安倍晋三の麻生派のパーティー「民主党政権悪夢」発言は「退位礼正殿の儀」での対天皇・皇后大失態帳消しの強がりか

2019-05-20 12:05:36 | 政治


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 2019年7月28日任期満了実施参院選で

安倍自民党を大敗に追いつめれば

政権運営が行き詰まり 

2019年10月1日の消費税10%への増税を

断念させる可能性が生じる




 人間は他人に知れる、何か取り返しのつかない恥をかくことになる大失態をやらかし、それがある種のトラウマとなって自らの記憶に残したとき、人間の常としてトラウマとなったその大失態を帳消しにし、なかった恥にしたい衝動を抱えることになる。

 このような心理劇に関して謙虚な人間は恥をかいたことを認め、素直な反省によって帳消しを図るが、不遜な人間は大失態とは無関係の自慢できる何かを誇示して、その自慢行為に比べたら大失態など取るに足らないことだと思うことによって帳消しを図ることが往々にしてある。

 大失態を大失態だと受け止めずに反省を省いて自慢行為で帳消しを図るのは単に強がリを働いているだけのことになる。強がリを以ってしても、大失態は大失態として残ることになって、自慢行為に代えることも、帳消しすることもできないからなのは断るまでもない。大失態は素直に認める以外に手はないということである。
 
 安倍晋三の大失態はマスコミ報道で知った。天皇・皇后退位を広く国民に知らせる「退位礼正殿の儀」が西暦2019年4月30日、皇居宮殿・松の間で行われ、安倍晋三が国民を代表して天皇・皇后に対する言葉――「国民代表の辞」(首相官邸サイト/2019年4月30日)――を述べた。

 そこで安倍晋三は有り得べからざる大失態を演じた。

 首相官邸サイトの安倍晋三の天皇・皇后に向けた最後の発言は、「天皇皇后両陛下には、末永くお健(すこ)やかであらせられますことを願ってやみません。

 ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます」となっている。

 だが、西暦2019年5月15日付、ジャーナリスト田岡俊次名の「AERA dot.」記事は、〈「已む」読めなかった? 安倍首相が歴史的儀式で驚きの大失言〉と題して、その大失態を伝えている

 〈4月30日、「退位礼正殿の儀」で、安倍晋三首相はおそらく歴史に残る大失言をしてしまった。それが起きたのは「国民代表の辞」のほぼ末尾だ。

「天皇、皇后両陛下には末永くお健やかであらせられますことを願っていません」

 これでは、国民の大多数の願いとは全く逆だ。

 文書として公表された「国民代表の辞」には当然、「願ってやみません」とある。なぜこんな間違いが起きたのか。動画で確認すると、安倍氏は懐から出した文書を読み上げたのだが、「あられますことを願って」まで進んだところで一瞬口ごもり、その後で「あらせられますことを願っていません」と発言していることがわかる。

「願ってやまない」の「やむ」は「已む」と書く。「己」や、十二支の「巳」と紛らわしい字ではある。安倍氏が手にした原稿では教養のある官僚が漢字で書いていたため、なんと読むかためらって、「願っていません」と言ってしまったのではないかとも思われる。

 安倍氏は2017年1月24日、参議院本会議で蓮舫議員に対し「訂正でんでんという指摘は全く当たりません」と答弁した。これは「云々」を、「伝々」と誤って覚えていたようだ。もし「国民代表の辞」の原稿にひらがなで「願ってやみません」と書いてあったのに「願っていません」と言ったのなら、安倍氏は「願ってやまない」という言葉を知らないほど語彙が乏しいのか、意図的に変えたのか。どちらも少々考えにくい。

 当意即妙が求められる国会答弁なら「でんでん」も笑い話で済むが、今回の舞台は憲政史上初の儀式だ。その重要な場で国民を代表し、天皇、皇后両陛下に直接あいさつをするのに、下読みも十分にしなかったなら、怠慢の極み。皇室に対する敬意を欠いていると言われても仕方が無いだろう。〉云々。

 記事は間違えた箇所を、〈「あられますことを願って」まで進んだところで一瞬口ごもり、その後で「あらせられますことを願っていません」と発言している〉と解説しているが、実際にどのように読み上げたのか、 Youtube 掲載の首相官邸動画「退位礼正殿の儀 国民代表の辞」から間違い箇所を採録してみた。

 安倍晋三「天皇皇后両陛下には、末永くお健(すこ)やかであらせられますことを、願って、(ほんの少しの間)あらせられますことを願って、(微妙に声を落として)いません。

 ここに、天皇皇后両陛下に心からの感謝を申し上げ、皇室の一層の御繁栄をお祈り申し上げます」

 「あらせられますことを願って」と繰返したのは、「已みません」の「已」が読めずに、そこでつっかえてしまったからだろう。何と読むのか背後に控えている参列者に聞くことも、ましてや天皇に聞くこともできずに何気なさを装いつつ、ゴマカシの強行突破を図った。そのために微妙に声を落とすことになった。

 上記記事は、〈天皇、皇后両陛下に直接あいさつをするのに、下読みも十分にしなかったなら、怠慢の極み。皇室に対する敬意を欠いていると言われても仕方が無いだろう。〉と批判しているが、安倍晋三が皇室に対する敬意を欠いているということはないはずだ。何しろコチコチの戦前型天皇主義者だからだ。

 だが、国民を代表して天皇・皇后に言葉を述べる以上、両者に失礼にならないように一応は目を通す下読みぐらいはしておくべきだったが、それさえしなかった。確かに記事が指摘するように「怠慢の極み」だが、戦前型天皇主義者でありながら、失礼を避ける配慮を欠くことになったのは上から目線の皇室に対する敬意だからだろう。

