心愛さん虐待死は父親を直接的な加害者とし、大人としての責任不履行の母親や児相・市教育委・学校教師による共同殺人そのもの

2019-02-05 13:46:35 | 事件
 

 安倍晋三:2019年1月28日通常国会施政方針演説

 「五年連続で今世紀最高水準の賃上げが行われました」

 「今世紀最高水準賃上げ」結果のアベノミクス成果とは経済界の尻を叩いて賃上げさせ、実感なき景気を実現させたことを言う。
 統計不正で実質賃金下げとなったら、その可能性大だが、見た目は堂々のハリボテ景気そのもの。


 2019年1月24日、千葉県野田市立小4年生10歳の栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で父親に殺害された。傷害容疑で逮捕された父親は「当日の午前10時から生活態度のしつけをした。抵抗されたので、浴室で冷水のシャワーをかけたら様子が急変した」と警察に対して供述したと言う。その後の取調べで継続的な虐待が判明した。

 安倍晋三が2019年1月28日の通常国会施政方針演説で、虐待から「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です」と宣(のたまわ)った。では、安倍晋三自身が一国の首相としてその責任をどれ程に心に留どめていたかと言うと、演説で例に上げた虐待死が約1年前の2018年3月2日の父親の継続的な暴行を受け、搬送先の病院で5歳の幼さで死亡した少女の例であって、4日前の事件ではなかった。

 いわば4日前に継続的に繰り返されている悲劇が既に起きているにも関わらず、約1年前の例を取り上げて、「あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません」などと、跡を絶たない継続性を無視できる神経から見た責任感は薄っぺらさしか見えてこない。

 いずれにしても「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任」であるなら、再び虐待死が起き以上、周囲の大人たちが自らに与えられている責任を与えられたとおりに果たさなかったことになる。大人の立場からの責任の履行という観点から、今回の虐待死をマスコミ報道に頼って見ることにする。

 父親は約10年前、沖縄出身の母親と結婚、沖縄に在住。心愛さんが生まれた数年後に一度離婚、2017年頃に再婚。その頃から母親は父親から家庭内暴力(DV)を受けているとの情報が行政に寄せられていた。

 2017年7月、母親の親族から在住地の沖縄県糸満市に「妻が夫から暴力を受けている。子ども(心愛さん)も恫喝)されている」と相談があった。内容は母親が殴られたり、叩かれたりの暴行や、「お前は無能だ。何もできないバカだ」といった暴言を受けているというものや親族や友人との連絡を禁じられているというものだった。

 電話やお金の使い方も細かく管理されていた。糸満市は母親への聞き取りを試みたが、次女(1)が低体重で生まれた後の入院で、DVの有無を確認できなかった。その後、一家は糸満市から千葉県野田市に引っ越す。

 父親は約10年程度の離婚期間後の再婚の頃から母親への家庭内暴力が始まった。離婚期間内の妻の男関係を疑っての家庭内暴力の可能性が高い。その間、妻は離婚した夫に対して何の義理立てもなく、夫は手が届かなくなった存在の行動を縛るどのような権利も持たない。児童相談所には児童、保護者等に対して心理療法、カウンセリング等の指導を行う心理療法担当の職員を置いているそうだが、市が女性から家庭内暴力の相談を受けた場合、その夫に対してカウンセリングを行ない得る心理療法士を適宜手配できる体制を整えて置くべきだろう。

 勿論、全てに役立つ保証はないが、力だけは尽くすべきだろう。

 いずれにしても糸満市は相談に訪れた母親の親族の情報源は妻からと考えるべきで、確認のために親族に情報源を問うか、そう考えなかったとしても、情報源を尋ねることを手続き上の義務としなければれならなかった。

 ところが、糸満市は母親への聞き取りを試みたが、次女(1)が低体重で生まれた後の入院で、DVの有無を確認できなかった――としても、聞き取り可能な別の機会を設けて、DVなのか、DVでないのか、明確に確認すべきだった。

 勿論、母親の親族が母親に直接的に頼まれたわけではなく、察して市に相談したということもある。どちらの事例であっても、市の母親への聞き取りの結果、市が父親と接触することになった場合に母親への聞き取りが知られることを恐れて、母親がDVを隠すということもある。

 当然、一度でDVが確認できなかったからと言って、それだけで片付けてしまうのではなく、市が市民を守る義務を負っている以上、様々な事例を考えて、警察が行う自宅周辺への聞き込み等まで行なって、DVの有無いずれかを明確にするところにまで踏み込まなければならなかった。

 ところが、DVが行なわれているとも確認できず、行なわれていないとも確認できない不明確な結果に終わることになった聞き取りを試みたでけで、幕引きを行っている。

 糸満市の職員は大人としての責任を誰一人満足に果たさなかった。このことが父親の10歳の自分の娘に対する虐待とその結果のその子の虐待死の一つの遠因となっている可能性は決して否定できない。

