安倍晋三の憲法改正意思は国民が望んでいない戦争する自衛隊を前提としたその明記であり、平和主義堅持はデタラメ

2020-01-06 10:50:06 | 政治
 安倍晋三の2020年1月1日年頭所感(一部抜粋)

 「未来をしっかりと見据えながら、この国のかたちに関わる大きな改革を進めていく。その先にあるのが、憲法改正です。令和2年の年頭に当たり、新しい時代の国づくりへの決意を新たにしています」――

  2019年1月4日安倍晋三年頭記者会見(一部抜粋)

 東京新聞記者島袋良太「総理は憲法改正について2020年の改正憲法の施行を目指す考えを示しておられますが、2019年は改憲に向けて、どのように取り組まれるか、教えてください」

 安倍晋三「憲法についてでありますが、憲法は国の未来、そして国の理想を語るものでもあります。本年は皇位継承が行われ、我が国で初のG20サミットが開催され、世界中の首脳が日本に集まります。

 そして、ラグビーのワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピック、新しい時代の幕開けに当たり、私たちはどのような国づくりを進めていくのか。この国の未来像について議論を深めるべきときに来ていると思います。

 憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります。だからこそ、まずは具体的な改正案を示して、国会で活発な議論を通じ、国民的な議論や理解を深める努力を重ねていくことによって、また、重ねていくことが選挙で負託を受けた私たち国会議員の責務であろうと考えています。

 国会において活発な議論がなされ、与党、野党といった政治的な立場を超え、できる限り広範な合意が得られることを期待しています」――

 憲法は理想とする国の在り方(国民にとって当然そうでなくてはならないという国の状態)を規定しているが、国の在り方には、当然、理想とする国家権力の在り方に対する規定も含んでいることになるし、理想とする国民生活の在り方、国民一人ひとりの個人としての理想とする在り方に対する規定も含んでいることになる。いわば憲法は理想とするそれぞれの在り方に反してはならないという規定でもある。

 ゆえに国家権力も憲法に縛られるし、国民も縛られることになる。憲法改正は改正内容に応じて国家権力を新たに縛り、国民を縛る規定となる。縛った結果としての、その程度に応じて、新たな国の在り方へとバトンタッチされる。安倍晋三が言っている「新しい時代の国づくり」がそれである。

 安倍晋三の憲法改正意欲は突出している。「憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります」を常套句としていて、政治が決めるわけではない、政治がすることは決める元となる改正案を示して、国民が理解し、その判断材料となるよう国会で活発な議論をするよう促すことだとし、改正することに正当性を与えている。

 だが、9条に関して言うと、国民の間から9条のこの箇所が理想とする在り方と時代的にズレてきたから、改正すべきだとの機運が高まってきて、政治がそれを受け止めて改正の動きに出ているわけではない。安倍晋三という国家権力を率いる者が自らの理想とする9条の在り方、国家の在り方ともなるが、を提示して、選挙で獲得した国会での頭数と与党自民党と公明党、憲法改正を掲げている野党に投票した国民の数に恃んで改正発議と国民投票での投票総数2分の1以上の賛成獲得、改正成立を狙っている。

 このように国民の間から改正機運が高まってきたのではなく、国家権力そのものの安倍晋三自らが改正機運を意図的につくり出していることから、国民から見て9条改正が理想とする国家の在り方を新たに規定することにはならずに、安倍晋三という国家権力から見て理想とする国家の在り方を規定する改正となる危険性を抱き合わせかねない。

 では、安倍晋三はどのような憲法改正を狙っているのかをみてみる。

 2017年5月3日開催「第19回公開憲法フォーラム」にビデオメッセージ日経電子版/2017/5/3 15:19)を送っている。一部抜粋

 安倍晋三「憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました。私が首相・総裁であった10年前、施行60年の年に国民投票法が成立し、改正に向けての一歩を踏み出すことができましたが、憲法はたった1字も変わることなく、施行70年の節目を迎えるに至りました。

 憲法を改正するか否かは、最終的には国民投票によって、国民が決めるものですが、その発議は国会にしかできません。私たち国会議員は、その大きな責任をかみしめるべきであると思います。

 次なる70年に向かって、日本がどういう国を目指すのか。今を生きる私たちは、少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化など、我が国が直面する困難な課題に対し、真正面から立ち向かい、未来への責任を果たさなければなりません。

 憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。私たち国会議員は、この国の未来像について、憲法改正の発議案を国民に提示するための「具体的な議論」を始めなければならない、その時期にきていると思います。

 わが党、自由民主党は未来に、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における『具体的な議論』をリードし、その歴史的使命を果たしてまいりたいと思います。

 例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。

 私は少なくとも、私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。

 もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません。そこで『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは国民的な議論に値するのだろうと思います」

 安倍晋三は「少子高齢化、人口減少、経済再生、安全保障環境の悪化」等の日本が「直面する困難な課題」を挙げて、その克服法として憲法改正の必要性を訴えているかのように見せかけているが、改正の要点を隠すわけにはいかないから、最後には「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」との物言いで自衛隊合憲の証文を9条に書き込むことを明らかにしている。

 一方で「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」と誓っているが、国民の方から望んだのではなく、安倍晋三自身が望んで仕掛けている改憲意思からすると、国民が日本国憲法に抱いている平和主義が安倍晋三が抱いている国家権力に即した平和主義へと変質、国民がいつしかそのことに慣らされていく経緯を踏まない保証はない。

 このことは「憲法改正は、自由民主党の立党以来の党是です。自民党結党者の悲願であり、歴代の総裁が受け継いでまいりました」と言っていることに対して2012年4月27日に自民党当時の総裁谷垣禎一が発表した「自民党憲法改正草案」と安倍晋三の自衛隊合憲証文の9条書き込みまでの移り変わりから窺うことができる。文飾は当方。

 日本国憲法現行9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を、改正9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」というふうに、「永久に放棄する」から単に「用いない」に変わっている。

 そして現行第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が改正草案では「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」に変えていて、「自衛権の発動」の際は「武力による威嚇又は武力の行使」を用いることができるとしていることになる。

 そして自民党新憲法草案は9条の2を新設、5項まで設けて、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と国防軍の創設とその行動規定を定めている。

 対して安倍晋三の改正案は上記自民党改正案をさらに改正させたものではなく、安倍晋三自身が唱えて、自民党が従った改正案となっている。2017年5月3日の「第19回公開憲法フォーラム」で提案したように「自民党憲法改正草案」とは違って、9条1項と2項をそのまま残した上で現行憲法にはない、自民党新憲法草案と同じように「第9条の2」を設けて、その1項で、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」と自衛隊の保持を謳い、第2項で、「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」とその行動を規定している。

 日本が既に保持している自衛隊を改正した憲法でその保持を謳う。この矛盾は安倍晋三の中では矛盾していない。自衛隊合憲の証文を是が非でも獲ち取りたいと願っているからだ。このことは安倍晋三がこれまでに明らかにしてきた憲法改正意思が証明する。

 そして安倍晋三が自衛隊合憲の証文を必要としている理由は上記憲法フォーラムに向けたビデオメッセージで述べている次の発言から窺い得る。

 「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任で」、「私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである」

 要するに憲法学者や一部政党の「自衛隊を違憲とする議論」――自衛隊違憲論を封じ込める必要性からの自衛隊合憲の証文の9条への書き込みである。

 だが、安倍晋三のこの立派な決意には別の矛盾が潜んでいる。自衛隊を戦争主体と見た場合は、「自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」の「何かあれば」の「何か」とは戦争、あるいは武力紛争ということになり、安倍晋三が「9条1項、2項を残し」た場合は現行憲法の9条1項、2項で謳っている戦争放棄と武力の不行使、交戦権の否認をそのまま生かすことになって、その条文に抵触することになる。

 大体が武器を持っていること自体が自衛隊が戦争主体であることの証明であり、違憲だ、合憲だと議論することも、自衛隊が戦争主体であることを前提としているからこそであろう。

 自衛隊を災害救助主体と見ると、「何かあれば」の「何か」は災害ということになって、憲法違反の問題は生じないが、9条に明記する意味を失う。逆に自衛隊を戦争主体視しているからこそ、9条への明記を必要とすることになっている。
 少なくとも安倍晋三が「自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである」と言っていることは自衛隊を、勿論、災害が発生した場合には災害救助に派遣するだろうが、一次的には戦争主体と見ていて、災害救助主体であることは二次的な役割と見ていることになる。

 自衛隊を主として戦争主体と見ているからこそ、違憲とされることに拒否反応を持ち、結果的に戦争や武力紛争を暗に想定した安倍晋三の改憲意思となっているのであって、そのような改憲意思だからこそ、9条の2の1項を自衛隊合憲の証文とすることに向かわせることになっている。

 こういった点にこそ、国民が現憲法に見ている平和主義と安倍晋三が見ている平和主義とは大きな違いがあって、その違いが国家権力に即した平和主義へと変質することになりかねない懸念となって跳ね返ってくる。

 安倍晋三が自衛隊を戦争主体視していることと、その平和主義がどのような質を抱えているのかは2004年1月27日発売の安倍晋三と元外交官岡崎久彦(2014年10月26日死亡)の対談集『この国を守る決意』でのネット上に流布している発言からも窺うことができる。

 安倍晋三「言うまでもなく、軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです。実際にそういう事態になる可能性は極めて小さいのですが、しかし完全なイコールパートナーと言えるでしょうか。日米安保をより持続可能なものとし、双務性を高めるということは、具体的には集団的自衛権の問題だと思います」

 アメリカ軍が血を流した場合は自衛隊も血を流す「双務性」を求めている。かくこのように自衛隊を戦争主体視している上にこのような“血の同盟”に基づいた平和主義を自らの思想としている。

 国民の平和主義は世論調査から見ることができる。〈「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」の概要〉(2015年3月・内閣府政府広報室)

 調査時期2015年1月8日~1月18日(調査員による個別面接聴取)

4 自衛隊の役割と活動に対する意識

(1)自衛隊が存在する目的
 問4 自衛隊には各種の任務や仕事が与えられていますが,あなたは自衛隊が存在する目的は何だと思いますか。この中からいくつでもあげてください。(複数回答)
(上位4項目)

                                     2012年1月→ 平成27年1月
・災害派遣(災害の時の救援活動や緊急の患者輸送など)             82.9% →  81.9%
・国の安全の確保(周辺海空域における安全確保,島嶼部に対する攻撃への対応等)  ※    → 74.3%
・国内の治安維持                               47.9%  → 52.8%
・国際平和協力活動への取組(国連PKOや国際緊急援助活動など)        48.8%  → 42.1%

 調査時期2015年1月8日~1月18日は憲法解釈によって集団的自衛権行使容認と海外派遣を可能とする「自衛の措置としての武力の行使の新3要件」を閣議決定した2014年7月1日から5ヶ月余となっている。当然、戦争する自衛隊、戦争主体視した自衛隊への関心が高まっていていいはずだが、国の安全の確保74.3%に対して災害派遣が1位の81.9%を占めていて、明らかに災害救助主体と見る向きがより多数を占めていて、国民の平和主義の一端と安倍晋三の平和主義との大きな違いを窺うことができる。

 同じく自衛隊の活動に対して国民の意識を尋ねた2017年3月15日に調査票を郵送して4月24日までに届いた返送総数2077通・有効回答2020通となった2017年5月2日付の「朝日新聞世論調査」を見てみる。

 「自衛隊が海外で活動してよいと思うことに、いくつでもマルをつけてください」

 災害にあった国の人を救助する92%
 危険な目にあっている日本人を移送する77%
 国連の平和維持活動に参加する62%
 重要な海上交通路で機雷を除去する39%
 国連職員や他国軍の兵士らが武装勢力に襲われた際、武器を使って助ける18%
 アメリカ軍に武器や燃料などを補給する15%
 アメリカ軍と一緒に前線で戦う4%(以上)

 戦争する自衛隊と見ることになる「アメリカ軍と一緒に前線で戦う」は僅かに4%、対して災害救助する自衛隊と見ることになる、日本も含むはずである「災害にあった国の人を救助する」が92%も占めていて、上記内閣府調査よりも国民の平和主義がどこにあるかを色濃く物語っている。

 同調査の憲法に対する問を見てみる。

「憲法第9条を変えるほうがよいと思いますか。変えないほうがよいと思いますか」

 変えるほうがよい29%
 変えないほうがよい63%――

 他の世論調査でも、安倍内閣に求める政策の優先度で憲法改正は殆どが最下位を占めている。

 やはり自衛隊を災害救助主体と見る国民の割合が多数を占めていて、その割合がそのまま平和主義の質を決めることになっている。その平和主義の質は改憲意思に反映、その程度を現すことになる。

 安倍政権は2019年12月27日に中東海域で航行する日本関係船舶の安全確保のための情報収集を目的として海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を派遣することを閣議決定したが、そのことに対する世論調査は賛成・反対いずれかが僅差で上回っているが、あくまでも目的が情報収集であって、不測の事態が発生して武器を使うことになる紛争に発展した場合、国民の平和主義から類推するに派遣中止の世論が湧き上がって然るべきであろう。

 当然、上記「第19回公開憲法フォーラム」で発言している、「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています」はどちらかと言うと災害救助する自衛隊に対する信頼であって、戦争する自衛隊に対してではないことになる。

 かくまでも安倍晋三の自衛隊を戦争主体視した憲法改正意思とその平和主義の質が違いながら、「憲法改正について、最終的に決めるのは主権者たる国民の皆様であります」と、最終決定者を国民だとすることで改正の正当性を振り撒く一種のペテンに勤しんでいる。

 安倍晋三が自衛隊に対する国民の信頼は9割を超えているものの、「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています」と言い、自身やその一派の自衛隊合憲の根拠は「憲法の番人は最高裁である」ことを理由にして砂川事件最高裁判決に置いている。

 2015年6月1日の衆議院憲法審査会。

 高村正彦「現在国会で審議をしている平和安全法制の中に集団的自衛権の行使容認というものがありますが、これについて憲法違反である、立憲主義に反するという主張があります。これに対して、昭和34年のいわゆる砂川判決で示された法理を踏まえながら、私の考え方を申し述べたいと思います。

 憲法の番人である最高裁判所が下した判決こそ、我々がよって立つべき法理であります。言いかえれば、この法理を超えた解釈はできないということであります。

 砂川判決は、憲法前文の平和的生存権を引いた上で『わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない』と言っております。

 しかも、必要な自衛の措置のうち、個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしておりません。ここが大きなポイントであります。個別的自衛権の行使は認められるが集団的自衛権の行使は認められないなどということは言っていないわけであります。

 当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります。

 そして、その上で、砂川判決は、我が国の存立の基礎に極めて重大な関係を持つ高度の政治性を有するものについては、一見極めて明白に違憲無効でない限り、内閣及び国会の判断に従う、こうはっきり言っているわけであります」――

 2015年6月26日の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する衆議院特別委員」

安倍晋三「平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります」――

 憲法の番人である砂川事件最高裁が下した自衛隊合憲説の判決だと、水戸黄門の葵の印籠並みのオールマイティを与えている。

 砂川事件は1957年のアメリカ軍の立川基地拡張に対する反対運動が旧日米安保条約に基づいたアメリカ軍の日本駐留が違憲であるか、合憲であるかのが憲法判断に発展したもので、高村正彦は最高裁判決を自分に都合のように色々と解釈を施しているが、判決文から自衛隊が合憲か違憲かに関してのみ取り上げてみると、どこにも合憲であるとも、合憲であると解釈させる文言も見つけることはできない。

 砂川最高裁判決が自衛隊をどのように憲法解釈しているか、その箇所を見てみる。文飾当方。

 「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである

 要するに日本国憲法第9条2項が「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指」すと、自衛隊を指して日本国憲法が保持を禁止している違憲の戦力であると判断している。

 但し「外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」との表現で日本駐留のアメリカ軍は日本国憲法第9条2項に言う「戦力には該当しない」とし、さらに他の判断も加えて、アメリカ軍の日本駐留は日本国憲法に違反していない、合憲であると判決している。

 高村正彦が都合の良い解釈をしている一例を挙げてみる。

 高村正彦「当時の最高裁判事は集団的自衛権という概念が念頭になかったと主張する方もいます。しかし、判決の中で、国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えていると明確に述べていますので、この主張ははっきり誤りであります」

 集団的自衛権に関する砂川事件最高裁の判断は、アメリカ軍の日本駐留を合憲とする解釈とも重なるが、次のとおりである。

 「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。」

 「(サンフランシスコ)平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認してい」たとしても、日本国憲法は第9条1項、2項でそれらの権利の承認を認めない構造を取っている。いわばそれらの権利に制約を加える役目を果たしていたのであって、「国連憲章は個別的自衛権と集団的自衛権を各国に与えている」などと砂川最高裁判決のどこにも述べてなどいない。

 当然、安倍晋三の「砂川判決とは『我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない』、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります」にしても自己都合主義に彩った砂川判決解釈そのものであり、自己都合一色の自衛隊合憲説に過ぎない。

 憲法の番人として砂川最高裁判決に従うと、自衛隊は戦争主体としては実際は違憲ではあるが、市民権を既に獲得しているために違憲には見えないだけの話に過ぎないということになる。
 
 「多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています」と、さも自衛隊違憲論は間違っているかのような言説もデタラメなら、国民が望んでもいない、自衛隊を戦争主体視した憲法改正意思なのだから、「9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと堅持していかなければなりません」にしてもデタラメとなる。

 結局のところ、9条の2を設けて自衛隊を明文化することに成功すれば、自衛隊が憲法違反だと誰もが言うことができない状態にすることができて、例え9条1項と2項を手つかずにしておいて対置させたとしても、新安保法制で如何ようにも自衛隊を駆使できる、そのことが狙いの日本国憲法への自衛隊明記であろう。

 何もかもデタラメである。デタラメは安倍晋三の得意技である。

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安倍晋三主催「桜を見る会」:分野別招待区分「60」を格の違いを無視して官邸と与党を同格とするペテン、ここに極まれり

2019-12-30 11:45:53 | 政治
 野党が安倍晋三主催「桜を見る会」に関して内閣府に8項目の質問書を提出、その回答が行われた2019年12月17日の衆院内閣委員会理事会で内閣府が安倍晋三主催「桜を見る会」の招待者について安倍事務所で推薦した人物を落としたケースがある旨、口頭で回答したとマスコミが伝えていた。

 このマスコミ報道に誘導されて、理事会の動画から、この回答の箇所のみを文字に起こしてみた。

 内閣府「(8項目のうちの)2番でございます。『安倍事務所で推薦した人物をチェックして落としたケースはありますか』ということでございますが、從來、審査の詳細、確認の詳細に関わるということで回答を差し控えさせて頂いたところでございますが、今回理事会等から要請ということもございまして、担当者にも聞き取りを致しましてですね、安倍事務所から推薦を頂いたものでもご招待しなかった例もあるということでお答えさせた頂いたところでございます」

 この回答に対して野党側は何の質問もしないまま、3番目の回答に移らせた。聞き取りづらくて、要所要所を文字にするだけでも時間がかかることと会議全体が1時間52分もあること、さらにマスコミが野党側の反応として内閣府側が従来どおりの説明を繰り返すのみで事実上の「ゼロ回答」としたと伝えていたこと、「公文書、行政文書は国民の財産で、あなたたち(役人たち)の財産ではない」とか、「(推薦者名簿や招待者名簿は)広く行政文書としなければならない。(廃棄したのは)隠しているとしか思えない」などと、追及というよりも自分たちの意見を述べる雑談に近い遣り取りが多く思えたことから、最後まで視聴しなかった。

 上記回答で内閣府は「審査の詳細、確認の詳細に関わるということで回答を差し控えさせて頂いた」としているが、「『桜を見る会』で安倍晋三による行政の私物化・予算の私物化が疑われているのだから、審査の詳細、確認の詳細をこそを明らかにすべきではないのか」とでも反論すべきだったと思うが、それすらしなかった。要するの役人側の「ゼロ回答」ではなく、野党側の追及が甘くて、「ゼロ回答にさせてしまった」といったところが事実のように思える。

 官房長官の菅義偉も2019年12月19日午前中の記者会見で同じことを発言している。

 記者「(12月)17日の内閣委員会の理事会で政府は安倍事務所からの推薦者で紹介者から落とした例があるとお答えをしました。その人数はどの程度の規模で、どういう基準で落としたのかについて説明して下さい。どういう理由で落としたのか」

 菅義偉「過去にも総理の推薦者の中でも、実際に招待しなかった者もいるということです。これ以上については取り纏めのプロセスやセキュリティーに関わることでありますので、基準については差し控えたいと思います。

 なお社会的に問題があれば、招待しないということもあり得るということでありますし、必要に応じて警察に照会することもあるということでございます」

 招待から落とした、落とさなかったということが、それがどこの誰と聞いているわけではないのだから、「取り纏めのプロセスやセキュリティー」にどう関わるのか逆質問して貰いたかったが、していたなら、マスコミが取り上げるが、取り上げていないところを見ると、していなかったようだ。

 内閣府回答の「落としたケースがある」、菅義偉の「実際に招待しなかった者もいる」が事実であるなら、2019年12月2日参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の質問に対して安倍晋三は真っ正直に答弁したことになる。事実でなかったなら、安倍晋三の答弁はウソ八百そのもので、そのウソ八百をウソ八百と取られないために答弁との整合性を謀るための回答や菅義偉の発言ということになる。

 では、安倍晋三の田村智子の質問に対する答弁を振り返ってみる。文飾は当方。

 安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。

 他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません

 推薦者全てがノーチェック・フリーパスで招待されるわけではないということを言っていることになる。つまり落とされるケースもある。12月17日の衆院内閣委員会理事会での内閣府の回答、12月19日の菅義偉の記者会見発言は安倍晋三のこの答弁と見事に整合性を取ることになる。

 但し内閣府の回答、菅義偉の発言がウソ偽りのない100%どころか、200%の事実だとしても、「あべ事務所」が発送した〈「『桜を見る会』参加申込み〉(別ウインドウ)の文面とは整合性が取れない。

 この「参加申込み」の発送日時は記載されていないが、文面は、〈※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉との断りのみで、安倍晋三や官房長官の菅義偉が招待基準を「各界に於いて功績・功労のあった方々」と何度も国会で答弁していながら、この基準に無関係に何の制限もかけないままに、後援会員に限らずに同居を含む家族、知人、友人と不特定多数の者が紹介者が必要であること以外は申込用紙を何枚でもコピーして名前を書きさえすれば、何人でも申し込みができる仕組みとなっている。

 この仕組みは申込みをすれば、ノーチェック・フリーパスで招待される、いわば落とされる者はいない手続きを踏んでいることになる。でなければ、つまり中には申し込んでも招待されない者がいるなら、不特定多数の者に紹介者が必要であること以外に何の制限もかけないままに参加を申込むことはできない。
 
 この制限をかけない参加申込は自民党事務局総務部が平成31年の参議院改選議員に宛てた〈「桜を見る会」のお知らせ>(別ウインドウ)と同質の仕組みを取っている。2019年4月13日の「桜を見る会」開催に対して「お知らせ」は「平成31年1月31日」の発信日付となっていて、4月13日にまで約2ヶ月近くも間がある。「平成31年改選議員」〈2019年7月21日執行参議院議員選挙〉に対して「一般の方(友人、知人、後援会等)を4組までご招待いただけます」と記載。  

 「一般の方(友人、知人、後援会等)」を4組までとする制限以外に招待基準に関しては何の制限も掛けていないのだから、4組までに関してはノーチェック・フリーパスで招待される仕組み以外の何ものでもない。いわばこの「お知らせ」のどこにも「落とされる」者がいる可能性を示唆するどのような文言も記されていない。いわば申し込みさえすれば、「桜を見る会」への参加が保証付きの「4組」までと言うことになる。

 もし安倍晋三の「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」がウソ八百ではない事実そのものなら、あるいは内閣府の「安倍事務所で推薦した人物をご招待しなかった例もある」の回答や菅義偉の「実際に招待しなかった者もいる」が安倍晋三の答弁に整合性をつけるための忖度や口裏合わせではなく、事実そのとおりであるなら、安倍事務所や自民党事務局総務部が発送した案内状や参加申込書がノーチェック・フリーパスの構図を取っていることとの矛盾・整合性の不一致を説明しなければならない。

 既に周知の事実となっているが、マルチ商法で多額の資金を集め、経営破綻し、悪名を挙げたジャパンライフのサイトに〈安倍晋三内閣総理大臣から山口会長に「桜を見る会」のご招待状が届きました。〉との飾り文字での文言と一緒に2015年の「桜を見る会」の受付票と安倍晋三からの会長名宛の招待状の表書きと裏書きの写真が載せられていて、この宣伝で客を信用させて、被害を拡大させていたことが判明、受付票の左下隅に「60-2357」の番号が付されていたことから、「60」は総理大臣の招待枠のことで、安倍晋三自身が山口会長を招待したのではないのかと問題が浮上して、理事会や記者会見で政府側は野党の追及を受けることになった。

 2019年12月23日の参議院内閣委員会の理事会。

 内閣府「担当者などに聞き取りを行った結果、『60』は従来から官邸や与党の関係の推薦だったと思うという回答を得た」(NHK NEWS WEB

 要するに番号「60」は官邸のみならず、与党の推薦分も含んだ区分と回答した。と言うことは、安倍晋三自身がジャパンライフの山口会長を招待したのではなく、与党自民党議員の誰かが招待したとすることもできる。

 ところが、この参議院内閣委員会理事会開催翌日の2019年12月24日に日本共産党の宮本徹衆院議員が「60」が「総理大臣」推薦の招待者であることを示す公文書を国立公文書館で確認。さらに2006年に決定した招待者を当時の小泉純一郎が決済した書面が存在していたと翌25日付「しんぶん赤旗」が伝えた。  

 新聞が載せている画像を2枚、ここに乗せておくが、「分野別招待者数」の方は字がよく見えるようにEXCELで作り直し、決裁文書方も、字がはっきりと読めるように画像処理を施した。

 

 当然、野党側は決裁文書の存在を明らかにするように求めたが、内閣府は12月26日の野党の会合で開催要領や招待者数などに関する文書について、第2次安倍政権以降の2013年から総理大臣の決裁は確認できていないと説明したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 翌12月27日、閣議後記者会見。

 菅義偉「当時の担当者によれば事務の簡素化の一環として、総理大臣までの決裁手続きは行わないことにしたとの報告受けている。
 最終的に決裁という形を取るかどうかは、それぞれの役所の判断であり、『桜を見る会』の招待手続きについては、毎年の慣行を引き継いでやってきている」(同NHK NEWS WEB

 要するに「桜を見る会」に関しては「総理大臣までの決裁手続きは行わない」ことになった。だから、どのような決裁文書も存在しない。だとしても、内閣府や内閣官房の上司のどこかでどのような決裁も行わないとなると、内閣官房・内閣府の推薦名簿から招待者を取り纏める部署の職員たちが自分たちで招待者を決めて、決めたとおりにそのまま通してしまった場合、責任の所在を設けないことになり、奇妙な事態が生じる。自分の都合がいいように物事を取り計らうお手盛りの取り纏めにならない保証はない。

 2019年11月25日参院行政監視委員会で菅義偉は、首相主催の「桜を見る会」の招待者名簿の取りまとめについて「最終的な意思決定は私が責任者だ」(時事ドットコム)と発言している。と言うことは、官房長官である菅義偉の段階で招待者や招待数の是非の最終的な決裁を取らなければならないことになる。

 だが、菅義偉の段階でも決裁を取っていないとしたなら、最終的な意思決定者の立場としてどういった「最終的な意思決定」を行ったのか、何も行わなかったのか、明らかにする説明責任を国民に対して負うことになる。

 例え誰も決裁を取らなかったとしても、招待区分の「60」が「官邸や与党関係の推薦」である事実は残る。

 次に小泉時代の2015年の「分野別招待者数」を見てみる。「60・61・62」と纏めて、「総理大臣推薦者」となっている。その内訳は「60 総理大臣 737名」、「61 自民党
1483名」、「62 公明党 200名」と別々の区分になっていて、内閣府の「『60』は従来から官邸や与党の関係の推薦」としていることと食い違っている。

 第2次安倍政権の「桜を見る会」から、「60」を総理大臣と自民党を一緒の区分にしたと証言することもできる。何しろ、「桜を見る会」に関わる文書の類いは一切合切廃棄してしまったとしているのだから、確かめようがない。

