人は言葉によって人間を量る
「言葉は人間を映す鏡」と言うが、そうであるなら、言葉によって人間を量ることができるわけである。
09年2月12日のNHK「ニュース7」――麻生首相が10日夕方の首相官邸ぶら下がり記者会見で前回の総選挙の争点は郵政民営化の是非で、殆どの国民は民営化の内容を知らなかったと発言したことに関係して党内から批判が相次いでいることを引き続いて取り上げている。先ずは自民党菅義偉選対副委員長の新潟市の講演での発言を再度取り上げたもの。
「総理の発言というのは極めて重いと思っています。国民のみなさんに誤解を与えるように、あるいは党内に於いて、無用な軋轢を生むような発言と言うものは、やはり慎まなければならない。戦うべきは、みなさん、民主党なんですよ。党内で軋轢があっては、これ、戦いになりませんから――」・・・・・・
言っていることを解くとすると、「総理の発言というのは極めて重い」。ところが「総理の発言」は「国民のみなさんに誤解を与えるように、あるいは党内に於いて、無用な軋轢を生むような発言」となっている。いわば「総理の発言というのは極めて重い」ものであるにも関わらず、「重」くはなっていない、軽い発言となっている。
そしてその影響が「戦うべきは、みなさん、民主党なんですよ。党内で軋轢があっては、これ、戦いになりませんから――」と、近く予想される総選挙で民主党に有利に働き、自党に不利に働くことを懸念している。選対副委員長という立場上の利害得失勘定からしたら当然の恐れ、あるいは懸念であり、立場に忠実な発言とはなっている。
だが、首相の言葉の軽重が問題となっているのであり、自らも問題としている。当然、選対副委員長が自民党内の単なる役目の一つに過ぎないことから考えると、その役目に忠実であることを脇に置いて、言葉が示している首相としての適格性の有無及びそのような首相を選択した責任の有無――自身にも関係していることだから――目を向けていいはずだが、選挙への影響を結論に持ってきている。いわば総理の言葉を選挙への影響を心配する文脈のみで扱っている。
このことはどちらを本質的な問題だと考えているかというと、菅義偉にとっては総理の言葉の軽重が本質的な問題ではなく、選挙を本質的な問題だと把えていることを示している。
こういった姿勢を国民との関わりから言うと、菅義偉は国民に直接顔を向けているのではなく、自由民主党――いわば内輪にのみ顔を向けていることを示していると言える。国民に顔を向けるのは選挙という利害損得を通してのみとなっているということだが、自民党が参議院ねじれ国会が生じるまでの衆参の議席で有利な状況にあったときは「傲慢」と言われる国会運営を押し通すことができたのも、顔を国民に向けていたのではなく、内輪に向けていたからだろう。そしてそのような状況を国民は許してきた。
尤も国民の生活を自らの政治の利害とするのではなく、選挙の当落、あるいは政権維持を利害損得の基準とする姿勢は菅義偉だけではなく、与野党国会議員を含めて多くの政治家がそうなっている。
次に細田幹事長。
(麻生が4分社化の経営形態の見直しが必要だとの考えを示したことについて)「国会での答弁で、うーん、んー、非常に分かりにくい、いー、内容であった、ことは事実ですね。色んな説明の中でですね、ん、何か誤解を、生じてしまっている、ということですね」――
麻生ベッタリの細田としたら、菅義偉みたいに「総理の発言というのは極めて重い」などと言って、間接的にそうなってはいないことをあからさまに示唆できないから、他人事ふうな距離を置いた物言いとなったのだろう。
但し「何か誤解を、生じてしまっている」の「何か」ははっきりしないことを示す「何か(=何となく)」であって、麻生が言っていたことに左程間違いはないにも関わらず、影響の点でそれ程でもない「誤解が生じている」という意味の言い方であろう。
だから他人事ふうに「ということですね」と言える。
この他人事ふうは自分たちが選んだ首相であり、その首相を戦う顔とした選挙に負けたなら困るから、自分たち事から離してそっとしておこうという選挙を利害得失の最優先事項とさせた距離感の演出であろう。
唯一の例外は、我らの麻生太郎のみである。2月16日夜の首相官邸でのぶら下がり記者会見で支持率についての質問を受けて次のように答えている。
