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安倍晋三:2019年1月28日通常国会施政方針演説 「五年連続で今世紀最高水準の賃上げが行われました」 「今世紀最高水準賃上げ」結果のアベノミクス成果とは経済界の尻を叩いて賃上げさせ、実感なき景気を実現させたことを言う。 統計不正で実質賃金下げとなったら、その可能性大だが、見た目は堂々のハリボテ景気そのもの。 |
【お断り】一昨日―2019年2月2日のブログ、《天皇絶対主義制下の遺物元号制度は日本国憲に反しているか、少なくとも憲法に抵触、その精神に違反 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で少々言葉足らずであったために以下の趣旨で加筆しておきました。 〈戦前の大日本国憲法は「第1章天皇 第1条」で、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としていて、天皇を主権者と位置づけていた。だから、天皇の御代(=天皇の治世)を表す元号は許されるが、日本国憲法下で国民主権となりながら、戦後も天皇の時代を表すことになっている元号制度を存続させているのは戦前の遺物であって、憲法違反か、憲法に抵触することになる。〉 |
2019年1月24日、千葉県野田市立小4年10歳の栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で父親に殺害された。父親は「当日の午前10時から生活態度のしつけをした。抵抗されたので、浴室で冷水のシャワーをかけたら様子が急変した」と警察に対して供述したと言う。その後の取調べで継続的な虐待が判明した。
この残酷な事件は父親が自分の娘に手を下した虐待殺人であるが、児童相談所や学校、市教育委員会による間接的共同殺人の様相を見せている。児童相談所も学校も市教育委員会も過去の父親や母親の暴力を受けた子供の虐待死を何一つ学習していなかった。父親の残忍さと児童相談所や学校、市教育委員会の無能のみが浮かんでくる。
栗原心愛さん虐待死4日後の2019年1月28日に衆参本会議で第198回通常国会に於ける「安倍晋三施政方針演説」(首相官邸)が行なわれた、この虐待死を取り上げている。
安倍晋三「子どもたちこそ、この国の未来そのものであります。
多くの幼い命が、今も、虐待によって奪われている現実があります。僅か五歳の女の子が、死の間際に綴(つづ)ったノートには、日本全体が大きなショックを受けました。
子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です。
あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません。何よりも子どもたちの命を守ることを最優先に、児童相談所の体制を抜本的に拡充し、自治体の取組みを警察が全面的にバックアップすることで、児童虐待の根絶に向けて総力を挙げてまいります」
安倍晋三が「あのような悲劇」として、ここで親から暴力を受けて殺された例として取り上げたのは33歳の父親の継続的な暴行後に衰弱していたにも関わらず必要な医療措置を受けさせず、施政方針演説から遡ること約11ヶ月近く前の2018年3月2日に搬送先の病院で5歳という幼さで我が娘を死亡させた残忍な虐待死事件である。
母親も子どもに満足な食事を与えていなかったという。
ノートには次のように書いてあったと2018年6月6日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。
「もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから
きょうよりはもっともっと
あしたはできるようにするから
もうおねがいゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして
きのうぜんぜんできてなかったこと
これまでまいにちしてきたこと なおします
あそぶってあほみたいだから
ぜったいぜったいやらないから やくそくします」
起居動作なのか、幼稚園の学習なのか、満足にできないからと言って、叩いたりする。遊ぶこともさせてもらえなかった。母親は満足な食事を与えなかった。5歳の少女にとって刑務所以上の地獄を日々味わわされていたに違いない。
そして施政方針演説4日前の1月24日に野田市立小4年10歳の栗原心愛さんが父親から継続的に暴行を受け、浴室での冷水シャワーが10歳の女の子のいたいけない命に残酷なトドメを刺した。10歳の少女にとっては大人に対する拷問以上の辛さがあったに違いない。
いわば親の自分の子供に対する虐待死が2018年3月2日の事件で終止符を打ったわけではなく、繰り返されている状況を目の前にしながら、3月2日の事件を指して「あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません」と言うことができる、あるいは今回の事件でも児童相談所や学校、市教育委員会が大人としての責任を果たしていなかったにも関わらず、「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です」と言うことができる。
この感性・想像力は白々しく、薄っぺらで、恐ろしいばかりである。
しかも残酷な児童虐待とその結果としての残酷な死が二度や三度どころか、何十回も繰り返されている状況を考えると、安倍晋三の言葉は何を以ってそのように発言しているのか、正体不明となるばかりか、空恐ろしいまでの軽さを見せることになる。
