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日本の戦争が人種平等の世界の実現を目的としたとする田母神が航空自衛隊トップであったことの怖ろしさ

2009-09-06 15:58:11 | Weblog

 09年8月15日靖国神社。終戦記念日の式典でも行っていたのか、田母神俊雄がマイクを握って挨拶に立った。場所はテントの中。

 田母神「ハイ、今日ー、靖国神社に来てみてですね、やはり、この日本人の心のふるさとと言うか、これほど盛り上がっていると、言うことですね、大変感動いたしました。

 で、我々今日(こんにち)、平和で、豊かな生活を営むことができると、いうのはやはり、この、世界史的に見てですね、白人国家の植民地、全世界植民地計画が完成する前に、起ち上がって、ですね、これを止めたことが、私は今日の人種平等の世界がくることに大いに役に立ったと、いうふうに思います。

 その、人によってですね、日本がなぜ負ける戦争をしたんだとか、言う人がいます。しかし、日本が好き好んで戦争をやったわけではないんですね。それは日本がどんどん戦争に追い込まれていって、止むを得ず起ち上がって戦争することになったんです。その結果として、戦争に敗れましたけれども、戦争開始当初、目の前で白人国家を次々に打倒して来た。フィリッピンでアメリカをやっつけました。ビルマやインドでイギリスをやっつけました。インドネシアでオランダをやっつけました。

 そういったことをアジアの人たちがみんな見てたと思います。そうしてみんな目覚めて、我々もできると、言うことで、独立運動が起ち上がって、その結果として今日の人種平等の世界がくることになったと、いうふうに思います。

 そういう意味で、世界史の中で日本がこの人種平等の世界がくる。これを人種平等の世界を早期にですね、実現するために、果たした世界史的な役割というのは、私は人類の歴史の中で大いに評価をされていいんではないかと、いうふうに思います。

 そう意味で、我々はこの、こういった世界をつくるために、えー、起ち上がって、日本のために命を捧げてくれた、あの日本の英霊のみなさんにですね、我々は心から感謝をする、する日がこの8月15日ではないかと、いうふうに思います。ありがとうございました」

 ここで歯切れよく語った田母神の至って高尚な、歴史に残る名演説は終わるが、動画は付録とも言うべき続きがある。先ずは田母神の歴史観から。

 田母神は「人種平等の世界」を早期に実現させるために立ち上がった日本の戦争だと言っている。

 この主義主張の合理性は「戦争開始当初、目の前で白人国家を次々に打倒して来た」という言葉が端的に証明している。「フィリッピンでアメリカをやっつけました。ビルマやインドでイギリスをやっつけました。インドネシアでオランダをやっつけました」

 日本はアメリカもイギリスもオランダも一度たりとも「やっつけ」たことはなかった。フィリッピンのアメリカ軍部隊やビルマのイギリス軍部隊、インドネシアのオランダ軍部隊を「やっつけ」はした。軍の一部である部隊を「やっつけ」たことが国を「やっつけ」たことになる針小棒大解釈の合理性――非事実を事実とする合理性は田母神やその一派に特有な精神としてあるものなのだろう。

 逆に大日本帝国が物の見事に「やっつけ」られ、見るも無残に「打倒」され、尚且つ1952年の対日講和条約発効によって独立するまで連合軍に占領され、その間日本は主権を失った。その“事実”を田母神の頭は把握できない。

 当時の日本人自身が人種平等の思想を精神としていなかったにも関わらず大日本帝国は「人種平等の世界」を早期に実現させるための戦争だったと言う。

 日本人は権威主義を行動様式・思考様式とした人種である。その権威主義は当然の勢いとして人種に対しても敷衍(ふえん)されていて、特に戦前の日本では日本民族を優越的位置に置いて他人種、特に日本民族以外の有色人種を下に置く優劣意識となって現れていた。