--内閣支持率が下げ止まらない。日本テレビの世論調査ではが9.7%と麻生内閣で初めてひとケタ台となった。改めて受け止めを。経済対策だけでは挽回が難しいという声もあるが、どのように挽回(ばんかい)していく考えか
「支持率につきましてはこれまでも、ずっと同じ事をお答えしてると思いますんで繰り返すようで恐縮ですけども、支持率については自分の不徳の致すところだと思っていますんで、それに関しましては今後とも経済対策。私、今、世の中ってのは景気、これが国民の最大の私は関心事だと思ってますから、この景気対策、これに全力をあげるそれしかないと思っています。それが支持率回復に結びつくか結びつかないのか、それは私の支持率というのは、どういったもので、どういうもので決まるのか知りませんけれども、少なくとも今、与えられてる仕事というのは景気対策だと、景気回復が私に与えられている一番の仕事だと思ってますから、それに専心していきたいと思っています」(以上「msn産経」)
かくかように選挙を利害得失の最優先事項とはしていない。選挙が戦えるか戦えないかなどといったことは問題にしていない。経済対策・景気対策を唯一最大の利害得失の最優先事項としている。だが、惜しむらくは世論が麻生首相の経済対策は期待しないといった調査結果を出している。これは国民の「誤解」なのだろうか。
菅義偉も「国民のみなさんに誤解を与える」と言い、細田幹事長の場合も麻生の言葉の影響を「誤解」としているが、「誤解」とすること自体が正しい把え方なのかどうかの自己検証を欠いている。
そもそも「誤解」という言葉は『大辞林』(三省堂)にも書いてあることだが、事実や言葉などを誤って理解することを言う。その原因が話し手側の説明不足にある場合もあるが、多くは説明の受け手側の理解不足や勝手な解釈によって起こる“過ち”であって、説明不足である場合を除いて、話し手側に非があるわけではない。
もし説明の話し手側に非があるにも関わらず、それを無視して本来は非のない説明の受け手側に非がある“誤解”だとした場合、責任回避を経た責任転嫁と化す。
いわば自分の非を棚に挙げて、その非を責める周囲の人間の方にこそ非がある「誤解」だとすり替える自身には責任回避となる、他者への責任転嫁である。
細田幹事長が言っている「誤解」は、「国会での答弁は非常に分かりにくい内容であったことは事実だが、色んな説明の中で何か誤解が生じてしまっている」、それが「何か」=「何となく」なのだから、その「誤解」はたいしたことではないものの、話し手の説明不足よりも、話の受け手側の理解不足、あるいは誤った解釈による「誤解」、話し手側=麻生に非のない前者の「誤解」に重点を置いたものとなっていると言える。
立場上当然の解釈だとも言えるが、実際は非の所在が逆であるにも関わらず、後者の「誤解」だとしたら、責任回避及び責任転嫁を犯していることになる。
どちらなのか、さらに細田幹事長の発言を見てみる。
(郵政民営化の進め方について)「合理化によって、えー、そこの利益が上がっておりますのでね、地方に於いて大問題が発生しているかどうかってことをですね、え、もっと検証して、私としては、微調整、え、ではないかと――」
アナウンサーの解説では、分社化の形態維持を前提にサービス面の改善を進めていくべきだと言う考えを示したとのことだが、「地方に於いて大問題が発生しているかどうかってことをですね、え、もっと検証して」と「大問題」を前提とした「検証」の必要性を言いながら、「検証」を省いて「私としては、微調整」でいいと矛盾した結論となっている。いわば「検証」の必要性を言いながら、「大問題」は発生していないとしている。
「問題が発生しているかどうか」ではなく、「大問題が」と「大」をつけてまで検証の必要性を何のために言ったのか意味不明となる。
麻生腰巾着として麻生の肩を持ちたいが、持った場合の騒ぎの拡大は困る、さりとてまったく肩を持たないわけにはいかないから、「微調整」程度の肩を持つだけで我慢して、騒ぎを収束させ党内の麻生批判を穏便に収めたいという意識が働いた苦し紛れの釈明といったところなのだろう。
意味不明と言い、苦し紛れの釈明と言い、細田幹事長の言葉から人間を量るとしたら、麻生支持に汲々としている姿しか浮かばない。大人物を擁護するなら、もっと堂々としていられるが、小人物が小人物を擁護する図となってるから、どうしても苦し紛れのケチ臭い弁解となる。
