山尾志桜里(46歳)という現在国民民主党所属議員は東大法学部卒、検事を経て、2009年8月に民主党から初当選、2012年の選挙では落選しているが、2014年、2017年と当選、10年近く国会議員を務めていることになる。国会質疑中継の山尾志桜里を見ていると、頭の回転が鋭く、弁舌が立ち、小気味良い攻撃的な質問ができる女性で、高い教養と言葉の才能を窺うことができる。
ところが順風満帆だった議員生活に最初の試練がやってきた。2017年9月初め、民主党の後継政党である民進党の前原誠司新執行部発足当初、党ナンバー2の幹事長に内定していた山尾志桜里が内定から外され、9月5日の党本部での両院議員総会で幹事長は他の人物に充てられることになった。その真相は2017年9月7日発売の週刊文春の既婚の弁護士男性との不倫報道が明らかすることになった。山尾志桜里自身も既婚者であった。W不倫ということで、マスコミの好餌となった。
山尾志桜里は9月7日の夜、記者会見を開いたが、記者団の前で文書を読み上げたのみで、記者の質問を受け付けなかった。弁護士男性は山尾志桜里の政策ブレーンで、一人で会うときも、複数で会うときもあり、頻繁にコミュニケーションを取る関係だと説明した。ホテルに同宿したと週刊誌に書いてることについては「私一人で宿泊をいたしました」と言い、「相手の男性とは男女の関係はありません」と不倫関係を否定、「誤解を生じさせるような行動で様々な方々にご迷惑をおかけしたこと、深く反省しお詫び申し上げます」と謝罪、「そのうえで、このたび、民進党を離れる決断をいたしました」と民進党の離党を以って責任の形とした。
このことは「当ブログ」に取り上げた。記者団の前で文書を読み上げたのみで記者の質問を受け付けなかったことは他党議員や閣僚の不倫に関しての説明責任が文書朗読だけで終えても、それ以上は追及できない前例となりかねない。少なくともそうした場合、民進党は説明責任を十分に果たしていないと非難することはできなくなる。自分たちが十分に説明責任を果たしてこそ、他者に対しても十分に説明責任を求める資格が出てくると書いた。
もし事実男女の関係がなかったなら、不倫報道自体がプライバシーの侵害となる名誉毀損の虚偽事実の不法な社会的暴露に当たる。どこに離党しなければならない理由があるというのだろうかということも書いた。
このブログでは触れなかったが、「誤解を生じさせるような行動」であったとしている言葉自体に不倫関係の否定を含んでいることになる。つまりホテルに一緒に入ったが、自分一人で宿泊した。但し男女関係にある二人がホテルに一緒に入ったとしても、ホテルに泊まるのはどちらか一人ということもある。男女の関係を済ませあと、一人は家に帰り、一人はそのままホテルに泊まる場合である。あるいは二人共宿泊せずにホテルを出ていくということもあるだろう。
当然、二人でホテルに入っている以上、宿泊したのは自分一人だからとすることによって不倫否定の証明とはならない。
この場合の「誤解」とは周囲が自身の事実とは異なる解釈をしているという意味を取ることになるから、報道が不倫だと伝えた事実に関して「誤解」だとするには報道の事実とはなる自身の事実を合理的な説明を駆使して周囲に納得させなければならない。なぜなら、不倫のみならず、他の不祥事に関しても事実でありながら「誤解」という言葉を武器に「誤解」であることを証明せずに自らを免罪して自己擁護に走るケースが多々あるからである。
また、それが周囲の、広く言えば世間の誤解ではなく、真正な事実であったとしたら、「誤解」というフレーズのみで世間の解釈に罪をなすりつけることになるだけではなく、合理的な根拠が示されないままに自己免罪とその免罪を通した自己擁護の罷り通りを放置することになる。
麻生太郎は2020年1月13日、福岡県直方(のおがた)市で開いた国政報告会で「2千年の長きに亘って一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べたという。この発言が批判を受けると、「誤解が生じているならお詫びする」と謝罪した。
つまり自身が日本に関わる歴史認識を誤解していたとしたのではなく、周囲が自分の発言を誤解した。自分の発言に対して世間が異なる間違えた解釈をした。当然、自己免罪すると同時に自己擁護を果たしていたことになる。だから、同じような発言を何ら責任を取らずに繰り返すことになっているのだろう。