 このことは戦前の日本人の朝鮮人差別に象徴的に現れている。

 日本が韓国を日本の植民地として国名を朝鮮と改めたのは1910(明治43)8月。13年後の1923(大正12年)9月1日、死者約10万人、行方不明者約4万人強の関東大震災に見舞われる。

 1日夕刻から「朝鮮人投毒・放火」等の流言が広まり、自警団・軍隊・警察などによって数千人の朝鮮人が虐殺されたと物の本に書いてある。

 日本が朝鮮を植民地化したことにより、日本人の意識に朝鮮人を下等国民と見る意識が植えつけられ、その反映を受けた下等な人間だからと疑う心理が「朝鮮人投毒・放火」の流言を発生させ、その仕返しが情け容赦のない理不尽な集団殺人=虐殺となって現れたのだろうが、本質的には日本人が行動様式としていた人間を上下の価値観で計る権威主義を素地とした人種差別意識の発動による虐殺であったはずである。

 ブログやHPに引用したエピソードだが、呉林俊(オ・リムジュン)なる在日が著者となった『朝鮮人のなかの日本』(三省堂・昭和46年3月15日初版)の中に「横浜市震災史」から引用したという朝鮮人虐殺の場面が描かれている。

 〈ヒゲ面が出してくれた茶碗に水を汲んで、それにウイスキーを二、三滴たらして飲んだ。足が痛みだしてたまらない。俄に降りつのってきたこの雨が、いつまでもやまずにいてくれるといいとさえ思った。

 「旦那、朝鮮人はどうです。俺ア今日までに六人やりました」

 「そいつあ凄いな」

 「何てっても、身が守れねえ。天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさあ」

 雨はますますひどくなってきた。焼け跡から亜鉛の鉄板を拾って頭にかざして雨を防ぎながら、走りまわっている。ひどいヒゲの労働者は話し続ける。

 「この中村町なんかは一番鮮人(せんじん)騒ぎがひどかった・・・・」という。「電信柱へ、針金でしばりつけて、・・・・焼けちゃって縄なんかねえんだからネ・・・・。しかしあいつら、目からポロポロ涙を流して、助けてくれって拝むが、決して悲鳴を上げないのが不思議だ」という。・・・・「けさもやりましたよ。その川っぷちにごみ箱があるでしょう。その中に野郎一晩隠れていたらしい。腹は減るし、蚊に喰われるし、箱の中じゃ身動きが取れねえんだから、奴さんたまらなくなって、今朝のこのこと這い出した。それを見つけたから、みんなでつかまえようとしたんだ。・・・・」

 「奴、川へ飛び込んで、向う河岸へ泳いで逃げようとした。旦那、石ってやつはなかなか当たらねえもんですぜ。みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ。で、とうとう舟を出した。ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分ぐらい水の中にもぐっていた。しばらくすると、息がつまったと見えて、舟のじきそばへ顔を出した。そこを舟にいた一人が、鳶でグサリと頭を引っかけて、ズルズルと舟へ引き寄せてしまった・・・・。まるで材木という形だあネ」という。

 「舟のそばへくれば、もう滅茶々々だ。鳶口一つで死んでいる奴を、刀で切る、竹槍で突くんだから・・・・」

 ああ、俺にはこの労働者を非難できない。何百というリンチが行われたであろう」(以上引用)――

 ブログその他に書いたことを再び繰返す。(少し手直しあり)

 「目からポロポロ涙を流して、助けてくれって拝むが、決して悲鳴を上げない」のも、「十分ぐらい水の中にもぐってい」れたのも、死の恐怖と生命を守ろうとする死に物狂いの必死さから出た力の振り絞りであろう。そのような恐怖心と必死さは生命の危機に際しては人種や国籍を越えて人間なら誰でも見せるものなのに、普段から理解する力を持ち合わせていなかったのだ。死の恐怖、生きようとする必死さを物理レベル・身体レベルの痛みにとどめてしまう感性・想像力が招いているものであるに違いない。

