とは私のことである。papasanが亡くなって、骨になって帰ってきた。mammaが死ぬまでここに置いておくと言って、骨壺は棚にのせてある。その前に白布をかけたデスク一台分の仏前ができている。そこに写真が数枚飾ってある。
その写真は、身延山へ行ったとき、階段を上れないので、下で、葬式写真に使うからそこに立ってと言って、数枚撮ったものである。図らずもそれが葬式写真となったのだ。それを焼いて、飾ってあるのだが、その写真ばかり見ていたら、写真は思い出せるが、papasanの日ごろの顔を忘れてしまったのである。
娘や和美さんに言うと、「記憶力抜群のmamasanが」と驚いている。「何言ってるの、和美さん、あんたは心理学専攻だったでしょ」
心的作用、一種の記憶の封印なんじゃないかな。そのうち戻るよ、しかし本によると記憶が戻るのは明日かもしれないが、何年もかかることもある、と書いてあった。mamasanは知識は豊富だし、事例もよく知っている、だから客観視できるけど、それはあくまでも表面上のこと、心の内部までは踏み込めない。
1ケ月経った。写真に向かって、このpapasanは本物じゃない、なんて言うようにはなったが、では思い出せているかと言えばまだ思い出せない。少しの変化は、いつも着ていたパジャマ姿は思い出せるが、青いパジャマの上の顔はくしゃくしゃでわからない。しぐさやなんかは思い出せてきてはいが。
私も大分ぼけてきてはいるんだけど。