じは好きなのだ。
そうねえ、富士山の写真でも撮って、エラブに送ってやろう、なんて思っていたら、十国峠はガスっていた。それも立ち込めるガスで回りもかすんでいる。当然、富士山は見えない。長尾峠からの裾野を広げた冨士がすきなんだが、この分じゃ~、有料払って長尾峠に行ってもむだだ、といつもの道を下りはじめる。
箱根神社をすぎて、ふと真っ白な冨士の姿に気がついた。ガスもなく、晴れている。う~ん、ここら辺は木が邪魔をして冨士は撮れないよ。ここら辺で冨士がよく見えるところは、駒ケ岳だなぁ。ロープウェイで行くのはいやだし、なんて渋っている。そこで大湧谷へ上ってみた。大涌谷なんて久しく来たことがない。お客さんがいっぱい。駐車場も満杯。いいよ、いいよ、富士山ならまたの機会にしよう、と言いながら、入り口で、車を降り、走っていって冨士を撮った。ここだとロープウェイが入っっちゃう。
仙石原をまわってそのまま下る。宮下を過ぎると、まだ紅葉が残っていた。
日差しは暑いくらいだ。ロビンソンで買い物をして、EPOに車をいれ、床屋に行った。お昼、ふと気がついて野次馬精神で「O」に入った。入り口で名前を書かされ、順番を待った。いつもなら待ってまで食べないとでてしまうところだが、Papasanが名前を言ったので我慢して待っている。やっと二人席が空いた。売りの餃子とラーメンをとった。多いとは思ったが、餃子一人前では悪いと思って。やっぱり多すぎた。もう行かないね。化学調味料、今はそういわないね、アミノ酸の味がいつまでも残って、うちに帰ってお茶をがぶがぶ、虎屋の羊羹をつまんだが、食べ慣れないから後味がしぶとく残った。こんなことめずらしい。
8日 窯だし。
誰かの作品に12/8の日付。「今日は12月8日なんだあ」と言うと、「なにかあるんですか}という声。「開戦記念日ですよ。太平洋戦争の始まった日。ほら、真珠湾攻撃した日ですよ」と言っても60代はぴんとこない様子。70代はさすがに「本日未明交戦状態に入れり」なんて返事が返ってくる。
「ではもうひとつ、ジョン・レノンが暗殺された日ですよ」これもあまり反応がなかった。70代の方が、「オノ・ヨーコがテレビに出てましたよ」とやはり関心があるよう。
9日 日本橋、大森、帰りに横浜の中華街に寄ってきた。
高島屋の今日の蔵元は加茂鶴。東広島の蔵元だ。
10日 マッサージ。