8/18「たかじんのそこまで言って員会」私設国際司法裁判所の滑稽なA級戦犯等の歴史認識裁判

2013-08-20 10:10:22 | 政治


 
 8月18日(2013年)の「たかじんのそこまで言って員会」は「A級戦犯は有罪か無罪か」、「アメリカの原爆投下は有罪か無罪か」等、歴史認識の大きく異る出来事を取り上げて、「大阪裁判2013」と銘打った“裁判”を展開していた。

 ヒナ檀に普段の顔ぶれとは異なって、全て日本語を話すドイツ人やアメリカ人、中国人、韓国人と、それぞれ立場の違う各国の8名を裁判官として座らせ、竹田恒泰、加藤清隆、桂ざこば、津川雅彦、金美齢が単なる傍聴者ではなく、裁判員裁判の裁判員よろしく、質問したり反論したりする仕組みになっていたが、この裁判員もどきのメンバーは東京裁判を否定する立場の人間からしたら歓迎すべき面々ということになるだろうが、東京裁判を受け入れる歴史認識者からしたら、最悪のメンバーということになる。

 私自身は後者である。

 番組はA級、B級、C級は罪の等級を表しているのではなく、A級を「平和に対する罪」、B級は「通例の戦争犯罪」、C級は「人道に対する罪」と紹介していた。

 「A級戦犯は有罪か無罪か」に関しては、「私設国際司法裁判所裁判官に質問」と称して、「東京裁判で裁かれたA級戦犯は無罪だと思うか、有罪だと思うか」と質問していた。

 この記事では諸国外国人の歴史認識はさして問題とせず、普段レギュラーメンバーとしてヒナ檀に座っているが、今回はヒナ檀と向き合って低い位置の長椅子に裁判員よろしく座っている面々の歴史認識をごくごく簡単に取り上げたいと思う。

 先ず番組解説による紹介を会話体に直してみた。

 ウエッブ東京裁判裁判長「最大の責任者である天皇が訴追されなかったために量刑が著しく不当であるがゆえに、全員を死刑にすることに反対する」

 ジャラニ・フィリピン人判事「一部の被告の刑は寛大に過ぎ、犯罪防止にも見せしめにもならない。全員死刑を要求する」

 11人の判事の中で唯一全員無罪を主張したインド人判事。

 ラダ・ビノード・パール判事「“平和に対する罪”、“人道に対する罪”は事後法であり、法の不遡及の原則に反しているゆえに全員無罪を主張する」

 番組はパール判事が後に息子のプロサント・パール氏に残した言葉を紹介している。
  
 ラダ・ビノード・パール判事「裁判所が判事団に指令して、予め決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。

 さらにそのような事実があったことを極秘にするために誓約書への署名を強要された」

 番組女性解説者(声を低くしておどろおどろしく)「戦勝国が敗戦国を裁く東京裁判は出来レース的な不公正は裁判だっという批判もある」――

 番組は無罪としたい願望から、当然、上記解説が可能となる。

 そして各国8名に無罪か有罪か問い質した。5名が有罪の札を示し、3名が無罪を出した。

 東京裁判は1948年11月12日判決。A級戦犯28人の内、東条英機ら7人が死刑。終身刑16人。有機禁錮刑2人。

 番組では取り上げていなかったが、2名が判決前に病死、1名が梅毒による精神障害が認められて訴追免除となっている。

 番組解説「1978年(昭和53年)10月17日、靖国神社は死刑及び獄中死の14人を“昭和殉難者”として合祀」――

 裁判員たちの無罪の立場から主張をざっと見てみる。

 津川雅彦「東条英機は連合国に対して有罪ではない。もし有罪だとすれば、日本国民に対してリーダーが負けたということで責任はある」

 竹田恒泰「東条英機元首相は『平和に対する罪』には該当しない。でも、敗戦責任はある」――

 二人とも自分たちの言っていることの矛盾に気づかない。

 日本国民に対して敗戦責任ある人物を“昭和殉難者”とすること自体が矛盾するからだ。

 当然、二人は靖国神社が東条英機らA級戦犯を“昭和殉難者”として合祀していることに反対しなければならない。

 だが、二人のA級戦犯合祀反対の主張を聞いたことはない。

 【殉難】「国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること」(『大辞林』三省堂)