 2017年に10歳の女の子は小学校の担任に「父からいじめを受けている」と自ら相談した。小学校の聞き取りに対して「お父さんから背中や首を叩かれたり、顔をグーで叩かれたことがある。『てめえ早く宿題をやれよ』と言われたこともある」と訴えたという。

 小学校は野田市に相談したのか、市の担当部署が柏児童相談所に虐待の疑いがあると連絡、一昨年―2017年11月から12月にかけて心愛さんを一時保護した。その際、心愛さんの右頬にあざがあり「夜、お母さんがいない時にたたかれることがある。優しい時もあるが怒るとこわい」と話していた。

 柏児童相談所は一時保護の期間中、両親と8回に亘って面談。父親は「咳き込んだときに抱きかかえるなどしたことはあるが虐待は思い当たらない」と話した。

 児童相談所は10歳の女の子の全身を右頬のあざ以外に虐待の痕跡があるかどうか調べたのだろうか。例え一時保護の際には右頬のあざ以外に虐待の痕跡が確認できなかったとしても、右頬のあざと父親の「虐待は思い当たらない」との釈明との食い違いをどう解釈したのだろうか。10歳の女の子の言い分を事実と見たのか、父親の釈明を事実でないと見たのか、あるいは逆に娘の言い分を事実でないと見て、父親の釈明を事実と見たのか。

 この際、母親も父親からDVを受けていたから、下手なことは口にできない制約下にあって、当たり障りのないことしか話さなかった可能性がある。児相はこういった母親の状況や心理をも観察して、虐待の有無の判断材料にしなければならない。

 児童相談所が記者会見で「虐待は思い当たらない」とした父親の釈明を紹介したことと、2017年11月に保護して状況が改善されたとの理由で1ヶ月後の12月に保護を解除したところを見ると、父親の釈明により正当性を置いていたことを窺うことができる。

 心愛さんは保護解除後、一旦親族の家で暮らし、去年3月から両親の元に戻された。但し児童相談所は通っている学校に虐待の兆候がないか様子を観察するよう求めたものの、自宅訪問は一度もせず、両親との面談も行っていなかった。もし10歳の女の子の言い分により正当性を置く解釈を施していたなら、保護解除後の自宅訪問なし、面談なしで済ますことができただろうか。

 もしできたとしたら、児童相談所の職員を廃業した方がいい。

 また、児童相談所であるなら、子どもに対する虐待にしても、妻に対する虐待にしても、両者に対して自身を支配者とすることができる快適さ――自身を偉大な人間とすることができる快適さが習慣性を与え、一時的な改善が当てにならない、再発しやすいということに留意しなければならない。

 このことに留意していたなら、一時保護解除後の対応も自ずと違ってくるが、留意したと窺うことができる対応を見ることはできない。

 柏児童相談所の二瓶一嗣所長が記者会見で次のように述べている。

 「一時保護を解除したことはその時点では妥当な判断だと思っているが、子どもの命を守ることを使命としているので、お亡くなりになったことは断腸の思いだ。変化に気付くための対応が不足していた」(NHK NEWS WEB

 すべきことをせずに、「変化に気付くための対応が不足していた」とは物は言いようである。一時保護解除を妥当な判断とした。そしてそのような判断を導き出すことになる前段階での様々な場面での様々な解釈如何によって、その後の対応が不足したり、十分であったりする。

 つまり妥当な判断としたことにその後の対応を全て寄りかからせてはならないということである。寄りかからせることができるなら、この世に万が一という事態は存在しないことになる。

 妥当な判断を導き出すことになる前段階での様々な解釈にしても、常に正しいという保証はない。そのような不確かさに基づいてその後の対応を決めなければならなかったのだが、そうしなかった。再発の可能性への留意もなかった。

 児童相談所にしても、役目として負っている大人としての責任を満足に果たしていなかった。
 2019年1月に入って、父親は学校に対し「娘は妻の実家がある沖縄に行っていて、1月一杯は休ませる」と連絡、心愛さんはそのとおりに学校を欠席することになった。学校は父親の虐待歴を考えずに、また、虐待というものの習慣性も考えずに素直に父親の申し出を受入れ、沖縄の親戚に確認することもしなかった。

 このとき確認していたなら、救えた命となっていた可能性は出てくる。危機管理は常に最悪の事態の想定をスタートとしなければならない。

 心愛さんが学校を休んでいる間、隣のアパートに住む40代の女性が「ほぼ毎日のように女の子の泣き声と、男性の『うるさいんだよお前は』といった声が聞こえていましたが、ここ2週間ほどはその回数が増えて、声も大きくなった気がしました。怖さもあって、何もすることができず心苦しいです」(NHK NEWS WEB)と証言しているという。

