海自「1対15訓練」死亡事件中間報告の欺瞞を暴く

2008-10-20 17:12:41 | Weblog

 快く送る思いがあった「はなむけ」だとする誤魔化し

 マスコミは「事故」として取り上げているが、ここでは「事件」として取り上げる。その理由はこのブログ記事を読めば理解できるはずである。

 事件のイキサツを10月13日(08年)「asahi.com」記事≪15人と格闘、隊員死亡 海自、集団暴行の疑いで調査≫で見てみると、25歳の海上自衛隊3等海曹(男性)が今年3月末に特別警備隊を養成する第1術科学校の特別警備応用課程に勤務。

 特別警備応用課程とは海自唯一の特殊部隊「特別警備隊」の養成コースで、鳴り物入りで創設した“最精鋭部隊”(「中国新聞」)だという。いわば、エリート部隊のエリート隊員を養成するコースといったところなのだろう。

 以下再び上記「asahi.com」記事から引用。

 ところが本人から途中で辞めたいという申し出があり、9月11日付で同課程を罷免され、他の部隊に配属される予定だった。罷免の2日前の9月9日午後4時頃から3等海曹が1人で15人を相手とする格闘訓練が行われ、14人目まで進んだところでその者のパンチを受けて転倒。意識不明となって病院に搬送、26日目9月25日に死亡。死因は急性硬膜下血腫。

 海上自衛隊呉地方総監部(広島県呉市)は部内に事故調査委員会を設け、調査に当たることにした。

 その中間報告を正式発表前に10月19日(08年)の「asahi.com」≪「通常訓練を逸脱」 海自隊員死亡で事故調が中間報告≫記事が報道している。

 中間報告は現場にいた2人の教官や15人の隊員らから調査委が聞き取った内容を中心にまとめたものだという。身内の者が身内を調査したということである。要約してみると、

 先ず判明した事実。

1.「1対15」という訓練形式は通常は行われておらず、2回目だった。
2.異動する3曹を送り出すために隊員らが提案し、本人も受け入れていた。
3.パンチを思い切り振り抜くことを禁止し、防具に加え、歯を保護するマウスピ
  ースを着用していた。
4.7、8人目との対戦で棒立ち状態となったが、教官は止めなかった。
5.14人目の対戦相手のパンチを受けて倒れ込んだ。
6.3曹が倒れた際、教官は「熱射病」と判断していた。
7.死亡後、格闘訓練が「1対15」だったことを大臣や省次官に伝えていなかっ 
  た。その報告は発生17日後だった。

 調査判断

1.集団暴行と判断する材料はないが、通常の訓練カリキュラムではなかった。
2.特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない。
3.立ち会った教官は医療知識が十分でなかった。医官が立ち会うなどしていれば
  適切な病院搬送が可能となり、死亡という結果は避けられた可能性はあった。

 調査判断の「3番」は教官に医療知識が十分あったか、医官が立ち会っていたなら、死亡は避けられた。つまり、格闘訓練による直接的なダメージはたいしたものではなかったとしている。ここからも分かるように、中間報告は15人と教官に対して無罪放免の宣告となっている。厳重戒告ぐらいの軽い処分で臭い物に蓋となるのではないだろうか。

 「1対15」の格闘訓練は1人につき50秒間の連続対戦だったとのこと。この「50秒間」というごく短い時間が曲者である。「たったの」と思うかもしれないが、ボクシングの1ラウンドの3分を考えると、そのきつさが分かる。厳しい訓練を経たボクサーが激しく叩き合う体力消耗を1ラウンド3分を限界とし、休憩の1分で体力の回復を極力図り、再び激しく叩き合う。その全体の限界を以前は15ラウンド戦ったが、最近は10ラウンドとか12ラウンドとしている。戦う正味時間は30分か36分。

 「1対15」の場合は50秒×14人≒12分。ボクサーのように1試合10ラウンドか12ラウンドを戦う活動力(=エネルギー、あるいはスタミナ)をつくり出すことを目的にその目的のみに限った凝縮したハードな訓練を行っているわけのものではない人間がボクシングで言えば4ラウンドを相手が入れ替わることによって自分と同等に体力消耗を積み重ねていくわけのものではない複数の人間を相手にぶっ続けに戦ったのである。

 スタミナの点でかなり不利な立場に立たされていた――と言うよりも、極端なまでに不当なハンディを負わされていたと見るべきだろう。

 このような事実を以って「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とすることができるのだろうか、些か疑問と言わざるを得ない。現実にそういった場面に立たされ、敵と戦うこととなったなら、戦う内から死という結末を覚悟しなければならないだろう。

