拝啓小沢一郎様、天皇のこどもの国訪問は内閣の助言と承認によるものなのですか

2009-12-25 06:58:49 | Weblog

 


 日本国憲法

 第1章 天皇

 第3条 天皇の国事行為に対する責任

 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第4条 天皇の機能

 (1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 第7条 国事行為

 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 

  1 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  2 国会を召集すること。 
  3 衆議院を解散すること。
  4 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
  5 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任
    状を認証すること。
  6 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。 
  7 栄典を授与すること。 
  8 批准書及び法律の定めるところその他の外交文書を認証すること。
  9 外国の大使及び公使を接受すること。 
  10 儀式を行ふこと。
 
 外国要人との会見は「国事行為」の中には入っていない。

 ところが小沢民主党幹事長は天皇と習近平中国国家副主席との会見は天皇の政治利用には当たらないとした12月14日の記者会見で次のように発言している。

 「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて。

 それが日本憲法の理念であり、えー、主旨なんだ、ね。

   ・・・・・・

 内閣の何も助言も承認も求めないで、天皇陛下、個人で勝手にやんの?そうじゃないでしょ」――

 このことに関しては先のブログで、〈小沢は「天皇陛下の行為は国民が選んだ、内閣の助言と承認ですべて行われるんだ、すべて」、だから政治利用ではないと、国事行為も国政行為もごちゃ混ぜにして詭弁を弄しているに過ぎない。〉と書いた。
 
 小沢一郎も天皇と習近平中国国家副主席との会見が「国事行為」に相当しないことに誰かに教えられたのか、自分で気づいたのか、12月21日の党本部での定例記者会見でこの問題について再び記者に問われて「国事行為」に関してのみ取り消し、天皇の政治利用か否かの点については当初どおりに強弁を働かせている。

 《「どうして自民党には甘いんだ」21日の小沢幹事長》(asahi.com/2009年12月21日20時11分)から見てみる。

 記事題名の「どうして自民党には甘いんだ」は西松事件に関してで、自分は報告書も何も公開しているが、自民党の何とかという人には公開しろとも何とも言わない、どうして自民党にはマスコミは甘いんだと検察にではなく、マスコミを責める発言をしたところから取り上げた言葉となっている。

 〈【天皇陛下会見問題】

 ――先週の記者会見で天皇陛下の会見は国事行為であると言った。しかし、公的行為との指摘もある。

 「憲法で規定している国事行為には、そのものはありません。しかし、その憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われなければならないという基本的考え方は、天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しいわけですから、日本国の象徴、日本国民統合の象徴というお立場にあるわけだから、その意味では、ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないわけで、その天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なんです。国民の代表、国民が選んだ政府、内閣が責任を負うということなんですから、内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは、私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております」(以上) ――

 この記者会見でも小沢幹事長は国事行為と国政行為をごちゃ混ぜに扱っているばかりか、天皇のプライベートな行為までをごちゃ混ぜに含めている。
 
 この発言を三文節に分けてみる。

 1.憲法で規定している国事行為には、そのものはありません。

 2.しかし、その憲法の理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって行われなければならないという基本的考え方は、天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しいわけですから、日本国の象徴、日本国民統合の象徴というお立場にあるわけだから、その意味では、ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないわけで、その天皇陛下の行動の責任を負うのは内閣なんです。

 3.国民の代表、国民が選んだ政府、内閣が責任を負うということなんですから、内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは、私は当然のことだと思いますし、天皇陛下にお伺いすれば、喜んで、私はやってくださるものと、そのように思っております

 1.で、天皇と習近平中国国家副主席との会見を国事行為に相当するとしていた自身の主張を改めている。

 2.で、「天皇陛下には、全くのプライベートっちゅうのはないに等しい」「ご自身に自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできない」、天皇の行動の責任を負うのは内閣なのだから、すべて内閣の助言と承認の元に天皇の行動は行われるものだとしている。それが天皇の機能に関する憲法の理念だと主張している。

 3.は単なる2.の補強に過ぎない。強弁+強弁となっている。

 「内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさる」「喜んで、やってくださる」という表現で、内閣の判断によって天皇の行動があると2.で言っていることの正当性を改めて強弁している。

 纏めると、天皇陛下には全くプライベートっちゅうのはないに等しい、自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできない。内閣の判断で天皇のすべての行動は存在する。当然、その行動は内閣の判断に従っているのだから、その是非の責任は内閣に生じるとなる。

 小沢幹事長が言っていることは天皇の行動は内閣が支配していると言っていることと同じにならないだろうか。国事行為も憲法で禁じられている国政行為もプライベート行為も区別しないで、天皇のすべての行動に亘って内閣が責任を負っているとしていること自体が既に天皇に対する支配を意味する。天皇の行為はすべて内閣の責任の範囲内と規定していることになるからだ。

 しかも悪いことに天皇はその行動を内閣の支配を受けていながら、内閣の意を受けて喜んで行動するとまでしている。被支配者たる天皇が支配者たる内閣の指示に喜んで従うとしているのである。

 勿論、この過ちは日本国憲法の第1章 天皇 3条「天皇の国事行為に対する責任」について、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」と国事行為に関してのみの取扱い・規定となっているにも関わらず、国事行為を超えてその権能を有しないと憲法に定められている国政行為、さらにプライベートな行為にまで対象をごちゃ混ぜに広げて「内閣の助言と承認」とその「責任」を義務事項としていることから起きているのは言うまでもない。

 だが、過ちだからこそ、内閣による天皇に対する独裁意志をいつどこでも働かせることが可能となり、小沢一郎の天皇観は極めて危険である。

 天皇には全くのプライベートいうものが無いに等しく、自由にあっち行ったりこっち行ったりっちゅうことはできないなら、12月19日に天皇・皇后の結婚50年とかで健康に優れない皇太子妃雅子を除いた天皇一家が横浜市青葉区の「こどもの国」を訪問したそうだが、その訪問もそうだが、11人全員でミニSL「太陽号」に乗車したのも内閣の助言と承認に従ったミニSL乗車だったのだろうか、是非小沢一郎様にお聞きたい。

 プライベート中のプライベート行為に当たるトイレに行くのも、内閣の助言と承認に従ったのだろうか。

 12月23日の天皇誕生日の一般参賀は「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」の「10. 儀式を行ふこと。」に入るから、国事行為だろうが、その挨拶の言葉まで、内閣の助言と承認を受けた挨拶だったのだろうか。

 そうだとしたら、内閣の監視を受けた天皇の発言となる。勿論、そこに支配と従属の関係が成り立っているからこそ可能となる監視であろう。

 このことも小沢一郎様に是非お聞きしたい。

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