 太平洋戦争で日本軍兵士が各戦地で虐殺・虐待行動を繰り広げた素地は既に関東大震災時に芽吹かせていたということになる。戦争や地震といった騒動・災害によってパニックに陥ったというだけのことではないだろう。地震はただ単に導火線に火をつけるライターやマッチの類でしかないのだ。

 心のわだかまりとしている日常普段の朝鮮人に対する偏見・敵意・差別意識を地震による無秩序状態を絶好のチャンスに心おきなくおおっぴらに噴出させただけのことなのだ。

 単に「チョウセン」と罵るだけでは100%おさまらない軽蔑・憎悪・敵意を内心に抱え込んでいる、いわば慢性症状にあったところへ、朝鮮人が地震の混乱に乗じて日本人に復讐するために井戸に毒を投げ込み、暴動を起こしたという流言を引き金に、それまでは完璧には発散できないでいた悪意を最も残酷な形でストレートに噴出させ、虐殺を通して精神的浄化を得たのである。裏返せば、朝鮮人に対する日本人の軽蔑・憎悪・敵意が精神的浄化を得るためには残酷無比な虐殺を通さなければならないほどにその衝動を自分では気づかない深層心理下にヘドロのように抱え込んでいたということになる。

 何人殺したと手柄とする。日本人の自らの残虐さに気づかないこの残酷さよりも、朝鮮人が殺されて手柄とされる存在であったことの優劣の距離の方が際立って酷(むご)い。」――

 日本人は日本人の中にも人種平等に反する権威主義性の差別を抱えていた。等の否認差別、障害者差別、女性差別・・・。

 呉林俊氏は『朝鮮人のなかの日本』の中で『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』(旧教育総監部)を部分的に取り上げて日本人が朝鮮人に対して如何に独善的な偏見に満ちていたかを紹介している。

 全体的な詳しい内容を知りたいと思ってインターネットを検索したが、見当たらなかったため、何年制作の資料か分からない。「『朝鮮出身兵取扱教育の参考資料送付に関する件陸軍一般へ通牒」なる文書は存在するようだが、呉林俊(オ・リムジュン)氏が著書の中で書いてあるのと違うように思えた。

 『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』には「半島人の性格、能力」として7項目に分けて解説してあるという。

 1.「利己的性格」
 2.「策謀的性格」
 3.「阿強侮弱的性格」
 4.「模倣的性格」
 5.「儒教的性格」
 6.「耐乏的性格」
 7.「譚、諧謔、議論好ミ」に分類。

 3.「阿強侮弱的性格」は次のように書いてあるという。

 〈半島国家ガ対外的ニ事大(定見ナク勢力ノ強イ者に従フ)対内的ニハ誅求ヲ事トセシ如ク半島ノ個人ハ阿強(強者ニオモネル)侮弱的性格を有ス。強者ニ対シテ阿諛、迎合、詭弁、哀願等ノ手段ヲ尽クシ、弱者ニ対シテハ傲岸不遜、同情心薄ク冷酷ナリ。従ッテ人ノ情ヲ感ズルコト薄ク義侠ニ乏シ。報恩感謝ノ念亦薄シ」

  「多数ノ半島人ニ対シ施サレタル知能検査結果ニ依レバ、内地人ニ比シ稍(やや)劣レルガ如シ」

 「半島人ノ意志ハ概シテ強カラズ、一般ニ斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ。勿論意欲ノ対象ニモヨルコトニシテ目ニ見エタル利己的刺戟アラバ大イニ奮起ス」〉――

 「誅求」――税などを厳しく取り立てること。
 「侮弱」――弱者を侮る。
 「譚」――(タン)話すこと。
 「斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ」――斃れて終わりにしようという気魄が乏しい。玉砕精神の欠如を言っている。