 また3等海曹は「続ける自信がなくなった」(「YOMIURI ONLINE」)ことを異動願いの理由としていたと言うことだが、他の隊員と比較した場合、特別警備応用課程に於ける激しい訓練に精神的にも体力的にも耐え得る能力に差があったと見るべきで、精神力+体力がプラスされた総合的な能力は対戦相手の一人ひとりとの間に差があっただけではなく、それは戦う意志にも反映されていた劣勢状態であったとしなければならない。

 当然、相手の頭数の合計から見た差以上に体力+精神力の差が格段に存在していたと想定すべきだろう。

 この事実と時間の経過によって生じる上記不当なハンディを足し算した場合の能力差を考えた場合、「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とすることが果してできるだろうか。

 もしも懲罰的な意味が含まれていた「訓練」であったなら、15人の側には敵意や怒りといったプラスアルファの攻撃的意志が加味されていたはずで、それが普段以上の攻撃力を彼らに与え、さらに双方の戦う能力に差を生じせしめたことは疑い得ない。

 1人対多人数相手の訓練は2度目だと言うことで、<特別警備隊の養成課程では7月にも、課程をやめる直前の隊員が16人を相手にして、歯が折れるなど顔を負傷した。>と10月14日の「asahi.com」記事が伝えているが、2度の訓練から浮かび上がってくる事実は中途離脱者を標的に限定した訓練であることを示していることは誰の目にも明らかである。

 「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とするなら、日常的な訓練の一つに加えてもいいはずだが、そうはならずに中途離脱者限定の訓練となっている理由を明らかにしていない。

 海自側が3等海曹の父親に「(異動の)はなむけだった」と訓練の趣旨を説明した(上記10月14日「asahi.com」記事)ということだが、問題は訓練の動機としておめおめとやめていくと軽蔑的に把えたか、新しい可能性に向けて頑張れよと歓迎的に把えていたかであろう。そのことによって懲罰的訓練であったかどうかが明らかとなる。後者であるなら、「はなむけ」であったとすることも可能となる。

 「はなむけ」なる言葉の意味を正確に把握するために「大辞林」(三省堂)で調べたところ、「旅立ちや門出に際して激励や祝いの気持を込めて、金品・詩歌・挨拶の言葉などを贈ること。また、その金品や詩歌など」と記されている。

 と言うことなら、懲罰や悪意を隠した「はなむけ」は存在するだろうが、正面切って懲罰を表す「はなむけ」なるものは矛盾行為となるゆえに存在しない。真正な「はなむけ」であるとするなら、3等海曹に対する「1対15」の格闘訓練は彼の新しい配属を激励したり祝う気持からの送る側からの喜びの表現行為でなければならない。

 当然のこととして、いくら「パンチを思い切り振り抜くことを禁止し、防具に加え、歯を保護するマウスピースを着用していた」としても、それらを通して肉体そのものにダメージ、あるいは痛みを与え、尚且つ50秒の体力しか消耗しない複数の者を対戦相手に1人に付き50秒ずつ体力を消耗させ、それらを積み重ねてヘトヘトになっていく1人を相手に戦う訓練を頑張れよの気持で施したということになる。

 これを以て「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」、「はなむけ」だったと素直に考えることができるだろうか。

 高校や大学の野球部、あるいはプロ野球の1000本ノックとかは受ける選手は息も絶えだえにヘトヘトになるが、肉体そのものに直接打撃を受けはしない。存在するのは5分も経たずに回復する息切れと肉体疲労のみで、物理的な痛みのダメージではない。もし1000本ノックをグローブで受けずに身体で直接受けろと命じられたなら、肉体的な痛みとその痛みから生じる苦痛で20球とは身体は持つまい。また痛みは5分で回復するどころか、次の日になっても後を引くことだろう。

 事故調査委員会の中間報告には「7、8人目との対戦で棒立ち状態となった」にも関わらず、それが1000本ノックと同じ線上にある単なる息切れと肉体疲労からきた状態なのか、多人数の攻撃を受けた時間的な息切れ及び疲労に足し算した一発一発の身体的攻撃を受けたことによる肉体的な苦痛からの状態なのかの検証がない。

 息切れのないときに受ける一発と息切れのときに受ける一発とではそのダメージに違いが生じる。

 もし後者だとしたら、「1対15」が如何に不公平なルールに則っていた「はなむけ」だったかが分かり、「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とすることも「はなむけ」だったとすることも無理が生じる。