「Think Kids(シンクキッズ)こどもの虐待・性犯罪をなくす会」のサイト、《これまでの主な虐待死の事例はこちら》のページに31例の虐待死が載せられている。
但し2014年5月31日までの事例止まりで、それ以降の虐待死は記載されていないし、世間に現われないまま、闇に葬り去れれた虐待死も存在する可能性も否定できない。いわば、"跡を絶たない状況"にあり、「二度と繰り返してはなりません」と言えるような状況にはない。「何度も繰り返されています。私達政治も大人も今以って止めることはできません」と正直に言うべきだったろう。
推測するに多分、安倍晋三の施政方針演説の原稿は栗原心愛さんが虐待死を受ける1月24日以前にスピーチライターの手で仕上げられていて、目を通すのも1月24日以前だったのだろう。以後であったなら、スピーチライターが4日前の事件を抜かして、約11ヶ月近くも前の事件のみを取り上げるということは考えにくいし、安倍晋三が仕上がった原稿に目を通す際に気づかなかったということも考えにくい。
気づいたものの、こういった事情で仕上がった原稿をそのまま読み上げてしまった。だとすると、別の問題が浮上する。
事件のあった1月24日から施政方針演説の1月28日までの間の3日間で5、6行程度の文章を書き直すことができないということは有りない。だが、書き直さなかった。だとすると、たった4日前の栗原心愛さんの酷い虐待死を無視できたことになって、このことは2018年3月2日の事件に引き続いてのことだから、「あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません」と発言できたこと自体が無視できたことの証明となるが、その無神経・無感覚は国民の生命・財産を預かる一国のリーダーとしての資格に真っ向から反する感性・想像力の持ち主ということになり、この点のみを取り上げただけでも、リーダーに相応しくない人格ということになるからである。
もしスピーチライターも安倍晋三自身も、1月24日の事件に気づかずに仕上がった原稿をそのままに読み上げてしまったとしたら、どうなるのだろう。
たった一人の幼い死であっても、異常なまでに特異な死、あるいは親が虐待を通して自分の子供を殺すことになった異常な殺人であり、それゆえにマスコミが騒ぎ、ネットで騒がれているにも関わらず気づかなかったとしたら、スピーチライターも安倍晋三も、10歳にしかならない幼い命の死に目を向けるだけの興味も関心を持たなかったことになる。
この無興味・無関心は国民の生命・財産を預かる一国のリーダーとしての資格云々以前の重大事で、人間としての欠格性が問われることになる。
気づいていた、気づいていないのどちらに転んだとしても、国民一人ひとりの命に向ける感性・想像力が白々しく、薄っぺらであることに変化なしとなる。
この程度の感性・想像力で、「国民の生命・財産を守る」と言う。あるいは安全保障上の観点から、「国民の生命と安全を確保していく」と保障する。言葉と安倍晋三自身の国民の命に関わる感性・想像力の食い違いに気づかなければならない。
安倍晋三が国民の生命に対してこのような感性と想像力の持ち主であることを念頭に2019年1月30日衆院本会議での自民党幹事長二階俊博の児童虐待に関わる代表質問と安倍晋三の答弁を見てみる。
二階俊博「平成29年度の児童虐待の相談対応件数は、過去最多の13万件を超え、痛ましい事件が跡を絶たない、大変深刻な状況にあります。虐待を受けながらも、死の間際にまで両親の思いに応えようとする幼い心を思うと、胸が締め付けられます。虐待によって幼い命が奪われるようなことを、もう2度と繰り返してはなりません。このことは、国民みんなで誓おうではありませんか!政府は、児童相談所や、自治体の体制強化を迅速に図る必要があります。児童虐待防止に向けた、安倍総理のご決意をお伺いします」
安倍晋三「児童虐待の防止対策についてお尋ねがありました。多くの幼い命が今も虐待によって奪われている現実があります。子どもたちの命を守るのは私達大人全員の責任です。
児童虐待防止対策に政府一体となって取り組むため、昨年7月の関係閣僚会議に於いて緊急総合対策を決定し、自治体の取り組みに対する警察の全面的バックアップや子どもの安全確認など、全て子どもを守るためのルールの決定を図りました。
さらに昨年12月には児童相談所強化プランを前倒しして、見直し、新たなプランのもとで児童福祉司を2000人程度増員するなど、児童相談所の体制の抜本的拡充や、全市町村への身近な相談拠点の設置などを進めてまいります。
何よりも子どもの命を守ることを最優先にあらゆる手段を尽くし、やれることは全てやるという強い決意で、児童虐待の根絶に向けて、総力を上げてまいります」
国民の生命に対して白々しく、薄っぺらの感性と想像力しか持ち合わせていない安倍晋三が言うことである。例え組織や体制は出来上がっても、安倍晋三自身は魂を塗り込めることはできない組織や体制となるのは目に見えている。
親玉がそうだから、下、上を見倣うで、下も魂を入れることができず、だから、堂々巡りになるが、児童福祉に関わる大勢の大人たちが満足に責任を果たすことができていない現状を他処に置いて「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です」と言うことができ、二度どころか、何十回となく繰り返され、終止符を打つことできす、跡を絶たないが状況を眼の前にしていながら、「あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません」と、それがさも可能であるかのようにいとも簡単そうに言うことができる。