 但しこの「自民党」は区分「20」が「総理を除く」「国務大臣と副大臣、政務官、認証官及び各省庁局長以上の者」に充てがわれている関係上、これらを除く自民党国会議員と言うことになる。当然、「桜を見る会」の主催者であるか否かの点でも、職務上の地位の点から言っても、与党とは言え、自民党議員を総理大臣と同格に扱って、同じ区分を充てがうことは常識的にあり得るだろうか。

 2015年の「60 総理大臣」の次の区分、「61」に「自民党」を持ってきたのは、主催者の特権として総理大臣を選出した与党自民党議員をより多く招待できることからの優先待遇であって、このことは同じ与党を構成する公明党を次に持ってきていることと、自民党から1483名もが招待されていることからも証明できる。

 1483名も多いのは区分「50・51・52」の各省庁推薦の「各界功労者1538名」のみであって、如何に自民党が安倍晋三の与党として優先待遇されているかが分かるが、決して首相と同格扱いしているわけではないし、同格扱いすることができないことも常識そのものであろう。

 だが、内閣府は「『60』は従来から官邸や与党の関係の推薦」だと、両者の格の違いを無視して官邸と与党を同格としている。これ以上のペテンはない。
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和泉洋人の不倫出張は上の為す所(安部晋三の森友・加計・「桜を見る会」に関わる行政の恣意的私物化)、下これに倣うで、根は一つか

2019-12-16 12:16:05 | 政治
 「上の為す所、下これに倣う」という諺がある。説明するまでもなく、上の行いが良ければ、下もこれに倣って行いを良くする、あるいは上が仕事に厳格であると、下にしても仕事に厳格にならざるを得なくなるといった意味を取る。

 逆もまた真なり。上の行いが悪ければ下もこれに倣って行いが悪くなるということになる。ここでは上が仕事で好き勝手なことをやると、下も真似して好き勝手なことをやるという意味で使っている。要するに下の者はとかく上に立つ者の色に染まりやすいと言うことである。

 「上(かみ)を学ぶ下(しも)」との言い替えの諺もある。

 安倍晋三側の一味として加計疑惑にも登場した首相補佐官和泉洋人が一部週刊誌で公務での出張中に公私混同があったと報じられたことに対する官房長官菅義偉の「本人から公私は分けていたと説明を受けた」との公私混同否定発言を「NHK NEWS WEB」記事などが伝えていたから、その週刊誌をネットで検索、幸いにオンライン記事として掲載されていたのを見つけることができた。

 〈安倍首相補佐官と厚労省女性幹部が公費で「京都不倫出張」〉(文春オンライン「週刊文春」編集部/2019/12/11)
 
 一読して、公務出張中の公私混同――厳格さを置き忘れた恣意的行動が咄嗟に諺が言うところの「上の為す所、下これに倣う」の類いではないかと疑った。安部晋三の場合は行政の恣意的な私物化であるが、それを見倣って、公務を恣意的な扱いにしたのではないのか程度に思った。

 記事の大まかな内容。今年2019年8月9日に和泉洋人(66)と不倫関係にある(と断じている)厚生労働省大臣官房審議官(兼内閣官房健康・医療戦略室次長)の大坪寛子(52)が京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の山中伸弥所長に面会するため京都に出張。面会終了後の午後には観光デートに早変わり、〈老舗の甘味処でかき氷を注文すると、和泉氏は自分のスプーンで大坪氏に食べさせるなど、親密な様子を見せた。その後、ハイヤーで40分ほどかけて京都市北部の山奥にある貴船神社へも立ち寄った。古くから「恋愛成就を祈る社」として知られる同神社でも、大坪氏が和泉氏にお賽銭を渡したり、腕をからめて参道を歩くなど、終始仲睦まじい様子だった。〉

 記事に和泉洋人がかき氷を自分のスプーンで大坪寛子に食べさせているナイスショットの写真、貴船神社の階段を腕を絡めて降りるところのナイスショットの写真を載せている。二人を尾行していた文藝春秋のカメラマンは前からの写真を撮るために階段を降りる際、二人の横をすり抜けて先回りする形で階段下で待ち構え、ナイスショッをモノにしたのかもしれない。

 左傾の画像は2019年12月13日TBS放送の「ひるおび!」のネット動画から。文春記事の写真はカラーである。

 後日の問い合わせだったのだろう、記事は二人の発言を伝えている。

 和泉洋人(公務で京都に行ったことは認めた上で)「(貴船神社には)行きました。彼女はもともと、午後は休暇を取っているから。僕は休暇ではなく、出張です。僕の場合は特別職なので、勤務時間がないのですが。

 (交際については)ないです。(ハイヤー代は)ポケットマネーで支払った」

 菅義偉も記者会見で「公私は分けていた」と発言しているから、山中伸弥所長との面会は公務、午後からだそうだが、老舗の甘味処でかき氷を仲睦まじく食べたり、貴船神社を仲睦まじく参拝したのは公務外の私的行為ということになる。

 大坪寛子(往復の新幹線代の支払いについて)「内閣官房で行なっています」

そして午前中は公務だが、午後は半休を取ったと説明したという。

 大坪寛子「(和泉洋人と同行したことについて)補佐官から『医学用語が分からないから一緒についてきて通訳してくれないか』と言われた。(交際について)男女って……(和泉氏は)だいぶおじいちゃんですよね。いくつだと思う?」

 二人が仲睦まじく連れ立つ姿がこの日限りではないことを記事は伝えている。

 〈ただ、「週刊文春」では、この日以外にも、和泉氏がハイヤーで仕事帰りに大坪氏を自宅まで送り届けたり、都内で手つなぎデートやエスカレーターでハグする様子など、上司と部下を超えた関係であることを複数回確認している。〉・・・・・

 記事は勿論のこと、〈加計学園の獣医学部新設問題では、「総理は自分の口からは言えないから、私が代わりに言う」と前川喜平・文部科学省事務次官(当時)に発言したとされる問題(和泉氏は発言を否定)を巡り、国会に招致されたこともある。〉と、和泉洋人ここにありを世間に広めることになった加計学園獣医学部認可で萩生田光一と共に安倍晋三の代理人となって暗躍したことに触れているが、問題は次の箇所である。

 〈内閣官房の健康・医療戦略室のナンバー2である大坪氏は、山中教授が中心になって進めているiPS細胞の備蓄事業について、国費投入の削減を突如打ち出し、「日本の医療戦略を混乱させている」(厚労省関係者)との批判があがっている。官邸・霞が関に大きな影響力を持ち、健康・医療戦略室の室長である和泉補佐官が、部下の大坪氏との不倫関係によって、公平であるべき行政を歪め、「私物化」していないのか、今後、説明が求められそうだ。

 12月12日(木)発売の「週刊文春」では、二人が京都で山中教授に要求したiPS細胞研究の予算削減案、大坪氏が和泉氏の威を借りて関係各所の人事や予算に介入した疑惑、そして山中教授が「週刊文春」の直撃に語った「オープンな場で健康・医療政策の意思決定を行うべき」などについて6ページにわたって特集している。〉

 以上を簡単に纏めてみる。

 山中教授との会談は公務だった。その公務に自身が室長を務めている内閣官房「健康・医療戦略室」の次長を務めている、部下の大坪寛子を同道した。同道の理由は「補佐官から『医学用語が分からないから一緒についてきて通訳してくれないか』と言われた」から。 

 だが、このことは記事が、〈大坪氏は、山中教授が中心になって進めているiPS細胞の備蓄事業について、国費投入の削減を突如打ち出し、「日本の医療戦略を混乱させている」(厚労省関係者)との批判があがっている。〉と書いていることと矛盾する。自身が内閣官房「健康・医療戦略室」の次長として「国費投入の削減」に関わっていながら、医学用語の通訳のために同道した。

 矛盾はこのことだけではない。自身が次長として「国費投入の削減」に関わっている以上、室長として上司を務めている和泉洋人も関わっていることになる。なぜなら、国家予算の行方を決めることだから、次長である大坪寛子一人で予定、あるいは決定を行い得る問題ではなく、例え和泉洋人一人の鶴の一声で決めることができたとしても、最終的には内閣官房「健康・医療戦略室」の関係職員全員の賛成多数の同意を得なければならないはずだからだ。

 だが、大坪寛子も和泉洋人一も、国費投入の削減に関する話は一言も口にしていない。矛盾したことを言い、肝心なことには触れない態度自体に疑惑を感じるだけではなく、そもそもからして医学用語が分からなければ、山中教授に聞けば済むことを同道の理由に挙げなければならなかった必要性のウラ側に疑惑を膨らます要素を見ないわけにはいかない。

 さらに和泉洋人と山中教授との面会が公務での出張として組み込まれたことなら、交渉や打ち合わせ等々の出張の成果や現地での業務内容を報告する出張報告書を作成する職員をこそ、同道させなければならないはずである。まさか総理補佐官であり、内閣官房「健康・医療戦略室」室長の和泉洋人自身が作成して、自らが署名捺印して、提出するというのだろうか。そうした場合、面会後の、それも午後は二人で観光デートに勤しんでいるから、翌日の作成とでもなったら、記憶に正確性を欠くことになりかねないし、山中教授の記憶と付き合わせなければならない必要性が生じたとき、両者の記憶に食い違いが生じないとも限らない。面会に合わせて現在進行形で職員がメモを取り、そのメモをのちに纏めるという手を一般的には取るはずである。

 だが、職員を同道させなかったことは何らかの作為の存在を疑わせることになる。

 大坪寛子が和泉洋人との関係についてウソをついていることも疑惑を広げる材料となる。関係を問われて、「男女って……(和泉氏は)だいぶおじいちゃんですよね。いくつだと思う?」と答えている。最初に「男女って……」口にしたところを見ると、週刊文春側は男女関係の仲にあるのかどうかを直接的に聞いたのだろう。

 「だいぶおじいちゃんですよね」

 大坪寛子はバツイチ、シンルマザーだとネットで伝えられている。大坪寛子と和泉洋人の間に肉体関係がなかったとしたら、内閣官房「健康・医療戦略室」で室長を務める直接の上司であり、しかも首相補佐官まで務めている和泉洋人に対して部下の身、あるいは官僚として後輩の身でありながら、人生100年時代と言われているこの時代に見た目で「だいぶおじいちゃんですよね」は、そのような見立てを和泉洋人も耳にし、世間にも知らしめることになって、非常に失礼に当たる言葉となる。和泉洋人にしても部下の女性にそのように見た目だけで見立てられ、それが男性機能まで想像した見立てではないかと勘繰る向きも無きにしもあらずと考えた場合、失礼は何倍にも膨れ上がる。

 決して口にしてはならない言葉だろう。特に相手がかき氷をスプーンで食べさせたり、腕を絡めて歩く仲睦まじい関係にある部下であるなら、内心では「おじいちゃん」と思っていたことを思い知らされて、そのショックは相当なものがあるはずである。

 もし実際に肉体関係がなくて、内心では「おじいちゃん」と事実そのとおりに人物評価をしていたとしたら、和泉洋人に対する仲睦まじい態度は恋愛感情からでも、親しみからでもなく、仕事上か地位上の何らかの利益を得るめの打算からの駆け引きと言うことになって、今度はその計算高さを大坪寛子の性格の特長の一つと見なければならなくなる。

 但し「だいぶおじいちゃんですよね」が失礼にならない唯一の例がある。二人の間に肉体関係がある場合である。当然、大坪寛子にしても、和泉洋人にしても、和泉洋人の男性自身がどの程度に機能しているかを知っていることになる。

 実年齢66歳なのだから、まだまだ十分に男性として機能しているであろうし、特に不倫となると、普段よりも男性機能は高まるはずだから、おじいちゃんでないことをお互いに分かっているからこそ、平気でおじいちゃん扱いができる。

 にも関わらず、それを口にしたのは肉体関係を簡便に否定するための言葉となるからで、そうであることを和泉洋人は理解できて、止むを得ないと受け入れざるを得なくなり、失礼と思う余地はないはずである。

 写真で見る限りだが、和泉洋人は見た目は「おじいちゃん」の面影は何一つないし、どちらかと言うと、エネルギッシュにさえ見える。66歳という年齢を考えると、身体のどの面も、どの部分も、「おじいちゃん」相応に衰えているとは想像できない。大坪寛子は肉体関係を否定しようとして、結果的に肯定することになる言葉を用いてしまった。

 それが公務を終えたあとの公務外の行動であっても、官僚として地位があり、上司と部下の関係にありながら、老舗の甘味処でかき氷を自分のスプーンで食べさせたり、腕を絡めて歩くなどの肉体関係を持った者同士の締まりのない行動を取るのは行政の恣意的私物化に当たると批判したとしても、的は外れてはいまい。

 安部晋三の森友・加計・「桜を見る会」に関わる行政の恣意的私物化から比べたら、まだ可愛いと言えるが、マスコミ記事を見ると、そうとは言えなくなる。

 「iPS備蓄、支援打ち切り伝達 内閣官房担当者、山中教授に」時事ドットコム/2019年12月2日07時58分)

 記事発信は「2019年12月2日」

 記事は関係者への取材から人工多能性幹細胞(iPS細胞)の備蓄事業を進める京都大に対して内閣官房の担当者が来年度から国による支援を打ち切る可能性を伝えていたことが12月1日に分かったと伝えている。

 次に、〈政府は再生医療の産業化を目指し、22年度までの10年間で1100億円以上を研究開発に投じると決めた。文部科学省は山中教授が所長を務める京大のiPS細胞研究所に年27億円を支出し、うち10億円程度が備蓄事業に充てられてきた。〉と国家予算の配分について解説している

 そして、〈関係者によると、方針転換が示されたのは今年の夏ごろ。内閣官房の官僚が予算打ち切りの可能性を山中教授に伝えたという。〉と記している。

 この「方針転換」について記事は、〈再生医療をめぐっては、技術革新が進んだことで、iPS細胞の備蓄は意義が薄れていると指摘する関係者もいる。〉と、その辺の事情を伝えている。
 「方針転換」が「今年の夏ごろ」であることに対して内閣官房の官僚による山中教授への伝達が時間的に後発なら、内閣官房「健康・医療戦略室」で先に方針転換が議論され、決定されたことになる。

 ところが、記事は、〈山中教授は突然の決定に反発し、国会議員に支援を訴えた。自民党調査会は11月、予算の段階的な削減にとどめる方針を決議。公明党も20年度は維持し、21年度以降は再検討する考えを示した。〉と解説しているところを見ると、「方針転換」の決定は広範囲な同調を得ていなかったことになるだけではなく、記事が伝える山中教授の発言からは決定の不明朗さが浮かんでくる。

 山中教授「人生を医療応用に懸けている。オープンで科学的な議論をして決めてほしい」

 山中教授が「人生を医療応用に懸けてい」ようといまいと問題ではなく、必要性・需要が問題となるが、「オープンで科学的な議論をして決めてほしい」と言っていることはオープンではない決定だとの批判となる。

 内閣官房「健康・医療戦略室」で方針転換を決定するについては閣議決定により設置され、本部長が安倍晋三である、医療分野の研究開発の包括的な司令塔の役目を担う「健康・医療戦略推進本部」が先ず方針転換の指針を出すか、あるいは内閣官房「健康・医療戦略室」が先に方針転換の方針を打ち出して議論し、その結果について「健康・医療戦略推進本部」に諮らなければならないはずだ。

 もし事実、山中教授が言うようにオープンでない議論によって決定された方針転換であるなら、内閣官房「健康・医療戦略室」での議論も経ていない独断的決定である可能性が浮上するばかりか、山中教授への伝達役の内閣官房の官僚とは和泉洋人本人であって、「今年の夏ごろ」とは週刊文春が伝えている大坪寛子と和泉洋人が山中教授に面会した今年2019年8月9日という可能性が浮上する。

 上記記事から4日後の2019年12月6日付の同じ「時事ドットコム」記事、「iPS備蓄事業、支援継続予定通り22年度まで―科技相」を読むと、独断的決定である疑いは益々濃くなる。

 記事内容の多くが上記記事内容と重複するが、〈竹本直一科学技術担当相は6日の閣議後記者会見で、当初の計画通り2022年度まで支援を続ける考えを示した。〉点が重要となる。支援打ち切りへの方針転換をマスコミが伝えたたった4日後に支援継続を打ち出したことになって、支援打ち切りの方針転換が何だったのか、その軽さが浮かんでくる。各持ち場持ち場が議論を尽くして決定した方針転換であるなら、重みのある決定ということになって、たった4日で覆る軽い決定とはならなかったろう。

 記事が伝えている竹本直一の発言が独断的決定である確証を与える。

 竹本直一「少し別の動きもあったという話は聞いているが、当初の予定通りやることになった」

 要するに「別の動き」があったことはマスコミが支援打ち切りの方針転換を伝えたあとで知った。当初から知っていたなら、科学技術担当相の立場から、議論に加えないことの不当性を申し立てたはずだ。また、あとで知ったということは関係組織での公な議論を経た方針転換の「動き」ではないことを示す。

 当然、「別の動き」とは和泉洋人と大坪寛子の独断的決定による独断的行動を意味することになる。

 国家予算に関わる支援の方針転換を肉体的な不倫関係にある者同士が伝えに行き、伝えたあと、観光デートで時間を過ごした。これだけでも公務の名を借りた行政の恣意的私物化は目に余るが、その方針転換が独断的に決定した事柄となると、この行政の恣意的私物化は安部晋三のそれとどっちつかずの勝負となり、まさに上の為す所、下これに倣うで、根は一つと見て差し支えあるまい。

 東京大学工学部卒の官僚であり、首相補佐官を務めている和泉洋人が独断的に決定して、それを押し通そうとしたのだろうか。以下はゲスの勘繰りだが、大坪寛子が山中教授に恋愛感情を抱いた。だが、知らん振りをされ、プライドが高いところから、復讐感情に変わって、愛人である和泉洋人を支援打ち切りで動かした。大坪寛子の肉体に溺れていた和泉洋人は大坪寛子を失いたくないばっかりに言いなりに動くことになった。

 女の色香に迷って、国家まで売り渡すスパイにまで成り下がる男が存在する世の中である。和泉洋人が行政の恣意的私物化に走ったとしても、有り得る話である。
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「桜を見る会」:安倍晋三「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」は真っ赤かな恥知らずのウソ答弁

2019-12-09 11:42:27 | 政治
 2019年11月8日参議院予算委員会で共産党参議院田村智子が毎年春の首相主催「桜を見る会」が第2次安倍政権になって以来、安倍晋三を筆頭に自民党国会議員が各々の推薦に任せてそれぞれの後援会員等の支持者を招待することで支持固めや選挙活動に利用していたのではないか、そのために予算の2倍や3倍を超える支出経費になったのではないかといった不明朗な運営を対象とした疑惑を追及して以来、官房長官の菅義偉は土日を除いた午前と午後の記者会見では記者から、国会では野党議員から田村智子疑惑追及の事実関係に関する質問攻めに遭うようになった。
 
 尤も疑惑解明の鍵を握る推薦者名簿にしても、招待者名簿にしても、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する等の必要が生じるという理由と、毎回の『桜を見る会』の終了を以って使用目的を終えることから、保存期間1年未満の文書として終了後遅滞なく廃棄する取扱いとしたとの理由で、廃棄の経緯と正当性と共にもはや検証不可能であることを主張して、納得がいかないマスコミ側と攻防を繰り広げることになり、もはや果てしのない状況を呈するようになっている。

 このような果てしのない状況を作り出すことになった出来事の一つが2019年11月14日に内閣府担当者が今年の招待者名簿を5月9日にシュレッダーに掛けて廃棄したことを明らかにしたことだった。その5月9日が共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が政府に「桜を見る会」の招待者数の推移などを資料請求したのと同じ日であったことが共産党から明らかにされると、疑惑隠しの意図的廃棄ではないかと菅義偉に対する質問攻めは特に文書廃棄に集中、疑惑を一気に高めると共に攻防の果てしのなさに拍車をかけることになった。
 但しこのことに関しても安倍晋三側は自らの正当性を巧みに打ち立てている。宮本徹の資料請求は5月9日の昼過ぎで、廃棄をした職員はそのことを把握していなかった上、「桜の会」の文書廃棄に関わるシュレッダーの予約は一ヶ月近く前の4月22日に行っていて、シュレッダーの空き状況や作業担当職員の作業可能時間の調整等の事情によって5月9日に廃棄することになったと、同じ日になったのは偶然であるかのような説明を行い、廃棄の正当性を主張している。

 相手側が信用するかどうかよりも、物的証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法なのだろう。

 ならばと、野党は電子データは存在するはずだと、その開示を求めた。対して菅義偉は記者会見で招待者名簿の電子データはシュレッダーによる廃棄が行われた5月9日前後に内閣府人事課の職員が削除したことを明らかにした。

 対して野党は電子データのバックアップデーターは残っているはずだと、復元・開示を求めた。対して菅義偉は電子データの廃棄後もバックアップデータは最大8週間は保存されていたと明らかにしたものの、「バックアップデータは一般職員が業務に使用できるものではなく、組織共用性を欠いており、業者に頼まなければ取り出せない状況にあったと聞いており、情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」(NHK NEWS WEB)ことと、「国会議員からの資料要求は行政文書を前提としている」との理由で、共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が資料請求した5月9日以降、8週間保存されていたバックアップデータを開示しなかったことの正当性を主張している。

 但しバックアップデータが「情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」が正当性ある措置だとしても、2019年5月9日に宮本徹衆院議員が資料請求した際、「桜を見る会」の運営に何ら疚しい問題点がなければ、最大8週間は保存されていたバックアップデータを公開しても、何ら支障はなかったはずだし、安倍晋三の「桜を見る会」が予算の私物化・行政の私物化等々の疑惑が持ち上がってからであっても、それが根拠のない疑惑なら、疑惑を解く、あるいは疑惑にケリをつける手っ取り早い方法として、例え復元できなかったとしても、野党議員立ち会いのもと業者に依頼して復元に取り掛かる姿勢を見せてもいいはずだった。

 疑惑にケリをつけない以上、野党が今国会での安倍晋三が出席する予算委員会の「桜を見る会」に関わる集中審議の開催を求めているのに対して与党は応じようとしていないが、今国会を凌いだとしても、来年1月開催の通常国会召集となれば、予算委員会を開かないでは済まず、疑惑追及の尾を引くのは明らかなのだが、疑惑にケリをつけようとする姿勢は一切見せない。当然、来年の通常国会でも同じような攻防が続くことになる。疑惑にケリをつけようとせず、疑惑を引きずったまま、物的証拠となる推薦名簿も招待者名簿も、その電子データも、電子データのバックアップデータも廃棄して存在しないの一点張りの姿勢を貫くことになるのは目に見えている。

 疑惑を引きずったままということは疑惑にケリをつけることができない状況を抱えているからで、こういった姿勢こそが証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法で事を進めている証明となる。

 安倍晋三・菅義偉側は巧みに言い抜けていると思っているかもしれないが、実際には言い抜けになっていないこともある。今年2019年の「桜を見る会」は4月13日。4月13日の会の終了を以って1年未満とは2019年4月14日から2020年4月13日までの間の日を指すと思うが、文書保存期間1年未満は4月13日「桜を見る会」終了の翌日の4月14日に廃棄しても、1年未満の廃棄となって、規則に則っていることになる。当然、事務の都合、時間の都合で5月9日の廃棄であっても、1年未満ということになる。一度ブログで取り上げたが、官房長官菅義偉が国会でか、記者会見でか、自身を通して招待した人物が再び参加の希望を伝えたところ、その希望を事務方に回したと発言していたことと、2919年11月20日衆院内閣委員会で大西証史内閣審議官が招待者の推薦を巡って、「連続して毎年同じ方が呼ばれることは避けていただきたいとお願いしている」と答弁していることとの整合性を2019年11月21日午前の記者会見で記者から問われたとき、次のように発言している。

 菅義偉「先ずは内閣官房・内閣府から各省庁等に対して推薦を求める際に幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いを致しております。

 実際に前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども、まあ、頂いた推薦を基に内閣官房・内閣府が最終的に取り纏めを行っている。いずれにせよ、配慮事項はそういうことになっております」

 つまり内閣官房・内閣府は「幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いをしている」。要望先については菅義偉は「各省庁等」と言っているが、この「等」の中に安倍後援会事務所や首相官邸、自民党国会議員関係の後援会事務所などが入っているはずである。でなければ、不公平と言うだけではなく、二重基準となる。

 但し菅義偉は「前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども」と言っている。同じ人物の招待を避けていることを前提とすると、再度の推薦は特例でなければならない。当然、この選別作業は次の年の推薦名簿と前年の招待者名簿を突き合わせなければ、ダブっているのかどうかも、ダブっていたとしても、特例扱いとするかどうかも見分けることができないことになる。

 だが、2019年4月13日の「桜を見る会」に関わる推薦名簿も招待者名簿も、5月9日にシュレッダーにかけて廃棄してしてしまい、電子データは5月9日前後に消去、バックデータも残っていない。このようなデータ処理は招待客のダブリをチェックする判断材料自体を自ら捨てたことになって、矛盾する措置となる。

 但し推薦名簿の招待名簿も、紙文書と電子データー共々廃棄したとしても、その内容のすべてを頭に入れている内閣官房か内閣府の職員が一人でもいれば、ダブリをチェックできるし、特例扱いすべき招待客は誰と誰かの選別も可能となる。とは言っても、このような職員が実際に存在するかどうかが問題となる。存在して初めて、紙・電子合わせた全てのデータの消去が正当化できる。存在しなければ、勿論、正当化できないデータの消去となる。

 2019年12月2日の参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の安倍晋三の「推薦枠」についての「質問」に対する安倍晋三の答弁にも言い抜けできない事実が隠されている。

 田村智子「(2019年)11月8日の予算委員会以降、安倍晋三事務所が作成・配布した文書が次々と明らかとなり、菅義偉官房長官は、首相などからの推薦の仕組みがあることを認め、20日の本会議で首相も『私自身も事務所から相談を受ければ推薦者についての意見を言うこともありました』と答弁した。つまりは、首相からの推薦・招待の仕組みを、安倍首相は前々からご存じだったのではありませんか。

 それなのになぜ、予算委員会で、私の指摘を事実であると認めなかったのですか。私は、『首相は招待者のとりまとめをしていますか』とは、一言も聞いていません。安倍事務所が参加者を募り、首相の地元後援会員を招待しているかと、繰り返し質したのです。これを認めなかったことは、まさに偽り、ごまかしの答弁そのものではありませんか。質問をすり替えることなくお答えいただきたい」

 安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。

 他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」

 ネット上に出回っている2015年3月の安倍晋三の「桜を見る会」来観への案内状画像を載せておく。これは安倍晋三後援会の案内状ではなく、安倍晋三自身の首相としての案内状だが、2019年11月21日の参議院内閣委員会で共産党参議員田村智子が「内閣府が各省庁に対しては推薦の締め切りは今年は2月8日になっていて、招待状の発送は3月2日以降なんですね」と発言している。

 各府庁以外の安倍晋三自身の推薦者や安倍後援会及び自民党国会議員後援会の推薦者に対しても招待状発送は3月2日以降前後と変わらないはずである。あるいは安倍晋三の推薦者に対しては忖度して3月2日よりも早く発送した可能性は否定できない。

 いずれにしても安倍晋三の案内状を送付した月が3月となっていることに何の差し障りもない。内閣府が招待状を発送してから、安倍晋三は自身の名で案内状を送付したのだろう。だが、文面の一部が「御夫婦おそろいにて御来観下さいますようにご案内申し上げます」となっている。いわば内閣官房・内閣府から「御夫婦おそろい」で招待されたことを示している。

 招待基準は「各界に於いて功労・功績のあった方々」であって、「あった方々とその夫人」とはなっていない。安倍晋三が「御夫婦おそろいにて」としたためることができたのは安倍晋三自身か、安倍後援会から「御夫婦おそろい」の形で申し込み、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていること以外に,「御夫婦おそろい」で申し込んだものの、夫の方も夫人の方も内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で篩い落とされずに二人揃って招待された夫婦のみにこのような文面の案内状を送ったか、いずれかの場合であろう。

 だが、後者とすると、やはり招待基準が「各界に於いて功労・功績のあった方々とその夫人」とはなっていないことに抵触することになって、内閣官房・内閣府自体が「申し込めば、必ず招待状が届く」構図にしていなければ、「御夫婦おそろい」の案内状とはならない。

 安倍晋三はこの点をどう申し開くのだろうか。

 これだけでは「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっている証拠にならないと言うなら、一度ブログに取り上げた以下のことをから証拠立ててみる。

 あべ事務所が送付した「桜を見る会」への参加申込書に書かれている内容。(一部抜粋)

