事業仕分けによる文化・芸術面の予算削減分は民間企業に出させるべき

2009-12-08 11:59:45 | Weblog

 《事業仕分けに怒りあらわ 音楽関連5団体が緊急アピール》asahi.com/2009年12月7日20時45分)

 日本オーケストラ連盟など音楽関連5団体が文化予算を大幅に縮減する「事業仕分けに怒りあらわ」に7日都内で緊急アピールの記者会見を開いたという。

 出席者はピアニストの中村紘子女史、指揮者の外山雄三氏、新国立劇場次期芸術監督の尾高忠明氏、作曲家の三枝成彰氏、関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者の藤岡幸夫氏等合計8人。

 学校にオーケストラや劇団など芸術家を派遣する事業を「国の事業として行わない」とされたことへの反発からだそうだ。

 藤岡幸夫(事業仕分けの「国が子どものためだけに事業をすることは必然性に欠ける」との評価に怒りをあらわにして)「ホールがない地域の子どもたちに生演奏を聞かせる活動は意義がある。・・・・情操教育を国がやらずして誰がやるのか。地方にももう財源はない」

 三枝「日本より人口の少ないフランスがあんなに大きくみえるのは、文化を重んじ、予算を投じているからだ」

 そして要望書を提出。文化庁の総予算が国家予算の0.12%で、欧州やアジア諸国に比べても著しく低いこと。文化政策を統括的に扱う「文化省」の設立を要望している。

 「NHK」記事では――《著名音楽家ら 事業継続求める》(09年12月7日 18時1分) では、〈全国の小中学校にオーケストラや劇団が訪れ、子どもたちに優れた舞台芸術に触れてもらう事業が「廃止」とされるなど文化関連の事業が廃止や予算縮減と結論づけられた。〉となっている。

 「時間をかけて行われる子どもたちの情操教育が、むだな事業と同じように議論されるのはふさわしくない」

 「全国のオーケストラや劇団は予算不足に苦しんでいるところが多く、国の助成金がカットされれば、特に地方の団体は存続が危ぶまれる」といった進言。

 中村紘子「人間の成熟は手間暇をかけて行われるものだということを認識してもらいたい」

 中村紘子(YOMIURI ONLINE)「芸術文化は短期間で効果は出ないが、夢を与え、人間を育てる」

 中村紘子(日経ネット)「芸術文化は子供の夢やイマジネーションを育て、科学や先端技術の思考にも役立つ」

 上記「日経ネット」記事――《著名音楽家8人、「仕分け」に反論 遣事業継続など訴え》は、〈日本のプロオーケストラ30団体が現在受けている文化庁からの助成は年間約19億円。他の先進国に比べ少ないが、事業仕分けでそれが半分に減り、学校への芸術家の派遣事業も打ち切られる可能性が出てきた。〉と書いている。芸術を支える目的の寄付税制の見直し等も提言されたそうだ。

 三枝成彰(時事ドットコム)「オーケストラなどへの助成約19億円が半減されれば地方オーケストラは存亡の危機。ほかに大きな無駄があり、ここでけちっても仕方ない。重大さを理解していないことに怒りを感じる」

 飯森範親(同時事ドットコム)「多くの子供たちに生の演奏の感動を与えてきた。鳩山首相が言う友愛をはぐくむ仕事だ。・・・・音楽は生きる力となり、かつて演奏会後に『死ぬのをやめた』という手紙を受け取ったこともある」

 中村紘子(毎日jp)「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」

 外山雄三(同毎日jp)「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」

 三枝成彰(同毎日jp)「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」

 中村紘子(47NEWS)「お金をかけるとすぐに経済効果を期待する感覚があるが、芸術文化は人間そのものを育てるというもので、時間がかかる」

 尾高(同47NEWS)「見よう見まねから始まってようやく今のレベルまできた日本のクラシック音楽だが、予算が削られてはすべて水の泡になってしまう」

 「msn産経」記事――《【事業仕分け】日本オーケストラ連盟など抗議 交流予算の縮減で》(2009.12.7 13:51)は出席者の直接的な発言内容は伝えていないが、〈事業仕分けでは、日本芸術文化振興会や芸術家の国際交流の予算要求の縮減が妥当と判定され、伝統文化子ども教室事業学校への芸術家派遣コミュニケーション教育拠点形成事業は国の事業として行わないと判定された。日本オーケストラ連盟と日本演奏連盟、日本クラシック音楽事業協会などは、芸術の質の低下は避けられず、豊かな人づくり、社会づくり、国づくりの沈滞、国際社会におけるわが国の地位低下を招くとして再考を求めている。〉と、縮減対象となった事業名を具体的に書いて、その悪影響を指摘の形で纏めている。

 「地方にももう財源はない」、「全国のオーケストラや劇団は予算不足に苦しんでいるところが多く、国の助成金がカットされれば、特に地方の団体は存続が危ぶまれる」等々資金面、経営面で現状でも切実な窮状に立たされているだろうから、国の助成金の縮減を受けた場合の切実さは十分に理解できるが、国だけに頼らずに何らかの打開策を創造すべきだと思うが、国に頼る姿勢だけが見える。親方日の丸の他力本願に過ぎるように思えるが、そういうことはないだろうか。

 バブルが弾けたときの報道だったと思うが、企業が資金を提供して文化活動や芸術活動を支援する“メセナ活動”がそれまでは活発だったが、バブル崩壊を受けて廃止、縮小に追い込まれたといったニュースが続いたが、現在もこの不況で、企業がスポーツ関係の部を廃止する報道を時折目にする。 

