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人間国宝美術館

2012-09-09 09:02:46 | アート・文化

陶芸仲間が、三輪壽雪さんのお茶碗でお抹茶が頂ける、と教えてくれた。壽雪さんはあちこちで見ているが、竹橋の近代美術館の工芸館での荒川豊三、三輪休雪・壽雪展は圧巻だった。荒川豊三さんの志野、休雪、壽雪さんの萩、萩の方が温かみがあると感じた。おそらく土と釉の違いだろう。

月末に萩に行く。問い合わせると、萩美術館も山口美術館も、所蔵品に萩焼の名品はあるのだが、ちょうど旅行中に萩焼の展示はない。そこで、人間国宝美術館にある萩焼を、触れられる、という言葉にもひかれて、見に行ったのである。

                                                

受付でチケットを買いながら、横に並んでいる茶碗をじろじろ眺めていた。萩はない。「壽雪さんの茶碗でお抹茶が頂けると教えてもらったから来たんだけど・・」というと、「9月で入れ替えました」という。「あ~ら、残念、触りたかったのに」

4階は橋本雅邦の虎の屏風が展示されていた。モニターで、この作品の解説が流れていたが、それは見ずに直接作品を眺めた。もちろん、雅邦は知っている。絵の虎はさすがに重量感も存在感もあるが、目が何とも優しかった。

段差を気にしながら、手すりにつかまり3階に降りた。入り口わきの小部屋の展示物が替わっている。速水御舟の「炎舞」があった。「えっ、なんでこれがここにあるの?確か山種の物の筈?借りたのかしら?」よく見ると複製だった。「だろうね~」

                                                  

展示室に入って、「あら~、展示が様変わりしている!」と声をあげた。小さな美術館は、おなじみのものがどこにあるか覚えているから楽しんだが・・、こうがらりと展示が替わると、違和感がある。おそらく収蔵品がたくさんあるから、こういう展示ができるんだろうが。

                                                

展示棚の後ろの壁に、かなり大きな絵が並んでかかっている。それぞれの絵もいいし、陶磁器もいいのだが、こういう、せせっこましい飾り方をされると、絵もよさも、陶磁器のよさもお互いに消しあって、双方の魅力が半減されてしまっている。もったいないかぎり。学芸員のセンスなんだろうか?                          もうひとつ気になったのはライト。プロが選んでいるのだろうが、ライトの色が気にかかった。濁手の白が、伊万里の白のように青みがかって見えるのだ。濁手とは米のとぎ汁の色、温かみのある乳白色が特徴の筈。

                                                                                                                           

聞かなかったがキャッチとして、美術品の値段あてが組まれていたみたいだ。有名作家の作品の横には、これがいくらか?と貼ってある。別に値段で美術品を見ないから関心を持たなかったが、俗っぽい企画。なるほど、その俗っぽさが今回の展示に表れているのかも。

                                                                                                                           

値段あてっこの中に、荒川豊三と三輪壽雪の抹茶茶碗も並んでいた。豊三はちょっとピンクがかったいかにも豊三らしい志野、壽雪はあの三輪白の、八分立ての生クリームのような萩。でも並んでいる二つは豊三作品の方が柔らかで温かみがある。

三輪さんのなんてとても買えないけど、この柔らかな白のかかった、日常茶碗、新進作家のでいいから、あったら買ってこよう、なんて言っている。手頃な値段で買えればの話。

                                                

お抹茶をいただくのに、私は勅使河原宏さんの茶碗を選んだ。宏さんはお花の勅使河原蒼風さんの長男で、マルチな芸術活動家だ。酒田の土門拳記念館も彼が設計した、と訪ねたとき聞いた。茶碗は持った感じはいいが、しかし、なにかいまいちだった。お薄も美味しくなかった。名品に直にふれてお茶が頂けるのが楽しみなんだが。

コメント
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