 日本国民に対して敗戦責任ある東条英機を“昭和殉難者”として靖国神社に祀るということは論理矛盾そのものであろう。

 “昭和殉難者”としたこと自体が東京裁判の判決を否定し、日本国民に対しても敗戦責任はない、東京裁判の犠牲者、あるいは日本国家のために身命を投げ打って尽くしたにも関わらず絞首刑を受けたと価値づけたことを意味するはずだ。

 また、A級戦犯は国内法では犯罪人ではないという立場から靖国神社を参拝し、A級戦犯を含めて国のために命を捧げたと戦死者を追悼する場合も、A級戦犯の日本国民に対する敗戦責任を否定していることを意味することになる。

 津川雅彦も竹田恒泰も東京裁判を否定して東条英機のA級戦犯としての無罪を優先させるために周囲を納得させる取引材料として持ち出した「敗戦責任」に過ぎないはずだ。

 だからこそ、「敗戦責任」が合祀矛盾の主張にも合祀反対の主張にもつながっていかない。

 無罪とする立場からの東京裁判が戦勝国による敗戦国に対する強制性を持った裁判であり、なおかつ法の不遡及の原則に反する事後法だという主張を認めて、東京裁判を無効とし、すべての判決を無罪へと持っていくとしても、あくまでも東京裁判に限った措置であって、そのことを以って戦争に関わる責任・罪を無罪放免とすることができないことは明白である。

 勿論、津川雅彦と竹田恒泰が言う、戦争に負けたから負うことになるとしている日本国民に対する責任のことを言っているわけではない。

 東条英機は日米の国力・軍事力の冷静・厳格な比較・分析と緻密性と合理性を持たせた戦略に立った対米開戦ではなく、1904年~1905年(明治37年~38年)の日露戦争の勝利を約40年後の日米戦争勝算の根拠とし、その理由を「戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事(=計算外の要素)が勝利に繋がっていく」と計画よりも僥倖(「思いがけない幸運」)に頼った非合理的な精神論を支えとした対米開戦であって、そのような開戦をスタートとして内外に何百万という犠牲者を出した責任と罪は東京裁判を無効としたとしても、無罪放免とするわけにはいかないはずだ。

 東条英機は内外に戦争全般に関わる責任と罪を背負っているということである。当然、靖国神社が何の罪も責任もない、逆に犠牲者と位置づけ、“昭和殉難者”と名づけて合祀することに合理性を見い出すことはできない。

 番組は次のコーナーで、「アメリカの原爆投下は無罪か有罪か」と質していた。解説が、トルーマン元大統領は日本がポツダム宣言を拒否したため止む無く原爆を投下したと主張しているが、実際にはポツダム宣言発表前に投下命令は出されていた、マッカーサー元帥も、「原爆投下の事前相談があったら、その必要はないと答申したであろう」と語っている、アメリカ国民は今でも6割が原爆投下は正しかったと、原爆投下の不正義を炙り出そうとしていたが、疑問がいくつかある。

 トルーマン元大統領が実際にポツダム宣言発表前に投下命令は出していたとしても、日本が受諾後に原爆を投下しただろうか。もしそんなことをしていたなら、例えアメリカが戦勝国であったとしても、トルーマンは「平和に対する罪」のA級、「人道に対する罪」のC級で裁かれることになるだろう。

 マッカーサー元帥の「原爆投下の事前相談があったら、その必要はないと答申したであろう」がいつの発言であったとしても、1945年9月2日の日本の降伏文書調印の日まで南西太平洋方面のアメリカ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、オランダ軍を指揮する南西太平洋方面最高司令官の地位にあったことから判断すると、「事前相談」がなかったとは考えにくい。