 人間は劣る性格のみで人間を成り立たせているわけではなく、また逆に優れた性格のみで成り立たせているわけではない。時に応じ、状況に応じて優劣それぞれの性格を覗かせ、その性格に従って行動する。悪人か善人かはどちらの性格をより多く発揮するかにかかっている。このことは人種や国籍に関係しない。

 上記「阿強侮弱的性格」に言う内容は日本人についても言えないこともない。但しすべての日本人が同じだと言うことではない。人それぞれで、また性格の現れ方にも強弱がある。

 朝鮮人の性格に合理的な判断を持てないのは日本人を優越民族の位置に置く非合理性にそもそもから侵されていたから、その非合理性の支配を受けた対朝鮮人に向けた性格判断となっていたからだろう。

 だが、その優越意識が関東大震災時の日本人に衝動的な形で働き、朝鮮人に対する極端な侮蔑・敵意となって現れた。

 呉林俊(オ・リムジュン)氏は日本人の朝鮮人差別が日本人の子供にまで及んでいるエピソードを書いている。

 〈朝鮮人に向かって石を投げつけたことがあるという告白を聞く。あるとき、わたしはこの石についての話をKという女性の回想として受け取ったことがある。・・・・自分の住んでいる地域の坂下の道に朝鮮人集団居住地があった。Kは、その中にいる子供に、はじめは何の関心もなかった。それなのに四つか五つぐらいのとき、チョウセン、といいながら石を拾ってその焼けトタンのそり返った地帯めがけて投げつけたところ、狙いもしな
かったのに朝鮮人の子供の頭のどこかに命中した。その朝鮮人が坂道を駆け上がってくるのではないかと、Kはあわてふためいて自宅の部屋にかくれていたという。彼女は朝鮮人が追跡してくるものと合点したが、どうしたことかそうならなかった〉――

 以下は私自身の当たるも八卦、当たらぬも八卦の解説。 

 「はじめは何の関心もなかった」のは、似たような顔だち・身体恰好なため、日本人とは違う朝鮮人だという認識さえなかった。いわば無知からのものであったろう。あるいは既に両親か誰かからか、「朝鮮人だから、危ないから近づかないように」と注意されていたとしても、幼い頭には理解できなかった。

 ところが「四つか五つぐらい」に成長したとき、朝鮮人は劣る者・狡い存在だと認識するだけの能力に達したということなのである。だから、日本人が当時も現在も使う、「チョウセン」という罵り言葉=差別意識を集約させた言葉を口にすることができたのである。その罵声自体、親を含めた大人からの情報によって身につけたもので、例えそれが大人からの直接的な情報ではなく、同年齢の友達からの情報だとしても、子供が最初に作り出すはずはなく、その情報源を遡れば誰か大人に行き着くはずであり、単に間接的というだけで、差別の発信源が大人であり、大人の差別の反映を受けた子どもの差別であることに変わりはない。言い換えれば、大人が差別の情報を発信し続けることによって、大人から引き継ぐ形で子どもの差別が生じる。

 勿論本人は差別だと意識はしていない。「劣る」とか、「狡い」といった情報に踊らされて「石を投げつける」行為によって、劣る者・狡い存在に対する懲罰、あるいは懲らしめるための正義を行使するという意識だったのだろう。関東大震災時の朝鮮人虐殺でさえ、正義行為だったのである。