山尾志桜里は報道が伝えていた男女関係を不倫ではなく、いわば世間に「誤解を生じさせるような行動」、つまり世間が事実を違えて不倫だと解釈する行動に過ぎないとするのみで、それを裏付ける合理的な説明は一切行わなった。
山尾志桜里はその後夫と離婚し、相手の男性も報道から2カ月後に妻と離婚、その妻が不倫報道から3年後に自殺したという事実は、山尾志桜里が「誤解を生じさせるような行動」としたことが単に自己免罪し、自己擁護に走ったに過ぎなかったことの証明となると同時に周囲の誤解だと装わせることで事実とは異なる解釈をしたと報道や世間に罪をなすりつけたことになる。
断っておくが、不倫が問題ではない。事実を隠して周囲の勝手な解釈に過ぎない「誤解」だと世間の解釈に罪をなすりつけることが問題となる。国会議員ともなると、国民の投票で選ばれている関係上、こういったことをタブーとする自己規制は社会一般よりも厳しくなければならないはずだ。
山尾志桜里の2017年9月の不倫報道には続きがあった。2021年4月27日付の同じ「週刊文春」ネット記事が国民民主党衆議院議員山尾志桜里(46)の国会議員支給JR無料パスの公務外の私的利用を報じた。記事は、〈一般的に、選挙区内の移動や公務出張の際には、新幹線、特急、指定を含むJR全線を無料で利用できる。〉と書いているが、国から国会議員宛に支給される無料パスだから、当然公務以外の私的利用は禁じられることになる。
週刊誌の記者は二人の関係はまだ続いていると睨んで、山尾志桜里に張り付いていたのだろう。ご苦労なことで、その執念に感服する。
週刊文春が伝えている山尾志桜里のJR無料パスの使用状況。2021年4月3日土曜日に三鷹駅から吉祥寺駅まで議員パスを利用、駅ビルのマッサージ店で1時間程の施術。吉祥寺駅から新宿乗り換え恵比寿まで無料パス、駅ビルで総菜を買い、近くのラーメン屋で食事、酒屋に立ち寄ったあと、タクシーで不倫相手とされていた男性の自宅訪問。男性は妻と別れ、山尾志桜里自身も離婚しているから、どのような関係も、国会議事堂以外のどのような場所での関係も自由となるから、他人の口出しできることではないが、記事は、〈山尾氏はこの日以外にも、4月10日土曜日、4月17日土曜日など週末を中心に、マッサージや買い物などプライベートを楽しむ目的で議員パスを不適切に使用していた。〉と恒常的な公務外私的利用を伝えている。
週刊文春記者は4月25日、都内で山尾氏を直撃した。
――お買い物やエステに行かれるときも議員パスを使用されていることを確認しているのですが。
「ごめんなさい、全部紙でいただけますか」
――国民の血税ですので。
「全部紙でいただけますか」
改めて山尾事務所に事実関係の確認を求める質問状を送ったが、以下のように回答した。
「法規にのっとり対応しております」
この最後の「法規にのっとり対応しております」の返事はJR無料パスの私的利用の否定、公務利用とする正当性の主張以外の何ものでもない。つまり私的利用とするのは「誤解」だとしていることに相当する。報道が自身の事実とは異なる解釈をしているに過ぎないと。
個人的買い物やエステのどこが法規に則った対応、JR無料パスの私的利用ではなくて、公務利用なのだろうかと全く以って腑に落ちなかったが、週刊文春記者の直撃を受けた3日後の2021年4月28日に投稿した山尾志桜里自身のツイッターに答があった。
「議員パスの件について。公私の別を大切にする自分として、その区別があいまいに見える行動はよくないと深く反省しています。今後このことがないように十分気をつけてまいります。本当に申し訳ありませんでした」
「【今後の対応について】
東京で喜らし東京で働く環境で、議員パスを通じた公私の曖昧をなくすためには、東京都内の移動にパスを利用しないこととするのが、今私にできる最善の対応と考えています。改めてお詫びするとともに、仕事を通じた信頼回復に努めていきます」
要するに山尾志桜里は公私の「区別があいまいに見える行動」だったと言っているが、JR無料パスを利用して移動した山尾志桜里を週刊文春記者が尾行して確認した行動の中に私用ばかりで、公用とすることができる所用があったのだろうか、何を言っているのだろうかと最初は不審に思ったが、タクシーで向かった不倫相手とされていた男性は不倫発覚後に山尾志桜里が自身の政策顧問に起用していたことを思い出した。男性宅訪問を政策についての打ち合わせといった公務に入れていて(酒店で何かの酒を買ったことは男性宅で男女の関係に持っていくためのムードを醸し出すアイテムと解釈できないこともないが、こういったことは考慮外に置こう)、マッサージ店の利用や総菜の購入、ラーメン屋での食事までは公務に向かう途中の序での用事だから、JR無料パスを利用することになったということなのだろう。