〈※ご夫婦で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
 ※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
 ※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉

 等々が記載されている。

 招待基準に反してご夫婦での参加を促しているが、招待基準の「各界に於いて功労・功績のあった方々」を他処に置いて、ご夫婦だけではなく、同居を含むご家族、知人、友人まで範囲を広げて参加申込を促し、参加申込をしさえすれば、即そのまま「後日郵送で内閣府より招待状が届きます」と、参加申込=招待、いわばあべ事務所が「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁となっている。つまり内閣官房・内閣府に於ける招待基準に合わせた取捨選択の取り纏めのプロセスを無視している。勿論、この無視はあべ事務所が招待者を決めていて、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていることからこそ可能となる無視以外の何ものでもない。

 実際に内閣官房と内閣府の取り纏めによって招待客が選別される仕組みになっていたなら、非常に失礼になるが、失礼になることを顧みずに「例え申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めによって招待にまで至らない方も出てきます」との断りを入れなければならない。

 こういった申込書に対して内閣官房・内閣府が招待基準に則った招待者の決定を手続きとしていたなら、1万人の予定参加者を8千人も上回ることはなかったろう。そうはなっていなかったのはこの手の案内状や申込書が出回ったこと以外に考えることはできない。

 自民党事務局総務部が平成31年の参議院改選議員に宛てた「桜を見る会」の案内状の文面も、「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁を取っている。

 「平成31年改選議員」〈2019年7月21日執行参議院議員選挙〉に対して招待基準である「各界に於いて功労・功績のあった方々」であることを頭から取り上げずに「一般の方(友人、知人、後援会等)を4組までご招待いただけます」と招待を請け合っている。内閣官房・内閣府による取り纏めは一切触れていない。と言うよりも、取り纏めのプロセス自体を省き去っている。

 このように省き去ることができるのも、「桜を見る会」が「申し込めば、必ず招待状が届く」仕様となっていなければできない。自民党改選議員にしたら、少しでも選挙を有利にしよう、少しでも票を集めようということで、4組ギリギリまでの招待を獲ち取るべく、支持者の中から選んだに違いない。このプロセスも「申し込めば、必ず招待状が届く」ことを前提としていることになる。招待を申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で省かれでもしたら、票を稼ぐどころか、失う結果になる。

 安倍晋三の「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」はどこからどう見ても、真っ赤かのウソ答弁だと言い切ることができる。

 2019年11月20日参院本会議で立憲民主党参議院議員那谷屋正義に対して安倍晋三は「これまでのこのような運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含め、全般的な見直しを幅広く意見を聞きながら行ってまいります」と答弁、上出2019年12月2日の参議院本会議では田村智子に対しても、「『桜を見る会』のこれまでの運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含めて全体的な見直しを幅広く、意見を聞きながら行って参ります」と約束しているが、「招待基準の明確化」にしても、「招待プロセスの透明化」にしても、「これまでの運営」で「招待基準」のどの点がどのように「不明確」であったのか、「招待プロセス」のどの点がどのように「不透明」であったのか、「大いに反省すべき」事柄はどの点なのか、その検証から入って、洗い出した直すべき点を示し、どう正したのかを提示して初めて、「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」がどの程度行われたのか、十分に行われたのか、国民の目に明確に見える形で判断できることになる。

 前者の検証を経ない「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」はどこをどう「明確化」したのか、どこをどう「透明化」したのか、国民には判断できないことになる。国民が判断できなければ、国民に対する説明責任を果たしたことにはならない。

 国民への説明責任を果たすためにも検証から入るべきで、そこから入るにについてはバックデータの復元から始めなければならない。
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安倍晋三の「桜を見る会」:内閣官房・内閣府の招待者ノーチェック・フリーパスは「総理のご意向」を忖度した行政・予算の私物化か

2019-11-25 11:20:39 | 政治
 今回の「桜を見る会」騒動で知ることになった向きもあるだろうが、「桜を見る会」の主催者は内閣総理大臣であり、その公的行事である。つまり2013年以降の「桜を見る会」は安倍晋三が主催者である。どのような騒動が起きようとも、その責任は主催者の管理責任となる。安倍晋三は責任感の極めて強い政治家だから、「桜を見る会」に関しては自身が何事に対しても管理責任を負っているとする強い自覚を持った姿勢を貫いているはずである。

 「桜を見る会」の参加資格は「各界の功労・功績者」となっている。招待の仕組みは内閣官房・内閣府が首相官邸や自民党本部・公明党、各省庁等に招待者の推薦依頼を行い、依頼を受けた側が招待にふさわしい人選を行って、各自が推薦者名簿を作成、この名簿を内閣官房・内閣府に送付、内閣官房・内閣府が推薦者名簿の中から毎年、約1万人としている人数に取り纏めて招待者名簿を作成、内閣府が招待者各自に招待状を送付、招待状を受けた「各界の功労・功績者」が晴れて「桜を見る会」に招かれるという段取りとなっている。

 招待者の人数は「『桜を見る会』開催要領」には約1万人と記載されているものの、2019年11月8日参院予算委では共産党議員田村智子が今年の「桜を見る会」の参加者は約1万8千人だと言っていたが、野党各党は招待客が1万人を超えたのは内閣官房・内閣府が受け取った推薦者名簿そのままに招待者名簿を作成し、推薦者名簿と変わらない招待者者名簿から招待状を作成、送付していた、いわばノーチェック・フリーパスの仕組みとしていたことが原因ではないかと国会で追及しているが、内閣官房・内閣府は推薦者名簿と招待者名簿は共には毎回の『桜の会』の終了を以って使用目的を終えることから、大型シュレッダーにかけて廃棄し、詳細については分からない、また推薦者名簿の控えなどは残っていないのかとの野党の追及に対して安倍事務所や麻生太郎事務所、その他は「記録は残っていない」、「資料は残っていない」でかわしている。

 但し各府省庁などに残っていた推薦者名簿、約4000人分を内閣府が2019年11月22日に国会に提出したが、幹部公務員などを除いた「功労・功績者」の欄が殆ど黒塗りになっていたという。 
 つまり「功労・功績」を判断する材料を隠した。隠す目的・必要性を勘繰ると、「『桜を見る会』開催要領」に則った「功労・功績」に適合していない疑いが浮上する。

 官房長官の菅義偉が11月20日午前の衆議院内閣委員会で今年招待された1万5000人余りの内訳を明らかにしたと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。
▽各省庁推薦の功労者らが約6000人
▽安倍晋三からの推薦約1000人
▽副総理麻生太郎、菅義偉、官房副長官の合計が約1000人
▽自民党関係者が約6000人
▽国際貢献や芸術文化などの特別招待者や報道関係者、公明党関係者合計約1000人。

 共産党議員田村智子が言っていた約1万8千人と菅義偉が発表した約1万5千人と、どちらがより正確な数字なのだろうか。田村智子が言っていた約1万8千人がより正しい数字だとすると、菅義偉は悪事を少なくして見せたということになるし、菅義偉の約1万5千人がより正しい数字だとすると、田村智子は政府の悪事をより大きく見せたことになる。だが、政府側が黒塗りにする目的と必要性を抱えている点からすると、田村智子の約1万8千人がより正しい人数に見えてくる。

 内閣官房・内閣府が推薦者名簿と招待者名簿共に大型シュレッダーにかけて廃棄し、各省庁保存の推薦者名簿は黒塗りで発表、安倍事務所等与党側には記録・資料のたぐいは残っていないでは全て藪の中ということになる。
 それでも野党は安倍晋三側が国会や記者会見で内閣官房・内閣府が招待者を最終的に取り纏めていて、自分たちはノータッチだとしていることに対して内閣官房・内閣府の最終的な取り纏めは見せかけで、推薦名簿がそのまま招待名簿となっているノーチェック・フリーパスの仕組みとなっていたこと自体が参加者の人数を膨れ上がらせた原因ではないかと追及、その攻防が続いたままとなっている。

 2019年11月21日午後の参議院内閣委員会でも野党共同会派の小西洋之がノーチェック・フリーパスの観点から官房長官の菅義偉や政府参考人を追及していた。その中で野党共同で内閣官房や内閣府の職員にヒヤリングした事実をぶっつけて、ノーチェック・フリーパスであったことの実態を暴こうとした。

 小西洋之「政府参考人についてお伺いします。安倍事務所の推薦者は招待者になるまでの取り扱いの流れですが、毎年実際の、安倍事務所から推薦者の名簿を頂いてですね、取りまとめる作業、安倍事務所から名簿を頂いた方と取り纏めた方と実は同一人物なんですよ。

 その方は、名刺も頂いておりますが、内閣官房総務館室の参事官補佐の方でございます。その方に二度に亘ってヒヤリングをして頂きました。『本年の安倍事務所推薦者の取り扱いの流れは内閣官房・内閣府より首相官邸に推薦者依頼があり、官邸の内閣総務館室に於いて安倍事務所に推薦依頼を行い、安倍事務所からメールによってデータで推薦名簿を内閣総務館室が受領し、そのデータをメールで内閣府事務次官に提出し、内閣官房・内閣府、官房内閣総務館室で、内閣府の人事課ですけども、取り纏めによる招待者としての確定後に安倍事務所に当該招待者の名簿を提供することはなく、内閣府人事課より招待者各自に招待状が郵送された』

 こうした事実関係でよろしいでしょうか。簡潔によろしくおねがいします)

 大西証史(内閣官房審議官・証史「あかし?まさし?」)「小西先生のところに担当の参事官を参上させて頂きまして、ご説明差し上げましたけれども、おっしゃられるように『桜の見る会』の招待者につきましては内閣総務館室に於きまして総理・副総理・官房長官・官房副長官に対しても事務的に推薦依頼を行いまして、各事務所から推薦を頂いております。この遣り取りはメールで行いまして、内閣官房・内閣府の方(ほう)の取り纏めで、先程先生がおっしゃられましたように内閣府事務次官から招待者に対して招待状を発送するということでございます」

 小西洋之「(最初は聞き取れない。)事実関係はそのとおりだという答弁だというふうに思いますけども、では引き続いて政府参考人に窺わせて頂きます。
 今確認させて頂いた事務の取り扱いとですね、結局安倍事務所からの推薦者についても、この内閣官房と内閣府の取り纏め、最終的な取り纏めとも言っておりますが、その取り纏めというのは誰かを弾いたりするものではなくて、その推薦名
簿をそのまま招待者名簿に、まあ、名義上替えていると、まあ、そうしたものでよろしんでしょうか。
 で、このことについてはですね、まさに政府参考人ご自身だと思いますけれども、大西審議官ご自身だと思いますけれども、我が参議院の予算委員会の理事に対してですね、我が会派の蓮舫理事も含まれますけども、その理事の方々に直接、誰かを弾いているようなことはしていない、まあ、重複があったときにはそれを外すようなことはあるけども、誰かを不適格として外すことはないというふうに仰ったということでございますけども、そうした事務であるということでよろしいですね。簡潔に言ってください」

 大西証史「先程 若干ご説明申し上げましたけども、先程長官(菅義偉)からも申し上げましたけども、いわゆる推薦者の取り纏めの詳細につきましてお答えを、詳細につきましては差し控えますけども、推薦に当たりましては氏名や職業の情報を、招待者の推薦に当たりましては、氏名や職業の情報を頂いておりまして、こうした情報を元に長官が申し上げました取り纏めを行っているところでございます。

 で、さらに申し上げますと、えー・・・・・(言い淀む)どなたからのご推薦であっても、社会的常識に照らして問題があれば、招待しないといったこともあり得るということでございます。で、なお、先程先生が申されました、根拠と申されました、仰られました、えー、別の、恐らく、(内閣官房の)事務方と先生方との遣り取りの場だと思いますが、理事会には私は参加しておりません。私と同室の参事官がですね、参上しまして、色々と遣り取りをさせて頂いているものと思いますけども、私ではございません」

 小西洋之「私が蓮舫理事から伺った話とは違うので、このことについては予算委員会や理事会などで引き続き追及されるんだというふうに思いますが、今、とにかくしませんでしたけど(大西証史が「推薦名簿をそのまま招待者名簿に変えて招待状を出すシステムになっていたという証言はしなかった」との意か)、私担当者に聞きました。内閣官房の参事官補佐。で、仰っていました。『私一人しか、安倍事務所から推薦名簿を頂いて、私一人しか(私一人だからという意か)、安倍事務所の紹介者、人数についての取り纏めはやっておりません』と。こういうふうに『私一人だけです』と。

 で、その方が友人(小西洋之と一緒に理事会に出席していた友人ということか?)に示されておりました。『誰かを弾いたり、そんなことはしていない』と言うことで、はっきりと答弁されたらいいと思うんですけど、取り纏めについてですね、政府の名簿を作成するだけ、取り纏めをすると言っても、名簿を作成するだけだとかいうような答弁をしているわけですよね。まあ、そこの事実確認はさせて頂きます」

 小西洋之は最後に「まあ、そこの事実確認はさせて頂きます」と言ってから、安倍晋三の11月15日のぶら下がり記者会見の安倍晋三自身の発言を根拠に「桜を見る会」で高価な飲食を提供するのは公選法221条の買収罪に当たるのではと追及を変えてしまう。

 「2019年11月15日・安倍晋三ぶら下がり」(産経ニュース/2019.11.15 19:17)

 記者「実際に参加された地元の方々には、自分は安倍首相の選挙を支えてきているから、その経験で選ばれたのだと思っている方がいるが」

 安倍晋三「確かにそう思われている方もおられると思います。そういう観点から。やはり推薦するうえにおいてですね、知っている範囲で推薦することになるんだろうと思います。私たちではなくてですね。党もそうでしょうし、他のえー、あのー、私や副総理や官房長官や副長官もそうなんですが、そういう観点から基準を見直そうということでございます。

 で、もうひとつ付け加えればですね、やっぱりたくさんそれぞれ地域において頑張っておられる方がいるんですね。市井の皆さん、そういう方々と接する機会でもあったのは事実なんだろうと。いわゆる、その、それぞれ、えー、功を成し遂げた方々もたくさんいらっしゃいますが、皆さんの会社の幹部のようにですね。でもそういう方だけではなくて、さまざまな方が、まあ、このご招待をした方がいいんだろうという。まあ、そういう積み重ねだったんだろうと思いますが、まあその中でご指摘のような点もあったことにかんがみ、反省しなければいけないということなんだろうと思います」

 「桜を見る会」に「自分は安倍首相の選挙を支えてきているから、その経験で選ばれたのだと思っている」と主張する安倍晋三後援会員が何人いようと、「思っている」と言うだけで、安倍晋三がそれに応えて招待したという事実を掴まなければ、例えば安倍晋三が「私の方は地域において頑張っておられる方と見て推薦しただけで、招待を決めたのは内閣官房と内閣府だ」と言われれば、公選法221条の買収罪との疑いがあるどころの話ではなくなる。事実、菅義偉から「そういうのには当たりません」といとも簡単に一言で片付けられている。

 小西洋之は安倍晋三後援会員の「桜を見る会」への招待を買収罪相応とするためにも、内閣官房の職員からヒアリングで得た、「安倍事務所から名簿を頂いた方と取り纏めた方と実は同一人物」という証言を、あるいは「誰かを弾いたりするものではなくて、その推薦名簿をそのまま招待者名簿に名義上替えている」という証言を内閣官房審議官の大西証史の口から直接言わせなければならなかった。言わせることができなくても、言わせるよう、最後まで努力しなければならなかった。

 大西証史がノーチェック・フリーパスの仕組みの存在そのものを否定するなら、「そのような事実はありません」と一刀両断に否定すべきだが、ヒアリングを受けたのが自分ではないことを以って否定できる根拠と、同室の参事官の証言との食い違いの理由を問い質すべきだった。

 推薦者名簿がそのまま招待者名簿にすり替わるノーチェック・フリーパスの仕組みとなっていることは様々な状況証拠から突きつけることができる。その状況証拠として、自民と事務局総務部が平成31年の参議院改選議員に宛てた「桜を見る会」の案内状とあべ事務所が後援会員にだろう、送付した「桜を見る会」の参加申込書の画像を載せておく。

 最初の案内状は「平成31年1月31日」の発信日付となっていて、2019年の「桜を見る会」4月13日にまで約2ヶ月近くも間がある。「平成31年改選議員」〈2019年7月21日執行参議院議員選挙〉に対して「一般の方(友人、知人、後援会等)を4組までご招待いただけます」と記載。この「ご招待」に関して何の断りも条件も付されているわけではないから、この「4組」は後で訂正が効かない、「桜を見る会」への参加が保証付きの「4組」ということになる。

 もしノーチェック・フリーパスの仕組みとなっていなかったなら、「割当人数は何名様までとなっています」とか、「内閣官房・内閣府の最終的な取りまとめ段階で招待が見送られる場合があります。その点をご承知おきください」ぐらいの断りを入れておかなければならない。

 だが、そうった断りも条件も何も付されていない以上、参加を申し込んだ者=招待者を前提としていなければ、この手の案内状は送ることができない。つまり改選参議院議員1名につき4名までをフリーパス・フリーチェックで招待できることを謳っていることになる。「功労・功績」の程度を内閣官房・内閣府はチェックせず、自民党側の推薦のままにフリーパスで招待客として推薦される仕組みとなっていることを図らずも露呈している。

 「あべ事務所」による「『桜を見る会』参加申込」書の発信日時は記載されていないが、〈※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉との断りのみで、参加申込書を何枚もコピーできて、後援会員だけではなく、何の制限もかけないままに「ご家族(同居を含む)、知人、友人」まで範囲を広げていることから、何人でも申し込みができる仕様となっている。

 つまり、内閣官房・内閣府が推薦者の中から招待者を最終的に取りまとめる段階を想定していない参加申込書以外の何ものでもない。どこからどう見ても最初の案内状と同様にこの参加申込書も、参加を申し込んだ者=招待者を意味させていて、ノーチェック・フリーパスの仕組みそのものとなっていることを示唆していることになる。

 このことは官房長官菅義偉の記者会見からも見て取ることができる。

 官房長官菅義偉2019年11月21日午前記者会見(動画から)
 
 記者「『桜を見る会』の紹介者名簿の廃棄について伺います。昨日の衆議院内閣委員会の内閣府の答弁では5月の大型連休前に廃棄の準備をしていたが、大型シュレッダーの空きがなくて連休後明け後の5月9日になったと説明していました。一方、その日は野党議員が資料請求をした日です。内閣府は廃棄した当日、議員側から資料請求があったことを知っていたんでしょうか。それとも廃棄の方が先だったんでしょうか」

 菅義偉「それは聞かなかったと聞いている」

 記者「大型シュレッダーが空いていなかったということですけど、この大型シュレッダーは各部署の使用が重なると、使用が何日も先になるものなのでしょうか。また常に混んでいるものなのでしょうか」

 菅義偉「シュレッダーの状況等から、そこの勤務時間等から調整を行って、9日になった。そういうことです」

  ・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・

 記者「16年の『桜を見る会』に於いて政府が検討していた招待客の削減案の実施を見送っていたとの報道がありますけれども、この事実確認をお尋ねします」   

 菅義偉「私は責任者ですけど、承知しておりません」

 記者「昨日の記者会見で菅さんご自身の、あるいは事務所側からの推薦について去年来られた方について『また来たいから』という形で事務方に回していたと仰いました。一方国会ではですね、内閣官房の方が『毎年同じ方が呼ばれるようなことは避けて頂きたい』と要望していたということを仰っていました。

 こうした要望に反する形で菅さん側から推薦が行われた形だと思うんですけど、その点については如何がお考えですか」

 (※2919年11月20日衆院内閣委員会で大西証史内閣審議官が招待者の推薦を巡って、「連続して毎年同じ方が呼ばれることは避けていただきたいとお願いしている」と答弁している。)

 菅義偉「先ずは内閣官房・内閣府から各省庁等に対して推薦を求める際に幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いを致しております。

 実際に前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども、まあ、頂いた推薦を基に内閣官房・内閣府が最終的に取り纏めを行っている。いずれにせよ、配慮事項はそういうことになっております」

 記者「その推薦依頼をされた長官側が結果として前年招待された方も含めて推薦していたと。この点については不適切だったとお考えですか」

 菅義偉「前の年か、前の前の年か、よく分からないけど、来た方でまた来たいという方がいたことは事実であります」

 記者「事実関係は分かるんですけど、それが果たして内閣官房が決めている、ある種のルールーのようなものに反していたということについては不適切だったというふうにお考えですか」

 菅義偉「前年呼ばれた方がまた、そういうことは適切なことじゃなかったと思います」

 記者「この点ですね、推薦依頼を受けた側が推薦をする際に、まあ、なかなか基準が曖昧だということもあるだろうけど、内閣官房から一定のルール、そういった同じ人を呼ばないようにであるとか、そういったことは言われている訳で、その点推薦がですね、曖昧な形で行われていたということは認識していましたか」

 菅義偉「一定のルールというのはあくまで配慮事項の一つとしてお願いしているということで、ダメだということではない」

 菅義偉は前日2919年11月20日の記者会見で、「去年来られた方で『また来たい』とか、業界団体の中で『ぜひ何人かで行きたい』とか、要請を受けたら事務方に(推薦依頼を)回していた」と答弁しているとマスコミが伝えていた。

 菅義偉は、いわば「同一人物回避」のルールは適切ではないが、「あくまで配慮事項の一つであって、ダメだということではない」と容認している。自己正当化のために強引にこじつけている。だが、どうこじつけようと、「同一人物回避」のルールの有名無実化は同時に参加を申し込んだ者=招待者となっているノーチェック・フリーパスの仕組みとなっていることの証明、言い換えると、「内閣官房・内閣府が招待者を最終的に取りまとめる」と言っていることの有名無実化の証明としかならない。
  
 内閣官房・内閣府が招待者を適切に取りまとめていたなら、「同一人物回避」のルールは麻痺することなく十分に機能して、次の年の「桜を見る会」に前の年と同じ人間が招待されるということもなくなる。

 だが、現実には参加を申し込んだ者=招待者のノーチェック・フリーパスの仕組みとなっているから、言い換えると、内閣官房・内閣府が「同一人物回避」のルールに則って招待者を適切に取りまとめいるわけではないから、続けて招待される人間が出てくる。

 果たして内閣官房・内閣府自らが適切な取りまとめの仕組みをなし崩しに形骸化させていって、ノーチェック・フリーパスの仕組みに変質させてしまったのだろうか。

 第2次安倍政権になるまで「桜を見る会」の招待客は毎年、ほぼ1万人が守られていたと言う。なってから、1万人を超えて、年々増えていると言う。そして安倍政権絡み、あるいは安倍晋三絡みの「桜を見る会」の案内状や「桜を見る会」の参加申込書を見る限り、参加を申し込んだ者=招待者となっているノーチェック・フリーパスの仕組みを前提とした文面となっていることを考えに入れると、内閣官房・内閣府の招待者ノーチェック・フリーパスは「総理のご意向」を忖度した行政私物化・予算の私物化に見えてくる。

 このことは否定できない。否定できる唯一の要件は首相官邸、自民党本部、あるいは安倍後援会、その他の閣僚の後援会等々が「桜を見る会」の案内状や「桜を見る会」の参加申込書の類いを送付して、自分たちで勝手に参加を申し込んだ者=招待者と決め込むのではなく、案内状や参加申込書を一切送付せずに、各自が招待にふさわしいと思われる人物を内々で選び出して、推薦者名簿として纏めて内閣官房・内閣府に送付、内閣官房・内閣府はその中から自らの基準で招待者を取り纏めて、招待者各自に招待状を送付するシステムとなっていることである。

 最初の段階が内々の作業だから、撥ねられた、撥ねられなかったといった事態が生じることもなく、人数も膨れ上がることもない。

 安倍晋三は2019年11月20日の参院本会議で立憲民主党の那谷屋正義(なたにや・まさよし)の質問に答えて、「同会(『桜を見る会』)ついては内閣官房及び内閣府が招待客の最終的な取り纏めを行っているところ、長年の慣行の中で行われてきたところではありますが、招待者の基準が曖昧であり、結果として招待者の数が膨れ上がってしまった実態があると認識しています」と答弁しているが、「招待者の数が膨れ上がってしまった実態」は参加を申し込んだ者=招待者となっている文面の案内状や参加申込書を支持者等に送付した結果であって、内閣官房・内閣府だけの関与でのみ招待者が決められていながら、招待基準が曖昧になったなら、政治側から責められることになるから、役所側からの招待基準の曖昧化は考えられない。あくまでも安倍晋三の「ご意向」がなし崩し的に招待者を増やし、その「ご意向」に内閣官房・内閣府が忖度した結果の自らのチェック機能の麻痺と見ないわけにはいかない。

 最後に内閣官房・内閣府は推薦者名簿も招待者名簿も毎回の『桜の会』の終了を以って使用目的を終えることから廃棄することにしていて、今年の名簿は5月9日に廃棄したとしているが、廃棄してしまったなら、次の年の「桜を見る会」の招待者選定作業の際の自らがルールとしている「同一人物回避」を頼る手がかりまでも失う矛盾が生じることになり、廃棄は「同一人物回避」を済ませた次の年の「桜を見る会」終了後でなければならないはずだ。

 だが、次の年を待たずに廃棄した。ノーチェック・フリーパスの仕組みになっているなら、どのような矛盾も生じない。「同一人物回避」の手間も生じない。

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2016年「10/21萩生田副長官ご発言概要」が萩生田光一自身の「ご発言」でなければならない理由

2019-11-18 11:13:37 | 政治
 萩生田光一は2019年9月11日に安倍晋三から文科相に任命されてから、安倍晋三が政治的に便宜を図って事を成し遂げたのではないのかと疑われている加計学園獣医学部認可疑惑・安倍晋三政治関与疑惑を国会で追及する矢面に再び立つことになった。

 衆議院予算委員会(2019年11月6日)

 今井雅人(国民民主党)「先程の総理も、閣僚が2名なくなって、まあ、辞任されても、それを替えて前に進めるってことで責任を取ると。受験生を傷つけるような発言をして、それでギリギリまで延期を引っ張って、世の中を混乱させて、それでもこれから何とかしてくいくってことで責任を取ると。

 安倍政権といつもそうなんですね。きちっとやっぱり自分のやったことをしっかりと責任を取っていく。そういうことを是非やって頂きたいと、いうふうに思います。その上であの、10月11日にですね、我が会派の辻本委員が質問したことで、私はちょっと、うっと思いましたので、改めてお伺いしたいと思うんですけども、先程も話題になっていました例の萩生田ペーパー(「10/21萩生田副長官ご発言概要」のこと)ってやつですね、先程から萩生田さんは、萩生田大臣はですね、『極めて不正確なメモ』って仰っていますけど、改めて全部を読むと、時間がありませんので、中身を一つ一つ読みますと、物凄く明快に書いてあります。

 『私の方で整理しよう』と。で、これはとても役人が書くもんだと思いませんけれども、先程もありましたようにこれ文科省で見つかったわけですよね。
これは文科省で見つかったメモということですね。

 であれば、これは文科省の方が書いたと思われますね。それで、よろしいですか」

 萩生田光一「獣医学部の新設に関して私が恰もですね、働きかけをしたかのような個人メモ等が取り上げられましたが、私が総理から指示を受けたり、文科省や内閣府に対して指示を出したりすることはありません。ご指摘の10月21日付けのメモっていうことだと思うんですけれども、当時文科省から個人の備忘録的なメモであり、著しく正確性を欠くと説明をされており、当文書の八つのパラグラムについていずれも私が明確に発言したものではありません。

あの、また、当該文書にあるような総理補佐官と話し合いをする機会もありませんでしたし、畜産やペットの獣医師養成との差別化の具体的な内容を詳細に私、承知しておりませんので、愛媛県の関係者とも会ったことなければ、県の意見を聞いたこともなく、文科省に伝えた事実もありませんので、この文書について私は分かりません」

 今井雅人「文科省で見つかったっていうのは、松野、前の大臣も仰ってますから、この内容からして、誰かが作ってるわけです。誰かが作ってるんです。誰かが、私じゃありませんよ(苦笑気味に笑いながら)。誰かが作ってるわけで、それは文科省に残ってるんですから――。

 『あなたが』って、今、ちょっと失礼ですね。私がこんなもの作れるわけないじゃないですか、総理。何で私がこんなもん作れるんですか。失礼ですよ、今のは。『あなたが作った』とは何ですか、それは」

 着席する。

 委員長「質問お願い致します。今井雅人くん」

 今井雅人「(声を大きくして、手に持ったメモ用紙を動かし)この紙をですね、『あなたが作った』などと総理が指差して、私に仰ったんですよ。謝罪してください」

 (中断)

