野田財務相「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」としても、戦争犯罪の事実は残る

2011-08-17 07:59:31 | Weblog



 次期首相候補の一人とされている野田佳彦財務相はA級戦犯は戦争犯罪人ではないとする考えを持っているという。《A級戦犯は戦争犯罪人でないとの考え、基本的に変わらない=財務相》ロイター/2011年 08月15日 12:24)

 8月15日の記者会見でかつて政府に提出した質問主意書で、「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」との見解を示していた点について発言。

 野田財務相「考え方は基本的に変わらない」

 首相の靖国参拝の是非に関して発言。

 野田財務相「首相になる方の判断」

 A級戦犯を戦争犯罪人としていない立場を取っているなら、靖国参拝の障害は何らないことになるのだから、自身が首相になった場合に取る態度を言うべきだが、狡猾にも逃げている。

 記事〈野田氏は野党時代の2005年10月17日、当時の小泉純一郎首相の靖国参拝を受け、政府に対して「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」を提出。その中で、戦犯とされた人々の名誉は法的に回復されており「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破たんしている」と主張している。

 民主党政権はアジア重視の姿勢から政権交代以降、鳩山・菅両首相とも靖国参拝は行っておらず、野田氏の見解は民主党幹部の中ではやや異色として注目を集める可能性がある〉――

 件の質問主意書と答弁書を調べてみた。

 質問本文情報

 平成18年6月6日提出

 質問第308号

サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問主意書

提出者  野田佳彦

平成17年10月17日提出質問第21号「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」(以下、先の質問主意書)において、いわゆる「A級戦犯」ならびに東京裁判に対する政府の認識について質問した。

それに対する平成17年10月25日付答弁書内閣衆質163第21号(以下、先の答弁書)は「平和条約第11条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と回答した。

 国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、「A級戦犯」は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい。

しかしながら、政府見解には未だあいまいな部分が残されている。もし政府が、一方で、「A級戦犯」は国内の法律で裁かれたものでないとして「国内的には戦争犯罪人ではない」としながら、もう一方では、日本はサンフランシスコ平和条約で「諸判決・裁判の効果」でなく「裁判」を受諾したのであり、国と国との関係において、同裁判の「内容」について異議を述べる立場にはないとするのならば、これによって他国からの非難に合理性を与えていることとなる。

 さらに、先の質問主意書に示したとおり、サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づき、関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に赦免され釈放されている。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。したがって、極東国際軍事裁判所が「A級戦犯」を戦争犯罪人として裁いたとしても、その関係諸国は、昭和31年以前に処刑された、あるいは獄中死したものも含めた「A級戦犯」の罪はすでに償われていると認めているのであって、「A級戦犯」を現在においても、あたかも犯罪人のごとくに扱うことは、国際的合意に反すると同時に「A級戦犯」として刑に服した人々の人権侵害となる。

 政府は、内閣総理大臣の靖国参拝が国際的に非難される根拠がないことを示すために、また、「A級戦犯」として刑に服した人々の人権を擁護するためにも、日本が受諾したのが、極東国際軍事裁判所の「諸判決」・「裁判の効果」なのか、あるいは「裁判」なのかを、あらためて明確にするとともに、「A級戦犯」の現在の法的地位を再確認し、国民ならびに国際社会に対して顕示する責任を有している。また、同じ趣旨から、「全国戦没者追悼式」をはじめとする追悼行為の位置づけも明確にする責任がある。

 したがって、日本国の姿勢をより明らかにするために、次の事項について質問する。

一 サンフランシスコ平和条約第11条の解釈について

 1 先の質問主意書でも示したように、昭和26年に西村熊雄外務省条約局長が「日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を受諾いたすということになつております」と答弁し、大橋武夫法務総裁は「裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考える」と答弁しているのに対し、昭和61年に後藤田正晴官房長官は「裁判を受け入れた」という見解を表している。

