高知東生覚醒剤逮捕:介護を自己存在証明の手立てとすることと俳優を自己存在証明の手立てとすることの違い

2016-06-26 10:18:32 | Weblog
 

 高知東生(たかち・のぼる 51歳)が覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕された。元俳優と書いてある肩書に、いつ俳優業を引退したのか知らなかったから、驚いた。

 尤も気に入りの俳優ではない。理由は私自身の感覚だが、顔の表情から軽薄な感じがどうしても見えてしまう。

 ついでに言うと、同じ年齢の妻である高島礼子も気に入りとは言えない。まあ、彼女を気に入っているフアンがゴマンといるだろうから、少しぐらいの不満分子の存在など、どうってことはないはずだ。

 確かに美人である。だが、平板な感じがして、年齢相応の深みを感じさせない。テレビドラマで喋るセリフは脚本家が書いた通りを喋るのだろうが、それでも役柄となっている一個の女性をそこに存在たらしめる以上、言葉そのものに、あるいは感情がつくり出す表情に起伏や陰影といった変化を感じさせていいはずだが、ストレートで希薄な存在感しか感じることができない。

 勿論、既に述べたように逆の存在感を感じるファンはゴマンといるはずだ。だから、主演作も多いということなのだろう。

 高知東生逮捕で一番驚いたのは彼が俳優業を引退した理由である。マスコミが伝えている情報によると、昨年12月公開の映画「W~二つの顔を持つ女たち~」を最後に昨年6月、芸能界を引退。

 妻である高島礼子の父親が10年以上もパーキンソン病に患っていて、その自宅介護のためだそうだ。

 自分の父親でもない義父の介護のために俳優業を引退する。ちょっと考えられない並大抵ではない身の振り方である。

 映画「W~二つの顔を持つ女たち~」の荒筋をネットで調べると、昼間はそれぞれの職業を持って生活している若い女性たちが夜はガールズバー「W Lounge」で働いているという体を装って探偵事務所を職業とし、女性の敵と戦うというストーリーらしい。

 高知東生はテレビ番組「必殺シリーズ」の中村主水のような探偵事務所を取り仕切るボス役なのか、あるいは悪役の方なのか、そこまでは書いてなかった。

 ネットで高知東生のことを調べている内に元アナウンサーで現在テレビのワイドショーでリポーターとかを務めている武藤まき子女史の高知東生の介護について書いた「高知東生くん、気張らんでね 介護は、ひとりで全ては無理」ZAKZAK/2015.07.08)なる記事に出会った。   

 その中で武藤まき子女史は自身の母親の介護について書いている。入退院を繰返しながらの自宅介護と介護付きの病院に入院させてからの介護。

 但し日々の介護に携わっていたのは彼女の姉と妹であって、女史自身はテレビ業界に仕事を持っていたために月2回自宅や病院に駆けつけて介護につく。

 こう書いている。

 〈月に2度は、妹たちにもゆっくりしてもらおうと母の元へ。私にできることは私なりにやってきたが、姉妹の間で感情的にぶつかり合うことも度々。そんな中、母より先に死にたいと言っていた父は、小康状態の母を残して逝った。

 それから4年、介護付きの病院に入り、表情も口数も笑うことすら忘れた母は、月2回訪れる私に「あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから」と言葉をくれた。〉――

 「姉妹の間で感情的にぶつかり合うことも度々」と書いていることは姉と妹が自分たちに介護の苦労を押し付けて、実際の介護の苦労も知らずに自分は月2回の介護で済ませて、それを以て親の介護だとしていることに対する不満からであろう。

 だが、武藤まき子女史は「私にできることは私なりにやってきた」と、子の親に対する介護の務めを曲りなりに果たした自負を見せている。

 その根拠を「月2回訪れる私に『あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから』と言葉をくれた」ことに置き、それを以て正当性に当てている。

 但し母親の言葉の裏にある自分の二人の娘との葛藤、いわば武藤まき子女史の姉と妹と母親との葛藤がそう言わせていることに気づいていない。

 特に自宅介護はそうなのだが、常に限られた空間と限られた人間関係の中で限られた人間の支配を受けることになる介護の性質上、人間関係が近過ぎ、我慢しなければならないことを知っていながら、どうしても感情のこじれが生じやすくなる。お互いが生じさせては反省して、お互いが許し合おうとするが、そうしようとしたことも忘れて、また感情のこじれを生じさせる。その繰返しが介護に付き纏い、ときにはしこりとなって残り、しこりが感情をこじらせる火種となってわだかまることになる。
 
 そのような感情の反復が忍耐の限界を超えると、介護そのものに嫌気が差し、介護している相手が親であっても、親に嫌気が差し、介護に縛られている自分にも嫌気が差して厭世気分に取り憑かれて、介護殺人とか介護心中とかが起きることになるのだろう。

 いわば介護する側にとってそれが例え肉親であっても、自分の思い通りにならないとき、それが相手の我儘に見えて、実際にも我儘その通りの時もあるが、母親が疎い(親しみが持てない。煩わしく思う)存在になる。