 親や大人が直接的に子どもに情報を吹き込まなくても、日常普段の何気ない会話や態度から大人の考え・行動(いわば内心の情報)を嗅ぎ取り、嗅ぎ取ることで大人の感情を自分の感情として蓄積していき、ある日突然意識の形を取って大人の考え・行動を自分のものとする。この大人から子供への取入れは何も差別にかぎったことではなく、子どもの性の低年齢化現象も、国内の買春だけではなく、韓国・タイ・台湾・フィリピンといった海外にまで出掛けて買春して性欲を満足させる、大人の性の無規制化の取入れ(反映)だと考えれば、当然の成り行きということになり、さして驚くことではなくなる。女子高生の援助交際にしても、大人の女がカネのある男の愛人、あるいは二号となって、せしめたカネで豪華なマンションに住み、ブランド物の服に身を包んで高級車を乗りまわす割りのいい肉体利用をただ単に情報にとどめておくだけでは一円の小遣いにもならず、馬鹿らしい上に勿体なくて、女子高生という付加価値をつけて自ら価値ある効率的な肉体利用に乗り出したと把えたなら、市場経済が発達した現代においては当然な現象でもある。援助交際する女子高生を売春で取締るなら、愛人・二号といった地位にいる世の中のすべての女を同じ売春で取締らないことには不公平になるだろう。」――

 田母神俊雄は現在の日本人も尾を引いている、特に戦前の日本人自身が人種平等の思想を精神としていなかったにも関わらず、大日本帝国は「人種平等の世界」を早期に実現させるために戦争に立ち上がったと言う。

 「人種平等」とは命を同じに扱うということを言うはずである。自身の命・存在性に優越性を持たせ、他の命・存在性を劣ると見ていながら、すべてを同じ命に扱うことは自身の優越性に対する裏切りであり、優越性のあり得ない否定となる。

 戦後にまで残った朝鮮人差別、その他の有色人種差別や障害者差別、民差別が証明しているように自身の優越性に対する裏切りや否定に何ら折り合いをつけないまま、不可能であるはずの「人種平等」を理想として掲げ、同じ命の取扱いを図ったとしている。

 不可能を可能とするには、フィクションを必要とする。

 問題はフィクションに過ぎない歴史事実を真正の事実と頭の中で妄信し、固定観念として誰彼なしに吹聴できる合理的な判断能力の欠如である。

 このような非合理性に満ちた思考硬直人間が日本の領土を守る航空自衛隊のトップに就いていたことだけを取っても恐ろしいことで、トップに就けた防衛省上層部の無責任は恐ろしい。その責任を誰も取らない組織の無責任体制に闇を感じる。

 田母神の恐ろしい程の非合理性は8月24日の「asahi.com」記事――《広島平和記念式「被爆者ほとんどいない」田母神氏が演説》からも窺うことができる。

 田母神元航空幕僚長は衆院選大阪17区に立候補している改革クラブ前職の応援演説を8月24日堺市で行い、8月6日の広島原爆の日に広島市で開かれた平和記念式の出席者に関して次のように述べたという。


 「被爆者も、被爆者の家族もほとんどいない」

 「並んでいるのは左翼」

 「左翼の大会なんです、あれは」

 「左翼」ではない一般市民も被爆者も参列していた事実を非事実とし、「左翼の大会」という非事実を自分の事実とする“フィクション”でのみ許される合理性の発揮、合理的判断能力の発揮をフィクションではない現実世界で見せる倒錯性は田母神ならではの独善的な硬直思考から発しているものであろう。

 但し一つだけ正しいことを言っている。麻生の式の挨拶についての批評である。

 「マンガです、ほとんど」(同asahi.com

 「一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡(しょうせき)を残すこととなられました」も核廃絶の訴えも、「核兵器のない世界」もすべて口先だけだったのだから、「マンガです、ほとんど」と言える。

 だからと言って、田母神の非合理性が帳消しになるわけではない。本質を成す所にまで非合理性の程よい熱さの湯にどっぷりと浸かっているからだ。

 記事は最後に次のように書いている。

 〈6日の広島市での講演で田母神氏は、核廃絶に取り組むとした広島市長の平和宣言を「夢物語」と批判し、持論の核武装論を展開した。〉――

 最初に動画は付録とも言うべき続きがあると書いたが、その付録部分が日本人を如実に表現していて面白い。田母神が「ありがとうございました」と歴史に名が残る名演説を終えると、それを待っていたように穏やかに問いかける声が聞こえる。声の主は見えない。

