天皇絶対主義体制下の遺物元号制度は日本国憲法に反しているか、少なくとも憲法に抵触、その精神に違反

2019-02-02 12:02:45 | 政治

 平成の今生天皇が2019年4月30日に退位、皇太子が翌5月1日に即位、平成からどのような元号になるか、世間は興味を湧かせている。ここで忘れてならないのは戦前に於ける元号は天皇の御代(=天皇の治世)を表していたということである。

 敗戦後以降は天皇は日本国憲法によって治世者(=統治者)ではなく、国家・国民統合の象徴となったが、元号が戦前のように天皇の御代(=天皇の治世)を表してはいなくても、それぞれの天皇の時代を表現していることに変わりはない。今の天皇が死去すれば、平成天皇と称号され、平成はまさに平成天皇の時代であったことの姿を顕にすることになる。平成を平成天皇の時代とすることは現憲法に於ける日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であることに反しないだろうか。

 なぜなら、日本国憲法が日本国民を主権者(国家の主権を有する者)と規定している以上、常に国民の時代でなければならないからである。些かも天皇の御代であってはならないし、天皇の時代であってもならない。いわば元号制度は天皇絶対主義体制時代の遺物としての様相を未だ引きずっている。

 明治元年、明治政府は天皇の意志を伝える詔書――「一世一元の詔」を発布して、元号を「明治」とすると共に一世一元(天皇一人につき、一つの元号)の制度とすることを定めた。その詔書と大正天皇の「改元ノ詔書」が如何に天皇の御代(=天皇の治世)を表現しているかを見てみる。
明治十五年 七月三十日 官報

 「一世一元の詔」は次のように宣誓している。

 〈太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。

 朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。

 乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。

 其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。

 今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。〉(「Wikipedia」)――

 意味を各種ネット辞書で調べてみた。

 ⚫「太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。」(たいいつをたいしてくらいにのぼり、けいめいをうけて、もってげんをあらたむ。まことにせいだいのてんけいにして、ばんせいのひょうじゅんなり)

 「天地・万物の出現・成立の根元となる気を身に纏って天皇の位に登り、景命(天上界の人の命)即ち皇祖皇宗(天皇の始祖と当代に至るまでの歴代の天皇)の命を受けて、元号を改める。誠に聖天子(徳の高い天子)が治める世の模範・代表例であって、限りなく長く続く世の基準とする」

 ⚫「朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す」(ちん、ひとくといえども、さいわいにそそうのれいにたより、つつしみて、こうしょをうけ、み、ばんきのまつりごとをみずからす)

 「私は徳が足りないが、歴代の天皇の霊魂に頼って、謹んで天皇が国を治める事業(鴻緒)を引き継ぎ、私は政治上の多くの重要な事柄「万機」を自ら行ないます」

 ⚫「乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す」(すなわちげんをあらためて、かいだいのおくちょうとともに、こうしいっしんせむとほっす)

 「即ち元号を改めて、天下の万民と共に古いものを改めて、新しく始めることを欲する」

 ⚫「其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す」(それけいおうよねんをあらためて、めいじがんねんとなす)

 「元号を慶応から明治に改めて、慶応四年を明治元年とする」

 ⚫「今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ」(いまよりいご、きゅうせいをかくえきし、いっせいいちげん、もってえいしきとなす。しゅしゃせこうせよ)

 「今後、旧制を改めて、一世一元とし、将来に亘る方式・制度とする。主となって事を引き受ける責任者(=政治を引き受ける者)は実行せよ」

 明治以前は天皇が変わらなくても、疫病が大流行したり、大自然災害が発生して甚大な被害を受けると、縁起から元号を変えることがあったそうだが、明治以降、何が起ころうともも天皇一代一元号とした。

 このことだけを取っても、天皇という存在の絶対性を強めている。

 〈洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。〉との表現で、「誠に聖天子(徳の高い天子)が治める世の模範・代表例であって、限りなく長く続く世の基準とする」としている点、「祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す」との表現で「謹んで天皇が国を治める事業(鴻緒)を引き継ぎ、私は政治上の多くの重要な事柄『万機』を自ら行ないます」としている点は、天皇の御代(=天皇の治世)そのものの表現であり、その絶対性を宣言していることになる。