 「諸判決・裁判の効果を受諾する」といった場合、裁判の内容や正当性については受け入れないが、その「裁判の効果」については受け入れたと解釈できる。

 「裁判を受諾する」といった場合は、「南京大虐殺二十数万」「日本のソ連侵攻」などの虚構や、日本は満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという歴史解釈、法の不遡及や罪刑法定主義が保証されていない点などがあるにもかかわらず、裁判の正当性を全部受け入れたと解釈できる。

 政府は、西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の「判決を受諾する」「裁判の効果というものを受諾する」という答弁と、後藤田正晴官房長官の「裁判を受け入れた」という答弁とでは、意味にいかなる相違があると考えているのか。

 2 1において、昭和26年の西村熊雄外務省条約局長ならびに大橋武夫法務総裁の見解と昭和61年の後藤田正晴官房長官の見解に意味の相違があるのならば、先の答弁書における「このように、我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。政府としては、かかる立場を従来から表明しているところである」という回答と矛盾する。政府は、昭和26年から現在にいたるまでに、いつ、いかなる理由により見解を変えたのか。昭和26年の見解と昭和61年の見解が異なる理由をあらためて問う。

 3 平和条約の正本は、英、仏、西の3カ国語のみであり、日本語訳は効果をもつものではない。その条約正本の一つである仏語条文によれば、「日本が何を受諾したか」に関する平和条約第十一条の箇所は、“Le Japon accepte les
jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pourl′Extre^me-Orient"となっている。prononce′sは「(言葉を)発する」「述べる」「宣言する」「言い渡す」という意味であり、prononce′s jugementsは「判決(複数)を言い渡す」という慣用句である。言い渡されるのは「判決」であり、「裁判」は言い渡されるものではない。ここから見るならば、平和条約第十一条の意味は、「日本は裁判を受諾した」のではなく、「日本は諸判決を受諾した」ものと解釈すべきと考えるが、政府の見解を問う。

 4 3の質問につき、もし政府が「諸判決」ではなく「裁判」を受諾したと解釈するのならば、その解釈は、平和条約第十一条仏語条文の“Le Japon accepte les jugements prononce′s par le Tribunal Militaire International pour l′Extre^me-Orient"の箇所をどのように翻訳することにより導き出されるのか。

二 「全国戦没者追悼式」ならびに他の追悼式における「A級戦犯」の位置づけと天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の参加について

 1 首相官邸Webサイトにて公開されている「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」第二回(平成十四年二月一日)議事要旨において、「(全国戦没者追悼式の)『戦没者之霊』の中にはA級、B級、C級戦犯も含まれるということか」という委員の質問に対する「(厚生労働省)そういう方々を包括的に全部引っくるめて全国戦没者という全体的な概念でとらえている」という答弁が掲載されている。「全国戦没者追悼式」の追悼対象者には、「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった7名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した5名、判決前に病のため病院にて死亡した2名が含まれていると理解して間違いはないか。

 2 1の質問につき、仮に含まれていないとすれば、その理由は何か。

 3 「全国戦没者追悼式」において「A級戦犯」を含む全国戦没者を追悼してきたのだとすれば、政府はこれまで、「A級戦犯」が追悼対象に含まれる追悼式・施設等において天皇皇后両陛下および内閣総理大臣が公式に追悼することは、国内的にも、また国と国との関係においても、何ら問題ないと判断してきたものと考えられる。その判断はどのような理解、根拠に基づくものか。あらためて見解を問う。

 4 3の質問につき、「A級戦犯」を含む全国戦没者の追悼に問題がないと考えているのだとすれば、天皇皇后両陛下および内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、「A級戦犯」を追悼することにつながるとの理由から制約されるべきなのか否かということについてはどのように考えるのか。政府の見解を問う。

 右質問する。

 答弁本文情報

平成18年6月16日受領
答弁第308号

  内閣衆質164第308号
  平成18年6六月16日

内閣総理大臣 小泉純一郎

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員野田佳彦君提出サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

