日本では最新のワクチンが使えず、従来からのワクチンを接種したために稀に重い障害に陥る例として日本で唯一使えるポリオ生ワクチンを挙げている。生きた病原体を使うため、効き目は強いが数十万人から数百万人に一人の確率でポリオを発症する危険があるという。
しかも現在この生ワクチンの使用は日本以外ではポリオが流行している一部の発展途上国のみだというから、これまた有り難いばかりの栄誉・勲章となる肩を並べた医療事情ということになる。
先進国での使用は化学処理等で死んだ病原体を使う、ポリオを発症することのない不活化ワクチンだそうで、現在最新のワクチンとされているという。
生ワクチンの接種で身体の様々な箇所が麻痺してしまうポリオを発症させた4歳の男児の若い母親の声を伝えている。
若い母親「予防するためのもので病気になったなら意味がないですよね」
母子手帳を見せたが、ポリオを発症して以来、危険が殆んどない、高い効果が期待できる他のワクチンでも、接種する気になれないからと接種の記録がなく、空白のままとなっている。
若い母親「健康な身体なのに、却って健康被害に遭って、さらに悪くなったら、とてもじゃないと・・・・」
癒えない悔しさを顔の表情にもまざまざと見せていた。
最新のポリオワクチンが接種できない理由の一つは新しいワクチンが承認されるまでに海外と比較して非常に長い時間がかかることにあるという。不活化ポリオの場合はアメリカでは2年で承認されたものもあるが、治験から承認に至る中途過程での審査の担当官が少ないといった国の体制の不備を挙げて、日本では10年以上前から治験が始まっているにも関わらず、未だ一つも承認されていないと状況を説明しているが、体制不備といったこの“後進性”も子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想の希薄さが根本原因として横たわっていて、そのことが招いている後進性であろう。
子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想の希薄さが招いている“後進性”であるからこそ、外国製の優れたワクチンの存在にも関わらず、国が国内メーカーの開発に拘って、外国製ワクチンさえも承認しない姿勢となって現れているに違いない。
厚労省健康局・外山千也局長「国民の命に関わる問題ですから。一方でやっぱり安定供給ということを考えると、国内、まあ、薬業の振興ということもないわけじゃありませんけども、安定的供給と危機管理を考えれば、国内を優先すること、それはどこの国でも、あの、当たり前と思いますけど」
なぜ報道機関は言わせっ放しにするのだろうか。
最初に持ってくるべきは「国民の命」であって、「国民の命」の前に如何なる障害を置くべきではないにも関わらず、「国民の命に関わる問題ですから」と言いながら、「薬業の振興ということもないわけじゃありませんけども」と、10年以上前からの治験にも関わらず一つも承認されていない状況からしたら「国民の命」に障害となっていると断言できる「薬業の振興」を介在させる矛盾を矛盾と思わずに理由として挙げている。
また、「安定的供給と危機管理」を理由として“国産優先”を言っているが、「安定供給」を言うなら国に承認されたワクチンをいくつか抱えてから言うべきで、これも10年以上前からの治験にも関わらず一つも承認されていない状況で「安定供給」を言う資格はなく、さらに外国産のワクチンが安全に使用されている状況からしたら「危機管理」も理由を失う。
「安定的供給と危機管理を考え」ている間にも子供は病気に罹っている。子供の病気は何年かかるか分からない「安定的供給と危機管理」の充実を待たない。
にも関わらず“国産優先”に拘っているのは子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想を欠いているからとしか言いようがない。
番組は先進国の中で日本のワクチンが遅れを取っている間にも現在も新たな患者を発生させていると解説しているが、そういった待ってくれない状況にあるにも関わらず、日本の行政は「安定的供給と危機管理」を言い募り、「薬業の振興」を言って、待たせる状況をつくっている。
何という恥知らずな生命(いのち)の軽視なのだろうか。
大人のポリオ患者「ワクチン行政50年経っても、変わっていない。未だに私と同じような被害者が毎年出続けているということに関して、私は、それはおかしいだろうって、防げるはずのものを防がない、国の責任は大きいと思います」
ゲストの神谷齊(国立病院機構三重病院 名誉院長)が解説している。