一見、許されるように見えるが、序でが一つ程度ならまだしも、三つも四つもとなると、私用と分かっていながら、序でを装ってJR無料パスを利用した確信犯と看做されても仕方がない。当然、男性宅訪問を除いたそれぞれの用事を公私の「区別があいまいに見える行動」とすること自体が一種の誤魔化しとなる。
このことは自身を「公私の別を大切にする自分」としていながら、感情的にか衝動的に咄嗟に取ってしまった無考えな振舞いからというわけではなく、外出先のごく日常的な振舞いの中で公私の「区別」を失って、その「区別があいまいに見える行動」を取ってしまうというのは前提と結果の間に大きな矛盾が生じることからも証明できる誤魔化しであろう。
要するに公務目的のJR無料パスを私用目的と分かっていて利用していたのを「区別があいまいに見える行動」とすることで罪薄めを図ったといったところなのだろう。
全ては推測である。ゲスの勘繰りかもしれない。だが、「今後の対応」として「東京で喜らし東京で働く環境で、議員パスを通じた公私の曖昧をなくすためには、東京都内の移動にパスを利用しないこととするのが、今私にできる最善の対応」だとしている、そうまでする過剰反応が逆に本当は私用目的の利用だと自覚していたのではないのかという疑いを抱かせる。
求められている「最善の対応」とは以後、公私の区別をしっかりとつけること以外にない。東京都内の移動にパスを一切利用しないということではない。要するに公務と公務序での私用を切り離して前者の場合はJR無料パスを使うが、後者については公私を厳格に区別する対応を取って一切使わなければ済むことを、そういった妥当な線引きをするのではなく、公務も公務序での私用も区別せずに一切JR無料パスを利用しません、それが「今私にできる最善の対応」だと極端な結論に走るのは一種の反動形成に当たる。この場合の反動形成は山尾志桜里自身がJR無料パスについて何か隠していることがあるから、その反動として必要もない極端に潔癖なことを言い出したというところに現れていると見ることができる。隠すための前提として公私の「区別があいまいに見える行動」だと体裁のよい定義付けをしなければならなかった。
少なくともJR無料パスの用途を公私の「区別があいまいに見える行動」とすることで自己免罪し、免罪を通して自己擁護していることは否定できない。
国会議員である以上、自身の言動の非は非と認めて、それ相応の責任を負うことをしないと、野党議員としての国家権力に対する監視役を損ない、不祥事を起こし、不正を働く与党国会議員や閣僚と同じムジナと化すことになる。山尾志桜里はツイッターの最後に「改めてお詫びするとともに、仕事を通じた信頼回復に努めていきます」と述べている。
この手の発言の多くは責任の要素とは関係させずに発せられるケースが多い。内閣総理大臣といった任命権者が任命した閣僚が不祥事を起こした場合、何ら責任を取らせずに「職責を果たすことで信頼回復に努めて欲しい」と免責したり、官僚の誰かが組織の秩序と規律を混乱させる事態を引き起こしたとしても、組織の長を監督不行届で何らかの責任を取らせずのではなく、「再発防止を図ることで責任を果たして欲しい」と監督不行届に目をつぶったりする。あるいは組織の長自体が組織の「信頼回復に努めていくことが私に課せられた責任です」と信頼失墜を招くことになった自らの責任は不問に付したりする。
つまり山尾志桜里は仕事を通じた信頼回復でJR無料パスの不明朗な利用に関わる責任を回避したとも言える。与党議員や与党閣僚と何も変わらない。
最後に一つ。夫との性格の不一致が妻をして不倫に走らせるということもあるのだから、そもそもの離婚の原因が夫側にあるのか妻側にあるのかは他人には窺い知れないが、山尾志桜里は離婚後に旧姓に戻っていて、山尾姓ではなくなっているということだが、山尾姓を名乗り続けている。「山尾志桜里」名で投票を受け、国会議員として「山尾志桜里」名で人目に映る活動をし、その成果が「山尾志桜里」名と切っても切れない関係で結びついている損得の利害上からの理由で山尾姓を私的利用しているのだとしたら、山尾志桜里が自身を「公私の別を大切にする自分」としていることに反する公私混同ということになって、「公私の別を大切にする」は信用できないキャッチフレーズとなる。