麻生支持に汲々としている間は話の受け手側に解釈や理解の非がある「誤解」ではなく、話し手の麻生に非のある“誤解”だと客観的に冷静に判断する力は備わることはあるまい。いわばこじつけの麻生正当化の意識が強く働くこととなって、その反動として責任回避及び責任転嫁に属する“誤解”に走りやすい傾向を抱えることになる。
細田幹事長が公明党の会合で、「この定額給付金、具体的な議論についても大変いいご提案をいただき、皆さん本当に楽しみにしておられるんです。日本中そうなんです」(「FNNニュース」/ 09/01/09 18:53)と述べたということだが、「日本中そうなんです」どころか、70~80%の国民が景気対策として有効ではないと回答している事実を無視できる理解無能力は強く働いているこじつけでしかない麻生正当化の意識に相互対応した客観性の欠如という他ないであろう。
もう一例挙げるとしたら、麻生太郎と小沢一郎との初の党首討論(09年2月28日)を細田幹事長は評して、「麻生太郎首相に軍配が上がった。圧勝だった」(「FNNニュース」)と記者団に誇らしげに語ったというが、党首討論の直後の29、30の両日に実施した産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では麻生内閣はさらに支持率を下げ、「首相にふさわしい」も小沢一郎に軍配が上がった(「msn産経」/2008.12.1 12:01)「圧勝」だったのだから、客観的判断能力を欠くことで相互的に成り立たせている麻生正当化のこじつけが如何に強いか分かろうと言うものである。
当然細田の「誤解」も麻生正当化のこじつけと同じ線上にある同類と看做さなければならない。
NHKニュースは次に12日夕方に会合を開いた小泉を筆頭とした郵政民営化を進めた主だった者たちの話題に移る。他の新聞・テレビによると、小泉元首相は自身による冒頭の挨拶の5分だかの間だけテレビカメラが入って撮影するのを許し、その前で独演したという。意図的な情報露出と言うわけである。
小泉「総理の、発言について、怒(おこ)ると言うよりも、笑っちゃうくらい。もう、ただ、ただ、呆れているところなのです。後ろから鉄砲撃つな、という押さえ込みがかかるけどね、最近の状況はね、総理が前からね、これから戦おうという人たちにね、鉄砲撃ってるんじゃないかってね。もう発言を気をつけて欲しい。強く言っておきました。政治にいちばーん、信頼度。特に総理が、総理の発言が信頼がなけりゃあ、もう選挙は戦えないんですよ――」・・・・・
ここでも麻生発言は選挙へと収束する。「総理の発言が信頼がなけりゃあ、もう選挙は戦えないんですよ」と言っていることが何よりの証明だが、裏返すと、自民党の誰もが「総理の発言」を選挙用と位置づけていることを示している。
総理・総裁が陣頭指揮に立って総選挙という戦場に向けた戦いを展開している最中にその総理・総裁を後ろから鉄砲を撃つような真似をして足を引っ張ったりしたら、「後ろから鉄砲撃つな、という押さえ込みがかかる」が、そうではなく、いざ鉄砲を担いで総選挙という戦場に向かいつつある自民党各議員を総理・総裁が援護射撃するどころか、逆に前へ進むなとばかりに正面から鉄砲を撃って戦意を殺ぎ、負け戦になりかねない不利な戦いとしている。そういった首相の発言となっていると批判している。
小泉元首相のこの批判は言葉の内容によって左右される総理の「信頼」こそが選挙を戦う担保となるということの示唆でもあろう。
このことを逆説するなら、各議員が総理の「言葉」に影響を受ける相対的存在であり、その言葉の前には自身の言葉は無力で、自分の言葉でのみ存在する絶対的存在とはなっていないということになる。
つまり“自分は自分だ”がなく、金魚のクソのように首相の後に引っ付いて選挙を戦う自律していない存在だということではないのか
所詮国会議員も如何にも何様ふうに「センセイ」を名乗っていようとも、選挙を利害損得の最優先基準とした生きものでしかないということなのだろう。
国民は選挙に関わる利害損得を充足させる要素として必要不可欠のときのみ必要とされる。
≪NHKニュースその他から麻生や他閣僚の言葉を観る(2)≫に続く
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