神谷齊名誉委員長「一つは日本は非常に潔癖主義と言いますか、非常に綺麗なワクチンを特別に使おうという気持が強くて、審査基準が少し厳しい。これも決して悪いことではないが、外国のワクチンが既に外国で使っているものを入れていくときには、人間が使って安全だということが分かっているわけだから、もう少し遣り方を考えてもいいと思うが、そこが一つの大きな原因となっている」
毎年患者が出続けているというのに、「潔癖主義」も何もない。潔癖主義を優先させて国民の命を疎かにしたら何の意味もない。
経済的な地域格差や親の収入格差が子供の健康格差に影響を与えていることについて。
神谷齊「それは本当にその通りだと思います。ですから、ワクチンを他の国がやっているように無料化することが非常に大事なんですね。これは厚生省がやっているだけでは、もう財政当局から締められると終わりになってしまうから、やはり国が予防接種の必要なものは必ず国がやるということを決めてかからないとできない」
森本健成アナウンサー「日本では無料のものと有料のものが今の段階であります」
神谷齊「その基準が予防接種法という法律で有料と無料のものが分けられている。ここの隔てを外さないことには日本は必要な予防接種はどんどん打てるような格好にはならない」
アナウンサー「その分け隔てを取っ払って全部無料にすべきだという」
神谷齊「全部と言っても、中には色々個人を守るだけのものであるが、ほぼ全体のワクチン、ワクチンで予防のできるものは無料にするのが基本だと思います」
アナウンサー「先月の国会でヒブ、肺炎球菌、子宮頸がんについては無料化を目指すということになりましたが、それに関しては」
神谷齊「それはもう大変いいことで、画期的な手続きではあるが、ただそれは定期接種にすることがきちっと決まったわけではなくて」
森本アナウンサー「定期接種と――」
神谷齊「無料にするということで2年に限って,今年と来年の分だけは無料にするということになりましたけども、今後についてはしっかり話がされていない。このことはきちっとやってもらわないと困る。折角三つを入れたということは評価する。他に小児科領域では前から必要だと言われている水疱瘡のワクチンとおたふく風邪のワクチン、ポリオのワクチンの不活化もそうだが、そういうものをきちっと今後もやっていくということが保証されないと。これ三つだけ決められただけでは、大きな改善になったとは言えないところもあるから、ここを今後頑張って欲しいと思う」
日本が新たなワクチンの無料化に消極的になったのは20年前からで、その辺の事情を最前線の小児科医として国の姿勢に疑問を抱いていてきた山本光興小児科医に聞いている。
難聴や脳炎になる子供が跡を絶たない、現在有料のおたふく風邪ワクチンは20年前は無料で接種できたという。
山本小児科医「かなり感染力が強い疾患の一つですから、無料化して欲しいという要望を出しているが、現実はなっていない」
はしか・風疹のワクチンと組み合わせた混合ワクチンとして約8割の子供が接種していたが、その副作用が数多く報告されて、1993年、国は使用を当面中止する。しかし海外では副作用の少ないワクチンが新たに開発され、各国政府の後押しを受けて普及したが、日本ではおたふく風邪のワクチンで国の承認を受けたものはなかった。
山本小児科医「復活して欲しいと思うけど、やはり一度ダメになったものはなかなか再復活するのは無理だね」
肉体も精神も一体的に十全な状態で育てる観点に立った子供の生命(いのち)を守る思想に駆られていたなら、些かの躊躇も許されないはずだが、日本の新たなワクチンに慎重な姿勢はおたふく風邪に限ったことではなく、この20年間に世界各国では様々なワクチンが開発され、無料化されてきたが、1993年におたふく風邪の無料混合ワクチンが一時中止となって以来、新たに無料化されたワクチンは一つもないという。
フランスの無料化の例を挙げている。
1995年――B型肝炎
2006年――肺炎球菌
2007年――子宮頸がん
2010年――C型肝炎
この日本の“後進性”の背景(=子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想の欠如の背景)を、宿命的ともいえる副作用を巡って揺れ動いた行政の姿に置いている。
1992年、副作用被害を問う集団訴訟で国が敗訴。副作用事故は回避できたはずで、責任は国にあるとされた。
厚労省健康局・外山局長「必ずやれば副作用が出ると。やらなければ、『何だ』ということなので、ジレンマをどうしても回避できない」
羹に懲りて膾を吹く。副作用に懲りて、子供の生命(いのち)を疎かにする。「国民の命に関わる問題ですから」と言いながら、子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想を体現していないことを暴露・証明している。口先だけで言っている「国民の命」の言葉に過ぎない。