 明治元年の「一世一元の詔」に既に現われていた天皇という存在の絶対性が1889年(明治22年)2月11日公布、1890年(明治23年)11月29日施行の大日本帝国憲法に於ける「神聖にして侵すべからず」といった天皇の絶対性の明文化に繋がっていたはずだ。

 明治15年7月30日の官報によって発布された大正天皇の「改元ノ詔書」を見てみる。

 〈朕菲徳ヲ以テ、大統ヲ受ケ、祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ。

 茲ニ先帝ノ定制ニ遵ヒ、明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ、大正元年ト為ス。

 主者施行セヨ。〉

 「私は徳が足りないが、大いなる皇統(「大統」たいとう)を受けて、先祖代々の天皇(「祖宗」そうそう)の霊に告げて、多くの重要な政(まつりごと・万機)を行う。

 ここに明治天皇が定めた制度に従い(あるいは遵守し)、大正と改元する。主となって事を引き受ける責任者(=政治を引き受ける者)は実行せよ」

 昭和天皇の「改元の詔」を見てみる。

 〈朕皇祖皇宗ノ威靈ニ頼リ、大統ヲ承ケ萬機ヲ總ス。

 茲ニ定制ニ遵ヒ元號ヲ建テ、大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ、昭和元年ト為ス。〉

 「萬機ヲ總ス」の「總ス」(ふす)は「統べる」(すべる=統率・支配すると同意味)

 「私は始祖から始まる当代までの歴代の天皇(皇祖皇宗)の威光を頼みとして大いなる皇統(大統)を受け継ぎ、政治上の多くの重要な事柄(万機)を統率・支配する」

 明治天皇の「一世一元の詔」から比べると、大正天皇と昭和天皇の詔書からは天皇の絶対性は影を潜めていて、文章も短くなっている。だが、既に「神聖に侵すべからず」の絶対的存在性、現人神として絶対的存在性を(昭和天皇は終戦まで)確立させていて、そのような存在性を背景としていることを考慮すると、大正天皇の「大統ヲ受ケ、祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ」にしても、昭和天皇の「皇祖皇宗ノ威靈ニ頼リ、大統ヲ承ケ萬機ヲ總ス」にしても、明治天皇の絶対性に劣らずにそれぞれの詔書は天皇の御代(=天皇の治世)を表現している。

 そして昭和天皇は戦後、象徴天皇に姿を変えたが、天皇の御代(=天皇の治世)を表す元号のままに在位した。戦後の日本の政治家と日本国民はこの矛盾を放置した。
 
 昭和天皇が死去する1989年(昭和64年)1月7日よりも10年前の1979年(昭和54年)に「元号法」が成立した。
 
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。

 「政令」とは、「憲法および法律の規定を実施するために内閣が制定する命令」のことだとネットで紹介している。この元号法は「一世一元」との言葉を用いていないが、「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」との規定は「一世一元」意味していて、「元号法」に於いても、元号は天皇の時代を象徴することになる。

 民主化された日本にあって、天皇の時代であることは、天皇主義者安倍晋三はそうはしたくないだろうが、影一つ残すことなく払拭しなければならないはずである。改めて言うが、常に主権者である国民の時代でなければならない。

 日本が天皇絶対制から戦後に民主化された以上、戦前の大日本帝国憲法は「第1章天皇 第1条」で、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としていて、天皇を主権者と位置づけているゆえに天皇の御代(=天皇の治世)を表す元号は許されるが、日本国憲法下で国民主権への移行を迎えている状況下で戦後も天皇の時代を表すことになっている戦前の遺物である元号制度を存続させている。(青文字加筆――2019年2月3日15:35)

 元号を前時代の遺物として残してはならないということである。だが、現在も残している。主権者でもない天皇の時代を表す元号を残すことは日本国憲法に反しているか、少なくとも憲法に抵触、その精神に違反していると言える。

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