 委員長「今井雅人くん、再度質問をお願いします」

今井雅人「私が今、この紙は文科省が作ったんじゃないかなと言いましたところ、総理大臣が私を指差して、『あなたが作ったじゃないの』って仰いました。(大きな声をして)大変侮辱です。謝罪してください」

委員長、委員長席に詰め寄った議員の一人に「私に聞こえなかったので・・・・・」(聞こえなかったのなら、安倍晋三に「そんなことを言ったのですか」と聞けばいいのだが、聞くことができない。多分、恐れて)

 委員長「今井委員、今井委員、恐縮です、再度ご質疑があれば、ご質問ください」

 今井雅人「委員長が総理を指名してくださるんでしたら、もう一度質問をします」

 委員長「今の聞こえなかった。もう一回お願いします」

 今井雅人「委員長が答弁者に総理を指名してくださるんでしたら、もう一度質問をします」

 委員長「質問の中身によりますが、どうぞ」

 安倍晋三が手を挙げる。

 委員長「内閣総理大臣安倍晋三君」

 安倍晋三「只今、今井委員がですね、『文科省の中に於いて見つかった。誰が作ったんですか』と、こう聞いたわけですね。文科大臣、文科大臣としては、自分は全く、こうこうこういう理由で中身は全く正確ではないということを明確に示されたと思ってます。そしてそれは、当然、与り知らないのでありすから、答えようがないわけであります。

 しかし今、今井委員はですね。『それでも答えろ』ということであったわけでありますが、それは答えられないということで、私はですね、『それは誰か分からないじゃないか』と申し上げたわけでありまして(激しいヤジ)、で、で、その中に於いてですね、その中に於いて、その中に於いてですね、私は今井委員の方を指を指しまして、じゃあ、それは誰だって可能性があるし、今井委員だって、私だって、それは、そういうことをやったらですね、そういうことになってしまうんじゃないかということを申し上げたわけでありまして、ここで明らかにしなければいけない、明らかにしなければいけないことについてはですね、つまり誰が書いたということについて今委員は明確なですね、明確なものを、事実を示しながら、これ文科省で作られたってことを示さない限り、それは議論にならないわけでありまして、まさに水掛け議論、水掛け論になってしまうということを私は、そういう趣旨で申し上げたがわけでありますが、それを呟いたわけでありますが、いわばまさにこれは正確な発言ではないわけでございます。

 ただ、座席からですね、座席から私が言葉を発したことについては大変申し訳なかったと思います」

 今井雅人「私は萩生田大臣に質問をしております。その横で指を差して、『あなたが作ったんじゃないの』って言うのは本当に失礼ですよ。いや、いや、萩生田さんに言われるならまだ分かりますけど、なぜ総理に言われなくてはいけないんです?取り消してください」

 安倍晋三「これはここで私は答弁したことであればですね、責任を持ってお答えするわけでありますが、私はただ指を指してですね、指を指して、今、ここからも(手を示しながら、野党議員からの)不規則な発言がございました。ああいう形でですね、不規則な発言をすることは控えなければならないことかもしれませんが、そこで今井委員がですね、言われたことはまさにこれは、これはですね。まさに萩生田大臣が証明のしようがないことでありまして、それをですね、いわば文科省に於いて正式に作られたかの如きの印象を与える、いわば質問しておられますから、それは違うんではないかという意味に於いて私は誰が書いたかということは分からないんではないかということを申し上げたわけでございます」

 今井雅人「先ず今の反論する前に委員長にお願いしたいんですけど、暫く私は質問時間を奪われました。ちょっと質問時間を返してください」

 委員長「大変恐縮ですが、今井委員がおっしゃった件について私の方には明確に聞こえませんでした。ですから、今井委員に質問を促したところでございます。今井委員が質問をなさらなかったわけですので、必要とあらば、後刻理事会で協議致します」

 今井雅人「私は明確に申し上げましたし、二度も質問をしました。その委員長の指摘は当たらないと思いますよ。そういうことを仰るんでししたら、本当に公平な運営をしてるのか私はね、疑問に感じますよ。

 ちょっと、これは本当にみなさんね、声を上げて頂きたいと思いますが、ちょっと今日の許せません、私は。委員長も理事会で皆さんと一度協議してください。公平に運営されていたかどうか」

 委員長「後刻理事会で協議致します」

 今井雅人「それでですね、あの、辻元委員のときもありましたけれども、当時の義家副大臣が、これは不正確なメモだったということで謝罪しておられるわけですよ。文科の副大臣が謝罪、これは不正確なメモだったと謝罪しておられるから、『それなら文科省の方が作ったメモですね』って私は質問しているんです。どこかおかしいんですか。

 だって、副大臣がそう仰ってるじゃないですか。それをなんかどこか分からない、『あなたが作ったかもしれない』なんて、そんな失礼なこと言われてね、質疑できないですよ。

 大臣、私は、ね、こういう方がいらっしゃって、本当に、私はこれは大臣が発言していると思うけど、でも、大臣が仰るように誰かが勝手に作ったんなら、これ国家公務員法の99条違反です。ですから、いま、部下なわけですよね。文部科学大臣でしょ。部下がそういうことをやったかやらないか、調べてください。誰がやったか、特定してください」

 萩生田光一「あの、色んなお考えを持たれるのは自由なんですけど、やっぱり公の委員会で私が発言したと断定をして、『私はそう思ってる』と言われるのは私は逆に心外ですけれど。今までも国会を通じて私の立場についてきちんと説明をしてきました。

 因みにあの謝罪をしたのは副大臣ではなくて、松野大臣でございまして、あの、松野大臣から不確定な文書だってこと言われました。副大臣ではございません。で、あの、本件については当時の松野大臣の元で、この文書については正確性を欠く私文書、メモのようなもので、それがたまたまファイルの中にあったということで問題が起きたんですけれども、これについては作成した方もですね、私と会って、その話を直接聞いてるわけじゃなくて、多分高等教育局長からの伝聞を一つのメモにしたんじゃないかということで、調査はそのように終わっていると承知をしております」

 今井雅人「時間が来ちゃったんですけど、私は、『自分はそう思います』って言っただけで、断定なんかしていませんから。『そう思います』と、『私がそう思います』と言ったんですから。『そうです』って断定したわけじゃありませんので、そういうこと言われるのは心外です。

 委員長、あの、是非、時間がありませんから、二つ申し上げます。一つは私、質疑時間終わりましたので、もう一度集中審議やって頂きたいということと萩生田大臣に
このメモを書いた人を断定して、特定して、この委員会に提出していただくことを求めます」

 委員長「後刻理事会で協議致します」

 「10/21萩生田副長官ご発言概要」は誰がどのようなイキサツで書いたのかは当時の文科相松野博一が2017年6月20日の記者会見で既に明らかにしている。野党議員の追及の不味さ加減は相変わらずとなっている。

 今井雅人が萩生田光一に対して萩生田光一自身の名前のついた文書は文科省の「誰かが作ってるんです」と聞いている最中に安倍晋三が自席から今井雅人を指差して、「あなたが作った」と名誉を毀損するようなヤジを入れた。今井雅人はその失礼に些か立腹して、発言の謝罪を求め、ついで取り消しを求めた。

 対して安倍晋三は薄汚い強弁を用いて、自己正当化を謀ろうとした。この怪我の功名でしかない偶然を利用して安倍晋三の恥知らずな薄汚さをこそ追及して、当人を追いつめた方がより効果的だったはずだが、取り消せ、謝罪しろの一点張りで過ごしてしまった。

 そこら辺に転がっているヒラ議員ならいざ知らず、一国の首相であることを顧みずに「あなたが作った」というヤジ自体を「『それは誰か分からないじゃないか』と申し上げた」と言いもしない言葉を用いて、ヌケヌケとすり替える恥知らずは天下一品である。この点をこそ、追及すべきだったろう。

 「私は今井委員の方を指を指しまして、じゃあ、それは誰だって(作成する)可能性があるし、今井委員だって、私だって、それは、そういうことをやったらですね、そういうことになってしまうんじゃないかということを申し上げたわけでありまして」

 無理やり誤魔化して自己正当化を謀ろうとするから、このような論理不明・意味不明な言葉遣いとなる。大体が一国の首相でありながら、無理やり誤魔化そうとすること自体が心得違いそのもので、この心得違いは素直さや謙虚さがないことから起きる。何か問題が起きたり手違いが生じたりすると、安倍晋三は「謙虚に、丁寧に国民に説明していく」といったことを頻繁に口にするが、素直さや謙虚さがない政治家の言葉なのだから、上辺だけの体裁と受け止めなければならない。

 すり替えは一度だけではない。ヤジ自体を「明確な事実を示して文科省で作られたということを示さなければ、議論にならない」とか、「水掛け論になってしまう」といったことを「呟いた」に過ぎないことであるかのようにすり替えている。しかも「正確な発言ではない」ないから、さも許されるとばかりに勝手に自己免罪している点、野党議員の首相に対するヤジはその答弁が質問に直接答えていないことだったり、こじつけであったりした場合に発せられるのに対してそのようなヤジを例に取って、「あいう形でですね、不規則な発言をすることは控えなければならないことかもしれませんが」と、首相のヤジと野党のヤジを同レベル扱いする点はまさにすり替えそのものであって、特に後者は見識の無さそのものがもろに現れている。見識のない一国の首相という人物像は矛盾そのもので、その矛盾を安倍晋三自身が許していることになる。

 ヤジ行為の程度の低さはそのままにして、「座席からですね、座席から私が言葉を発したことについては大変申し訳なかったと思います」と、言葉を発しただけだとすり替えて、そのことだけを謝罪する狡猾さもさすが安倍晋三でなければできない狡猾なすり替えであろう。

 2017年6月19日夜放送の「NHKクローズアップ現代+」が加計疑惑を取り上げ、その中で「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題した文書を入手し、紹介したことを翌日のマスコミが一斉に報じた。対して当文科相だった松野博一が翌日の2017年6月20日に記者会見を開いて、「同一内容の文書が専門教育課の共有フォルダに確認された」と、その文書の存在を認めた。

 一方の萩生田光一は松野博一の記者会見と同じ2017年6月20日に文書内容を全面否定するコメントを公表している。文書の存在そのものを否定した場合、あとでどのようなリークが生じるか分からないから、文書の内容自体を否定する手段に出たのだろう。結果、時間的には松野の記者会見が先で、それを受けて萩生田光一が文書の内容を否定する連携プレーを演じることになったはずだ。

 このことは2017年6月21日付で当「ブログ」に一度取り上げているが、萩生田光一が文科相に就任、文科相の立場で自身の関与を否定する発言を行っていることの状況の変化も踏まえて、2017年6月20日付「NHK NEWS WEB」記事が全文を伝えていた2016年の「10/21萩生田副長官ご発言概要」と2017年6月20日の松野博一の記者会見発言、さらに萩生田光一のコメントを仔細に眺めてみて、加計学園新設・認可に主導的な役割が果たしたと窺うことができる萩生田光一が自身のコメントでの否定どおりに素直にその否定を受け入れることができるかどうかを再び検証してみることにした。

 但し順番を違えて、「10/21萩生田副長官ご発言概要」は松野博一の記者会見発言のあとに提示することになる。

 「松野博一文科相記者会見」(2017年6月20日)  
 
 松野博一「三つ目は、国家戦略特区における獣医学部新設問題に関する『萩生田副長官の発言概要』に関する文書の存在等についての昨日の報道を受けてでございますが、各方面から事実関係について問合せがあり、また、何か指摘があれば真摯に説明責任を果たしていきたいという総理の方針を踏まえ、昨夜、私の判断で、文書の存否等に関する確認を事務方に指示しました。

 確認の結果は、詳細は後ほど事務方から説明をいたしますが、同一内容の文書が専門教育課の共有フォルダに確認されました。萩生田副長官は、文部科学政務官を経験されたこともあり、文科省の事務方も日常的に文教行政の課題について説明し、相談にあがってますけれども、10月21日には高等教育局長が萩生田副長官に対し、給付型奨学金や高大接続の問題等の説明・相談とともに、国家戦略特区における獣医学部の新設問題の課題や調整状況について局長から説明し、相談をしたということでございます。

 特区については、農水省などと獣医師の需給に関して調整する必要があり、萩生田副長官に調整状況を説明し、相談を行った趣旨とのことであります。確認された文書については、萩生田副長官とのやりとりについて、専門教育課の担当官が局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容、及び、局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた個人のメモであり、従いまして、高等局長の確認を受けておらず、萩生田副長官の発言でない内容が含まれているとの報告を受けています。事務方より、萩生田副長官にも確認をしたところ、詳細はよく覚えていないが、畜産やペットの獣医師養成との差別化の具体的内容や、総理の具体的改革時期等の発言はしていないと聞いています。

 なお、高等教育局長からも確認しましたが、高等教育局長の方から先ほど述べた案件に関して説明に伺ったということであり、副長官からの指示があったということではないとの報告を受けています。昨日、総理が会見でお話になったように、今後、何か指摘があれば、その都度、真摯に説明責任を果たしていきたい、国民の信頼を得ることができるよう、冷静にそしてわかりやすく、一つ一つ丁寧に説明していきたいと考えています。私からは以上でございます」

 松野博一の記者会見冒頭発言を整理してみる。

 先ず松野博一はNHKが報道したような「10/21萩生田副長官ご発言概要」なる文書が文科省内に存在するのかどうか、自身の「判断で、文書の存否等に関する確認を事務方に指示」した。その結果、「10/21萩生田副長官ご発言概要」と同一内容の文書が専門教育課の共有フォルダに存在していたことを確認した。

文書の日付となっている10月21日(2016年)に内閣官房副長官萩生田光一と文部科学省高等教育局長が面会、高等教育局長が給付型奨学金や高大接続の問題及び「国家戦略特区における獣医学部の新設問題の課題や調整状況について局長から説明し、相談をした」とする事実関係と、その際の萩生田光一と高等教育局長の遣り取りを高等教育局長が専門教育課の担当官に説明、専門教育課の担当官が萩生田光一の発言の内容と高等教育局長が萩生田光一に対して行った説明内容に「関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えて」、「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題して「とりまとめた」事実関係が「確認」できた。

 但し「ご発言」を纏めたものの、これこれこのとおりでよいかとの確認を高等教育局長から取っていなくて、「萩生田副長官の発言でない内容が含まれている」ことになった。

 要するに萩生田光一と高等教育局長が2016年10月21日に面談した事実そのものは認めたが、補足情報が加筆されていることを以って「10/21萩生田副長官ご発言概要」は「個人のメモ」であることと、萩生田光一の発言外の記載があることを以って文書内容の信頼性に疑問符を付け、さらに萩生田光一の「詳細はよく覚えていないが、畜産やペットの獣医師養成との差別化の具体的内容や、総理の具体的改革時期等の発言はしていない」と否定していること、高等教育局長が「副長官からの指示があったということではない」としていることを以って、「10/21萩生田副長官ご発言概要」の内容自体を否定するに至っている。

 とは言っても、萩生田光一の否定は加計学園獣医学部新設・認可に関わる安倍晋三の政治関与に萩生田光一が主導的役割を果たしていたとしても、あるいは安倍晋三の政治関与自体がなかったとしても、当然の否定だから、この否定から萩生田光一の役割の有無にしても、安倍晋三の政治関与の有無にしても、判断できないことになるから、脇に置いておかなければならない。

 「Wikipedia」に「高等教育局は大学をはじめとした高等教育機関を所掌する」と書いてあり、その職務の一つとして「高等教育機関の設置認可」を挙げている。当然、獣医学部の設置・認可に関係する部署の局長の位置にあり、だから、「国家戦略特区における獣医学部の新設問題の課題や調整状況について局長から説明し」たということなのだろう。

 同じ「Wikipedia」のページには専門教育課を高等教育局の一部局であると紹介している。文科省の文書、「高等教育局専門教育課 保存期間表」から専門教育課が「法律の制定又は改廃及びその経緯」に関係する「立案の検討」や、「法律案の審査」の過程で生じる「国会審議」での「議員への説明」や「想定問答」、「答弁書」の作成を職務としていることを窺うことができる。

 専門教育課にしても、獣医学部の設置・認可に関係する部署の一つとなっているということである。

 と言うことは、高等教育局長が2016年10月21日に面談した萩生田光一の発言を専門教育課の担当官に説明したのは高等教育局長の職務上の意思と職務上の必要性からであり、その意思と必要性とは高等教育局長から専門教育課の担当官に向けた萩生田光一の発言の伝達がその発言を高等教育局長と専門教育課の担当官とが共有するためであり、共有の目的は専門教育課が「立案の検討」を行ったり、国会審議にまで進んだ場合は「議員への説明」や「想定問答」及び「答弁書」の作成の用に供する必要性からということになる。

 つまり、当然と言えば、当然だが、全て職務に関わることとして行ったことになる。

 簡単に言うと、「10/21萩生田副長官ご発言概要」の内容が事実そのものだとすると、そこに示されている萩生田光一の意思を他の議員や役人にも伝え、共有させて、萩生田光一の意思どおりに事を運ぶため、その必要性と目的を持っていたということになる。

 萩生田光一が主導的役割を担った安倍晋三の政治関与のもとでの加計学園獣医学部設置・認可ための画策だとしたら、その画策を実現するために他の与党国会議員や他の役人に陰で示唆しなければならない必要性から、そのための情報共有を目的としていた高等教育局長から専門教育課の担当官に向けた説明であり、当然、高等教育局長から説明を受けた専門教育課の担当官は専門教育課としての職務上の必要性と職務上の目的から纏めておかなければならなかった「10/21萩生田副長官ご発言概要」であると解釈可能となる。

 この解釈の否定は別の目的を指摘しなければならないが、「10/21萩生田副長官ご発言概要」なる文書の内容自体からは別の目的を窺うことはできないし、あるいは高等教育局長が職務上の必要性も目的もなく、萩生田光一との面談の際の発言を専門教育課の担当官に説明し、専門教育課の担当官にしても、その発言を職務上の必要性も目的もなくメモして、「10/21萩生田副長官ご発言概要」と題する文書を作成して、専門教育課の共有フォルダに職務上の必要性も目的もなく保存しておいたということにしなければ整合性が取れないことになるだけではなく、高等教育局長にしても、専門教育課の担当官にしても、それぞれが職務に関係しない行為をしたことになる。

 であったなら、萩生田光一と高等教育局長の面談自体も職務上の必要性も目的もなく行われたこととしなければ、整合性が取れなくなる。もし職務上の必要性も目的もなかった両者の面談であったなら、高等教育局長は萩生田光一との面談の内容を専門教育課の担当官に説明する必要性も、専門教育課の担当官が説明された発言を文書に纏める必要性も生じなかったはずだ。

 だが、逆の経緯を辿ったということは職務上の意思に基づいた職務上の必要性と目的を以って一連の行為が行われたことになる。当然と言えば、当然、当たり前のことである。

 また、「10/21萩生田副長官ご発言概要」を「個人のメモ」に過ぎないと断定した場合は専門教育課の担当官が他の課員が自身使用のパソコンから誰でも閲覧できる専門教育課の共有フォルダに保存したことと矛盾する。専門教育課の担当官は自身のパソコンの、ほかのパソコンからは覗くことができない個人用フォルダに保存しておかなければならなかったことになるが、そうではなかった。

 要するに職務上の必要性と目的から、他の課員も閲覧可能状態にしておくために共有フォルダに保存しておいたはずで、この点からも「個人のメモ」とすることに無理がある。無理の裏を返すと、文書自体を事実と見なければならなくなる。

 要するに萩生田光一の発言を高等教育局長が職務上の意思に基づいた職務上の必要性と目的から専門教育課の担当官に説明したという点に於いても、専門教育課の担当官がその発言を同じく職務上の意思に基づいた職務上の必要性と目的から「10/21萩生田副長官ご発言概要」として纏めて、その文書を専門教育課の共有フォルダに保存したのは職務上の意思に基づいた職務上の必要性と目的からであり、それらの点に於いても、「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記された萩生田光一の発言は概ね事実と見なければならない。

 概ね事実と看做す正当性は松野博一の記者会見発言「確認された文書については、萩生田副長官とのやりとりについて、専門教育課の担当官が局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容、及び、局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた個人のメモであり」云々からも証明することができる。

 松野博一が「関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えて」と発言していることの意味は、その「周辺情報等」が「10/21萩生田副長官ご発言概要」に占めるメインの情報ではなく、サブに位置する情報であって、あくまでもメインの情報は「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記載されている萩生田光一の発言の大部分であるということの示唆以外の何ものでもない。

 「10/21萩生田副長官ご発言概要」の中身が萩生田光一の発言とは全然別物の「周辺情報等」で大部分を占めていたなら、”補足して書き加えた”という体裁を取らせることはできない。何らかの悪意のもと、大部分が捏造された発言であるという体裁を取ることになる。だが、「関係者から聴取した周辺情報等」を”補足して書き加えた”という体裁を取らせている。

 当然、萩生田光一自身の発言を情報としている大部分の箇所と、「補足して書き加えて」萩生田光一の発言としたほんの少しの情報とで成り立っている「10/21萩生田副長官ご発言概要」であると見なければならない。

 では、問題の文書自体を見てみる。

 10/21萩生田副長官ご発言概要

◯(11月にも国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を含む規制改革事項
 の決定がなされる可能性をお伝えし、)そう聞いている。

◯内閣府や和泉総理補佐官と話した。(和泉補佐官が)農水省とも話し、以
 下3点で、畜産やペットの獣医師養成とは差別化できると判断した。

 ①ライフサイエンスの観点で、ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設
  を備えること。また、国際機関(国際獣疫事務局(OIE)?)が四国に設置
  することを評価している、と聞いたので、その評価していることを示すもの
  を出してもらおうと思っている。
 ②既存大学を上回る教授陣(72名)とカリキュラムの中身を増やすこと、ま
  た、愛媛大学の応用生物学と連携すること。
 ③四国は水産業が盛んであるので、魚病に特化した研究を行うとのこと。

◯一方で、愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存
 の獣医師も養成してほしい、と言っているので、2層構造にする。

◯和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖じ気づ
 いている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官
 邸は絶対やると言っている。

◯総理は「平成30年4月に開学」とおしりを切っていた。工期は24ヶ月でや
 る。今年11月に方針を決めたいとのことだった。

◯そうなると平成29年3月に設置申請をする必要がある。「ハイレベルな教
 授陣」とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しかできませんでし
 た、となると問題。特区でやるべきと納得できるような光るものでないと、で
 きなかったではすまない。ただ、そこは自信ありそうだった。

◯何が問題なのか、書き出してほしい。その上で、渡邉加計学園事務局長を
 浅野課長のところにいかせる。

◯農水省が獣医師会を押さえないとね。

 最初の丸括弧内の「11月にも国家戦略特区諮問会議で獣医学部新設を含む規制改革事項の決定がなされる可能性をお伝えし」の発言主体は高等教育局長であって、それ以外はあくまでも萩生田光一の「ご発言」の形式を取っていて、発言主体は全て萩生田光一である。この中から専門教育課の担当官が「関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加え」たとする、「萩生田副長官の発言でない内容」があるかどうかを洗い出してみる。

 「◯内閣府や和泉総理補佐官と話した。(和泉補佐官が)農水省とも話し、以下3点で、畜産やペットの獣医師養成とは差別化できると判断した。

 ①ライフサイエンスの観点で、ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設
  を備えること。また、国際機関(国際獣疫事務局(OIE)?)が四国に設置
  することを評価している、と聞いたので、その評価していることを示すもの
  を出してもらおうと思っている。
 ②既存大学を上回る教授陣(72名)とカリキュラムの中身を増やすこと、ま
  た、愛媛大学の応用生物学と連携すること。
 ③四国は水産業が盛んであるので、魚病に特化した研究を行うとのこと」

 今治市が2015年6月4日に国家戦略特区指定に向けて内閣府に獣医学部新設を提案し、国家戦略特区3次指定を受けた2015年12月15日の「第18回国家戦略特別区域諮問会議」で、「ライフサイエンスなどの新たに対応すべき分野における獣医師系の国際教育拠点の整備については、6月の改訂成長戦略に即して行います」とか、「獣医学部等々を含むライフサイエンス系の問題にこの地域(四国)が取り組もうとしているところは、私は高く評価すべきであろうかと思います」といった今治市に於ける獣医系の取組みについて触れてはいるが、この「第18回」から萩生田光一の「ご発言」があった2016年10月21日以前の2016年年10月4日の「第24回国家戦略特別区域諮問会議」までのそれぞれの「議事要旨」から、「ご発言」の最初の①から③までの差別化の要件としている3点、「ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設」、「既存大学を上回る教授陣」、「魚病に特化した研究」といった文言、あるいはそれぞれの単語を検索してみたが、この3点に関連する形では一度もヒットしない。

 獣医学部関連でどのような議論があったか、参考までに示すと、2016年9月9日の「第23回国家戦略特別区域諮問会議」では、「例えば、獣医学部の新設は、人畜共通の病気が問題になっていることから見て極めて重要ですが、岩盤が立ちはだかっています」、2016年10月4日の「第24回国家戦略特別区域諮問会議」では、〈先月21日に、今治市の特区の分科会を開催し、『獣医師養成系大学・学部の新設』などについても議論いたしました」、「今治市は、獣医系の学部の新設を要望しています」、「獣医系学部の新設のために必要な関係告示の改正を直ちに行うべきではないかと考えております」といった獣医系学部の必要性に触れているはいるものの、どういった学部や研究が必要とされるのかといった具体的な中身を議論するまでには至っていない。

 今治市が獣医学部新設の資料を提出して議論した2016年9月21日の「今治市特区分科会」でも、〈医療、創薬、医療機器などのライフサイエンス研究において、医学と獣医学との共同研究や連携教育を行っていくことが重要であると考え、構想の段階ではございますが、地域の教育、研究をリードしている愛媛大学との学術連携について、大橋学長を初め、医学部長や研究センターの先生方とは既に面談しており、四国の特性に通じた迅速な危機管理の知の拠点を目指してまいりたいと考えております。〉といった目指す中身についての発言はあるが、獣医学部新設を「構想」する段階であって、他の獣医系大学との差別化を具体的に示す段階にまで至っていない。

 では、専門教育課の担当官は議事録に現れていない①から③までの情報をどこから手に入れて、萩生田光一の発言としたのだろうか。少なくとも「ご発言」以前の上に上げた資料からは取り出すことができない情報であることを以って、萩生田光一の発言そのものだ、「関係者から聴取した周辺情報」ではないと断定したとしても、これを不当とするなら、萩生田光一は10/21萩生田副長官ご発言概要の中で自身の発言ではない箇所を指摘した上で専門教育課の担当官なりを聴取して、どこから入手した「周辺情報」でこのような発言を作り出したのかを聞き出し、その証言を自身の発言ではないことの証拠として国民の前に提示しなければならない。

 そうすれば、「ご発言」をいくら否定しても、離れずに纏わりついたままでいる疑惑を振りほどいて、身の潔白を証明する何よりの手っ取り早い方法となる。「10/21萩生田副長官ご発言概要」を安倍晋三の政治関与に萩生田光一が主導的役割を果たしていることの有力なネタとして野党の国会の場での追及が現在も続いているが、それを完璧に断ち切ることができる。

 「◯一方で、愛媛県は、ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存の獣医師も養成してほしい、と言っているので、2層構造にする」と、「◯和泉補佐官からは、農水省は了解しているのに、文科省だけが怖じ気づいている、何が問題なのか整理してよく話を聞いてほしい、と言われた。官邸は絶対やると言っている」の発言。

 「2層構造にする」と言っていることは愛媛県から「ハイレベルな獣医師を養成されてもうれしくない、既存の獣医師も養成してほしい」との要望があり、その要望をクリアするために獣医学部の新設・認可を画策している側が構想した” ハイレベルな獣医師養成”と” 既存獣医師の養成”の「2層構造」ということであるはずだから、もし文部省自身が獣医学部の新設・認可を画策しているなら、「周辺情報」として補足し書き加えて、さも萩生田光一の発言であるかのように見せかけることもあり得るが、文科省内からほかに確認された加計学園関係の文書を併せ見ても、新設・認可の画策主体は首相官邸となっていて、文科省ではない。

