自民党の安倍晋三官房長官は改正を目指している『教育基本法』に、「国を愛する心」、いわば「愛国心」の涵養を求める表現を盛り込むべきと主張している。
日本の政治家・官僚に『愛国心』を言う資格があると思っていること自体、人間が鈍感にできている証拠である。
人間は自己利害の生きもので、自己利害を基準に行動する。「国を愛する」ことが自己利害と一致する場合は、「愛国心」を発揮するだろう。一致しない場合は、自己利害の生きものとして、「愛国心」よりも、自己利害を優先させる。
つまり、「愛国心」にしても、自己利害表現に過ぎない。政治家と癒着して、うまい汁にありつけるからという自己利害から、何て素晴しい国だと「国を愛」している人間もいるだろうし、国と関係のある機関に勤めている立場上、「国を愛する心」を表明せざるを得ないという保身上の自己利害から、そうしているという人間もいるに違いない。学校の入学式や卒業式といった行事のときは国旗掲揚と国歌斉唱を義務づけられているから、それに従っているだけのことだと、事勿れであることによって精神的安定を得る自己利害からで、別に「国を愛する心」があるわけではないという人間もいるだろう。
そういった態度は何も戦後に特有な風潮ではなく、戦前から伝統としてきた。大日本帝国憲法で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定し、「神聖ニシテ侵スヘカラス」絶対的存在である「天皇」を頭上に戴きながら、明治の時代も、大正の時代も、さらに昭和の戦前も、政治家・官僚の汚職・不正ははびこるに任していた。何よりも「愛国心」を発揮しなければならない政治家・官僚が「愛国心」ではなく、自己利害を優先させていたのである。しかも、人身売買・飢餓・貧富の格差・差別といった常態化した社会の矛盾を置き去りにしての自己利害優先だった。
世界が不穏な状況となり、国際関係が緊張しつつあった昭和12年に、帝国憲法の規定だけでは足りずに『国体の本義』を発表して、「我が国は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立っており、我等の祖先及び我等は、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、ここに国民のすべての道徳の根源がある」と、「天皇の大御心を奉体すること」を以て新たな道徳法則とすべきであるとしながら、政治家・官僚の不正・犯罪はなくならず、社会の矛盾の解消に何ら力とはなり得なかった。
確かに戦前、国民を侵略戦争に駆り立てるには「天皇」と「愛国心」は役に立った。しかしそれは表立たさなければならない同調行為だったからだろう。表立たせなければ、「非国民」、「国賊」、「スパイ」と非難され、社会から弾き出された。もしも表立たせなければならない制約が存在しなかったなら、「愛国心」表明が物質的・経済的な自己利害に一致する人間以外は、どれ程の人間が「愛国心」を振りまわしたりしただろうか。
そのことの証明は、最も「愛国心」意識の高揚が求められた、「欲しがりません、勝つまでは」という戦争のさなかの窮乏時の、「世の中は星に錨に闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」光景が十分に説明している。陸軍軍人(「星」)や海軍軍人(「錨」)、それにヤミ屋(「闇」)、土地の有力者(「顔」)といった社会の上層に位置する連中が「愛国心」を振りまわせば振りまわす程、社会の上層者としての地位と権力をより信用あるものとし、そのことが配給の行列に時間をかけて立たずとも横流しやヤミ取引で配給以上の上等な食料品や生活嗜好品を簡単に手に入れる役得行為をより確かに保証する自己利害に役立つ一致があったからこそ可能とした光景というわけだろう。
つまり、天皇の存在は「天皇バンザイ」と両手を上げさせることができたとしても、表立たない場所での日本人の道徳性に関しては当てにもならなかったのである。戦前の天皇がそうなのだから、戦後の今日に於いても、学校教育で「愛国心」を植えつけることができたとしても、表立たない場所では自己利害優先の欲望力学の前に何の力も持たないだろう。
そしてそうであることを何よりも政治家・官僚の現在の生態がそのことを如実に物語っている。
「愛国心」を言うなら、政治家・官僚がまず国民が愛着の持てる国家建設・社会建設を行うべきだろう。政治家が族益や特定勢力との癒着といった自己利害を、官僚が省益や天下りといった自己利害を優先させ、社会の矛盾をつくり出していながら、国民には「愛国心」をでは、片手落ちに過ぎるということだけで片付けることはできない。自分たちが「愛国心」ある人間であることを前提としていて、初めて国民に「愛国心」を求める資格が生じる。政治家・官僚が今のままのザマで、国民に「愛国心」を求めるのは、国民に求めることによって、さも自分たちは既に「愛国心」ある人間であると思わせて、自分たちの薄汚い実態をカモフラージュするトリックを仕掛けるだけのことでしかない。
同じ自己利害でも、政治家・官僚が社会の一員であることから外れない社会性ある自己利害をルールとしたなら、まあ、日本の政治家・官僚には無理な相談だろうが、国民も、同じルールに立つべく制約を受けることになる。そういった志向性を持つことこそが、形式で片付けることができる愛国心ではない、また、大袈裟に愛国心を振りまわさずとも国や社会の秩序の確立に実体的に役立つ根幹的な要請となるものではないだろうか。
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