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大石芳野さん

2019-04-24 07:39:40 | 日記

日曜美術館は大石芳野さんだったのだが、気が付かずにいた。8時半、テレビ欄を見て「しまった」と慌ててチャンネルを回したのだが、見たのは最後の15分程度。先日和美さんが恵比寿の写真美術館で開かれている大石さんの写真展へ行ってきたばかりだから、様子は聞いているが、これが主題だったのだろう。最後の話題は芳野さんが老婦人を訪ねて、話をしたり写真を撮ったりしていた、その女性がカギのかかった戸棚から出したものは、丁寧に風呂敷につつんだ自画像写真。芳野さんがとってくれた写真を、遺影として作ったものだという。写真の女性は穏やかな言い表情をしていた。芳野さんは遺影写真と一緒に彼女の写真を撮っていた。番組ではこの女性の半生を紹介していたが、途中からなので、どういう人だかはよく呑み込めなかった。やがて芳野さんが、原爆で生き残った人々のその後を追い続けていたことがわかった。老婦人は、その一人だったのだ。芳野さんの表現を借りると、「凛として生きている」人たち。カメラの入ったバッグを肩に、帰る芳野さんに、手を振り続ける女性。とことこと駅までも。心が通い合っている、心温まる、絵になる景色だった。

大石さんは好きな女性写真家の一人である。写真(作品)もよく見ている。

番組の終わりで芳野さんが言った言葉。「自分は写真を通して、ずっと世界の現状を訴え続けてきた。写真で知らせることによって少しでも世界が変わることを願って。だけど世界はちっとも変わらない。訴え方が悪いのではないか。同じ時代に、同じ時間に、苦しんでいる人々がいる。同じ人間として優しい気持ちになれたら、世の中も少しは変わると願っているんだけど」と。

芳野さんのこの言葉が一番胸に響いた。芳野さんの写真を見る人たちには、芳野さんの思いは十分に伝わっている。しかし、芳野さんの作品を見たことのない人の方が多い。

文学を読まない若者も多い。先日、ゲーテを知らない大学生に驚いた。ゲーテをカフェの名前かと言っていた。腹立たしいより悲しかった。大学は単なるパスポート。本を読むよりバイトに明け暮れる。バイトで得た金で遊びまわる。親世代もそう育ち方をして、同じように子どもたちを育てているのだろう。まして、市民権を得てきたとはいえ、まだメジャーとはいいがたい報道写真。休日に行く和美さんは、写真展に若い人が来ていると喜んでいたが、実情はどうなんだろう。

芳野さんには及ばないが、少しでも世の中をよくしたいと努力してきたつもりだが、振りかえれば、同じ思いが胸をよぎる。

でも芳野さんはいう。「死ぬまで、この生き方を続ける。続けるしかない」と。がんばって!

コメント
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