 「すみません、一寸質問いいですか?ドイツ人でしたら、逮捕されます。どう思いますか?」

 田母神「えっ?」

 「ドイツだったら、あなたは逮捕されますね。憲法違反だから。どう思いますか?」(抑揚に日本人にはない特徴があるが、やはり穏やかな問いかけとなっている。)

 「何言ってんだ、お前」(いきなり大声に怒鳴って詰(なじ)る声が聞こえる。指差した手だけが写る)

 ここで40代見当の外国人男性の顔が写る。対して日本人の側から口々に怒鳴り詰る声が発せられる。
 
 「何で逮捕されるんだ、お前。どういうことだっ!」

 「ふざけるなよ、お前っ!」

 「何だ、おい。どういうことだ。何で逮捕されるんだっ!」

 外国人男性(気負いもせず当たり前に穏やかに問いかける声で)「質問していいですか?」

 「バカヤローっ!」

 外国人男性「質問していいですか?」

 「何で逮捕されるんだっ!」

 外個人男性「ドイツだったら、逮捕されます」

 「何でそういうことされるんだっ!」

 「何だ、ここは日本だっ!」

 外国人男性(通じないと言う意味で?)「分かんねえ・・・」

 口々に喚き詰る声。あまりの怒声に聞き取れない。

 外国人男性(相手をバカにして笑いを抑える表情を見せてから)「ハイ、分かりました。(頭をバカ丁寧に下げてから、からかい笑いを見せて)そういう日本は大丈夫ですか?」――

 「すみません、一寸質問いいですか?ドイツ人でしたら、逮捕されます。どう思いますか?」と穏やかに問いかけた外国人男性に対して、「なぜ逮捕されるのですか」と相手と同じく穏やかにその理由を聞き返すのではなく、いきなり「何言ってんだ、お前」、「何で逮捕されるんだ、お前。どういうことだっ!」、「ふざけるなよ、お前っ!」、「何だ、おい。どういうことだ。何で逮捕されるんだっ!」、「バカヤローっ!」、「何でそういうことされるんだっ!」、「何だ、ここは日本だっ!」と怒鳴るばかりで、相手の問い(=言い分)を頭から遮断する。

 これは相手の質問が例え間違った質問であっても、穏やかに聞いている合理に対して同じ合理で応えるのではなく、怒鳴り散らす非合理を以って対応したことを示していて、日本人の大人でありながら、大人気ないという意味で倒錯的且つ非常識な態度に終始したということであろう。日本人よりも外国人男性の方が遥かに大人であった。

 外国人男性の穏やかな質問態度は子供の頃から議論の訓練ができていて、コミュニケーション能力を自らの文化としているからだろう。だが日本人は権威主義の行動性に阻害されて、上の指示・命令に従うばかりで、議論する習慣に欠けコミュニケーション能力が育っていないから、痛いところを突かれるたりすると麻生ヒョットコではないが、目を飛び出させ、口を尖らして食って掛かったりすることしかできない。

 最近のブログで「日本の子供たちが活用力(応用力)・コミュニケーション能力を欠いているとよく言われるが、日本の大人が欠いていることの反映としてある能力欠如である」というようなことを書いたが、上記日本の大人たちの態度はコミュニケーション能力欠如の見本そのものであり、子供の欠如が大人の欠如を受けたその反映であることを否応もなく証明している。

 子どもの差別が大人の差別の反映を受けていることも同じ原理に立った心理機制であろう。

 コミュニケーション能力が合理性を育むが、田母神に関してはもはや手遅れである。


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1 コメント

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Unknown (通りすがりの者ですが)
2010-11-22 00:28:27
できましたなら、[市丸利之助]を検索、ウィキペディアにあります…[ルーズベルトニ与フル書]の項を読んで頂ければ、と思います。よろしくお願いいたします。突然に申し訳ございませんでした。
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