判決の2年後、国は予防接種法を見直す。それまで国民の義務と位置づけてきた8種類の無料ワクチンを努力義務に緩和。国は一歩引いて親の自己責任に任せることにしたという。
いわば8種類の無料ワクチン接種も当初から子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想に立った制度ではなかったということである。もしそうであるなら、副作用というどのような困難も乗り越えて、副作用の少ない国産の開発か、外国産の承認を心がけて、肉体・精神共に十全な状態を維持した状態で子供の生命(いのち)を少しでも守る方向に向けた努力を払うはずだからだ。
厚労省健康局・外山局長「(親の)自己決定権の立場に立つという、そういう立場での改正はあったけれども、予防接種の体系という根本が『義務接種』から、『勧奨接種』へと移行したということが大きな改定なんで」
子供の生命(いのち)を守る思想の一かけらもない発言となっている。
ワクチンの接種を義務づけている国の一つであるフランスでは感染症から子供たちを守るのは行政の責任だとしているという。
このワクチンの義務づけ、行政の責任姿勢は子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想を背景としてある体制であろう。
ポリオやジフテリアなどのワクチンを接種していなければ公立小学校への入学を認めないとする厳しいルールまで設けて義務づけているという。
フランスでは保健所で医師が接種を行っている。
保健所女性医師「子供たちのワクチン接種は重要です。その子供を守るためだけではありません。みんなが接種することで、子供全体が守れるのです」
「子供を守る」とは子供の生命(いのち)を守ることに他ならない。肉体と精神を守ることに他ならない。
フランスの強力なワクチン政策を支えている要因は徹底的なデーターの収拾と管理だそうだ。いつ、どこで、何のワクチンを接種したのか病気の発生をどれだけ抑えられたか。さらにどんな副作用が、どんな頻度で発生しているのか、すべてのデータを集めて、ワクチンのメリットとデメリットを客観的に比較し、その結果を国民すべてに情報公開することで高い接種率を確保しているという。
日本では副作用を恐れて20年遅れの「ワクチン後進国」の汚名に甘んじている。子供の生命(いのち)を守る覚悟がないから、副作用の前に逡巡することになっているのだろう。守る思想を元々欠いているから守る覚悟も出てこない。
国立保険監視研究所――
ジャン・ポール・キュットマン氏「副作用について、国民一人ひとりが積極的に知るべきです。そうすれば、副作用のリスクよりもワクチンを打つ価値の方が大きいということが自ずと理解できるのです」
この発言を可能としているのは副作用の限りなく少ないワクチン開発の実績を背景としているからだろう。
森本アナ「萎縮する日本と自信を持ってワクチンを義務づけているフランスと対照的ですよね。フランスのデータは凄いと思ったんですが、これ欧米では常識なんでしょうか。」
神谷齊当名誉院長「ワクチンを打ってから、その後の調査をしっかりやると言うことは欧米の常識ですね。これはフランスだけではなくて、アメリカでもイギリスでも、同様なことをきちっとやっています。そのデータを如何に、今、どういうことが起こっているかということを全部オープンにして、全員に知らせて、国民がみんなそれぞれが知る権利があるし、それを知って、ワクチンを打っていこうという気持にならせるところが、やっぱり外国は上手にやっていますね」
森本アナ「日本では、私も子供がいるんですが、一度も(データの公表について)聞かれたことはないですよね」
神谷齊「日本は調査はゼロではない。新しいワクチンをやりますと、メーカーが責任を負って、3千例ぐらいの、後(あと)調査をやっているが、その調査で、その後のことはあまり分かりませんし、それがはっきりとオープンにされていませんので、そこが一番外国と違うところでしょうかね」
こういう発言を聞くと、日本人は劣る人種ではないかと思ってしまう。
神谷名誉院長は日本が「ワクチン後進国」を脱するためには、10年後には日本はこうすべきだとする先のことを厳格に考えた組織作りが必要だと指摘しているが、何よりも必要なのは子供の自由な肉体と自由な精神を一体とさせた生命(いのち)を守る思想を持つことであって、この思想の支えがなけれが、どのような組織をつくろうとも義務的意識が伴って、魂入れずの組織になってしまう恐れが出てくる。
肉体・精神共に一体的に子供の生命(いのち)を守る思想を誰もが、特に行政が切実なものとしていたなら、国産、外国産の拘りもなく、当然、「20年遅れ」といった後進性を見せることはなかったろう。
すべては子供の生命(いのち)への軽視から始まっている「ワクチン後進国」と言わざるを得ない。 |