 ある児童に対する虐待の疑いが出てきたとき、その習慣性を考慮して、児童相談所の対応だけではなく、警察は隣近所の住人をより確かな情報源として確保、聞き込み等の接触を図った場合は虐待加害者に見咎められ、一悶着を起こされかねない危険性から、電話連絡で秘密裏に情報収集を図る必要があるのではないだろうか。
 少なくとも今回の場合はそのような措置を取っていなかった。
 心愛さん死亡確認の1月24日の2日後の1月26日に小学校では保護者会が開かれ、その後、校長が記者会見に応じている。
 「心愛さんは非常に頑張り屋で学級委員長を務めていました。誰とでも仲よく付き合って、とても笑顔が優しい印象を持っています。毎朝、登校してきた時に元気にあいさつをしてくれました。大切な子どもの命が奪われ悲しい気持ちでいっぱいです」(NHK NEWS WEB

 学校自体が学校社会に生きる大人としての責任を果たしてもいないのに「大切な子どもの命が奪われ悲しい気持ちでいっぱいです」と言うことができる。

 小学校では2017年11月にいじめに関するアンケートが行なわれた。アンケート上部欄外には「このアンケートは、みなさんが、いじめのないたのしいがっこうせいかつができるようにするためのものです。ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と記されているという。

 それから約3ヶ月後の一時保護解除後の昨年―2018年1月、父親が小学校を訪れ「娘に暴力は振るっていない」とか「人の子どもを一時保護といって勝手に連れて行くのはおかしい」などと抗議した。

 と言うことは、学校が父親にアンケートのことを知らせたか、学校が児相に連絡、児相が父親に知らせたか、いずれかでなければ、アンケートのことを知りようがない。
 
 父親は抗議のあと、アンケートの回答を見せるよう強く要求した。学校は「個人情報なので本人の同意もない中、父親でも見せることはできない」と拒否。

 3日後に父親が心愛さんの同意を取ったとする書類を持って市の教育委員会を訪れた。教育委員会がアンケートのコピーを渡したのは同意書があるということではなかった。児童相談所にも渡すことについて相談もしていなかった。

 2019年1月31日の記者会見で次のように述べている。NHK NEWS WEBの動画から。

 担当者1「誠に申し訳ございませんでした。アンケート結果を見せろ、閲覧させろ、コピーを写せというような要求がありました。学校の先生、教育委員会の職員とも、父の威圧的で執拗な態度に恐怖を感じた」

 担当者2「正しいのかという部分も迷いながら、最終的に要求に屈してしまった。危機感というところまでは至ってなかっと記憶しています。心に引っかかりながら、仕方なく渡してしまったと記憶しております」

 担当者1は「恐怖を感じた」中に自分たちだけではなく、学校の先生まで入れている。市教委は大抵市役所や区役所内にあって、学校とは場所を別にしている。学校の先生まで加えることで、自分達の罪を薄める薄汚い心理が働いた可能性を疑うことができる。

 担当者2が言っている「危機感というところまでは至ってなかっと記憶しています」は、虐待死に至るところまでの危機感は考えなかったということだろう。だが、父親が市教委を訪れたのは2018年1月である。それから父親に殺されるまでの約1年間、何の手も打っていなかった。この大人としての責任の欠如は底なしで、如何ともし難く、大人であることの資格を失う。

 いくら娘の同意書を持っていても、アンケートの写しを見せろと要求すること自体、それが紳士的な態度を以ってして行なわれたとしても異常であるのに、相手に恐怖心を抱かせる程の恫喝的な態度を取った。

 つまり父親はアンケートに自分に都合のいいことは書いてないことを察していた。その内心の怒りが恫喝的な態度となって現われ、写しを見せた場合の父親の娘に向かう怒りとなり、暴力となることを考えなかったとしたら、その感性や想像力は大人の資格を失うだけではなく、教育行政を担う資格を失う。

 昨日―1月4日、父親の虐待を止めなかったとして母親が傷害の疑いで県警に逮捕されたという。

 つまり母親も大人としての責任を自ら考えず、自ら果たすこともしなかった。

 警察が傍観の罪として逮捕するなら、虐待防止法に強姦罪ならぬ傍観罪を設けるべきであろう。近親者だけではなく、学校教師や児童相談所職員も、深刻に捉えず、満足な対応を取らずに子どもを死なせてしまった場合、傍観罪に問われる可能性も出てくる。

 千葉県野田市小4女子児童虐待死は父親を直接的な加害者とし、大人としての責任は果たさなかった母親や児相・市教育委・学校教師による共同殺人そのものである。

 心愛さんは自己主張のしっかりした生まれつきを持っているようだ。自己主張が強いということではない。強いだけと言うと、義務は満足に果たしていないことになる。自己主張がしっかりとしているから、学校のアンケートが無記名であっても、自分の名前を書き、学校に虐待を訴えることができた。

 自己主張が娘よりも劣るゆえに、勤め先では何も自己主張できないのだろう、娘の生まれつきの自己主張に嫉妬し、嫌い、虐待となって現われたのかもしれない。

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