 衆議院議員野田佳彦君提出サンフランシスコ平和条約第11条の解釈ならびに「A級戦犯」への追悼行為に関する質問に対する答弁書

一の1及び2について

 極東国際軍事裁判所の裁判については、法的な諸問題に関して種々の議論があることは承知しているが、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号。以下「平和条約」という。)第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。御指摘の答弁はいずれも、この趣旨を述べたものであり、その意味において相違はない。

一の3及び4について

極東国際軍事裁判所において、ウェッブ裁判長は、judgmentを英語で読み上げた。我が国は、平和条約第11条により、このjudgmentを受諾しており、仏語文の平和条約第十一条も同じ意味と解される。なお、judgmentに裁判との語を当てることに何ら問題はない。

二の1から3までについて

全国戦没者追悼式においては、「全国戦没者追悼式の実施に関する件」(昭和38年5月14日閣議決定)における「支那事変以降の戦争による死没者」について、戦没者という全体的な概念でとらえて、追悼しているものであり、追悼の対象とする個人を特定しているものではない。

二の4について

天皇及び皇后の靖国神社への公式参拝については、具体的な問題となっていないこともあり、お答えすることは差し控えたい。

内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、戦没者一般を追悼するために行うものであり、同神社に合祀されている個々の戦没者に対して行うものではない。なお、内閣総理大臣の公式参拝は制度化されたものではないので、諸般の事情を総合的に考慮して、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものと考える。

 野田氏は先ずサンフランシスコ講和条約と1953年(昭和28年)の衆議院本会議に於いて採択された「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」と「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と回答した内閣答弁書に基づいて、A級戦犯は戦争犯罪人ではないと主張している。

 「国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、『A級戦犯』は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい」と。

 ここには日本が国として日本の戦争を検証・総括しなかった事実の捨象がある。国家として戦争を裁くことをしなかった。戦争を主導した者たちを一切裁かなかった。

 裁くことによってサンフランシスコ講和条約の正当性・不当性を明らかにできたはずである。あるいはどこに不当な部分があるかないかを。

 「南京大虐殺二十数万」、「日本のソ連侵攻」を虚構だと言うなら、さらに「日本は満州事変以来一貫して侵略戦争を行なっていたという歴史解釈」が間違った歴史解釈だとするなら、なぜ検証・総括するよう求める姿勢を示さなかったのだろう。
 
 戦争は日本国内で行われた内戦ではない。アジアの国々とアメリカ及び英国やオランダを相手に戦った国際戦争である。野田氏はこの視点を欠いている。

 例え「我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」としても、あるいは1953年の「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」によって昭和31年に釈放され、赦免されていて、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念であったとしても、戦争を主導し、日本軍が外国の国民に対するばかりか、沖縄の集団自決に代表される日本国民に対する残虐行為を働いた事実は消滅しない。

 殺人者が刑に服して赦免されたから、その罪は消滅するとしても、殺人の事実は消滅するわけではない。

 残虐行為が存在した国際戦争である以上、関わった外国の視点、あるいは解釈も関係してくる。それがサンフランシスコ講和条約でもあったはずである。

 いわば日本一国の解釈・視点を絶対とすることはできないのだから、日本が戦前の戦争を聖戦だ、自衛自存の戦争だと一国のみで定義付けたとしても正当性を得ることは決してできない。

 常識的判断に基づいて戦争犯罪というその事実を、あるいはその歴史を問題にしているのであって、戦争を厳しく検証も総括もせずに国会決議で赦免を決めた、外国の許可も受けたからといって、戦争犯罪人だったと看做すべき事実は捨象できない。

 また、「日本が受諾したのが、極東国際軍事裁判所の『諸判決』・『裁判の効果』なのか、あるいは『裁判』なのか」は戦争及び戦争行為の事実、あるいは歴史を問題とする立場から言うと、自ずと選択は後者と決まってくる。

 勿論、事実自体、歴史自体が解釈次第で彩を変えていく部分が多分にあり、立場によって異なりが生じてくる。

 だとしても、国際戦争であったことは捨象できない事実であり、物理的・経済的、あるいは人権上の甚大な被害を受けた外国の解釈・視点を排除して、国内の立場からのみの解釈は許されないはずだ。


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