 例えば内閣府から文科省行革室に宛てた2016年11月1日のメールには獣医学部新設に関わる文科省の修正案を、〈「添付PDFの文案(手書き部分)で直すように指示がありました。指示は藤原審議官曰く、官邸の萩生田副長官からあったようです。」の文言が記されていて、添付PDFには獣医学部の地域的新設要件を、〈現在広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域において獣医学部の新設を可能とする(「ことを」が抜けているのか)認めるため、関係制度の改正を直ちに行う〉とあった文科省の修正案を〈現在、広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするため、関係制度の改正を直ちに行う。〉と、改めた箇所のみを手書きで記載しているが、これを見ても、萩生田光一が加計学園獣医学部新設・認可に主導的役割を果たしていて、新設・認可の画策主体は首相官邸であって、決しても文科省ではない。

 つまり「2層構造」云々を文科省が「周辺情報」として補足し書き加えて、さも萩生田光一の発言であるように見せかける必要性は皆無で、この箇所は萩生田光一自身の発言と見なければならない。

 そしてこのメール発信の18日後の2016年11月19日の「第25回国家戦略特別区域諮問会議」で、「広域的に獣医師系養成大学等の存在しない地域に限り獣医学部の新設を可能とするための関係制度を直ちに行う」ことを決定している。

 大体が当時の文科省は獣医学部の新設や定員増は日本獣医師会の反対もあり、抑制措置を講じていた。〈大学、短期大学、高等専門学校等の設置の際の入学定員の取扱い等に係る基準〉(文部科学省告示第45号/2003年3月31日)

 〈2 医師、歯科医師、獣医師、教員及び船舶職員の養成に係る大学等の設置又は収容定員増でないこと。〉

 つまりここに挙げている大学の設置と収容定員増を禁じている。文科省自体は「告示第45号」の手前、「2層構造」であろうと、何層構造であろうと、獣医系の新設・認可そのものは考慮外の姿勢を取っていたはずで、だから、文科省内や国会議員等を納得させるために書き加えて萩生田光一の発言に見せかけたとすることもできるが、
萩生田光一の口を通した和泉補佐官の「文科省だけが怖じ気づいている」との発言と関連づけると、異なる様相となる。

 文科省側が獣医学部の新設や定員増に対して抑制措置を講じていたのに対してこの抑制の扉を安倍晋三と萩生田光一側は強引にこじ開けようとしていたのだから、”怖じ気づく”ところまで行かなくても、慎重な態度を示していたことは窺うことができる。それを「怖じ気づいている」とまで貶めることができるのは「『平成30年4月に開学』とおしりを切ってい」る側であろう。急ぐあまり、なかなか動かない文科省に対して詰る気持ちが働き、「怖じ気づいている」と強い批判的な思いを抱き、そのようは批判を投げつけることで相手を動かそうとするのは人間がよく使う手である。

 このようなよく使う手が成功するのは、成功するから、よく使う手となるのだが、「怖じ気づいている」という批判が何だだらしがないという思いと抱き合わせになっていることを批判する側も批判される側も承知していて、批判する側は相手を発奮させるためために使い、批判される側は批判に反発して発奮せざるを得ない気持ちになるからであろう。

 批判を受けている側が文科省でありながら、その文科省が「怖じ気づいている」等の文科省向けの批判を「周辺情報」から補足し、書き加えて萩生田光一の発言と見せかけたとしたら、滑稽そのものである。漫才で言うと、自虐漫才ということになる。

 要するに文科省の「怖じ気づいている」気持を払拭させるための獣医学部の新設・認可を画策している側からの「ハイレベルな伝染病実験ができる研究施設を備えること」等の既存獣医師系との差別化の3点に亘る提示であり、愛媛県の要望を受け入れるための「2層構造」という説明、つまり萩生田光一自身の発言であって、「周辺情報」から萩生田光一の発言に見せかけるために「周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた」と見ることはできない。

 「◯そうなると平成29年3月に設置申請をする必要がある。『ハイレベルな教授陣』とはどういう人がいるのか、普通の獣医師しかできませんでした、となると問題。特区でやるべきと納得できるような光るものでないと、できなかったではすまない。ただ、そこは自信ありそうだった」は獣医学部の新設・認可を画策している側と画策をお願いしている側(加計学園と愛媛県や今治市)しか知り得ない、本来なら秘密にしておかなければならない情報であり、当然、いつでも利用できるような「周辺情報」の状態で転がっているとは考えられないことになる。

秘密にしておかなければならない情報をなぜ明かしたかと言うと、文科省を協力者に仕立てるために納得させる目的の情報発信とその共有であり、そうである以上、萩生田光一自身の発言と見ないと、整合性が取れなくなる。

 「◯何が問題なのか、書き出してほしい。その上で、渡邉加計学園事務局長を浅野課長のところにいかせる」は発言者のその場での直接的な情報発信であって、「周辺情報」とすることはできない。言っていることの意味は協力を渋っている文科省を動かすための獣医学部新設・認可にどのような問題点があるのかの条件聴取であって、文科省が書き出した条件(=問題点)に加計学園側から答を出させた上で文科省に足を運ばせて、答を説明させ、文科省を納得させて、否応でも動かとそうする腹づもりを示している。萩生田光一の発言そのものでなければならない。

 いずれにしても文科相松野博一が記者会見で、「専門教育課の担当官が局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容、及び、局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた個人のメモ」とはしているが、「個人のメモ」であろうがなかろうが、”書き加えた”という手続きを経ていることが示しているように「10/21萩生田副長官ご発言概要」には萩生田光一自身の発言が含まれていることになり、その発言は全体のメインを構成しいて、「周辺情報等」は「補足して書き加え」たサブを構成しているに過ぎない関係にあることを心得ておかなければならない。

 繰返し言うことになるが、萩生田光一はどれが全体の大部分を占めることになる自身の発言なのか、どれが「周辺情報等」を「補足して書き加えて」萩生田光一の発言に見せかけたほんの僅かな箇所なのかを仕分けた上で、自身の発言が安倍晋三の政治関与指示を受けた加計学園獣医学部新設・認可を画策したものではないことを証明しなければならない。もし萩生田光一が「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記載されている発言全てが自身の発言ではないと全面否定した場合、松野博一の記者会見発言自体を否定することになる。

 つまりこれらの否定は高等教育局長が萩生田光一と面談し、その面談で発した萩生田光一の発言を専門教育課の担当官が「関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加え」る前に萩生田光一が発したのとは異なる発言に作り変えて、専門教育課の担当官に説明したことになる。高等教育局長によって作り変えられた萩生田光一の発言に専門教育課の担当官が他の情報を補足して、気づかないままに、あるいは気づいてした意図的行為なのか、萩生田光一の発言に見せかける作り変えをさらに行ったことになる。

 このような経緯を取ったのかどうか、萩生田光一の否定コメントを見てみる。

 平成29年6月20日

 1.今回の文書については、文科省の一担当者が内閣府など関係省庁や省内の様々な人から聞いた伝聞など不確かな情報を混在させて作った個人メモであり、直属の上司である高等教育局長のチェックを受けていないなど、著しく正確性を欠いたものであるとの説明とお詫びが文部科学省から私に対してありました。このような不正確なものが作成され、加えて、意図的に外部に流されたことについて非常に理解に苦しむとともに、強い憤りを感じております。

 2.いわゆる加計学園に関連して、私は総理からいかなる指示も受けたことはありません。

 3.開学時期については、内閣府から「『国家戦略特区(全般)についてスピード感をもって実施すべき』という内閣全体の方針を踏まえ、速やかに実施したい」、という説明を受けていましたが、具体的に総理から開学時期及び工期などについて指示があったとは聞いていませんし、私の方からも文科省に対して指示をしていません。

 4.官房副長官という立場上、当然のことながら、この時期に開催されていた国家戦略特区諮問会議の関連で文科省を含む各省から様々な説明を受け、その都度、気づきの点をコメントすることはありますが、私は基本的に報告を受ける立場であり、私の方から具体的な指示や調整を行うことはありません。いずれにせよ、私は、政府全体の見地から、職務に当たっており、加計学園の便宜を図るために和泉補佐官や関係省庁と具体的な調整を行うとか、指示を出すことはあり得ません。

 また、私は、愛媛県の関係者と会ったこともなければ、このような県の意向を聞いたこともなく文科省に伝えた事実もありません。

 5.千葉科学大学とは年に数回、私の秘書との間で、学校行事の案内等、事務的な連絡を取り合うことはありますが、私も秘書も渡邊事務局長という方と本件や他の件でもやり取りしたことはございませんし、お名前も存じ上げておりません。従って、私から文科省へ行かせると発言した事実はありません。

 6.いったい誰が何のために作った文章なのか?本当に必要な内容ならば、なぜ文科省内で大臣や副大臣に伝える作業がなかったのか?まったく心当たりのない発言を、私の発言とする文書やメールが、文科省の職員により作成されている意図は分かりませんが、仮に、私の承知していないところで、私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾です。

 内閣官房副長官 萩生田光一

 萩生田光一は「不確かな情報を混在させて作った個人メモ」としている。決して「不確かな情報に基づいて作った個人メモ」とは言っていない。と言うことは、「確かな情報」も「混在させて」いることになる。いわば萩生田光一の発言を発言どおりに正確に伝えている箇所と発言とは趣旨を違えて伝えている箇所が混じっていることになる。

 この” 確か・不確か”の関係は松野博一の記者会見発言、「専門教育課の担当官が局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容、及び、局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた個人のメモ」としている事実関係と対応している。

 ここで「確かな情報」がメインで、「不確かな情報」はサブの関係にあるかどうかは問わない。どちらがメインで、どちらがサブであろうと、さらに「直属の上司である高等教育局長のチェックを受けていない」ことから、「著しく正確性を欠いた」内容だとしていたとしても、萩生田光一が「10/21萩生田副長官ご発言概要」に目を通した際の評価が高等教育局長と面談の際に発した発言どおりに正確に伝えている箇所もあるという事実を認めているという点のみで十分である。そのように認めていることによって、「不確かな情報を混在させて」いると言っていることが正当性を纏うことができるし、松野博一の記者会見発言との整合性を保つことができる。

 当然、萩生田光一はたった一つでもいいから「これが私の発言だ」と指し示さなければならない。もし一つの発言の中で「不確かな情報」と「確かな情報」が「混在」していると言うなら、「この箇所は私の発言で、この箇所は私の発言ではない」と、” 確か・不確か”を峻別しなければならない。そうしないと、「不確かな情報を混在させて作った個人メモ」と説明した自身の発言と矛盾するし、「10/21萩生田副長官ご発言概要」一つで安倍晋三が自らの政治関与によって加計学園獣医学部設置・認可を画策し、その画策に萩生田光一が主導的役割を果たしたとする疑惑は永遠に残ることになるし、いくら身の潔白を言い立てようとも、信じない人間は大勢残ることなって、”疑惑の人”との不名誉な評価を残すことになるだろう。

 「2」から「5」までのコメントは、最初の「1」で「確かな情報」と「不確かな情報」の「混在」が見られるとしていながら、「10/21萩生田副長官ご発言概要」に現れている発言の全面否定となっている。

 「加計学園に関連して、私は総理からいかなる指示も受けたことはありません」、「具体的に総理から開学時期及び工期などについて指示があったとは聞いていませんし、私の方からも文科省に対して指示をしていません」、「加計学園の便宜を図るために和泉補佐官や関係省庁と具体的な調整を行うとか、指示を出すことはあり得ません」、「私も秘書も渡邊事務局長という方と本件や他の件でもやり取りしたことはございませんし、お名前も存じ上げておりません。従って、私から文科省へ行かせると発言した事実はありません」等々、「10/21萩生田副長官ご発言概要」全てを自分の発言ではない「不確かな情報」に基づいて成り立っているとしていて、「不確かな情報を混在させて作った個人メモ」とした自身の言葉が意味させている、「確かな情報をも混在させている個人メモ」としていた要素を頭から無視する矛盾を平気で侵している。

 つまり「2」から「5」までのコメントは「不確かな情報に基づいて作った個人のメモ」という主張に基づいていて、自身が口にした「不確かな情報を混在させて作った個人メモ」と主張したこととは異なっている。「10/21萩生田副長官ご発言概要」の中に「2」から「5」までのコメントどおりに自身が発言した言葉がなければ、最初から「不確かな情報に基づいて作った個人のメモ」という主張になったはずだが、そうならなかったのはどこかに誤魔化しがあるからだろう。

 誤魔化しがあるかどうかは「6」を見れば、明らかになる。文飾は当方。

 萩生田光一は「10/21萩生田副長官ご発言概要」にあるような発言は何一つ発言していないという思いを伝えた上で、「6.いったい誰が何のために作った文章なのか?本当に必要な内容ならば、なぜ文科省内で大臣や副大臣に伝える作業がなかったのか?まったく心当たりのない発言を、私の発言とする文書やメールが、文科省の職員により作成されている意図は分かりませんが、仮に、私の承知していないところで、私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾です

 今更ながらにコメントの文飾した箇所が意味することに気づいて、自分の鈍感さに呆れたが、気づいて、瞬間的に思ったことは萩生田光一は質の悪い冗談を言っているのではないのかということであった。

萩生田光一の名前が文科省内で「難しい政策課題の調整を進めるために使われていたのではないのか」

 既に前のところで、〈文科省内からほかに確認された加計学園関係の文書を併せ見ても、新設・認可の画策主体は首相官邸となっていて、文科省ではない。〉と書いたが、「10/21萩生田副長官ご発言概要」にモロに現れているように、文科省のどの文書に於いてもそうであるように、愛媛県の加計学園関係の文書でも同じ構図を取っているのだが、問題となっているのは不正な行政手続き・独断的な政治関与で加計学園の獣医学部新設・認可を画策した主体が官邸、つまり安倍晋三自身であり、実働部隊の面から画策の主導的役割を果たしたのは萩生田光一ではないかと目されていたが、そのこととは無関係に文科省が「難しい政策課題」、つまり加計学園の獣医学部新設・認可を実現するためにそれなりの威光を持ち、人を動かす力を持つ萩生田光一の名前を利用したとの趣旨の発言となる。

 と言うことは、画策主体を安倍晋三や萩生田光一から切り離して、文科省に移したことになる。我々は何も関係がない。名前を利用されただけだと。

 萩生田光一が「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記載の自身の発言を全面否定し、そこに「官邸は絶対やると言っている」、「総理は『平成30年4月に開学』とおしりを切っていた」との発言が記載されていることから正式な行政手続きを経ない加計学園の獣医学部新設・認可の画策主体が首相官邸・安倍晋三であることを示しているにも関わらず、その画策主体を首相官邸・安倍晋三から切り離して文科省に移したこと、少なくとも加計学園の獣医学部新設・認可の陰謀を巡らせていたのは文科省ということにして、萩生田光一が言うとおりに自身の名前が「省内の調整」(=加計学園の獣医学部新設・認可)を「進めるために使われ」たが事実とするなら、「10/21萩生田副長官ご発言概要」は文科省の手によって作成された全面的な創作・ストーリーということにしなければならないし、加計学園の獣医学部新設・認可の画策主体が首相官邸・安倍晋三であることを窺わせる加計学園関係の他の文書、そして上に挙げた内閣府から文科省行革室宛てのメールを含めて、同じく加計学園の獣医学部新設・認可の画策主体が首相官邸・安倍晋三であることを窺わせる全てのメールも、文科省だけではなく、内閣府も加わって自分たちの手を煩わせて作成した全面的な創作・ストーリーということにしなけれが、辻褄が合わなくなってくる。

 つまり官邸に対する壮大な謀反である。安倍晋三やその腰巾着である腹心萩生田光一の与り知らないところで加計学園の獣医学部新設・認可が進められていた。だが、加計学園の獣医学部新設・認可は正式な手続きとしては安倍晋三を議長とする国家戦略特区諮問会議の場で進められてきたという経緯がある上に文科省が「怖気づく」ことなく、官邸に積極的に協力すれば、自ずと実現することなのだから、その実現が文科省や内閣府、その他の謀反からとするのは妄想と片付ける以外にない。

 実際には萩生田光一がコメントの、「6.」で「仮に、私の承知していないところで、私の名前が、難しい政策課題について、省内の調整を進めるために使われているとすれば、極めて遺憾です」と言っていることとは逆に萩生田光一自身が「省内の調整を進め」ていた。

 そうしなければ、加計学園関係の他の文書やメールとの整合性、松野博一が記者会見で「確認された文書については、萩生田副長官とのやりとりについて、専門教育課の担当官が局長から説明を受け、萩生田副長官の発言の内容、及び、局長が副長官に行った説明内容に関係者から聴取した周辺情報等を補足して書き加えてとりまとめた個人のメモ」としていることによって、「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記載されている萩生田光一の発言がメインとなっていることを示していることとの整合性、萩生田光一がコメントの最初で「今回の文書については、文科省の一担当者が内閣府など関係省庁や省内の様々な人から聞いた伝聞など不確かな情報を混在させて作った個人メモ」であるとしたことによって”正確な情報も混在している”ことになることとの整合性が一切取れないことになる。

 つまり萩生田光一は「10/21萩生田副長官ご発言概要」に記されている自身の発言を全面否定してはならなかったし、全面否定することはできなかった。全面肯定こそ、一切の整合性が整う。にも関わらず、全面否定した。「10/21萩生田副長官ご発言概要」が萩生田光一自身の「ご発言」としなければならない理由がここにこそある。


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安倍晋三の「受験生の都合」に合わせたのではない「政治の都合」に合わせた公平性欠如云々の英語民間試験中止

2019-11-04 12:32:09 | 政治
 現行の大学入試センター試験の後継、2020年度からの大学入学共通テストでの導入が決まっていた英語民間試験について安倍晋三の子分中の子分、教育行政を与る、当然、教育問題に精通しているはずの、いわば教育について一家言を有しているはずの文科相萩生田光一センセイが一躍脚光を浴びた。2019年10月24日民放BS番組での発言が原因で、翌日のマスコミが一斉に取り上げた。

 その発言を詳しく伝えている2019年10月25日付「J-CASニュース」から纏めてみる。

 キャスター反町理(そりまちさとし)「『お金や場所、地理的な条件などで恵まれている人が受ける回数が増えるのか、それによる不公平、公平性ってどうなんだ』との声があるが、どのような見解をお持ちか」(解説文を会話体に直す)

 萩生田光一センセイ「そういう議論もね、正直あります。(でも、)それ言ったら、『あいつ予備校通っていてズルいよな』と言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば。

 人生のうち、自分の志で1回や2回は、故郷から出てね、試験を受ける、そういう緊張感も大事かなと思う。
できるだけ近くに会場を作れるように今、業者や団体の皆さんにはお願いしています。できるだけ負担がないように、色々知恵出していきたい。実施団体に受験料軽減もお願いしている」――

 英語民間試験は2020年度から開始予定の大学入学共通テストで活用することを決めていた。萩生田光一センセイの発言は全て2020年度開始に間に合う内容となっている。

 英語民間試験について「コトバンク」が次のように解説している。〈2020年度の受験生から対象となる大学入学共通テストでは「読む・聞く・話す・書く」という英語の4技能を測る。グローバル化を意識した取り組みだが、特に「話す」のテストを一斉に実施することは困難なため、文部科学省は民間試験の活用を決めた。初年度は英検やGTEC、TOEICなど8種類が利用され、原則として高校3年の4~12月に受けた最大2回の成績が出願先の大学に提供される。大きな転換に配慮し、23年度までは入試センターが「読む・聞く」の2技能を測る試験を続ける予定だ。〉

 要するに英語の入試に関しては2020年度から2023年度までは「読む・聞く」は入試センターが担当、「話す・書く」を民間が担当、2024年度からは「読む・聞く・話す・書く」全ての試験に民間試験を導入する予定を立てていた。
受験生は共通IDを取得した上で、そのIDを使ってケンブリッジ大学英語検定機構や日本英語検定協会、ベネッセコーポレーション、その他の民間団体が実施する希望する英語試験を最大2回受験が可能で、その2回分のスコアを大学入試センターを通じて受験する大学に提供、各大学の判断で出願資格や合否判定に使われる仕組みだという。

 例え3回受験したとしても、自動的に試験日程が早かった順に2回分の成績のみが採用される仕掛けになっていると言う。

 となると、萩生田光一センセイが「裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど」と言っていることは、英語の成績を上げる有利な状況を手に入れるために入学目標の大学に成績が提供される共通IDを使った2回の英語試験のあとに何回受けても意味はないから、2回受験する前に共通IDを使わずに何回か受けて、問題の傾向を探り、対策を練った上で共通ID使用の正式な試験を2度受けるという手を使うことも可能となる。

 各事業者の受験料は低所得世帯の受験生は2割引といったところもあるようだが、マスコミ報道を見ると、5800円から2万5000円までの差があり、2割引を前程とすると、5800円の2割引は4640円。2回で9280円。、2万5000円の2割引は2万円。2回で4万円の受験料の計算になるだけではなく、英語以外の大学入試センター試験の1次の受験料が、ネットで調べてみると、3教科以上が1万8000円、2教科以下が1万2000円で、成績通知を希望する場合はプラス800円。国公立大の2次試験が1校につき平均で1万7000円、私立大が1校につき平均で約3万5000円、4万円から6万円もかかる場合もあると言うから、英語民間試験に限ったとしても、正規の2回の試験で手一杯という低所得世帯の受験生も出てくることになり、萩生田光一センセイが宣っているように「裕福な家庭の子」だけが回数受けることができるメリットを独占できる可能性は否定できない。
この状況は日本国憲法第3条が「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と保障している「教育の機会均等」を弱める役割を政府自らが果たしていることになる。

 そしてその先頭に教育行政を与る文科相として萩生田光一センセイ自身が立って、「自分の身の丈に合わせて」云々と「教育の機会均等」何のそのの旗振り役を担った。

 萩生田光一はこの発言の批判を受けると、10月28日のぶら下がり会見で、「どのような環境下にいる受験生も自分の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせて適切な機会をとらえて、2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言したものだった」と釈明。翌10月29日の記者会見でも、「昨日、ぶら下がりの会見の中でも説明させて頂きましたけれども、私はどのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて、英語試験ですけれども、2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです。しかしながら、結果として国民の皆様、特に受験生の皆さんに対して不安や不快感を与えることになってしまったと考えており、改めてお詫びを申し上げるところでございます」と釈明している。

 さらに10月30日の衆院文教委員会冒頭に発言を求めて、同じような釈明と謝罪のコメントを発している。

 委員長「この際、萩生田文部科学大臣から発言を求められておりますので、これを許します。萩生田文部科学大臣」

 萩生田光一「委員会の冒頭発言の機会を頂き、御礼を申し上げます。

 先週10月24日の私のテレビ番組に於ける大学入試英語成績提供システムに関する発言について、その発言の真意はどのような環境下にいる受験生に於いても自分
の力を最大限発揮できるよう、自分の都合に合わせて適切な機会を捉えて、次回の試験を全力で頑張ってもらいたいという思いで発言をしたものです。

 しかしながら、結果として国民の皆様、特に受験生の皆様に対して不安や誤解を与えることになってしまったと考えており、一昨日発言を撤回しました。改めて。この場をお借りして、国民の皆様に、特に受験生の皆様にお詫びを申し上げる次第であります。
私としては英語試験実施団体に対して需要に応じた実施会場の確保などを求めると共に離島に居住する高校生等が離島外で検定試験を受験する際の費用の補助経費を概算要求するなど、今後とも受験生や高校関係者の不安の解消に向けて全力で取り組んで参りたいと思います。

 引き続き委員長、理事、または議員各位のご指導、ご鞭撻を賜りますようによろしくお願い申し上げます」

 かくかように「自分の身の丈に合わせて」を「自分の都合に合わせて」に言い換えている。

 「自分の身の丈に合わせて」が萩生田光一という政府の人間が受験生に対して口にした要望である以上、上からの指示に対する従属性を要求するニュアンスを自ずと持つことになる。当然、「自分の都合に合わせて」に言い換えたとしても、従属性の要求であることに変わりはない。

 自分の将来を決める重大な進路をただでさえ経済的に「自分の身の丈」に合わせなければならない、あるいは「自分の都合」に合わせなければならない境遇は悲しい。政
治がそれを救済するのではなく、「合わせて」と要望して、憲法が保障している「教育の機会均等」を弱める役割を気づかないままに果たしている。

 「自分の身の丈に合わせて」を「自分の都合に合わせて」に言い換えたとしても、萩生田光一の責任は大きい。

 この10月30日の文教委員会で国民民主党の城井崇(きいたかし)が、「新聞報道によると英語民間試験延期論が政府内あると言うが」と質問している。

 城井崇「国民民主党の城井崇(きいたかし)です。共同会派『立国社』。本日1番バッターとして質問の機会頂きました。ありがとうございます。

 誰もが望めば、学ぶチャンスを掴める。スタートラインに立てる日本にしていくべく、今日も質問をさせて頂きたいと思います。今日は文部科学大臣、そして文部科学副大臣、そしてオリパラ担当大臣とそれぞれ政務三役に質問を申し上げますので、宜しくお願い致したいと思います。

 先ず冒頭、本日の報道で確認をすべき内容が出てまいりましたので、この段階(?)での通告を申し上げて、お答え頂くようにお願いを致しました。

 大臣にお伺い致します。本日2019年10月30日読売新聞朝刊一面に『英語民間試験延期論、政府内』、こうした内容の記事が出ました。事実でしょうか、フェイクニュースでしょうか。事実関係について大臣、お答えください」

 萩生田光一「お答えします。文部科学省としてはご指摘の議論については承知はしておりません。いずれにせよ、文科省としては英語成績提供システムについては高等学校、大学関係者の合意に基づいた方針によるものであり、受験生がこの実習を念頭に既に準備を進めていきてることから受験生等の不安や懸念を一つ一つ解消し、2020年度からの円滑な実施に向けて全力で取り組んでいきたいというふうに考えております」

 城井崇「承知をしていないとお答えでしたが、政府内での議論との報道でした。事実確認を頂けますでしょうか」

 萩生田光一「あの、文科省としては全く、その議論には組みしていないのですが、まあ、総理のどっかでそういう話があるとすれば、確認をきちっとしたいと思います」

 城井崇「当委員会に報告を頂きたいと思いますが、委員長、如何でしょうか」

 委員長「後刻理事会で協議致します」

 城井崇の質問に対して萩生田光一は「(延期の)議論には組みしていないのですが、まあ、総理のどっかでそういう話があるとすれば、確認をきちっとしたいと思います」と答弁している。「組みしていない」という発言ははっきりと聞き取れなくて、何回も聞き直したが、あとの「総理のどっかでそういう話があるとすれば」と言っていることから、その延期の議論に文科省は加わってはいないという意味で「組みしていない」と答弁したはずである。

要するに総理周辺で延期論があるとしても、文科省にしても萩生田光一自身にしても与り知らない(関与していない)という意味を取る。

 ところが、2日後の11月1日の記者会見で萩生田光一は英語民間試験の延期を告げることになった。

 萩生田光一「お早うございます。続いて私から大学入試英語成績提供システムにかかる今後の方針について報告をさせて頂きます。

 私は就任以来、試験を受ける高校生のことを一番に思いながら、英語民間試験活用のための大学入試英語成績提供システムのあり方について、これまでの進捗状況を冷静に分析しつつ、多くの方々の意見を聞きながら慎重に検討を行ってまいりました。

 そうした中、先日私の不用意な発言で高校生をはじめとする皆様に大変なご迷惑をおかけしたが、この間もさらに多くの方々からご意見を頂くこととなり、より一層現状の課題を浮き彫りにすることができましたた。

 文部科学省としては大学入試センターを通じてということもあり、民間試験団体との連携・調整が十分でなく、各大学の活用内容、民間試験の詳細事項等の情報提供不足等、準備の遅れに繋がることとなりました。ここまで準備を進めて頂いた試験団体の皆様にもご迷惑をおかけをすることになりした。

 大学入試英語成績提供システムは現時点に於いて経済的な状況や居住している地域に関わらず等しく安心して試験を受けられる配慮など、文部科学大臣として自信を持って受験生の皆さんにお勧めできるシステムにはなっていないと判断せざるを得ません。

 これ以上、決断の時期を遅らせることは混乱を一層大きくしかねないため、ここに来年度からの導入を見送り、延期することを決断を致しました。私の耳にはこれまで頑張って英語の勉強をしてきた高校生の声も届いていますし、皆様にはご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ない気持です。

 最後に私から言わなければならないことがあります。それは今後の話です。子どもたちに英語の4技能を身につけさせることはこれからのグローバル社会に必ず必要です。それを入試でどのようにして評価していくのか。できるだけ公平で、アクセスしやすい仕組みはどのようなものなのか。新しい学習指導要領で初めて実施をする、令和6年度に実施される大学入試に向けて私のもとに検討会議をつくって、今後1年を目途に検討をし、結論を出したいと思います。