 歴史的に世俗権力者は天皇を上に位置させながら、その権威を利用して国家及び国民を統治する二重権力構造を延々と引き継いできた。いわば世俗権力者たちは天皇の地位と権威を自分たちの権力に変え、行使してきた。表向きは天皇に対して恭しいまでの敬意を持って仕えながら、その実、天皇を思い通りに巧みに操ってきた。安倍晋三が戦前の日本国家を理想の国家像とし、戦前回帰主義者であることを考えると、二重権力構造を密かに引き継ぐ上から目線の皇室に対する敬意だとしても不思議はない。

 混じり物の一つとしてない安倍晋三の皇室に対する敬意であったなら、原稿に目を通すぐらいのことはしただろう。読むことができない字があるかどうかを確かめるだけではなく、つっかえずに読んだり、不必要な箇所に区切りを入れない用心のためにも一通りは下読みを試みるだけの敬意を有していたはずだ。

 だが、そういった配慮はなかった。上から目線の皇室に対する敬意だからこそできた「怠慢の極み」であろう。

 記事は安倍晋三の大失態に対する世の中の反響について触れている。
 
 〈テレビや翌日の新聞は、公表された原稿の内容を伝え、言い誤りはほとんど報じなかった。記者が聞き耳をたてず、発表文書に頼る風潮を示しているように感じられる。

 私が5月3日に動画サイト「デモクラ・テレビ」の討論番組で「あきれた失言」と話すと、他の出演者は「それは初耳」と驚いていた。その後、右翼団体「一水会」が6日ごろからインターネットで批判を始めるなど、言い間違いへの非難は徐々に広がっている。〉

 ジャーナリスト田岡俊次が5月3日出演した動画サイトで「あきれた失言」と披露すると、周囲は「それは初耳」と驚いていた。その後、5月6日頃からインターネット上で言い間違いへの非難が徐々に広がっていった。

 もし安倍晋三が大失態をやらかして恥をかいたことを少しも気にしていなかったとしたら、感情のない人間扱いされる。国会答弁で痛いところを突かれると、声を荒げたり、野次を飛ばしたりするから、人間としての感情は十分に持っているはずだ。

 当然、人間としての感情を一応は持ち合わせている安倍晋三が恥をかくことになったこの大失態を何かしらの自慢行為で帳消ししたい心理が働いたとしても、当然の人間作用と言うことができ、帳消しを図っているのではないかと窺わせる出来事をマスコミ記事で知ることになった。

 「NHK NEWS WEB」(2019年5月9日 21時07分)

 西暦2019年5月9日 夜に東京都内で開かれた自民党二階派のパーティー。

 安倍晋三「統一地方選挙と参議院選挙が重なると、なかなか自民党は大変であり、12年前の参議院選挙は大敗した。あれからねじれ国会になって政治が安定性を失い、民主党政権が誕生して混迷を極めたのは事実だろう。

 再びあの混乱を起こすことがないよう、あの悪夢が再び舞い戻ってくることがないよう、しっかり勝ち抜いて、政治の安定のもとに誇りある日本をつくっていきたい」

 民主党政権のことを悪夢政権とレッテルを貼る以上、安倍政権は悪夢とは正反対の吉夢政権とレッテルを貼ることができて、そのレッテルは盤石の支持に裏打ちされることになるのだから、悪夢言説から卒業していいはずだ。だが、今以って悪夢言説から卒業できずにいる。自分の政権に自信がないからに他ならない。

 安倍晋三は西暦2019年5月14日夜の自民党麻生派のパーティーでも、続けて悪夢言説を放っている。「毎日新聞」(2019年5月14日 20時05分) 

 安倍晋三「(第1次内閣で臨んだ2007年参院選について)私の責任で惨敗をしてしまった。政治は安定を失い、経済は混迷を深め、我々は政権を失い、悪夢のような民主党政権が誕生した。二度とこのような状況を招いてはならない」

 現在の安倍政権を悪夢の民主党政権の対局に置いているのだから、もっと正々堂々としていていいはずだが、翻って自政権の正当性を訴えるとき、悪夢とレッテルを貼った民主党政権との比較に置く屈折した比較の方法を取っている。正々堂々といかないのは森友疑惑だ、加計疑惑だと、後ろ暗いところを抱えているからでもあり、直近の西暦2019年4月30日に「退位礼正殿の儀」に於ける「国民代表の辞」で恥をかく大失態をやらかして、その帳消しできない大失態を帳消ししたい心理が働くことになって、帳消しできないゆえに何かの自慢行為で強がる以外にゴマカシがきかなくなるということであるはずだ

 その手っ取り早い自慢行為が「悪夢の民主党政権」と比較した自政権の正当性である。

 勿論、本人は否定するだろう。両記事が触れているように「夏の参院選に向けた引き締めだ」とカモフラージュするに違いない。だが、4月30日に恥をかくことになった大失態をやらかし、ジャーナリスト田岡俊次の5月3日の動画サイトでの大失態の指摘によって、3日後の5月6日頃からインターネット上で大失態への非難が徐々に広がり、その3日後の自民党二階派のパーティーが開かれた5月9日頃はネット上で拡散の勢いが増し、その5日後の自民党麻生派のパーティーが開かれた5月14日頃は拡散はかなりの盛り上がりを見せることになっていたはずだ。

 安倍晋三が大恥をかいた手前、ネット上の拡散に無関心ではいられなかっただろう。その件について例えネットを検索しなかったとしても、拡散すれば拡散する程、安倍晋三の大失態の恥も拡散するのだから、少なくともネット上で拡散している状況は否応もなしに頭に思い浮かんでいたはずだ。当然、帳消しを図っているのではないかと窺わせる「悪夢の民主党政権」の強がりとの解釈も、人間心理上、決して否定はできない。


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