 そこで「Wikipedia」で調べてみると、相反する記述があった。

 〈1945年6月30日、アメリカ軍統合参謀本部がマッカーサー将軍、ニミッツ提督、アーノルド大将あてに、原子爆弾投下目標に選ばれた都市に対する爆撃の禁止を指令。同様の指令はこれ以前から発せられており、ほぼ完全に守られていた。

 新しい指令が統合参謀本部によって発せられないかぎり、貴官指揮下のいかなる部隊も、京都・広島・小倉・新潟を攻撃してはならない。

 右の指令の件は、この指令を実行するのに必要な最小限の者たちだけの知識にとどめておくこと。〉――

〈「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところがワシントンのトルーマン政権は突如日本に原爆を投下した。私は投下のニュースを聞いたとき激怒した」――連合国軍総司令官 ダグラス・マッカーサー〉――

 前夜の記述は原爆投下を知っていたことになり、後者の記述は知っていなかったことになる。

 しかしソ連は1941年4月13日締結、1941年4月25日効力発生 1946年4月25日5年間効力の日ソ中立条約の延長を、「日本がソ連に和平仲介を頼んだと知った1945年6月」より前の、効力切れ1年前の1945年(昭和20年)4月5日にしないことを日本側に伝えている。

 また、「Wikipedia」によると、1945年7月17日~8月2日のポツダム会談前の7月17日、スターリンが対日戦参戦の意向をトルーマンに伝えたと記している。

 〈トルーマンはこれによって「それ(ソ連の参戦)がおこれば日本は終わりだ」と喜んだが、次の日には原爆実験成功(トリニティ実験)の報せを受け取ったことで「ロシアがやってくる前に日本はつぶれる」と、ソ連の力を借りずに日本を降伏させる方針に転換した。〉――

 〈ソ連の力を借りずに日本を降伏させる方針に転換した〉が原爆投下の意図だったとしても、無条件降伏の受け入れを意味するポツダム宣言受諾後の原爆投下は戦争は終わりにしますと表明した国に対する不意を突く攻撃となって、やはり無理がある。

 またマッカーサーにしても、南西太平洋方面最高司令官として8月6日広島原爆投下までの間に7月17日のソ連の対日戦参戦の意向が同時に和平仲介拒否の意向であり、満州国から何らかの国益を得ることを目的とした(和平仲介国では何らの戦利品を望むことはできないだろう)戦勝国としての地位獲得の意向だと、その動きから判断していたはずだ。

 ところが、ソ連に対する和平仲介の1945年6月から8月6日の広島原爆投下まで、ソ連が和平仲介以外の動きがなかったかのようなマッカーサーの発言となっている。

 1945年7月26日、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発表された。

 鈴木貫太郎首相(1945年7月28日記者会見)「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず『黙殺』し断固戦争完遂に邁進する」(1945年(昭和20年)7月29日付け毎日新聞引用の「Wikipedia」

 そして1945年8月6日の広島原爆、1945年8月8日のソ連の対日宣戦布告、1945年8月9日の長崎原爆、同1945年8月9日ソ連参戦と続いた。

 少なくとも日本の最初のポツダム宣言「黙殺」はアメリカ側に原爆投下の正当性を与える動機づけとなったはずだ。

 実際にもトルーマンは正当化の動機づけとしていた。

 だが、「たかじんのそこまで言って員会」の「アメリカの原爆投下は無罪か有罪か」は、この動機づけの視点を一切欠いた、滑稽極まりない責任追及となっている。

 各国8人の判事は有罪多数とし、津川雅彦や竹田恒泰以下の、裁判員裁判の裁判員よろしくの役割の5人のレギュラーも、アメリカだけを悪とする原爆投下有罪説の展開を見せていたが、このことを裏返すと、原爆投下に関しては日本は被害者であって、何の罪もないという主張となる。

 日本がA級戦犯を無罪、原爆投下に関しても日本は無罪とする歴史認識は戦争そのものを無罪とする歴史認識に他ならない。

 かくまでも無罪としたい日本人の合理性の正体は日本民族優越主義を根拠とした優秀だから間違いはないとする無誤謬説以外に考えることはできない。

 例えどんなに滑稽なことであっても。


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