 また、多面的・総合的に学力を評価しようとする高大接続改革を引き続き着実に進めてまいります。

 令和2年度から開始する大学入学共通テストの記述式問題の導入など大学入試改革については円滑な実施に向けて万全を期してまいりたいと思います。

 今回の件について受験生を始めとした高校生、多くの皆様に対する私の気持ちをメッセージとしてお伝えをしたいと思いますので、協力をお許しください。

 『文部科学大臣の萩生田光一です。皆様の令和4年度(令和3年度実施)の大学入試に於ける民間英語試験活用のため、大学入試英語成績提供システムは導入を見送ることをお伝えします。

 大学入試に於ける英語民間試験に向けて今日まで熱心に取り組んでいる高校生も多いと思います。今回の決定でそうした皆様との約束を果たせなくなってしまったことを大変申し訳なく思っております。

 英語民間試験を予定通り実施するかどうかに関しては高校生を始め、多くの皆様から賛成、反対、様々な意見を頂いてきました。私としては目標の大学に向けて英語試験の勉強を重ねている高校生の姿を思い浮かべながら、当初の予定通りのスケジュールで試験を実施するために連日取り組んでまいりました。

 しかし大変残念ですが、英語教育充実のために導入を予定してきた英語民間試験を経済的な状況や居住している地域に関わらず等しく安心して受けられるようにするためにはさらなる時間が必要だと判断するに至りました。

 大学試験における新たな英語試験については新学習指導要領が適用される令和6年度に実施する試験から導入することとし、今後1年を目途に検討し、結論を出すこととします。皆様が安心して受験に臨むことができる仕組みを構築していくことを改めてお約束を申し上げます。

 今回文部科学省としてシステムの導入の見送りを決めましたが、高校生にとって『読む・聞く・話す・書く』といった英語4技能をバランスよく身につけ、目指すことは大切なことは変わりはありません。

 グローバル化が進展する中で英語によるコミュニケーション能力を身につけることは大変重要なことです。皆様にもこれからの日々の授業を大切にすることにそれぞれの目標に向かって努力を積み重ねて頂きたいと思います』。私からは以上です」

 萩生田光一の以上の発言を纏めると、「大学入試英語成績提供システムは現時点に於いて経済的な状況や居住している地域に関わらず等しく安心して試験を受けられる配慮など、文部科学大臣として自信を持って受験生の皆さんにお勧めできるシステムにはなっていないと判断せざるを得ない」から、延期を決めたとなる。

 要するに経済的な状況や居住している地域に関係しない公平性を獲得する点に於いて準備不足だった。

 だが、萩生田光一はこの公平性欠如を一旦は「自分の身の丈に合わせて」と、そう要望することでたいした問題ではないとした。だから、城井崇の「政府内に延期論があると報道にあるが」の問に対して「文科省としては英語成績提供システムについては高等学校、大学関係者の合意に基づいた方針によるものであり、受験生がこの実習を念頭に既に準備を進めていきてることから受験生等の不安や懸念を一つ一つ解消し、2020年度からの円滑な実施に向けて全力で取り組んでいきたいというふうに考えております」、あるいは「文科省としては全く、その議論(延期論)には組みしていない」と答弁することができた。

 萩生田光一は、自身では気づかないままに憲法が保障している教育の機会均等に触れることになる受験料が高額となることの経済的な状況から受ける公平性の欠如や試験会場の遠近によって生じる居住している地域から受ける公平性の欠如を重点的に挙げているが、一番大事な公平性の欠如は異なる事業者の英語民間試験を受けることによって一つの大学で英語の試験問題が違ってくることにあるはずだ。

 同じ大学を受験するのに英語の試験に限って違う問題を解かなければならない。そしてそれぞれの民間団体が採点したスコアの提供を受けて、異なる試験問題を解いた回答に対するスコアであるにも関わらず、全てのスコアを同じ水平上に置いて大学は合否を決定する公平性の欠如である。

 公平性の確保を言うなら、少なくとも1つの大学につき1つの同じ英語の問題となる同一大学・同一英語試験問題でなければならないはずだ。いくらでも受験料を出す余裕のある親の経済状況に恵まれている受験生は全ての英語民間試験を試しに受験してみて、難しいか易しいか、あるいは自分の英語知識にマッチしているいないかを見極めることができて、当然、そこに公平性の欠如、あるいは公平性の格差が生じる。

 同一大学・同一英語試験問題でないことの公平性の欠如を問題にする国会質問も、記者会見での記者の質問も、ないように見える。そのような質問があったなら、萩生田光一は延期の理由の一つとしてこの問題を公平性の欠如の一つに加えていただろう。

 もし純粋に「受験生の都合」に合わせた民間英語試験の延期であるなら、同一大学・同一英語試験問題とはなっていないことをこそを解決しなければならない公平性の問題であるはずでありながら、それを抜きにしていること、10月30日の文教委員会では「2020年度からの円滑な実施に向けて全力で取り組んでいきたい」と答弁していながら、2日後の11月1日の記者会見で突如として延期を公表したということは、その記者会見が閣議後のことであることから、閣議で延期するよう、安倍晋三から直々に因果を含ませられた、いわば「政治の都合」に合わせた英語民間試験中止であって、公平性欠如云々は口実に過ぎないだろう。

 「身の丈」発言が実際には抱えている悪質さを暴かれた場合の内閣への打撃を早々に回避する思惑を理由とした延期と見ることもできる。

 「話す・書く」の英語の技能を測る方法としてテレビ会議形式の方法を採用すれば、同一大学・同一英語試験問題の採用が可能となり、県庁や市役所、あるいは都道府県に散在する公立大学の講堂、あるいは教室を試験会場とすることができて、試験会場が遠過ぎるという問題は解決できるだろうし、試験会場の費用も抑えることができるのではないだろうか。

 テレビ会議の機器を既に設置している大学や公共施設も存在しているはずだ。

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松山政司の台風19号の甚大な被害を脇に置いた、八ッ場ダムの効果一つで自民党の公共土木事業を誇るゲス根性と安倍晋三の綺麗事答弁

2019-10-28 11:31:21 | 政治

 台風第19号が2019年10月12日19時前に強い勢力で静岡県伊豆半島に上陸、その後、関東甲信地方を通過、東北地方へと進み、10月13日未明に福島県沖の太平洋上に抜け、宮城県から岩手県の沖を北東に進んで記録的な広範囲に亘る記録的な大雨をもたらした末に10月13日12時に日本の東で温帯低気圧に変わった。

 10月13日朝までに東京、栃木、静岡、長野、宮城、福島、茨城、岩手の8都県から自衛隊への災害派遣要請があり、全国で14都県391市区町村それぞれに10月12日付で災害救助法の適用を決定したと10月19日に内閣府が公表しているから、どれ程に広範囲に大雨を降らせ、どれ程に甚大な被害をもたらしたか、理解できる。

 台風19号の被害状況を伝える、別の内閣府記事から河川の状況を見てみる。

 (2019年10月26日6時00分現在・内閣府非常災害対策本部)
 国管理河川堤防決壊12箇所(20日に12箇所全ての仮堤防が完成)
 県管理河川堤防決壊128箇所

 死者、行方不明者、負傷、家屋浸水等を伝えている消防庁の報告から被害状況を見てみる。

 令和元年台風第19号及び前線による大雨による被害及び消防機関等の対応状況(第31報)
(これは速報であり、数値等は今後も変わることがある。)
 2019年10月27日(日)16時00分
 消防庁災害対策本部
 ※下線部は前回からの変更箇所

 死者90人(うち関連死1人)
 行方不明者9人
 重症38人
 軽症409人
 家屋全壊603戸
 家屋半壊3124戸
 家屋一部損壊4786戸
 床上浸水33158戸
 床下浸水36057戸

 マスコミ報道によると、この死者の7割が60歳以上だそうだ。常に災害弱者を直撃する。河川の決壊は西日本豪雨の際は25河川37か所だったそうだが、今回は国と県管理の河川で5倍強の合計140箇所となっている。

 その他、水道管破裂や浄水場浸水により断水が各地で起こった。これもマスコミ報道だが、浸水した面積は2018年7月の西日本豪雨の約1万8500ヘクタールを超えて、約2万3000ヘクタールに達したという。農林水産業の被害については安倍晋三が2019年10月25日夕方の首相官邸開催の「非常災害対策本部」で、「現時点で1000億円余りに上る」と発言したそうだ。

 かくかように台風19号は記録的な大雨と強風を広範囲にもたらし、甚大なまでの記録的な被害を与えた。この状況は自然の猛威に対して無力であることを思い知らすことになる。大きな自然災害に襲われるたびに改めてのように「無力」を突きつけられる。

 「無力」であるということは、自然災害に手も足も出ない状況を言う。勿論、国は自然災害の猛威に対してそれを防ぐ公共土木事業を積み重ねてきた。だが、現実問題として一方で手も足も出ない状況を目撃させられることになる。と言うことは、公共土木工事にいくらカネを積み上げても、カバーしきれない状況が引き続くことになるという事実を否応もなしに突きつけられることになる。

 政治側から言わせると、公共土木工事にカネを注ぎ込まなければ、もっと手も足も出ない状況を招くことになると言うだろうが、自然災害が場所を選んでくれればいいが、そうではないし、いくら可能な限りカネを注ぎ込んできたとしても、あるいはこれから可能な限りいくらカネを注ぎ込もうとも、防災・減災の公共土木工事で日本国土の全ての面を残らずカバーできるわけではないから、手も足も出ない状況は引き続くことになる。つまり公共土木事業が自然災害を追いかける状況の追っかけっこを続るという限界を抱えることになる。

 このような限界を抱え込まざるを得ない以上、少なくとも今現在、抱え込んでいる以上、自然災害の猛威を防ぐための人間の可能性に謙虚に向き合い、これまでの公共土木事業に何が足りなかったのかを検証して、その検証を通して何が必要なのかを拾い出さなければならないはずだ。

 台風通過から3日後の2019年10月16日の参議院予算委での自民党松山政司の質問と安倍晋三の答弁にこのような謙虚な手続きを窺うことができただろうか。

 松山政司「自由民主党の松山政司でございます。本日は大きな節目の200回の国会の参議院予算委員会、2日目、政審会長としてトップバッターを務めさせて頂きます。これから片道方式ですので、時間の制約もありますので、少しだけ駆け足などで質問させて頂きますのでよろしくお願い致します。

 質問に先立ちまして、先ず凄まじい豪雨と強風を伴い、また広い範囲で甚大な被害をもたらした台風19号、そして先月猛烈な強風などによって千葉県を初めとして大きな損害を与えた台風15号、こられの度重なる自然災害によって亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げ、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

 現在政府ではこの度の台風19号につきましては、被害の全容の把握と共に消防や警察、自衛隊、海上保安庁などが救助と捜索に全力を挙げてくれています。電力網、道路、鉄道網の寸断、農地などの生産施設の被害が大きく、迅速かつ手厚い支援が必要です。私ども自民党は即座に緊急役員会を開きまして、被害状況を聴取させて頂いて、非常災害対策本部を設置しました。

 昨日も早朝から、朝8時から急遽180名の議員の出席のもとにこの対応について協議をいたしました。政府が各自治体と緊密な連携を持って頂いて、人命の最優先、そして被害が拡大しないように、また復旧・復興に向けて全力を挙げて頂くよう強く申し入れたところであります。数十年に一度という自然災害が毎年、毎月のように襲ってくる時代です。私の地元福岡も、多くの方が犠牲となられた九州北部豪雨から毎年のように大雨災害に見舞われています。

 福岡、佐賀、長崎を始め、九州3県、九州を襲ったこの8月の豪雨災害、これも観測史上1位の記録的な大雨となりまして、各市の河川が氾濫をしまして、そして市街地で広範囲な冠水が発生しました。

 被災した自治体から話を伺いますと、被害を受けた方々の生活、あるいは生業を一日も早く取り戻すためには復旧・復興事業すぐに進めたいけれども、政府からの財政支援、これが決まらないうちはなかなか決めかねるとは、そういう声がございます。

 現場で激甚災害の迅速な指定などを通じて政府が必要な支援を行っていくという強い姿勢は、これを示すことが不可欠であります。我々自民党が強く要望しておりました8月号豪雨から台風17号にかけまして、この災害に対して政府から一連の災害を纏めて、激甚災害の指定をして頂くという異例の対応を示して頂きました。この纏めて指定をして頂くことで幅広く地域が指定しやすくなるという画期的な対応であります。今回の台風19号による被害が明らかになりつつある今、これも既に激甚指定の方針を固めたとのことでございますけれども、是非とも速やかな対応を重ねてお願いしたいと存じます。

 そこで今回の台風19号含めて、被災地で救援を待たれている方、あるいは不安を抱えながらも、迅速な復旧・復興を願い、懸命に頑張っていこうとしてる方々に安倍総理から全力で取り組んでいくという力強いご決意を改めてお願いしたいと思います。

 安倍晋三「台風19号はですね、大雨特別警報が13都県に発表され、極めて広範囲に亘る甚大なの被害となっていることから、13日に非常災害対策本部を設置しました。政府一丸となって全力で対応に当たっているというところであります。警察、消防、海上保安庁、自衛隊の部隊が人命第一として救命・救助活動や、あるいは行方不明者等の捜索に全力で当たっておりますが、ライフラインの早期回復、被災地のニーズを踏まえた生活必需品のプッシュ型支援を今進めており、先手先手で対策を講じてきているところでございます。

 また8月下旬の九州北部地方を中心とする大雨では多くの浸水被害が発生したほか、浸水により佐賀県大町町の鉄工所から流出した油が家屋や農地に流入をしました。9月には台風第15号の記録的な暴風雨により関東地方を中心に大規模かつ長期の停電が発生すると共に約4万棟の一部破損等の住家被害が報告をされております。政府に於いては九州北部での豪雨や台風第15号を含む8月から9月の前線等に伴う大雨による災害を激甚災害に指定したところでございますよ。

 そして、先程来、答弁させて頂いておりますが、台風第19号による災害についても激甚災害に指定する方向で調査を進めてまいりますが、どうか自治体のみなさんはですね、躊躇することなく安心をして必要な対応を取って頂きたいと思います。

 加えて人家の被害については被害の実態に即して、九州北部の大雨では流出した油による被害を台風第15号では豪雨による被害を加味した被害認定調査を行うこととし、一部損壊についても、災害救助法の選定を拡充し、そして屋根等に日常生活に支障をきたす程度の被害が生じた住宅については支援の対象にするなど、被災地のニーズに応じて弾力的な対応ができるよう取り組んできたところであります。

 引き続き台風19号による被災者を含め、被災者の皆様が1日も早く安心した生活を取り戻せるようですね、被災地自治体と緊密に連携をしながら、この我々政権としても、何回かの災害を経験をしてきたところでございますが、こうした経験、反省点も踏まえながら、先手、先手で対応していかなければならないと、こう思っておりますが、被災地のみなさまに寄り添った復興に全力を尽くして参ります」

 松山政司「しっかりした、また力強いご支援のご決意、ありがとうございました。

 次に昭和33年に1200人以上の犠牲者を出した狩野川台風は、これに匹敵する程の強力かつ巨大な台風と言われた台風19号、数多くの河川が決壊し、氾濫を致しました。そこで治水対策についてお伺いしたいと思います。

 報道によりますと、利根川では八ッ場ダムが大量の洪水を止めたとされています。八ッ場ダムといえば、『コンクリートから人へ』という掛け声のもとで紆余曲折
を経てきたと記憶していますが、この台風19号での八ッ場ダムの効果について赤場国土交通大臣にお伺いします」

 赤羽一嘉「今回の台風19号では八ッ場ダムがある利根川におきまして大変な記録的な大雨となりまして、10時間に亘りまして氾濫危険水位を超過する状況でございました。実は13日の未明、夜中の2時ぐらいだったと思いますが、関東地方整備局がこの埼玉県加須市で堤防から越水する恐れがある旨を発表するなど大変な切迫した状況でございました。最終的にはですね、計画高水位(堤防などを作る際に洪水に耐えられる水位として指定する最高の水位)、あと30センチまで迫ったギリギリのところで上昇が止まりまして、越水を回避することができましたが、これは分析するにですね、下久保ダムですとか、八ッ場ダムを含めた上流のダム群、渡良瀬遊水地に於いて洪水を貯留したことが大きな原因だったというふうに分析をしております。

 この八ッ場ダムの洪水調節容量はですね、計画上6500万立方メートルでございまして、ここの全ての既設のダムで確保してきた洪水調節容量の約1億1千万立方メートルの約6割に相当する大変大きなものでございます。利根川流域の住民の安全な暮らしに大きく寄与するものと考えております。

 今回のですね、台風19号に際しましてはたまたまと言うか、本格的な運用前に安全性を確認するためにですね、試験的には水を貯めるオペレーションをこの10月1日に開始したばかりではございまして、まだ水位が低かったことからですね、結果的には予定の容量より多くですね、約7500万立方メートルを貯留することができたところでございます。

 こうしたインフラ整備は防水、防災、減災が主流となる安全安心な社会づくりの根幹を成すものだというふうに考えてもおりますし、八ッ場ダムにつきましても昭和42年から施行でございますので、今年度中の完成に向けて、引き続きしっかりと取り組んでいきたいと考えております」

 松山政司「極めて大きな効果を出し、住民の命を守ってくれたと。本当にインフラ整備というものはキャッチフレーズだけで語るようなものではなく、着実にそして計画的に実施をすることが極めて重要であると改めて申し上げたいと思います。

 関連してさらに計画的な公共投資、国土強靭化に関してお尋ねしたいと思います。ただ今申し上げましたようにこの一連の激甚化する自然災害などの状況に鑑みれば、事前防止等のためのインフラ整備は極めて重要であります。防災、減災、国土強靭化ののための3カ年緊急対策は、令和3年度に終了します。しかしそれ以降も、高度経済成長期に整備されたインフラの老朽化対策、これは喫緊の課題でもあります。また、これらの対策を担う国、地方の公共団体の職員や現場の担い手の確保、これも含めて防災、減災、国土強靱化にしっかりと取り組むことが重要だと考えています。加えて、来年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、その大イベントが終了した後の経済動向についても、下振れリスクが顕在化しないよう、一過性ではない経済対策、事前にしっかりと完成させておくことも重要であります。

 このような観点から国民のより一層の安心・安全の確保を確かなものとするために、そして生産性の向上による経済の好循環を実現するためにも将来世代に亘って投資効果が享受できる公共投資、国土強靭化は益々重要性を増していくと思いますが、安倍総理のお考えをお聞かせください」

 安倍晋三「インフラの整備については今まで様々な議論が行われてきたところでございます。当然インフラを整備するためにはですね、これは予算が必要であります。国民の税金からなるものでありますし、国債を発行する場合がある。そのときに後世にツケを回すのではないかという我々、緊張感を持たなければならないのでございますが、同時に例えば今八ッ場ダムの例を挙げられました。大変な、これは財政的な負担もあったのでありますが、これは果たして、では後世に負担を残したのかと言えばですね、当然、それはこの財政に対してこれは国民みんなで幾世代に亘ってですね、対応していかなければならないものでありますが、同時にですね、まさに国民の後世の人たちの命を救うことにもなるわけであります。

 そういう緊張感の中で正しい判断をしていくことが大切だろうと、こう思うところでございます。平成の時代は大きな自然災害が相次ぎ、昨年から今年にかけても、集中豪雨、地震、激しい暴風、異常な猛暑など異次元な災害が相次いでおります。災害への対応はもはやこれまでの経験や備えだけでは通用せず、命に関わる事態を想定外と片付けるわけにはいきません。

 そのため、防災、減災、国土強靱化のための3カ年緊急対策を取り纏め、ハードからソフトまであらゆる手を尽くし、集中的な取り組みを進めているところであります。この緊急対策を講じた後も、国土強靭化基本計画に基づき必要な予算を確保した上でオールジャパンで国土強靭化を強力に進め、国家百年の大計として災害に屈しない強さとしなやかさを備えた国土を創り上げてまいりたいと考えています。また委員が、松山政司委員がご指摘になられた、我が国のですね、東京オリンピック・パラリンピック大会の終了以降も、力強く成長するためには中長期的な観点から物的・人的投資を喚起しながら、。生産性を引き上げ、経済の成長力を強化していくことが必要であると、こう認識をしております。このため公共投資についてはワイズペンディング(コトバンクから:「賢い支出」という意味の英語。経済学者のケインズの言葉。不況対策として財政支出を行う際は、将来的に利益・利便性を生み出すことが見込まれる事業・分野に対して選択的に行うことが望ましい、という意味で用いられる。)の考え方を重視しつつ、生産性の向上や民間投資の誘発、雇用の増加などの、いわゆるストック効果が最大限発揮されるよう、必要な社会資本整備を進めてまいりたいと考えております」

 松山政司は「私ども自民党は即座に緊急役員会を開きまして、被害状況を聴取させて頂いて、非常災害対策本部を設置しました」、「昨日も早朝から、朝8時から急遽180名の議員の出席のもとにこの対応について協議をいたしました」と素早い対応を誇っているが、台風19号が広範囲な被害の爪痕を残したあとに自分たちの対応の早さを誇って何になるのだろうか。被害後に求められる対応の早さは政府の自衛隊、消防、警察等を使った救助・救援であり、自治体の生活復旧支援である。

 非常災害対策本部会議では運転免許証の更新時期が過ぎても有効期間を延長できるなどの被災者に行政上の特例措置を適用する「特定非常災害」への指定や補正予算案の早期提出を求める意見などが出されたということだが、被災者の立場に立った場合、自民党側のこういった決め事よりも自分たちの生活を一通り元に戻すこと、あるいは現状をどうにか乗り越えて、将来に向けた展望が曲がりなりにも開けるようにしたいといったことが何よりも切実な問題であって、そういったことしか頭にないはずで、被害の大きさに便乗して自民党の宣伝を先決問題にする。その心得違いからは被災者に対する気遣いは見えてこない。

 松山政司は民主党政権下で「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズに基づいて一旦建設中止を決め、その中止を撤回した「八ッ場ダム」が台風19号に果たした成果について公明党国交相の赤羽一嘉に問い質している。

 赤羽一嘉は八ッ場ダムがある利根川では10時間に亘って氾濫危険水位を超過する状況にあったが、八ッ場ダム自体は上流のダム群を含めて洪水を貯留したために計画高水位(堤防などを作る際に洪水に耐えられる水位として指定する最高の水位)にあと30センチまで迫ったが、越水することなく利根川流域の住民の安全な暮らしに大きく寄与したと八ッ場ダムの効果を評価している。

 但し「本格的な運用前に安全性を確認するために試験的には水を貯めるオペレーションをこの10月1日に開始したばかりで、まだ水位が低かったことから結果的には予定の容量より多く約7500万立方メートルを貯留することができた」ことを越水回避の理由に挙げている。

 八ッ場ダムは2009年9月16日に鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、国交相就任の前原誠司が認証式後の就任会見で八ッ場ダムの事業中止を明言、鳩山由紀夫が翌17日の記者会見でこれを支持して事業中止が決定。2011年12月22日に同じ民主党政権の国交相前田武志が八ツ場ダムの建設再開を表明。当時の民主党首相野田佳彦が了承という経緯を取っている(Wikipedia)。

 つまり建設再開にまで2年3ヶ月を要している。「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで工事を一旦中止していなければ、当然、ダム工事は続行されていて、ダム本体完成は2年3ヶ月前後は早まることになる。その時点から試験貯水を含めて貯水が開始されているだろうから、台風19号が来る前にかなりの量が貯水されていて、「予定の容量より多く約7500万立方メートルを貯留することができ」なかった可能性が出てくる。

 松山政司は八ッ場ダムは「極めて大きな効果を出した」と絶賛しているが、その「効果」の元々は民主党政権下の一時工事中断と言うこともできるし、何が幸いするか分からない「効果」と言うこともできる。

 そして松山政司が「本当にインフラ整備というものはキャッチフレーズだけで語るようなものではなく、着実にそして計画的に実施をすることが極めて重要であると改めて申し上げたいと思います」と言っていることは民主党政権と比較した自民党政権の公共土木事業の効果性への言及そのものとなる。

 但しである、台風19号に対しても、これまでの大きな自然災害に対してと同様に手も足も出ない状況を目の当たりにしなければならなかった。その結果の最初に書いたように広範囲に渡る甚大な被害であり、多くの被災者を出して、生活に大きな打撃を与えることになった。10月16日の参議院予算委当時も、それ以後も、多くの被災者が後片付けに負われ、近親者から行方不明者を出した被災者はその安否に胸を痛め、将来の生活への不安を抱えることになった。

 手も足も出ない状況は自民党のこれまでの公共土木事業をひっくるめたとしても、安心・安全を全てカバーしきれていない状況をイコールさせていることになる。そのことへの謙虚な思いもなく、八ッ場ダムの「極めて大きな効果」一つを以ってして自民党の公共土木事業を誇っていてもいいのだろうか。誇るのは自民党の公共土木事業が国民の安心・安全を全てカバーしきれたときである。

 それを待たずに、しかも被災者の困窮を前にして誇る。ゲス根性を宿していなければできない自慢である。

 安倍晋三は八ッ場ダム建設は「大変な、これは財政的な負担もあったのでありますが、これは果たして、では後世に負担を残したのかと言えばですね、当然、それはこの財政に対してこれは国民みんなで幾世代に亘ってですね、対応していかなければならないものでありますが、同時にですね、まさに国民の後世の人たちの命を救うことにもなるわけであります」との答弁で、「国民みんなで幾世代に亘って」、いわばツケを回収するものだとしているが、果たして正当なツケだと正当化できるだろうか。

 財務省の発表によると、2018年末時点で国債と借入金、それに政府短期証券を合わせたいわゆる「国の借金」は1100兆5266億円。「最近20カ年間の年度末の国債残高の推移」(財務省)から公共土木事業にどのカネをかけているか見てみる。
 
 2018年特例国債残高(赤字国債残高) 579兆1千220億円(見込み)
 2018年建設国債発行残高 272兆7千294億円(見込み)

 その他に特例国債などがある。

 勿論、建設国債発行残高272兆7千294億円が全て防災・減災のための公共土木事業に費やされるわけではないが、大部分を占めているはずだ。そして国債を含めたこのような巨額の赤字を戦後の自民党政権がほぼ一貫して積み上げてきた。例えこのような赤字が「国民の後世の人たちの命を救うことにもなった」としても、「国民みんなで幾世代に亘って対応していかなければならない」は自分たちの責任を棚に上げて、国民にだけ責任を押し付ける図々しい言い草に過ぎない。

 なぜなら、歴代自民党がどれ程にムダな公共投資を行い、どれほどにムダに国の借金を増やしてきたか、問題にしなければならないからである。「このため公共投資についてはワイズペンディング(賢い支出)の考え方を重視しつつ」と言っていることは面の皮が厚くなければ口にはできない綺麗事となる。もし安倍政権がワイズペンディングな公共投資を行っていると言うなら、その厳格な検証と「歴代自民党政権とは違って」との断りを入れなければらない。

 さらに安倍晋三は最近の巨大化する自然災害による「命に関わる事態を想定外と片付けるわけにはいきません。そのため、防災、減災、国土強靱化のための3カ年緊急対策を取り纏め、ハードからソフトまであらゆる手を尽くし、集中的な取り組みを進めているところであります」と発言して、「防災、減災、国土強靱化のための3カ年緊急対策」に安倍政権の防災・減災政策の正当性を置いている。

 正当性の言い立ては優秀性への言い立てとなる。でなければ、「ハードからソフトまであらゆる手を尽くし、集中的な取り組みを進めているところであります」と宣言はできない。

 但しこういった正当性・優秀性は松山政司が八ッ場ダムの「極めて大きな効果」一つを以ってして自民党の公共土木事業を誇っていたのと同様にこれまでの自民党を含めた安倍政権の公共土木事業にしても巨大自然災害に手も足も出ない無力な状況、国民の安心・安全を全てカバーしきれていない状況を否応もなしに抱えていることに反した正当性・優秀性の誇示であって、謙虚さの一カケラも見い出すことはできない。

 大体が公共土木事業なるものが巨大自然災害に対して常に完璧ではないという謙虚さが少しでもあったなら、「国家百年の大計として災害に屈しない強さとしなやかさを備えた国土を創り上げてまいりたい」は大言壮語に等しい綺麗事以外の何ものでもないと気づいて、決して口にできないはずだ。