 事故調査委員会は「異動する3曹を送り出すために隊員らが提案し、本人も受け入れていた」と訓練の正当化を図ろうとしているが、「1人対15人」の格闘が訓練の名前を借りた集団暴行、集団リンチではないかと疑われている以上、「提案」と「受け入れ」との間に強制の有無を問題とすべきだが、そこが抜け落ちて表面的な事実の経緯を伝えるだけとなっているのはなぜなのだろうか。

 強制の有無まで踏み込んだらまずいから避けていると勘繰れないことはない。

 「asahi.com」だけが「罷免」という言葉を使って「本人から途中で辞めたいという申し出があり、9月11日付で同課程を罷免され、他の部隊に配属される予定だった」と伝えているが、「罷免」が事実なら、3等海曹は悪者の立場に置かれていたことになる。悪者の立場とは周囲から見た場合、許せない存在を意味する。

 許せないという感情がそれを実際に表現する言葉の攻撃、あるいは物理的・身体的な攻撃へと変じる強制力となって働いたとしても不思議はない。許せないという感情が強い程、物理的・身体的な強制力へと最短距離を取り得る。

 もしそこに強制力が働いていたとしたら、3等海曹は特別警備応用課程をやめていくための通過儀礼として止む得ず「受け入れていた」ということもあり得る。当然、その止むを得ないという気持は戦う意志を殺ぐ形で訓練を受ける姿勢にも表れたろう。いわば戦う方向に向けたプラスの意志は働かず、受身の姿勢を取っただろうことが容易に想像可能となる。

 しかしその強制力は許せないという懲罰的な意志から発したエネルギーということになるから、「1対15」を「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」ことだと位置づけたとしても、正当であることから逸脱した邪な格闘訓練――リンチへと性格を変えることになる。

 当然、「はなむけ」だったなどと言うことはあり得ない話となる。

 懲罰的な意志が含まれていた「訓練」であった場合、15人の側には敵意や怒りといったプラスアルファの攻撃的意志が加味されていたはずで、それが普段以上の攻撃力を彼らに与え、さらに双方の戦う能力に差を生じせしめたことは疑い得ない。

 中途離脱者限定の訓練を懲罰的意志を持たせたリンチの類ではなく、百歩譲って「はなむけ」を趣旨とした訓練だとの正当づけを受け入れるとしよう。

 当然「1対15」の訓練は既に述べたように彼のために役に立つ、彼のために役立たせようという意識がなければならないから、譬えて言うなら、「これが特別警備隊員養成課程での最後の特別訓練だ。取って置きの厳しい訓練だからこそ、懐かしく思い出すことだろう。苦しいときにはこの訓練を思い出して、今の苦しさはたいしたことはないんだと思い返してくれ」といった将来的な役立ちの気持が込った励ましの温情で格闘訓練――「はなむけ」を施したとしよう。

 だが、「パンチを思い切り振り抜くことを禁止し、防具に加え、歯を保護するマウスピースを着用していた」にも関わらず、「7、8人目との対戦で棒立ち状態となったが教官は止めなかった」ばかりか、続く隊員も攻撃の手を緩めなかった。全然疲れていない者が次々と新手となって「棒立ち状態となった」相手に攻撃を加え続けた。例え「パンチを思い切り振り抜くことを禁止」してあったとしても、「棒立ち状態」の相手に攻撃は続いた。

 厳しい訓練を思い出とさせる意図があったとしても、15人相手と決めていた中で「7、8人目との対戦で棒立ち状態となった」なら、「はなむけ」が趣旨であるなら、「おい、大丈夫か、まだ続くか」と一言声をかけるのが人情というものであり、人間の自然な姿というものであろう。

 「無理をするな」と。

 だが、そういった場面が存在したことを窺わせる「中間報告」となっていないまま、「集団暴行と判断する材料はない」とか、「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とか自己免罪化に走っている。自己免罪化とは組織防衛を意味する。組織防衛は海上自衛隊から防衛省、政府までの範囲拡大を意味する。何しろ海上自衛隊を含めた防衛省の組織運営の責任は最終的には防衛大臣にあり、その防衛大臣を任命した責任は内閣総理大事にあるのだから、当然の動向であろう。

 いわば将来的な役立ちの気持が込った励ましの温情の類の「はなむけ」訓練であり、「特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではない」とすることは調査委員会と海上自衛隊と防衛省と政府だけに限った正当理論とはなり得る。

 そのような意図があったからこそ、「死亡後、格闘訓練が『1対15』だったことを大臣や省次官に伝えていなかった。その報告は発生17日後だった」という後付の事実――報告の遅れとなって現れたとしか考えられない。