 それが高じると、ときには憎悪にまで発展し、「いい加減にしてよっ」と怒鳴りつけたり、言うことを聞かせようと手を上げたりすることになる。

 このような段階で子にとって親は愛憎の対象となり、人間は相手の感情に応じる感情の生き物だから、親は子どもの愛憎の感情を感じ取って、子を愛憎の対象とする感情の悪循環に陥ることになりかねない。

 だが、武藤まき子女史は月2回の訪問だから、母親の方もあれこれ世話を焼いて往々にして疎ましい思いをさせる姉や妹に対するよりも言うことを聞く気持になって介護がしやすくなり、結果として母親に疎い思いをさせる関係からも、母親を疎い思いにする関係からも離れていることができた。そういった思い通りにならない人間関係が生み出す感情のこじれに手を染めずにいられた。

 姉妹と違ってこういった葛藤のなさが武藤まき子女史への素直な愛情となって現れて、「あなたは仕事をしなさい。ここに来る時間がもったいない。母さんは大丈夫だから」と言わしめたはずだ。

 大体が「母さんは大丈夫だから」は姉妹の介護があっての大丈夫なのであって、自分一人では大丈夫ではないのだから、かなり勝手な理屈となるのだが、武藤まき子女史はその背景を考えることができなかったようだ。

 かくこのように介護は難しい。精神的報酬として日々満足感を与えられることは少なく、逆に憎悪を日々の精神的報酬としなければならないこともある。職業上の介護士が少ない給料でも仕事を続けていられるのは、他人という近づき過ぎることはない人間関係を保つことができることも一因であるはずだ。

 満足感を得ることができずに、憎悪をばかりを日々の精神的報酬とすると、精神的に疲労困憊することになる。 
 
 武藤まき子女史は高知東生の俳優から自宅介護への転身について次のように書いている。

 〈俳優、高知東生(50)が義父の介護生活を支えるため、第2の人生を歩くことを決意。実際に直面しても、心は揺れる。介護に疲れ、命を捨てる人が多いのも現実。

 取材で会うたびに見せる優しい笑顔に、高島礼子(50)もいい男を選んだと思っていた。マンションが近く、クリーニング屋さんが同じことを話すと、「えらいこっちゃ、まぁニュースになるようなことはないよ」とおどけたことも。

 私は、本音で向き合う彼の姿に嘘はないと思っている。「嫁さんより、俺のほうが何でもできるんや」。この言葉を思い出す。

 介護だけだと先が見えなくなる。偉そうなことは言えない私だが、ひとりで全ては無理。時には自分の好きなことに時間を忘れることも必要。気張らんでね。〉――

 相当楽観的に見ているが、長年、俳優として一定程度の地位を得て、そのことを高知東生なりに輝かしい自己存在証明の手立てとしてきたはずの人間が、その輝かしい自己存在証明の手立てを俳優を引退することで捨ててまでして、活動自体が地味であるゆえにその輝かしさを失わせ、ときには相手が疎ましい存在になることも、ときには憎悪の対象としかねない、日々の精神的報酬が少ない介護を自己存在証明の手立てとすることが決して生易しいことではない覚悟をした上で俳優を引退し、血が繋がっているならまだしも、血の繋がっていない義父の介護を選択したのだろうか。

 とても信じることのできない転身に見える。今年5月、と言うと、先月になるが、横浜市内にエステサロンをオープンさせたとマスコミは伝えている。

 介護する方が精神的に追いつめられることもある、その息抜きのオープンなのだろうか。

 だとしても、俳優時代の輝かしい自己存在証明に変え得る自己存在証明の手立てとするには一店や二店の経営では追いつかないはずだし、それまで自分なりの輝かしい自己存在証明の手立てとしていた俳優を自分から引退してまで、それを介護に変えたそもそもの奇異な転身を解く鍵とはならない。

 俳優で売れなくなった、あるいは何らかのスキャンダルで芸能界にいられなくなったと言うなら、少しは理解できる。

 「スポニチ」の報道によると、高知東生が逮捕されたのは横浜市のラブホテルで、33歳のクラブホステスと宿泊していたという。その際室内から覚醒剤約4グラム、大麻タバコと乾燥大麻計約2グラム、ストロー、ガラス製の小瓶などが見つかり、ホテルの駐車場に停めたホステスの車からは薬物が入っていたとみられる空のポリ袋が見つかったったと伝えている。   

 要するに二人共々セックスの激しい快感を得る道具として覚醒剤を使用していた。

 ここに誰もが常習性を見るはずだ。

 義父の介護に専念とは架空話で、実際は高島礼子が夫の覚醒剤の常習に気づいて、自身の地位を守るためにも因果を含めて義父の介護を口実に俳優を辞めさせたとしたら、俳優として自己存在証明の手立てとしてきたことを引退することで捨てたという経緯も納得がいくし、架空話だから、俳優の代わりに介護を自己存在証明の手立てとするかのように見せかけた話も十分に納得がいく。

 勿論、事実は今のところ不明である。

 但し介護が、介護を受ける側にしても介護をする側にしても、当事者同士共にそんなに生易しいことではないということは確実に言うことができる。その多くが肉親だから止むを得ないという感情からの選択であって、だから仕事か介護かといった二者択一を迫られることになり(生易しければ、仕事をしながら、その合間に介護はできることになる)、介護離職者を多数作り出すことになる。 

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