 事実としてある、あるいは現実として横たわっている公共土木事業の不完全さにもどかしさを持つことのない松山政司の、だから、八ッ場ダムの「極めて大きな効果」一つを以って自民党の公共土木事業を誇ることができたのだが、台風15号を加えた台風19号の「こられの度重なる自然災害によって亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げ、被災された方々にお見舞いを申し上げます」にしても、安倍晋三のもどかしさなど薬にしていないから、綺麗事を言うことができるのだが、「被災地のみなさまに寄り添った復興に全力を尽くして参ります」にしても、口先だけの言葉に過ぎないことになる。

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水産庁漁業取締船「おおくに」の北朝鮮漁船=違法操業の予断に基づいた違法な放水が招いた沈没の疑い

2019-10-21 04:48:16 | 政治
 (文飾は当方)

 2019年10月7日朝、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内「大和堆」(やまとたい)で水産庁漁業取締船「おおくに」と北朝鮮籍漁船が衝突、漁船が沈没した。マスコミ記事を纏めてみる。

10月7日午前8時50分頃、「おおくに」が「大和堆」内にいる北朝鮮漁船を発見、約200メートルの距離まで接近し、並走しながら音声による警告を開始
同   午前9時4分頃、放水開始。直後に漁船が取締船に接近
同   午前9時7分頃、漁船の左舷と取締船の右舷が衝突
同   午前9時27分頃、漁船は沈没

 水産庁漁業取締船「おおくに」は北朝鮮漁船の違法操業を確認したために音声による警告を開始し、無視されたために放水を開始したのだろうか。それとも違法操業しているものとの予断に基づいて、警告と放水を行ったのだろうか。

 なぜこういうことを言うのかというと、日本の排他的経済水域は天然資源(漁業資源、鉱物資源等)の探査、開発、保存及び管理等の特定事項に限定して日本の法令の適用は許されているが、特定事項以外の行動については日本の法令適用は不可能で、外国船の航行は自由となっているからである。

 《国際海事条約における外国船舶に対する管轄権枠組の変遷に関する研究》(国土交通省国土交通政策研究所/2007年7月)

 〈[排他的経済水域]

排他的経済水域(Exclusive Economic Zone(EEZ))とは、領海に接続する水域であって、国連海洋法条約に特別の規定のあるものをいい(国連海洋法条約55条)、基線から200海里まで設定することが認められている(同57条)。

領域主権が及ぶと解されてきた領海とは異なり、排他的経済水域において認められる沿岸国の管轄権の行使は、「機能的な主権・管轄権」とされ、国連海洋法条約における個別規定によって規律される。沿岸国は、天然資源の開発等にかかる主権的権利及び海洋環境の保護及び生物資源の保存・利用等一定の事項に関する管轄権のみを有するが、これら条約に規定された沿岸国の権利を除いては、航行中の船舶に対する管轄権については、公海と同様に扱われる。

 〈航行中の船舶に対する管轄権については、公海と同様に扱われる。〉――つまり違法操業、その他の特定事項に関わる違反行為をしていない限り、航行の自由は保障される。北朝鮮籍漁船の違法操業を確認しない限り、取締はできないはずである。

 立憲民主党長浜博行は安倍晋三の所信表明演説に対する2019年10月8日の代表質問でこの件に関して問い質している。

 長浜博行「また昨日、水産庁は会見で、漁業取締船『おおくに』が大和堆において北朝鮮の漁船と衝突したと説明しています。最近の大和堆周辺水域における漁業取締方針と、今回の衝突事案に関する事実関係の詳細について、政府に伺います」

 安倍晋三「大和堆経済水域に於ける漁業取締方針等の今回の報告事案に関する事実関係についてお尋ねがありました。日本海大和堆周辺の我が国排他的経済水域に於ける北朝鮮魚船等による操業は違法であるのみならず、我が国漁業者の安全操業の妨げにもなっており、極めて問題であると考えております。

 このため我が国漁業者が安全に操業できる状況を確保することを第一に水産庁漁業取締船及び海上保安庁巡視船を重点的に配備し、放水等の厳しい対応によって我が国排他的経済水域から退去させております。

 今回の報告事案については10月7日午前9時7分頃、日本海大和堆の我が国排他的経済水域内に於いて水産庁取締船と北朝鮮籍と見られる船舶が接触し、漁船が沈没しましたが、水産庁取締船が救助に当たり、漁船の乗組員によれば、全員が救助されたとの返答を受けました。

 救助された乗組員については北朝鮮籍と見られる他の漁船に移乗しており、今回沈没した漁船による違法操業等が確認されていないこと等から身柄の拘束といった強制措置は行わず、水産庁取締船が厳重に警告の上、我が国排他的経済水域から退去させております。

 また北朝鮮側に対し、北京の大使館ルートを通じて抗議を行っております。政府としては引き続き、我が国排他的経済水域内の外国漁船による違法操業の防止のため、毅然として対応してまいります」

 「日本海大和堆周辺の我が国排他的経済水域に於ける北朝鮮魚船等による操業は違法である」と言っていることは、操業していなければ、EEZ内での航行は違法ではないとの意味となる。

 「救助された乗組員については北朝鮮籍と見られる他の漁船に移乗しており、今回沈没した漁船による違法操業等が確認されていないこと等から身柄の拘束といった強制措置は行わず、水産庁取締船が厳重に警告の上、我が国排他的経済水域から退去させております」

 船が沈没してしまっていたために違法操業の物的証拠を押さえることができなかった、漁船の乗組員も物的証拠を押さえられる心配がないことから一様に違法操業を否定、結果、違法操業の確認が取れなかったから、「身柄の拘束といった強制措置は行わず、水産庁取締船が厳重に警告の上、我が国排他的経済水域から退去」させたということなのだろうか。

 安倍晋三の「救助された乗組員については北朝鮮籍と見られる他の漁船に移乗しており」の答弁は乗組員が他の北朝鮮漁船に移乗してしまっていたから、違法操業していたのかどうか問い質すことができなかったとの言い草に聞こえる。

 だが、救助に当たったのは水産庁取締船の職員であり、北朝鮮漁船員から、「これで全員」との返答を受けている以上、違法操業の有無を問い質す時間ぐらいはあったはずである。他の漁船への移乗は関係しない。移乗前の救助した段階で違法操業を問い質したのか、問い質したが、全員が否定したのか、その点を抜かしたまま、「違法操業等は確認されなかった」としている。

 しかも他の北朝鮮漁船が近くにいながら、それらの漁船に対する違法操業の有無を確認する立入検査も行わなかった。もしこのことが水産庁漁業取締船「おおくに」側が北朝鮮漁船に対して早々に立ち退きを願う目的の回避行動だったとしたら、放水・衝突・沈没の経緯は「おおくに」側に何らかの過失があった疑いが出てくる。

 立入検査が可能なことは海上保安庁の2019年1月16日のPDF記事、「平成30年の海上犯罪取締りの状況」が証明している。

 〈北海道紋別沖我が国EEZにおけるトーゴ共和国籍船舶による立入検査忌避事件(紋別海上保安部)

 平成30年8月、北海道紋別沖の我が国EEZにおいて、しよう戒中の巡視船が、漂泊中のトーゴ共和国籍船舶(202トン、ロシア人等14名乗組)を発見、立入検査を行うために接近したところ、同船が逃走したため、巡視船により追跡・停船させ、ロシア人船長を排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律違反(立入検査忌避)疑いで現行犯逮捕しました。〉

 日本側に何ら過失がなく、と言うことは、違法操業を確認した上での水産庁漁業取締船「おおくに」の放水に対して北朝鮮漁船の方から衝突してきたなら、その場にいた他の漁船に対しても違法操業有無の確認を目的に立入検査は可能なはずである。

 安倍晋三の答弁は今回の事案での放水については直接触れていないが、マスコミ報道と併せると、違法操業の確認前に放水を行ったことになり、この点が日本側の過失に当たる可能性が出てくる。音声による警告は「ここは日本の排他的経済水域に当たる。ここでの漁業の操業は違法であって、禁止されている」程度は許されるはずだ。

 北朝鮮当局は10月12日になって沈没船に対する賠償と再発防止を要求してきたが、違法操業であったか、なかったか、最早確認しようがないことを逆手に取り、違法操業の確認前に放水を行ったことを日本側の過失と看做したそれらの要求だとしたら、北朝鮮側のその要求に正当性を与えることになる。

 2019年10月11日の衆議院予算委員会、午前最後の質疑で国民民主党の岡本充功(みつのり)が北朝鮮漁船沈没案件について質問していて、より詳しい経緯を知ることができる。最初に岡本充功の配布資料から水産庁漁業取締船「おおくに」が救助に当たった際の画像を載せておく。画像文字は当方が挿入。

                   

 岡本充功「水産庁の取締船の話にいきたいと思います。皆さんのお手元に、これまた写真を用意してます。パネルで今回北朝鮮の漁船と思われる船、これが沈没した船を映しています。

 これはそもそも漁船なのか。60人も乗っていたという話です。この上の写真であります。全長が30メートル。30メートルで、集魚灯がある部分が、これで(パネルの船の写真)見ると、十数メートルですよ。真ん中のところ。ここで60人もの人がですね、釣りができるか。釣りをやるんだそうです。

 十数メートルのところで、両側で例えば20メートルだとしても、1人の幅、30センチか40センチですよ。そんなところで釣りをするというのはどう考えても、現実的ではないと思うんですが、この船を漁船だと判断したのは、後ろに漁網がある。

 これだって、盛り上がっているように見えますけど、この網の下に何があるか分かりません。そういう意味でこれが漁船だと判断した根拠は何ですか」

 農水相江藤拓「北朝鮮籍の漁船という認識でこれに対して放水を致しました。これは漁船であるかの判断は難しいというご指摘でありますが、我々は漁船であるという認識のもとに対処したものであります。

 そして目の前で急旋回をしましたので、ぶつかって、沈没しましたので、人命第一ということで救命胴衣、それから救命手を出して、助け出したということであります」

 岡本充功「60人乗ってですね、作業する場所ないですよ、これね、本当に漁船だと判断した理由は何なのかと聞いたわけですよ。これ、他の目的で来たんじゃないんですか。だってイカも干していないし、集魚灯は少ないし、そもそもそんなに人が沢山いる、目的はよく分からない。これを漁船だと判断する根拠は何なのかと聞いているんです」

 江藤拓「委員の仰るようにですね、日本のイカ釣り漁船に比べれば、極めて脆弱な装備だと私も思います。しかし日本の基準とですね、外国の船は当然違って然るべきだと思います。イカ釣り漁船に人が乗っていても、操業中に全員が船舷に並ぶわけでは、日本もありません。船倉の中で作業する人間もいたりですね、操舵員がいたりですね、機関員がいたりですね、色んな人間がいますので、操業中にぜーんいん(全員)がですね、甲板に上がって、操業するということは日本ではありません。

 しかも集魚灯がついている。いうことはですね、我々はやはりこれはイカ釣り漁船であると、いう認識で対処したことは間違いなかったと思っています」

 岡本充功「この問題は結局ですね、この乗組員から聞いていないということですよ。『あなた達、何で来たんですか』ということをやっぱり聞くべきですよ。

 そしてどうしてぶつかったのかを私はきちっと解明するべきだと思います。急旋回したとまだ聞いてもいないことを答えられましたけど、急旋回したなら、それは一体(録画を)見せてくださいよ。これ、偶発的な事故なのか、意図的にぶっつかったのか、これでははっきりしないじゃないですか。(録画を)出すべきなんですよ。これ偶発的なんですか、意図的にぶっつかってきたんですか。どっちなんですか」

 江藤拓「偶発的だったのか、意図的であったのか、それは相手様のことがありますので、我々には判断できません。そしてですね、どうして聞かなかったのかとの話でありますが、海上におった船員に対してですね、我々は色々と聞きました。例えば60名ということでありましたけども、最初は20名ということでありましたね。60名だったわけですが、『これで全員ですか。全員の命を救うことができましたか』という問いには答えました。

 それ以外の問いもしましたが、一切の、その他の問いに対しては全く答えをしてくれないということでありました」

 岡本充功「それはね、正確じゃない、それはもう北朝鮮の船に乗ってから聞いてるんです。『これで全員ですか』

 それは北朝鮮の船に乗ってから聞いている話であって、この北朝鮮の漁民と思われる方から私は聞くチャンスはまだほかにもあったと思います。ちょっと聞きます。このイカ釣り漁船は借りた船だと聞いています。もっと言えば、取締官は1人だと聞いています。

 これ、なぜ放水したのですか。取締官でない人が放水できるんですか。漁船だと考えたのになぜ放水したのか。放水の理由を聞きたいと思います」

 江藤拓「先ずですね、相手の船に移乗してからではなくて、救命艇の上で聞き取りを致しております。それからですね、漁業者とか漁民の思いがあります。この大和堆(やまとたい)というですね、素晴らしい漁場に度々外国の船が入ってきて、漁場を荒らして、そして我々はですね、漁労中、いわゆる網を降ろしたとかですね、そういう作業をしていなくてもですね、いわゆるですね、漁業等付随行為許可を得ずにですね、探索をして、例えば魚群探知機を使って探索をして、そういうときにはですね、最後に付随する探索がありますから、我々は放水するということになっている」

 岡本充功「これ、じゃあ、ちょっと違った角度で聞きましょうか。これ、ぶつかったのは9時7分。沈没したのは9時25分だと海上保安庁は報告しています。これ沈没したのは9時25分なんです。

 これ、沈没したんだから、通報したんですよね。ぶっつかったから、通報したんじゃないですよね。沈没船になったから、通報したんじゃないですか。通報した理由、通報した内容、何だったんですか」

 江藤拓「ご質問に十分に答えられるかと思いますが、一応、私の答え得る範囲でお答え致します。9時7分に接触、14分に『おおくに』から水産庁に連絡、そして海上保安庁にも通報。そして24分に沈没、そしてその6分後の9時30分に私の方に報告があり、そしてそのあとですね、(?)関係を通じて、関係各省、勿論、総理の方にもですね、連絡を入れたというところです」

 岡本充功「海上保安庁、9時25分に通報受けてますね」

 国交相赤羽一嘉「9時25分、えー、9時7分頃、北朝鮮籍と見られる漁船と衝突したということと漁船が沈没したということを連絡を受けました」

 岡本充功「これ、沈没したから通報したんです。24分に沈没して、25分に通報しているんです。ぶつかったのは9時7分ですよ。つまり沈没したから、通報したんです。如何ですか、赤羽大臣。

 じゃ、聞きたい。このエリアで一体どれだけの船が日頃衝突してるんですか。通報するに至らない衝突はほかにもあるんじゃないですか。今回、衝突だけだったら、通報しなかったんじゃないですか。沈没したから、24分に沈没したから、25分に通報したんじゃないですか。

 そういう意味で通報に至らない衝突はどのくらいあるのかということを予め聞いていますから、そのことについてお答え頂きたい」
 
 江藤拓「海上保安庁じゃないでしょうか。海難事故ということなら、海上保安庁が管轄だと承知しております」

 岡本充功「農林水産省水産庁が持つ船が接触をして、海上保安庁に連絡して、海上保安庁が初めて介助するんです。つまり、連絡もせずにしょっちゅうぶっつかっているのかということについて水産庁に聞いたんです。それについての答弁を求めています」

 江藤拓「えー、誠実にご答弁したいと思いますが、通告はございませんでしたので、今はお答えできません」

 岡本充功「何遍もその話はしておりますよ。もっと言ったら、『通告したいから、私の部屋に来てくれ』と言ったら、『これ以上のことは何にも言えないから、通告は結構です』と答えたのは水産庁じゃないですか。ひどい話ですよ。これはハッキリ言っておきましょう。『私の部屋に来てくれ』と何遍も言ったけど、『これ以上のことは何も言えない。だから、通告は結構です』と言ったのは水産庁でしょう。

 ほかの省庁はみんな来ましたよ。名前も私は聞きましたよ。『あなたは誰ですか』

 流石にテレビの前で役人の名前を言うのは忍びないから、言わないけれど、この指示を出したのは、大臣、あなたじゃないですか。それを通告はないなどと言うことですか。
 
 では、次のことを大臣に聞きます。相当程度ぶっつかっている。

 では(パネルの)下の写真でいきます。下の写真、これは水産庁の救難艇が出ています。手前の、横でありますが、まだ水に入っていて、浮き輪ですか、何かに掴まっている方がいる。この向こうが救命艇があります。完全に水から上がっている北朝鮮の漁民と見られる人がいます。この船の上に日本の施政権は及びますか」
 
 外相茂木敏充「国際法上ですが、EEZを持っている沿岸国は、この排他的経済水域、EEZに於きまして生物資源を含み、天然資源の開発、探査、保存及び管理等のための主権的権利、主権的権利を有しております」

 岡本充功「そんなことは聞いていない。私が聞いているのはこの船の上について、この船は救難艇です。この上は、当然、日本の船が出している救難艇です。これ、北朝鮮の船が出している船なら、北朝鮮です。これ、日本の船が出している救難艇です。この上は、当然、日本の主権が及びますよね」

 江藤拓「日本の国有財産であるという部分に於いてですね、仰るとおりだと思います」

 岡本充功「そのとおりなんです。これは散々確認したんです。これは日本の行政権、施政権及ぶんです。その上にいるこの漁民と思われる方になぜ聞かないのか、なぜ尋ねないのか、どうして来たのか、誰が船長なのか、どうしてぶっつかったのか。

 さっき聞きましたように偶発的なのか、意図があったのか、これすら聞かない。今さら聞けないですよ。

 じゃあ、ちょっと聞きます、外務大臣。これ、抗議されたということでありますけども、一体誰に、どういうルートで、北京の外交ルート、報道では出ていますけども、具体的に誰に、どういう抗議をしたのか、(EEZに)入ってきたことを抗議したのか、ぶっつかったことを抗議したのか、それとも何を抗議したのか。そしてさらに言えば、相手は何を言ったのか」

 茂木敏充「先ずですね、外交上の決まった遣り取りにつきましては、当然、控えさせて頂きますが、今回の衝突事案発生後、我が国のEEZ内に於きます北朝鮮籍と見られる漁船の行為を踏まえまして北朝鮮に対して速やかに北京の大使館を通じて厳重に抗議を行ったところであります」

 岡本充功「私が聞いたのは抗議とは何ですか。ぶっつかったことですか。日本のEEZの中で魚群レーダーで探知していたこと、それとも何を抗議したのですか。抗議の内容ぐらい言えるでしょう。そして誰に言ったのか。そして相手方はどういう対処したのか。それぐらい言えるでしょ」

 茂木敏充「あの、冒頭申し上げましたようにですね、外交ルートでは話をしておりますけども、それにつきましては答弁を慎重にさせて頂きますが、大和堆周辺海域に進入してきます外国漁船等の数が大変多い中で北朝鮮籍と見られる漁船に対して退去勧告を行いましたところ、当該船舶が急旋回したことから漁業取締船と接触し、沈没したとの事実関係を踏まえて行ったものです」

 岡本充功「それは何を抗議したのか、さっぱり分からない。悪いですけど、こういう姿勢を取っているから、ナメられるんだと思いますよ。一体、誰にどう何を抗議をして、どういう反応だと、相手に必ず伝わっているという確証はあるんですか。

 伝わっていない可能性はないんですか。誰かを帰しておいて、その人が伝えていなければ、伝わっていないかもしれませんよ。必ず北朝鮮に伝わっているという確証はあるんですか」

 茂木敏充「北京ルートを通じて確実に厳重な抗議を行っております」

 岡本充功「テレビを通じているみなさん、分かると思いますよ。北京ルートを使って、抗議を行った。ルートはもしかしたら、誰か第三者がいるかもしれない。その人が北朝鮮に言わなければ、伝わらないんです。本当に北朝鮮側に伝わったかどうかすら、答えられない。

 じゃあ、北朝鮮側に確実に伝わったと言えるんですか」

 茂木敏充「北京の大使館ルートを通じましてですね、伝わるような形で厳重に抗議を行っております」

 岡本充功「これ以上、なりませんけどね。伝わるような形でって言ってね、伝わったかどうかもはっきりしないじゃないですか。総理にちょって聞きます。この事案についてはいつ総理の耳に入り、総理から具体的にどういう指示を出されたのですか」

 安倍晋三「本事案については発生直後から随時、状況報告を受けたところであります。本事案は海上保安庁及び水産庁が尋問・救助・救出すると共にそれぞれの任務に基づき現場に於いて適切な調査活動等を行ったものであります。

 私が個々の事案の捜査状況等について報告を受け、あるいは指示をすることはありません」

 岡本充功「総理にこの事故の概要が入ったのは何時何分ですか」

 安倍晋三「何時何分だったかということですが、通告、ございませんから。何時何分だったかということは通告ございませんが、発生直後から随時、状況報告を受けたということであります」

 岡本充功「まあ、そういうことになると、発生直後からということですから、北朝鮮の船が現場を離れる前に総理には連絡が入った、そういうことなんですね。もう、北朝鮮の船がどこかへ行っちゃって、見えなくなってから、総理に入ったわけではなくて、まさに現に救助している、その状況で総理はこの事案が発生していたことは承知をしていた。そういう理解でよろしいですか」

 安倍晋三「あの、北朝鮮の船はもう沈没しているわけですから、北朝鮮の船はありませんが、あの、船員が乗っているということですか。救助中だという報告は受けた、ところであります」

 岡本充功「いずれにしても、これを判断するためには動画が必要ですよ。委員長、動画の提出を私は求めたいと思います。水産庁、海上保安庁が持っている、この件に関する動画を当委員会に提出することを求めたいと思います」

安倍晋三「公表についてはですね、官房長官が今日11時の記者会見でお答えさせて頂いておりますが、公表する方向で検討しております」

 岡本充功「是非、全部出して頂きたいと思います。まだ、公表する方向ですから、まだ、されていない。もうされていますか」

 安倍晋三「衝突してですね、採用等の手続きがございますが、その中で今判断しているわけですが、基本的に公表するということで私自身がその方向で検討させているところでございます」

 岡本充功「是非、全部出して頂きたいと思います」

 岡本充功は「これはそもそも漁船なのか」、「ここで60人もの人がですね、釣りができるか」、「これ、他の目的で来たんじゃないんですか。だってイカも干していないし、集魚灯は少ないし」と問い質しているが、官房長官の菅義偉が2019年9月13日の閣議後記者会見で8月23日午前9時半頃、「大和堆」の西側で北朝鮮の海軍のような旗を掲げている高速艇が水産庁巡視船に対して30メートル程の距離にまで接近し、高速艇乗組員1人が小銃を構えて威嚇してきたとする事件が発生しているから、そういった類いの船だとでも思ったのだろうか。

 例えイカ釣り漁船でなかったとしても、安倍政権がイカ釣り漁船だとして、乗組員を釈放してしまい、しかも沈没付近は水深が深く、引き揚げは極めて困難だということからしてイカ釣り漁船だとした事実は変えることはないのだから、ムダな質問に時間を割いていることになる。

 また江藤拓が「海上におった船員に対してですね、我々は色々と聞きました」、「その他の問いに対しては全く答えをしてくれないということでありました」と既に答弁しているのに岡本充功はあとの方で救命艇の「上にいるこの漁民と思われる方になぜ聞かないのか、なぜ尋ねないのか、どうして来たのか、誰が船長なのか、どうしてぶっつかったのか」、衝突は「偶発的なのか、意図があったのか、これすら聞かない。今さら聞けないですよ」などと益もない質問をしている。

 江藤拓は「海上」という場所について、「相手の船に移乗してからではなくて、救命艇の上で聞き取りを致しております」と救命艇での聞き取りであったことを説明しているが、要するに聞き取りによって違法操業であったかどうかの証言を得ることができなかった。

 と言うことは、違法操業の有無の確認前に放水を行っていた事実を示すことになる。

 岡本充功の「これが漁船だと判断した根拠は何ですか」の問いに対して江藤拓が「北朝鮮籍の漁船という認識でこれに対して放水を致しました」と答弁しているが、言っていることの意味に留意せずに、「なぜ放水したのですか。取締官でない人が放水できるんですか。漁船だと考えたのになぜ放水したのか。放水の理由を聞きたいと思います」などと遠回りな質問をしている。

 江藤拓のこの答弁箇所は違法操業をしているか否かの確認をせずに北朝鮮籍の漁船だからという理由で直ちに放水した事実を物語ることになる。そのことが許されるのかどうかを端的に質問すべきだったろう。

 但しあとになって北朝鮮籍の漁船だからという理由で直ちに放水したわけではないことを答弁している。

 「いわゆる網を降ろしたとかですね、そういう作業をしていなくてもですね、いわゆるですね、漁業等付随行為許可を得ずにですね、探索をして、例えば魚群探知機を使って探索をして、そういうときにはですね、最後に付随する探索がありますから、我々は放水するということになっている」
」と言っている。

 要するに網を降ろして作業をしていたわけではないが、魚群探知機を使って魚群を探索していた。それが漁業等付随行為許可を得ない探索だったから、魚群探知機が発する音波を水産庁漁業取締船「おおくに」がキャッチして、放水に至ったということになる。岡本充功も、「日本のEEZの中で魚群レーダーで探知していた」と発言している。

 となると、江藤拓が「北朝鮮籍の漁船という認識でこれに対して放水を致しました」と最初に答弁したことと矛盾するし、安倍晋三が長浜博行の代表質問に対して「今回沈没した漁船による違法操業等が確認されていないこと等から身柄の拘束といった強制措置は行わず、水産庁取締船が厳重に警告の上、我が国排他的経済水域から退去させております」と答弁したこととも矛盾する。

この矛盾を解くには北朝鮮漁船が魚群探知機を使って魚群を探索していたことはキャッチしていたが、実際に漁獲していた現場を目撃していたわけではないし、漁獲した魚を確認したわけではないから、いわば証拠を上げることができずじまいだったから、違法操業だと断定するまでに至らず、止むを得ず無罪放免にしたという経緯を取らなければならない。

但し違法操業であるかどうかを断定する前に、と言うことは、証拠を上げる前に放水が行われていた事実は北朝鮮籍の漁船だから放水した(「北朝鮮籍の漁船という認識でこれに対して放水を致しました」)とした江藤拓が最初の答弁で示した認識と符合することになる。

このような符合は何らかの予断なくして成り立たない。魚群探知機の音波をキャッチするの待つまでもなく、北朝鮮漁船=違法操業との思い込みのもと、実際にほぼ100%、そのとおりなのだろうが、実際に違法操業を確認しないままに北朝鮮漁船と見れば、放水を行っていた予断である。

 とすれば、音声による警告にしても予断に基づいて行われ、放水にバトンタッチするための単なる形式的な手続きとなる。そして放水によってEEZ内から退散させる。北朝鮮漁船を発見すれば、違法操業だと断定する一足飛びの予断は否応もなしに恒常性を持つことになる。

 物的証拠を見つけることができない警察の取り調べで、こいつが犯人に決まっていると予断を持つと、自白を強要させてまでも犯行を認めさせたくなり、一度でも実行し、成功すると、物的証拠を見つけることができない取調べでは自白の強要が恒常化するようにである。

 こういった予断は魚群探知機の音波をキャッチすることやキャッチした音波を記録する作業を往々にして疎かにしたり、後回しにしたり、最悪省いたりしかねない。いわば最初に警告、即放水という状況を作りかねない。

 いずれにしても違法操業を確認する前に警告と放水を行った。だから、安倍晋三が答弁しているように「今回沈没した漁船による違法操業等が確認されていないこと等から身柄の拘束といった強制措置は行わ」なかったという経緯を取ることになった。

この動かしようがない事実はこれまではEEZ内という国民の目が届かない密室で恒常的に行われていたが、今回の事案で北朝鮮漁船が急旋回して「おおくに」と衝突、沈
没した結果、密室状態が破られて、違法性が顔を覗かせることになったと見ることができる。

このことは取締リの映像が公開されたとしても変わりはない。政府は10月18日夜、約13分間の「映像」水産庁HP を公開することになったが、映像は放水直前からスタートして、衝突、沈没、救助を経て、救命艇から他の北朝鮮漁船に移乗し、その漁船が走り去っていくまでの約13分間の映像であって、水産庁は編集はしてないとしているとマスコミは伝えているが、若い男の声で「退去警告に従わないため、撮影を開始する」との声が聞こえて、そして同じ若い男の声で「只今から、放水を開始する」と言ってから衝突まで約3分30秒、衝突から立ち去っていくまでが約9分20秒であって、沈没した北朝鮮漁船を発見した時点からの映像ではない。発見から放水直前の場面が見えない。

