「ドブ板選挙」は時代遅れではないのか
*親離れが子供の成長を促す。
自民党離れが、日本の政治を発展させる。
日本の政治と政治家に緊張感をもたらす。
政権交代は
政治三流国から政治一流国へ向かう
一度は通らなければならない
普通の国への扉
10月22日(06年)投票の衆院神奈川16区、同大阪9区の同時補欠選挙の結果を殆どのマスコミが「自民2勝」、あるいは「自民連勝」の文字・言葉を見出しや解説に踊らせたが、民主党代表を小沢一郎へと仕切り直して、日本に真の2大政党時代が幕開けするのか、仕切り直しが効果なく、幕開けせずに民主党以下は日本が一党独裁の国ではなく、民主主義の政治形態を取っていることを証明し、且つ政権党である自民党を引き立てる形式的必要上からの永遠の野党の存在のままま終わるのか、国民の政治意識が問われている状況下の選挙である。いくら「両選挙区とも自民党の議席だったうえ、北朝鮮問題で逆風下の戦いだった」(『衆院補選 自民2勝』06.10.23.『朝日』朝刊)とはいえ、その影響があったとしても、神奈川16区の投票率が前回の64・77%を17・61%も下回って47・16%、大阪9区が前回の67・56%を15・41%も下回って52・15%だったことを考慮すると、「民主大敗北の2連敗」とすべきだろう。
両選挙区とも投票率が10%以上も下回ったと言うことは政権交代に向けた民主党の熱意を有権者が共有しなかったことの証明以外の何ものでもない。いわば政権交代の訴えを含めて民主党の政策は空回りした。有権者の関心を政権交代に向けることができず、元々腰は重いが、選挙結果を左右する頭数を有する無党派層の足を投票所に運ばせる程のエネルギー・気力を与えることができなかった。
なぜなのだろうか。大阪9区の場合、「昨年の総選挙で西田氏に敗れた大谷氏は、鳩山幹事長を陣頭に、地方議員や党職員を動員しての『ドブ板選挙』を展開したが頼みの無党派層に浸透しきれなかった」(同『朝日』)と解説しているが、「ドブ板選挙」と「無党派層」の関係がすべてを物語っているように思える。
「ドブ板選挙」はかつては有効であったとしても、今の情報化社会にあって、その有効性を失っているのではないだろうか。
テレビ・新聞等のマスコミが選挙に関わる恰好の話題を提供すれば、有権者はその方向にいとも簡単に顔を向け、関心を持つ。不特定大多数の有権者を情報の網に一挙に絡め取るのに対して、「ドブ板選挙」は標的を足と時間をかけて個別的に当たっていく分、マスメディア情報のインパクトと比較して見劣りを免れないのではないだろうか。
自民党総裁選での安倍晋三独走にしても、マスコミはまだ立候補者が特定されない段階で安倍有利の話題を提供し続けた。世論調査で誰が次の総裁にふさわしいか、期待するかと問いかけ、世論の形を取って、次は安倍の既成事実を積み上げていった。
昨年(05年)の9・11郵政民営化選挙の自民党圧勝にしても、マスコミが小泉人気と共に〝刺客〟だとか〝くの一〟だとか恰好の話題として提供した情報が有権者の自民投票への雪崩現象を引き起こした大きな要因となったはずである。
このようにマスコミの動向が選挙の動向を決定づける時代となっている。
つまりマスコミ提供の〝話題〟がその情報源である党のテレビコマーシャルよろしく、創価学会員は投票することが宗教的使命(?)となっているから、彼らや支持政党が明確な有権者を除いて、支持政党を決めかねて選挙のたびに投票先が変わる有権者や政治にさして関心があるわけではなく、投票したりしなかったりといったいわゆる選挙戦の大勢を決定しかねない比較多数の無党派層の〝購買意欲〟ならぬ投票意欲を掻き立て、投票所に引きつけて選挙の大勢を決定する構造の選挙となっているのではないだろうか。マスコミによるたいした話題の提供がなければ、無党派層を引きつけて大勢を左右するといった事態が起こらない代わりに、日常的に話題を提供し、情報の場に顔を出している政権党である自民党にどうしても有利に働く。
一見して「ドブ板選挙」が有効な力を発揮したと見えても、有権者の関心を強く引きつける恰好の話題がマスコミによって既にお膳立てされている場合に限るのではないだろうか。例えば今年(06年)4月の千葉7区の衆院補選では小沢民主党新代表はみかん箱だかの上に立って街頭演説する姿がテレビ画面に取り上げられたが、新代表就任早々の国政選挙であったために注目が集まり、新鮮な話題を提供し得たこと、そして民主党候補者が若くて美人の元県議だった女性であり、しかも元風俗に勤めたことがあるという異色の経歴がテレビ・新聞を通じた話題の提供に寄与したことが民主党にわずかながらも有利に働いた選挙結果であり、いわゆる小沢一郎が同時並行に展開した「ドブ板選挙」自体は当選にそれ程貢献しなかったのではないだろうか。
ロッキード事件にしても、消費税導入、あるいはその増税であっても、その報道は〝話題〟の提供であって、それがそれぞれの党に於いて負の〝話題〟となるか、正の〝話題〟となるかで、不利・有利の力学が働き、選挙結果を左右していくということであろう。
今回の補選にしても、投票日4日前の初の小沢・安倍党首討論で安倍首相を追いつめ、答に詰まらせる場面を展開できたなら、マスコミが大々的且つ興味本位に取り上げ、それが民主党にとって恰好の正の〝話題〟提供となって、安倍首相の自身の人気に乗っかった応援演説の効果を半減させ、選挙戦を有利に運べた可能性も期待できただろうが、残念ながら党首討論は消化不良を与えたに過ぎなかった。逆に小沢代表が安倍首相を追いつめることを期待していた有権者にとって、期待外れからの失望が民主党に不利に働いた逆の可能性も否定できまい。
となると、自民党に関わる負の〝話題〟をマスコミから期待できない状況下の選挙では、民主党は自らが自らの党に正の〝話題〟となる情報を提供する以外に、選挙に勝つ希望は持てないということになる。逆に自民党が正の〝話題〟提供に事欠かない選挙では、昨年の9・11選挙のように自民圧勝・民主大敗となる可能性大となる。
補欠選挙といった部分選挙は他県からの、例えば北は北海道から南は沖縄まで一人区で民主党が議席を独占している選挙区の民主党支持者を民主党カラーの揃いのTシャツ姿で<○○県連政権交代民主党応援団>といった幟旗を掲げて選挙応援に投入するとか(勿論無報酬でなければ選挙違反に問われると思うが)、あるいは民主党支持者のタレントを、同じく政権交代民主党応援団として選挙演説に加えるとか、マスコミが話題として取り上げる戦術も必要ではないだろうか。自民党を除名となった亀井静香や「大地」の鈴木宗男といった、〝負〟のイメージを持った政治家と連携するような、同じなりふり構わない戦術を取るとしたら、遥かにましな方法に思えるが。
この情報化時代にあって、「ドブ板選挙」はどうしても時代遅れ、あるいは時代錯誤の選挙戦術に思えて仕方がない。