教師用必読本 イジメの根絶に向けて小1から人間を哲学させる

2021-02-22 05:11:27 | 教育
 《教師用必読本 イジメの根絶に向けて小1から人間を哲学させる》

 目  次

(1)はじめに日に三度の声掛け         
(2)イジメをイジメだと気づかない主な二つの理由 
(3)イジメを「才能」で解く 
(4)一人ひとりが生きて、成長している命であることの教え
(5)誰の命も対等であり、命の営みも対等であることの教え
(6)一人ひとりの命の誕生と成長 
(7)イジメの個々のケースから一人ひとりの命を考える 
   その1 無視(シカト)は許される
   その2 羨みや嫉妬からのイジメ
   その3 ネット上のイジメ
   その4 動作が鈍くて、動きの遅い子へのイジメ
(8)最後に  

 (1)はじめに日に三度の声掛け

 小学校では「命の授業」として動植物に触れ、命への温かな感情を芽生えさせる、動植物の世話を通して、命の素晴らしさを知らしめる等々のことを行っているようだが、この読本ではもっと直接的に命そのものについて哲学させることを目的としている。

 哲学と言っても、大層な解釈を施しているわけではない。個々の命はどうあるべきかを直接的に述べているに過ぎない。

 以下、この教師用必読本に述べている命に関係させた哲学をイジメ根絶に向けた取っ掛かりの一つ一つとする。小学校全学年を対象としたこの教師用必読本を用いたイジメ根絶に向けた授業は教師が一人、二人行っても、効果は出ない。学校として採用の可否を決め、採用したなら、校長を含めた教職員全員による内容の検討と把握を経た上で、学年に応じた言葉の使い方等の最適な授業方法と改善点の検討を話し合ってから行わなければならない。

 この授業は主として道徳の時間等を適宜使って行うことが好ましいが、採用決定後は「朝の会」と午後の最初の授業時間、さらに「帰りの会」にほんの少しの時間を使った次の声掛けを行うこととする。

 この日に3回の声掛けは同じ言葉の繰り返しとなるが、毎日続ける。相手が小1で、理解できないと思っても、それを無視して声掛けを続ける。目的の一つは教師が口にする文言を繰り返しの外部刺激として与えることで、文言そのものを何となくであっても頭に記憶させて、何となく記憶したその文言を次の段階の意味の理解に持っていくためである。

 江戸時代の武士の子は今の小学校1~2年生の頃から、返り点と送り仮名をつけた漢字で書かれた論語とか、孟子等の中国の古典の素読をやらされることを当たり前としていたということを考えてみる。

 先生(師匠)と子どもが一対複数で向かい合い、先生が意味・解釈を加えずにただ単に読み上げる言葉をその言葉通りに子どもが読み上げていくのが素読だが、それを繰り返すうちに自然と意味を解釈していくという。

 現在の子どもには真似はできないだろうが、武士の子であるという役割意識と武士の間では伝統となっている教育制度であることの伝統意識が武士の子供をしてそういった環境への慣れをつくり上げていったとすると、先ずはイジメ根絶に向けて必要とする勉強であり、小学1年生であろうと、通らなければならない関門であるという意識の植え付けが必要となる。そのためでもある日々の声掛けとする。

 先ず「朝の会」での声掛け。

「君たちは一人ひとりの人間である以前に一個一個の命としてこの世界に生まれてきた。誰もが毎日毎日を一個一個の命として生きて、少しずつであっても、成長している。これからも生きて、成長していく。

 折角この世界に授かった命なのだから、今の命を今日一日、どう生きて、どう成長させていくか、考えて行動してみるのも悪くはないと思う。

 なぜなら、生きて、成長していくということは一日一日の積み重ねだから、一日一日をどう生きて、どう成長させていくかを疎かにしてはならないからだ」

 生徒を一人ひとりの人間としてではなく、常に一個一個の命として扱う。                         

 そして午後の最初の授業時間に全ての教室で教卓の前に立った教師は席に座っている生徒に次のような声掛けをする。
                            
「みんな、先生の顔を見てほしい。今日の午前中の半日、君たちは一個一個の命として、その命をどう生かしたか、半日の行動をちょっと振り返ってほしい。まさかイジメで自分の命を思う存分に生かした生徒なんかいなかっただろうな。イジメられて、自分の命をほんの少しでも思うように生かすことができなかった生徒はいなかっただろうか」

 教師は生徒全員の顔を見渡していき、反発から睨み返す生徒、あるいは不貞腐れたように顔を背ける生徒がいたらな、要注意人物とする危機管理意識を働かせ、弱々しい表情を見せて顔を俯かせるような生徒がいたら、イジメの被害者ではないだろうか等を疑い、注意深く見守っていく対象としなければならない。

 自分の命を半日の間でも十分に生かすことができたかどうかの声掛けはいた場合のイジメる生徒、イジメられる生徒をも含めて、生徒それぞれに自分は半日をどう行動したか、その行動の有意義性、無意義性を省みる自己省察の習慣を持たせるためである。

 この自己省察をイジメ根絶に向けた大きな柱とする。自分で自分を省みさせるために手を挙げさせて答を求める場合と、求めずに数秒程度の省みる時間を与える場合を臨機応変に使い分ける。

 自己省察に持っていくためには色々と考えさせる多方面からの様々な声掛けが必要となる。当然、以下述べる声掛けも自己省察を目的とする。

「この半日、自分の命がどのように生きたか、自分の命をどのように生かしたか、振り返ることができただろうか。授業時間も休み時間も自分の命を楽しく、元気に生かすことができただろうか。

 もし生きることも、生かすこともできたなら、今日半日はそれなりに意味のあった命とすることができたことになる。午後の半日も楽しく、元気に生かして、それなりに意味のある命にしてほしい。

 もしこの半日、自分の命を楽しく、元気に生きることも、生かすこともできなかった生徒がいるとしたら、できなかった原因が自分にある場合もあるだろうし、ほかの生徒にある場合もあるだろうが、原因がほかの生徒にあって、自分一人では解決できないことなら、(担任なら)先生かカウンセラーの先生(いればの話だが)に相談してほしい」

 担任でなかったなら、なかったなりの同様の声掛けをする。

「一日一日を生きていく命なのだから、それなりに意味のある命にしなければならない」

 毎日の帰りの会では、「今日一日、自分の命を自分が思ったとおりに十分に生かすことができただろうか振り返ってみてほしい。生かすことができたなら、一日分を十分に生きて、成長させることができたことになる。それなりに意味のある一日の命にすることができたことになる」・・・・(以下有料)

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