 最初にマスコミ報道の時間経緯を伝えたが、発見から放水開始までが14分。放水開始から衝突まで約3分を経て、沈没までが20分。だが、映像は放水開始から衝突まで約3分30秒。船が傾いて、傾いた側の右舷から海水が浸入したのが6分20秒後、右舷を下にしてほぼ沈没した状態になったのが約7分後、その30秒後には完全に沈没。マスコミ報道の放水→沈没の23分から、映像の放水→沈没の7分30秒を引くと、15分30秒の空白が生じる。

 江藤拓が「9時7分に接触、14分に『おおくに』から水産庁に連絡、そして海上保安庁にも通報。そして24分に沈没」と発言している接触→沈没までの17分と比較しても、映像では衝突が映像開始から約3分30秒後、ほぼ完全に沈没が映像開始から約7分20秒後、その間の経過時間は3分20秒で、江藤拓が口にした経過時間とは13分40秒の開きがある。この開きにしても、映像から消えていることになる。

 この事実にしても、水産庁側の何らかの過失を隠す必要性があった隠蔽と疑うことができる。いきなり放水したのか、最初の音声による警告はしたものの、お座なりなもので、直ちに放水に移ったのか、画像からは放水しながらの音声による警告は聞こえているが、放水前の音声による警告は画像には見えてこないし、聞こえもしない。

 以上がマスコミ報道や国会質疑から浮かんできた、北朝鮮漁船=違法操業とする「予断」が違法操業確認を省いた音声による警告と放水の恒常化ではないのかとの疑いだが、政府側はいくらでも情報隠蔽を謀ることができる。

 実際には魚群探知機を使っていたことをキャッチしていただけではなく、網を降ろして作業をしていたことを確認してから、音声を用いてEEZ内からの退去を求めたが、素直に従わなかったために放水に至った。ところが放水にも従わずに急旋回してきて衝突して沈没するという自爆行為を招いた。素直に従っていたなら、たくさんある日常的な光景の一つとして消えていくが、違法操業+衝突してくるという悪質な公務執行妨害を働いた上の沈没は日常的な光景を破って、北朝鮮漁船の悪質さのみを浮き立たせることになり、その公表が北朝鮮当局を刺激した場合、拉致解決で北朝鮮側に接近したい安倍政権にとっては不利な状況として働きかねない。そのことからの穏便な措置として行った違法操業は確認できなかったとする無罪放免という疑いもできる。

 疑いは疑いでしかないが、ときには事実の形を取ることもある。

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安倍晋三の古い時代にとどまりながら、見栄えのよい政治家に見せるための「新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」

2019-10-14 10:54:57 | 政治

                         center
 文飾は当方。

 【参院本会議】長浜博行参院議員会長、安倍総理の所信表明に対し代表質問(立憲民主党サイト/2019年10月8日)   

 長浜博行「『「みんなちがって、みんないい」新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります。みんなが横並び、画一的な社会システムの在り方を、根本から見直していく必要があります。多様性を認め合い、全ての人がその個性を活かすことができる。そうした社会を創ることで、少子高齢化という大きな壁も、必ずや克服できるはずです』

 私の言葉ではありません。4日にこの議場で行われた『第200回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説』の中の一節です。感激しました。やっと気づいてくださったのか。しかしいくら吠えても張り子の虎(すなわち中身が何もない)では、演説を聴かれた国民は失望してしまいます。不言実行、有言更なりであります。ここからが私の質問です。

 来年の東京オリンピック・パラリンピック大会に向けて、ユニバーサルデザインの街づくりや『心のバリアフリー』の取組が行われていますが、価値観やライフスタイルの多様化が進んでいる現状からすれば、まだまだ不十分です。共生社会の実現のため、誰一人取り残さないという強いメッセージを政治の側が発信することが求められています。私どもは、誰もが個人として尊重される多様性ある社会を目指して、手話言語法案・情報コミュニケーション法案、LGBT差別解消法案等の法案を衆議院において共同提案しております。

 しかし、与党は一切審議に応じておりません。手話は、コミュニケーション手段であると同時に、日本語と同等の第一言語です。ろう者が手話言語を習得する機会を拡大し、手話文化の継承・発展を図る手話言語法案、そして、全ての視聴覚障害者等に対し、情報の取得やコミュニケーション手段についての選択の機会を確保・拡大していく情報コミュニケーション法案の制定が、今こそ求められていると考えます。総理の所見を伺います。

 民間の調査によりますと、日本ではLGBTなどの性的マイノリティに該当する方の割合が8%以上に達すると言われております。特に、いわゆる「SOGI(ソジ)ハラスメント」対策については、先の通常国会において女性活躍推進法等改正案に対する両院の附帯決議にも盛り込まれ、一定の前進が見られましたが、その進捗状況について政府の説明を求めます。

 さらに、性的指向や性自認にかかわらず、誰もが差別されることなく自由に生きる社会を実現するため、行政機関・事業者による不当な差別的取扱いの禁止やハラスメントの防止については、しっかりと法律で定める必要があると考えますが、総理の所見を伺います。

ジェンダー平等

 性別を問わずその個性と能力を十分に発揮することができるジェンダー平等社会を実現するため、野党会派共同で、選択的夫婦別姓法案や性暴力被害者支援法案等の法案を提案しておりますが、これまた与党は一切審議に応じておりません。特に選択的夫婦別姓については、本年7月に日本記者クラブで開かれた7党首討論会で、制度導入に賛成かとの質問に対し、ただ1人、自民党総裁である総理だけが手を挙げず、大きな話題となりました。

 国際社会の共通目標である『持続可能な開発目標(SDGs)』は、ジェンダー平等の実現を掲げています。総理は、先の通常国会で『SDGsの達成に尽力し、SDGsの力強い担い手たる日本の姿を国際社会に対して示す』旨述べていました。にもかかわらず、選択的夫婦別姓の導入を求める国連の勧告は放置したままです。総理は、先月の国連本部の会合で、SDGsに関する実施指針を年内に改定し、新たな取組を示す方針を表明しましたが、その取組に選択的夫婦別姓を入れるつもりがあるか、また、婚姻後も姓を変えない権利を認めることこそが、SDGsが目指す誰一人取り残さない社会の実現につながるのではないでしょうか、総理の見解を伺います」

 長浜博行の「選択的夫婦別姓」の質問に対する安倍晋三の答弁(動画から文字化)

 安倍晋三「SDGsと選択的夫婦別氏(べつうじ)制度についてお尋ねがありました。先ず指摘のSDGsについては人間の安全保障の理念に基づき、誰ひとり取り残さない社会を実現すべく、教育や保健の分野を始めとして、国際社会の取組をリードし、SDGsの達成に向け、貢献してまいります。

 他方、夫婦の別氏の問題については、家族の在り方と深く関わる問題であり、国民の間に様々な意見があることから、この対応についてはSDGsの議論とは別に慎重な検討が必要と考えております

 安倍晋三や類似の保守政治家が言う「家族の在り方」とは伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」を意味させている。なぜなら、選択的夫婦別姓にしても、同性婚にしても、新しい時代の新しい「家族の在り方」を意味しているのだから、この対立概念として位置させた「家族の在り方」となるからである。

 明治から大正、昭和戦前、戦後と続く「家族の在り方」を時代に抗って、永遠に守り通したいと願っている。このことは戦前型天皇主義者であり、日本民族優越主義者である安倍晋三からしたら当然の姿勢ということになる。

 「SDGs」なる言葉は初耳だから、ネットで調べてみると、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称だそうで、「貧困ゼロ」、「飢餓ゼロ」「不平等ゼロ」、「平和と公正さの平等の実現」、「公平・平等で高質な教育機会の実現」などの17の目標の中に「ジェンダー(社会的性差)解消と社会的に男女平等であることの実現」を掲げているという。

 長浜博行が安倍晋三の「第200回国会における所信表明演説」での「多様性」についての発言を紹介しているから、具体的にどう述べたのか見てみる。

 「第200回国会における安倍晋三所信表明」(首相官邸/2019年10月4日)
  
 安倍晋三「(一億総活躍社会)

 15年前、一人のALS患者の方にお会いしました。

 『人間どんな姿になろうとも、人生をエンジョイ出来る』

 全身が麻痺(ひ)していても弾くことができるギターを自ら開発。演奏会にも伺いましたが、バンド活動に打ち込んでおられます。更には、介護サービス事業の経営にも携わる。その多彩な活動ぶりを、長年、目の当たりにしてきました。

 令和になって初めての国政選挙での、舩後靖彦さんの当選を、友人として、心よりお祝い申し上げます。

 障害や難病のある方々が、仕事でも、地域でも、その個性を発揮して、いきいきと活躍できる、令和の時代を創り上げるため、国政の場で、共に、力を合わせていきたいと考えております。

 令和を迎えた今こそ、新しい国創りを進める時。これまでの発想にとらわれることなく、次なる時代を切り拓いていくべきです。

 かつて採られた施設入所政策の下、ハンセン病の患者・元患者の御家族の皆様に、極めて厳しい偏見、差別が存在したことは、厳然たる事実です。そのことを率直に認め、訴訟への参加・不参加を問わず、新たな補償の措置を早急に実施します。差別、偏見の根絶に向けて、政府一丸となって全力を尽くします。

 『みんなちがって、みんないい』

 新しい時代の日本に求められるのは多様性であります。みんなが横並び、画一的な社会システムの在り方を、根本から見直していく必要があります。多様性を認め合い、全ての人がその個性を活かすことができる。そうした社会を創ることで、少子高齢化という大きな壁も、必ずや克服できるはずです。

 若者もお年寄りも、女性や男性も、障害や難病のある方も、更には、一度失敗した方も、誰もが、思う存分その能力を発揮できる、一億総活躍社会を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか」

 長浜博行が「特に選択的夫婦別姓については、本年7月に日本記者クラブで開かれた7党首討論会で、制度導入に賛成かとの質問に対し、ただ1人、自民党総裁である総理だけが手を挙げず、大きな話題となりました」と指摘している点についても、安倍晋三の党首討論でのLGBTと選択的夫婦別姓に関しての発言を見てみることにする。挙手していない画像は最初に載せておいた。

 日本記者クラブ・参院選7党党首討論会(2019年7月3日1300 〜 1500 10階ホール)

 枝野幸男「安倍総裁にお尋ねします。今日は、あの自民党総裁として出てきて頂いているので、お答え頂けると思いますが、立憲民主党などが国会提出をしている法案は原発ゼロ法案、LGBT差別解消法案、選択的夫婦別姓法案、これらは残念ながら、与党のみなさん、審議に応じて頂けていません。原発ゼロ法案に至っては昨年の通常国会では所管の経産委員会の法案がなくなって空いてる状況だったにも関わらず審議に応じて頂けていません。原発ゼロは原発事故から8年経過して、その後の社会状況の変化でもはやリアリズムです。

 LGBTの差別解消については、あの自民党さんの方向性が示されておりますが、実際の当事者の皆さんのことを踏まえたものとはなかなか感じられません。選択的夫婦別姓については、先日のネットでの答弁でですね、『選択的夫婦別姓は経済成長と関係ないから、必要ない』とも受け取れる答弁がありました。

 これらの3つの法案について自民党としての見解と審議に応じていただけない理由についてお話を頂きたいと思います」

 安倍晋三「先ず原発ゼロでありますが、これは責任あるエネルギー政策とは言えないと考えております。今、多くの原子力発電所、原発が止まっていることによってですね、一般家庭で年平均2万2千円のご負担、増が生じておりますし、中小企業で1千2百万円、燃料費が上昇しているわけであります。そしてCo2の削減をしなければいけないという義務も負っている。

 そしてエネルギーの自給率の問題もあることから、その原発ゼロを直ちに決めていくのは責任ある政党とは言えないんだろうと思っています。その意味に於いて私たちは、考え方が違うということ。

 また夫婦別姓については、これはマイナンバーカード、あるいはパスポート等に於いて修正の必要が可能になっております。意識調査についても意見が色々分かれている中に於いてですね、国民的なコンセンサスを得ていく必要があるんだろうと、こう考えています。

 そして審議するかしないか。私はずっと総理の立場でありますから、国会運営は党に任せおりますが、総理の立場で今出ていますが、このことについては積極的に議論していくべきだろうと思っております」
   ・・・・・・・・・・・・・
司会「第一部でも話題になりましたが、選択的夫婦別姓を認めるっていう方は挙手をお願いします」

 安倍晋三だけが挙手しない。

 司会「もう一つ、LGBTに関して法的な整備が茨城県が初めてやったんですが、渋谷区も始めたりしてますが、LGBTの法的な権利を与えるっていうのを認めるという方は」

 安倍晋三と公明党代表山口那津男だけが挙手しない。

 安倍晋三「単純化して、ショーみたいにするのはやめた方がいいですよ。政策的な議論をちゃんとしないとですね、イエスかノーかということでは政治はないですから」

 司会「勿論」

 安倍晋三「どういう議論してるんだ(ということが大事で)。今の段階で答えられなくても、直ちにノーではないんですから。印象操作するのはよくないと思いますよ。何か意図を感じるな」

 司会「いや、いや。でも、それについて今安倍さん、ちゃんと説明されたわけでしょ。説明しないしね、ただ手を上げろって言っているわけじゃありませんから。それを説明を今、されたわけですから。今、そういう場合の非常に難しい問題、これ簡単に賛成、反対とはなかなかいかない問題なんだってことは逆に分かったんじゃないですか」

 安倍晋三「ありがとうございました」(笑いながら頭を下げて、誤魔化す)

 枝野幸男が「選択的夫婦別姓については、先日のネットでの答弁でですね、『選択的夫婦別姓は経済成長と関係ないから、必要ない』とも受け取れると答弁がありました」と言っていることをネットから探し出してきた。

 「選択的夫婦別姓 「経済成長と関わりがない」 首相 発言に批判」(しんぶん赤旗/2019年7月3日)

 2019年6月30日にインターネット動画サイト「ニコニコ動画」で行われた党首討論での発言だと言う。

 司会者(?)「選択的夫婦別姓は女性の社会参画のためには不可欠では」

 安倍晋三「いわば夫婦別姓の問題ではなくて、しっかりと経済を活性化させ、みんなが活躍できる社会をつくっていくことではないか」

 司会者「選択的夫婦別姓制度はいらないという返答でいいか」

 安倍晋三「経済成長との関わり合いがないと考えている」

 要するに選択的夫婦別姓制度は経済成長要因となるなら、考えもするが、そうではないから、横に置いておき、経済成長要因となる女性の雇用(=女性の労働参加)などに重点を置いて、先ずは経済を活性化させることで誰もが仕事で活躍できる社会の実現を優先させるべきではないかと言っていることになる。

 と言うことは、安倍晋三は国民を男女共々経済を活性化させる働き手と看做していることになる。だから、選択的夫婦別姓制度をアベノミクスの圏外に置くことができる。

 かくこのように「ニコニコ動画」の党首討論では経済成長との関係で選択的夫婦別姓制度不要論を唱えた。これは安倍晋三の中で選択的夫婦別姓制度に関わる政治思想そのものとして抱えているはずである。であるなら、そのような思想を抱えている以上、「ニコニコ動画」での発言を日本記者クラブでの党首討論で繰り返さなくても、司会者から「選択的夫婦別姓を認めるっていう方は挙手をお願いします」と促されたとしても、いわば「イエスかノーか」で単純化した形で問われたとしても、選択的夫婦別姓制度に関わる自らの政治思想に従い、挙手しないことによって「ノー」の意思表示をするのが当然であり、それを「単純化して、ショーみたいにするのはやめた方がいいですよ。政策的な議論をちゃんとしないとですね、イエスかノーかということでは政治はないですから」などと批判するのは自身の選択的夫婦別姓制度に関わる政治思想を隠して、印象が悪くなるのを避ける狡猾な行為そのものであり、一国の首相として要求される正々堂々とした態度に反する。

 立憲民主党の「婚姻平等法案・LGBT差別解消法案」は解説で「民法を改正して、同性婚を可能にし、婚姻の平等を実現します」と謳っているが、安倍晋三は同性婚について国会で、日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第24条」、〈婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。〉を根拠に「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない。同性婚を認めるために憲法改正を検討すべきか否かは、我が国の家庭のあり方の根幹に関わる問題で、極めて慎重な検討を要する」と答弁、古くからある伝統的な「我が国の家庭のあり方」を保守すべく、実質的に反対している。

 このような思想を自らのものにしている以上、日本記者クラブでの党首討論で司会者から「LGBTの法的な権利を与えるっていうのを認めるという方は」と挙手を求められたことを「単純化」した問いかけだと批判することも同性婚に関わる自らの思想を隠す態度となる。

 安倍晋三は経済成長との関係でのみ、選択的夫婦別姓制度不要論を政治思想としているわけではない。伝統的な家族制度解体要因そのものとして強固に反対している。経済成長要因ではないことからの不要論は事実そう思っていても、付け足しで、後者にこそ、本質的な理由を置いているはずだ。

 「第190回国会 衆議院予算委員会」(2016年2月29日)

 岡田克也「総理が野党時代の発言を紹介したいと思います。夫婦別姓の問題ですね。

 総理は、『夫婦別姓は家族の解体を意味します、家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマです』、こういうふうに発言されていますね。これはどういう意味ですか。お答えいただけますか」

 安倍晋三「突然の質問でございますので、後ほど確認させていただきたい、このように思います」

 岡田克也「これは昔の発言じゃないんですよね、野党時代の発言ですから。これは、『WiLL』という雑誌の平成22年7月、そのときの対談ですね。自民党の何人かの議員が対談しておられる中での総理の発言なんですよ。

 こういう考え方で夫婦別姓というものを考えていれば、我々は選択的夫婦別姓、法案も国会に出していますが、そういうことについて頭から、もうイデオロギー的にダメだということですか」

 安倍晋三「こういうものは、前後でどういう発言をしているか、対談ですから、それを見ないと私も俄にはお答えのしようがないわけでありますが、私は、家族の価値を重視する保守党としての自民党の考え方を恐らく述べたものであろう、こう考えるわけでございます。

 いずれにいたしましても、夫婦別氏に対する考え方については、政府としての長である内閣総理大臣として既に答弁をしているとおりでございます」

 岡田克也「自分で御発言になったことですから、覚えていないというのはあり得ないというふうに思うわけですね。いずれにしても、ここに総理のやはり基本的な考え方というのが出てきているんじゃないかと思うんですよ。

 この前、最高裁が、憲法違反ではない、そういう判決を下しました。後は立法の問題だ、国会で議論する話だ、こういうことであります。ですから議論しているし、我々は、選択的夫婦別姓、別に夫婦別姓を強制するんじゃなくて、そういうことも可能ですよという法案を国会に提出しているわけであります。

 この最高裁の判決の中で、憲法違反でないという判決に反対した裁判官が何人かいらっしゃいます。女性の裁判官三人全員が憲法違反だという意見を述べられました。

 そこでどういう論理を述べておられるかというと、結局、多くの場合には夫の姓になってしまう、現実的に96%が夫の姓になるんですね、結婚した場合に。妻となった者のみが個人の尊厳の基礎である個別識別機能を損なわれ、また自己喪失感といった負担を負うことになり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した制度とは言えない、だから憲法違反だと言っているわけです。

 私は、憲法違反だという考え方に立つものでは必ずしもないんですが、それは最高裁が判断されたわけですから尊重しますが、ここの論理というのは、やはり立法的にしっかり対応すべきだということになるんじゃないでしょうか。男女平等の本質に反するような、同姓を強制する、そういう仕組みはやはりおかしいんじゃないですか。先進国の中で、結婚したら同じ姓にしなければいけないと強制している、そういう国はありませんよね、日本だけですよね。なぜここに固執されるのか私はわからないんですが、いかがですか。

 安倍晋三「諸外国では、中国や韓国はそうでありますが、そもそも別氏であったわけでございます。

 夫婦の氏の問題は、単に婚姻時の氏の選択にとどまらず、夫婦の間に生まれてくる子の氏の問題を含め、我が国の家族のあり方に深くかかわる問題であろうと考えています。

 選択的夫婦別氏制度については、国民の間でさまざまな意見があるのも事実だろうと思います。例えば、直近の世論調査を例にとってみますと、反対が36・4%、容認が35・5%、通称のみ容認が24・0%などといった結果になっているところでございます。そのため、最高裁判決における指摘や国民的な議論の動向を踏まえながら、慎重に対応する必要があると考えております」

 岡田克也「これは日本の伝統だと言う人もいますけれども、明治31年からですね、法制的には。それまでは、一部の人を除いて、そもそも日本人は氏がなかったわけでしょう。

 いずれにしても、総理がこういう固定観念を持っておられると、この選択的夫婦別姓の話というのは全く進まないですよね。そこはしっかり考えを改めていただきたいというふうに申し上げておきたいと思います」

 安倍晋三は2010年7月の雑誌『WiLL』での対談発言、「夫婦別姓は家族の解体を意味します、家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマです」の意味を問われて、最初に「私は、家族の価値を重視する保守党としての自民党の考え方を恐らく述べたものであろう、こう考えるわけでございます」と答えている。

 確かに安倍晋三の雑誌「WiLL」の対談と同じ年の「自民党政策集J-ファイル2010」(当時は谷垣総裁)には、「わが国のかたちを守ります」と題して、〈民主党が導入を目指す「夫婦別姓」・「外国人地方参政権」は、わが国を根底から覆そうとする意識が働いているとしか考えられないものです。わが党は、夫婦別姓法案と外国人地方参政権付与法案に反対し、わが国の地域社会と家族の絆を守ります。〉の一文が挿入されていて、「自民党の考え方」と言うことができる。

 だが、当時は一度首相を経験している立場にあった以上、「これは自民党の考え方だが、自分は異なる立場にある」といった断りがなく述べたなら、自身も同調している同じ考え方を披露したことになる。もし断っていたなら、対談で「夫婦別姓」を話題にした以上、自民党の考え方とは異なる夫婦別姓に関わる自身の考え方を明らかにする責任を負う。
 
 要するに断りを入れた、入れないに関係なく、「WiLL」の対談発言は安倍晋三自身の考え方でなければならない。それをさも自身の考え方が「自民党の考え方」と異なるかのように言辞を弄するのは卑怯である。

 安倍晋三が対談で語った「夫婦別姓は家族の解体を意味します」云々と、岡田克也に答弁した「夫婦の氏の問題は、単に婚姻時の氏の選択にとどまらず、夫婦の間に生まれてくる子の氏の問題を含め、我が国の家族の在り方に深くかかわる問題であろうと考えています」の正当性を見てみる。

 安倍晋三がここで口にしている「家族の在り方」は既に触れたように伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」を意味させている。「我が国の」と一国に限定して「家族の在り方」とした場合、その「家族の在り方」は歴史的連続性を持つことからも、伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」でなければならない。

 「夫婦別姓は家族の解体を意味」するなら、「夫婦同姓」は家族解体の防壁であることを意味しなければならない。だとすると、現実に頻発している夫婦同姓下での離婚や家庭内別居、家庭内孤立、あるいは家庭内対立、夫か妻いずれかの、あるいは夫と妻双方の不倫といった家族の解体は夫婦同姓が家族解体の防壁であることに真っ向から矛盾することになる。そして夫婦同姓が現在の家族制度の根幹をなしている関係からして、夫婦同姓下の家族の解体は現在の日本の家族制度そのもののが、いわば「我が国の家族の在り方」そのものが家族の解体に対して必ずしも絶対でないことを証明することになる。この非絶対性は夫婦同姓の非絶対性と相互性を意味する。

 現実にそうである以上、家族の在り方、あるいは夫婦の関係・在り方を決定づけている要因は夫婦同姓の家族制度そのものではなく、夫と妻が、ときには舅、あるいは姑、子どもが加わって、相互に影響し合って、それぞれの関係性を彩ることになる人間性(=人柄や姿勢、生き方、相手への思いやり等)が家族の解体か否かを決定づける要因となっていることを示しているはずである。

 こういった合理性からすると、夫婦別姓制度が別姓で始まった夫婦にとって常にその関係性を最後まで維持する保証とはならないということになり、現実にもそうなるだろうから、夫婦同姓、あるいは夫婦別姓といった家族制度が決定づける夫婦の関係・在り方ではなく、あくまでもそれぞれの人間性が決定づけるそれぞれの関係・在り方であることを認識していなければならない。

 このような認識に基づくと、「夫婦別姓は家族の解体を意味」は合理的な根拠は何らない内容空疎な主張と化す。当然、「家族の解体」を「最終目標」としていると解釈している点も、根拠のない考え方となる。

 当然、岡田克也に答弁した「夫婦の氏の問題は、単に婚姻時の氏の選択にとどまらず、夫婦の間に生まれてくる子の氏の問題を含め、我が国の家族の在り方に深くかかわる問題であろうと考えています」といった認識にしても、著しく正当性を欠く主張に過ぎないことになる。

 夫婦同姓の家庭と違って、夫婦別姓の家庭に育った子どもが夫婦別姓を受け入れるか否かはその子どもをどのような人間性を持った子どもに育てるかにかかっているのであって、制度そのものが決める問題ではない。

 安倍晋三はまた、夫婦別姓を「家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマです」と否定思想としている以上、夫婦同姓の家族こそが「人間としての自由」を獲得できると考えていることになる。

 「人間としての自由」は夫婦同姓とか夫婦別姓に関係なく、自律的な主体性を自らの姿勢とすることができるかどうかにかかっている。自律的・主体的な生き方をするための必須要件として家族からの解放を出発点とし、「人間としての自由」を到達点とする場合を除いて、「家族から解放され」る、されないが「人間としての自由」を決定づけるわけでもなく、夫婦同姓の家族制度、あるいは夫婦別姓の家族制度が決定づける「人間としての自由」でも決してない。

 夫婦同姓下であっても夫に束縛さられて「人間として自由」を失っている妻はいくらでも存在する。夫から家庭内暴力を受けて耐え忍んでいる妻は典型的な例に入る。夫が家事・育児を何もせずに獲得している「自由」は「人間としての自由」ではなく、自らの横暴によって手に入れている単なる時間的自由に過ぎない。

 家事。育児の負担に束縛され、耐えている妻の例は夫婦共々自律的・主体的な生き方から程遠く、両者共に自律性・主体性を失っている点、妻だけではなく、夫にしても「人間としての自由」からは程遠い場所に位置していることになる。

 以上見てきたような安倍晋三のこれらの認識の偏りは伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」という形式だけに拘り、その中身としての「人間としての在り方」にまで考えが回らならない偏見を生み出す要因になっているはずだ。夫婦別姓は家族制度というよりも「人間としての在り方」により重点を置いていることに思い至らない。

 長浜博行が代表質問で指摘することになった安倍晋三の所信表明の「多様性」についての発言を再び見てみる。

 「『みんなちがって、みんないい』、新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」

 つまり安倍晋三が所信表明で追求を約束した「多様性」「新しい時代の日本」に合致することを条件としていることになる。そういった「多様性を認め合い、全ての人がその個性を活かすことができる。そうした社会を創る」と国民に向けて約束を掲げた。

 但し伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」を断ち切らなければ、「新しい時代の日本」に合致した「多様性」は追求不可能であるし、新しい時代が常に求めている「人間としての在り方」に踏み込むことはできない。

 なぜなら、伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」は家事・育児妻任せの点に典型的に現れているように古い時代からの男尊女卑の思想を残していて、新しい時代が求めている「人間としての在り方」は阻害され、殆どの夫・妻が自律的・主体的な生き方をしているとは言えないからである。

 だが、安倍晋三は長浜博行の代表質問に答えて、「夫婦の別氏の問題については、家族の在り方と深く関わる問題」だと答弁、「家族の在り方」を決定づけるのは伝統的な夫婦同姓の家族制度だけだと限定していて、「人間としての在り方」については何の考えも持たない。

 所信表明で「新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」「多様性を認め合い、全ての人がその個性を活かすことができる」と言いながら、夫婦別姓を「多様性」の一つと見ることも、「個性」の一つ、「人間としての在り方」の一つであると見ることができない。 

 伝統としてきた古い時代からの「家族の在り方」に足を踏み入れたまま、夫婦別姓も同性婚も日本に於ける新しい時代の「人間としての在り方」への欲求であり、「個性」であるという観点から眺めることもできない。

 そのような立場に立った夫婦別姓や同性婚抜きの「多様性」であるなら、何度口にしようとも、古い時代にとどまりながら、見栄えのよい政治家に見せるための口先だけで、内容空疎なの「多様性」に過ぎないことになる。

 安倍晋三は夫婦同姓の家族制度が必ずしも家族解体の防壁とはなっていないことから目を逸らし続けることになるだろう。夫婦別姓が家族解体の要因となるとする頭からの妄信から目覚めることもないだろう。

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