先日、知人に片付けの話をしたとき、真鶴にはもう1軒、古本屋さんがあると教えてもらった。畸人堂(きじんどう)というらしい。さっそく電話すると、暮れで忙しいから来年になったらという返事。別に急ぐわけでもないから、じゃ~またその時に、と言って、なら片付けなくてもいいや、と放っておいた。それが急にこれから伺うと。
持って行ってほしいのはフッサールの原書、フッサール全集、フッサールに関する本、西田幾多郎全集、三木清全集、久野収全集、等々の哲学書、それと私の洋書、ネパールでスダさんたちが図書館、いえ、図書室を作ったので、英語なら読めるだろととっておいたもの、そういえばフランス語の原書、アミエルの日記とか、星の王子様の絵本もあったな。フランス語版も、英語版もあった。あれらどうしちゃったかな、一応図鑑類、野鳥は、ネットで調べられるからいいけれど、クモは調べられないから大事と言ったのだけど、すべてしばってあった。まぁいいか、どうせ目が見えないから見やしないだろう、思い切って処分しよう。本はそれぞれ自分で買ったっ本だ。どこで買ったかなんて覚えている。読んだ本は内容はちゃんと覚えている。思い入れはある。しかしどこかで区切りをつけなければならない。
絶対に渋ると思っていたpapasanの方が、あっさりと蔵書を手放している。夜、和美さんに言うと、「まちづくり条例」は手に入りにくくなっているから、残しておいてほしいと言われ、積んである本を探したがわからない。古本屋さんが来たら、見つかったら返しておいてほしいと頼んでおこう。それとここににあったか工芸室にあるか定かではないが「陶芸の釉薬」これはもう手に入らないから、これも。
絶対に渋ると思っていたpapasanの方が、あっさりと蔵書を手放している。夜、和美さんに言うと、「まちづくり条例」は手に入りにくくなっているから、残しておいてほしいと言われ、積んである本を探したがわからない。古本屋さんが来たら、見つかったら返しておいてほしいと頼んでおこう。それとここににあったか工芸室にあるか定かではないが「陶芸の釉薬」これはもう手に入らないから、これも。
辞書類は残してあった。売れないんだろうな。古い辞書は結構面白いんだがな。広辞苑、英語、ドイツ語、フランス語、ギリシャ語、ラテン語、エスペラント語、イタリア語など。私の学生当時、ラテン語の日本語の辞書はよくなかったから、ラ仏、ラ英も買って使っていたっけ。何のためにラテン語やギリシャ語をやったかというと、Mariusが読みたかったからだった。原書を取り寄せて、紐解くと、英語の本のはずなのに、ラテン語やギリシャ語がふんだんに出てきて、まずはこれを制覇しないとMariusが読めないと、諦めてしまったのだった。10年ぐらい前だったかな、棚の中からそのMariusを見つけて、引っ張り出すと今度は英字は小さくて、しかも行間が少ないのでなおのこと、眼鏡をかけても全然読めない。悔しいので、ネットで本多顕彰さんの訳版を見つけて買った。150円の本が3000円した。残念ながらその訳書は註も、説明もない。この本、註がないと、ギリシャ哲学をかじった人ならまだしも、難しいと思うんだがな。 本多さんの訳、日本語が下手過ぎてイライラしたが、一応読み終えた。本多顕彰さんにはシェークスピアの講義を受けたことがある。
この古本屋さん、若くて孫みたいだが、かつて神保町にお店があったとかで、神保町のことは詳しい。私も神保町はよく通った。当時は文化の一隅にあったアテネフランセに通っていたので、お茶の水界隈も詳しい。で話が合って面白かっら。50年ぐらいの時代差はあるんだけど。