 このように考えてくると、「中国新聞」が「鳴り物入りで創設した“最精鋭部隊”」だと紹介していたが、そういったエリート部隊のエリート隊員を養成する「特別警備応用課程」に勤務して特別の訓練を受けているというエリート権威主義意識が思い上がった自己絶対化を生じせしめ、自分たちの可能性をも絶対化したことで、3等海曹のように中途挫折して他の可能性・他の存在機会に向かうことが許せない偏狭性に陥ったことからの「はなむけ」を口実とした懲罰的な「1対15」――リンチだったとしか解釈しようがなくなる。

 3等海曹の父親が「異動の『はなむけ』と称して脱落者の烙印を押し、制裁と見せしめの意味を込めた集団による体罰だ」と非難しているといると10月13日の「中国新聞」インターネット記事≪「重大な体罰事件だ納得できない」 三等海曹の父親≫が伝えているが、決して肉親の感情から出た贔屓目ではなく、真相を突く公平な判断であろう。 


 (参考引用)

 ≪「通常訓練を逸脱」 海自隊員死亡で事故調が中間報告≫(asahi.com/2008年10月19日)

 広島県江田島市の海上自衛隊第1術科学校で、3等海曹(25)が15人相手の格闘訓練中に倒れ、約2週間後に死亡した問題で、海自呉地方総監部の事故調査委員会は19日までに、集団暴行を否定しながらも、「通常訓練とも認められない」とする中間報告をまとめることがわかった。また、格闘中や事故後の安全管理上の問題点も指摘する見通しで、近く公表する。

 浜田防衛相らは当初から、今回の格闘訓練を「特別と思う」としていた。調査委は「逸脱」を認めるものの、特別警備隊員養成という目的の中で、あり得ない訓練ではないとの認識をしている模様だ。

 防衛省によると、中間報告は、現場にいた2人の教官や15人の隊員らから調査委が聞き取った内容を中心にまとめられた。

 その結果、「1対15」という訓練形式は通常は行われておらず、2回目だった▽異動する3曹を送り出すために隊員らが提案し、本人も受け入れていた▽途中で棒立ち状態になったが教官が止めなかった▽3曹が倒れた際、教官が「熱射病」と判断していた、ことなどが判明した。このため、調査委は「集団暴行と判断する材料はないが、通常の訓練カリキュラムではなかった」と判断した。

 また、立ち会った教官に医療知識が十分でなかったことから、医官が立ち会うなどしていれば適切な病院に搬送でき、死亡という結果は避けられた可能性があったと判断しているとみられる。

 3等海曹が亡くなった格闘訓練では、パンチを思い切り振り抜くことを禁止し、防具に加え、歯を保護するマウスピースも着用していた。「手加減した」と証言する隊員もいたが、3曹は7、8人目との対戦で棒立ち状態になり、体力を消耗していたようだったという。

 この問題では、格闘訓練が「1対15」だったことが大臣や省次官に伝わっていなかったことや、海自からの報告が発生17日後になるなど、連絡体制の不備も指摘されている。>・・・・・・ 
 ≪「重大な体罰事件だ納得できない」 三等海曹の父親≫(中国新聞/ '08/10/13)

 「息子は『人のためになりたい。人を守りたい』と海上自衛隊に入ったのに…」。海自特殊部隊の養成課程で集団暴行を受けて死亡した三等海曹(25)の父親(51)は無念さをかみしめ、「訓練中の事故ではなく、重大な体罰事件だ。(海自側の説明は)全く納得できない」とやり場のない憤りをぶつけた。

 二人兄妹の三曹は、愛媛県内の高校を卒業して海自に入隊し、潜水艦部隊などに勤務した。「守らなければならない秘密があったのでしょう。家族にも仕事のことは一切話さなかった」と父親は振り返る。

  ジム通いでトレーニングを積み、海自唯一の特殊部隊「特別警備隊」の養成課程に二度目のチャレンジで合格した三曹。三十人近くいた同期は、厳しい訓練でふるいにかけられ、二年目の応用課程では二十人以下に減っていたという。

  「親に心配をかけまいと思ったのか、何も言わなかった」と話す父親。三曹が亡くなった後、親しい友人には生前、訓練に明け暮れる日々の悩みを打ち明けていたことを知った。

  意識不明で病院に担ぎ込まれたのは九月九日。二日後には同課程をやめ、十八日付で潜水艦部隊に戻るはずだった。防具を着けていなかった腕や背中にはあざがあり、意識が戻らないまま息を引き取った。

  「異動の『はなむけ』と称して脱落者の烙印らくいんを押し、制裁と見せしめの意味を込めた集団による体罰だ」。海自側が申し出た部隊葬を断った父親は「真実を明らかにしてほしい」と静かな口調に怒りをこめた。


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