 「女子ソフトボール強豪のレオパレス21、今季限りで廃部」という記事を「asahi.com」が11月28日付で流してもいた。

 企業も厳しい、国の財政も厳しい。だが、日本の企業の文化・芸術支援は今までも十分だったと言えるのだろうか。

 経団連のHPを見ると、1990年11月に経団連が会員の企業や個人が経常利益や可処分所得の1%相当額以上を自主的に社会貢献活動に支出する「1%クラブ」(ワンパーセントクラブ)を設立してる。

 経団連関連のクラブなのだから、錚々たる大企業を先頭に並べて、上から勧誘されたら断ることができない下は上に従う権威主義の義理付き合いから中小企業以下が連綿と入会していると思ったが、加入企業は144社のみ。

 HP中小企業庁の「調査統計」ページによる2006年の企業数は、

 大企業―― 12351社(0.3%) 
 中企業―― 534650社(12.7%)
 小企業――3663069社(87.0%)

 となっているから、「1%クラブ」は選ばれたエリート企業のみの入会となっているらしい。

 「1%クラブ」の「2007年度社会貢献活動実績調査結果」(2008年12月25日)を見てみると、〈社会貢献活動支出について回答した企業385社の、2007年度社会貢献活動支出総額は1,802億円。1社平均では4億6,800万円と、大幅増を記録した2006年度から更に3.1%増加。1991年度の5億2,500万円に次ぐ歴代2番目の額。

 このうち、1%クラブ法人会員(144社)の平均支出額は9億7,700万円(対前年度比0.3%増)と2年連続で過去最高額を更新。また、連結で回答した企業(42社)の平均支出額は11億8,700万円と、全体平均の2.5倍となっている。〉――
 
 2006年の大企業数12351社に対して、1年のズレがあるにしても、2007年度社会貢献活動企業が「1%クラブ」企業144社を含めて回答企業だけであったとしても、385社とは、個々の立場で貢献している企業があるにしても、0.03%なのは少な過ぎると言えないだろうか。

 寄付税制の見直しの提言もあったが、例え見直しがなくても、芸術活動や芸術活動の学校への派遣が「情操教育」、「人間を育てる」、「成熟(への助力)」、「夢やイマジネーションを育む」をキーワードに役立つとしていることに応えて日本の大手企業自体が、以下の中小企業も同じだと思うが、芸術面から情操や夢やイマジネーションといった感性を育み、人間を育て、人間として成熟していくのを手助けする活動に十分に貢献しているかと言うと、0.03%程度では不足があるように思えるが、そうではないということなのだろうか。

 音楽家の三枝氏が「日本より人口の少ないフランスがあんなに大きくみえるのは、文化を重んじ、予算を投じているからだ」と、〈文化庁の総予算が国家予算の0.12%で、欧州やアジア諸国に比べても著しく低い。〉という指摘に添った発言をしていたが、このことはフランスの民間企業に於いても「文化を重んじ」、日本の民間企業と比較してその利益を文化や芸術面に再配分しているということを示しているはずである。

 その方面のフランスの政策の理念が民間企業には反映されず、体現していないにも関わらず「あんなに大きくみえる」成果だとしたら、フランス人一人ひとりが国の予算の成果が現れていない姿を取っているということになって矛盾を来たすからで、民間企業や一般国民の共同歩調があってこその相互反映としてある「あんなに大きくみえる」成果ということでなければならない。

 寄付税制を見直しを図ることで寄付の誘導に弾みをつけることも重要だが、税申告のとき経費で落とせる、会社の宣伝にもなるといった経済的理由で寄付する感覚ではなく、何よりも企業や国民一人ひとりが文化や芸術を理解して自らの血肉とし、人間形成にも子どもたちの情操教育にも必要不可欠だと認識することの方が重要ではないだろうか。そしてその上で税制面からも優遇措置を講じる。

 このことは日本企業の文化や芸術活動に対する寄付行為がその企業の顔が見える形の、いわば企業宣伝となる場合はある程度積極的だが、カネだけ出して企業利益に反映されない形の寄付には消極的だというところにも文化や芸術を真に理解して自らの血肉としている状況から程遠いことを証明している。

 さらに言うと、この状況は情操教育に必要だとしてこれまでに行ってきた学校にオーケストラや劇団など芸術家を派遣する事業やその他の芸術活動が芸術家たちが口々に言っていた役立つことの意義に反して成果を上げていなかったことをも物語っている。

 その反映としてある国の予算削減や日本の企業の低調な社会貢献活動に現れている文化や芸術擁護のお粗末な姿といったところではないだろうか。

 元々この不況下にあっても内部留保も豊富で、不況の打撃を派遣切りの雇用調整弁を巧みに開閉して乗り切り、エコカー減税やエコ家電のポイント制等で多大の利益を得たトヨタやナショナル、キャノンといった企業に1%(「ワンパーセント」)と言わせずに、社会還元として、あるいは利益の再配分として5%前後は出させたらどうだろうか。過去に護送船団方式で国のカネで利益を上げ、企業規模を拡大してきた経緯もある。

 最後に再び音楽家の三枝氏の「日本より人口の少ないフランスがあんなに大きくみえるのは、文化を重んじ、予算を投じているからだ」の発言を取り上てみる。

 2000年のOECD生徒の学習到達度調査(PISA)の成績は――

 総合読解力  8位 日本(522) 14位 フランス(505) 
 情報の取出し 6位 日本(526) 10位 フランス(515)
 解 釈    7位 日本(522) 13位 フランス(506)
 熟考・評価  5位 日本(530) 17位 フランス(496)

 2003年調査の成績は――

 数学的リテラシー全体における習熟度『レベル別割合」

 日本  ――最高の「レベル6」 8.2%
 フランス――最高の「レベル6」 3.5%     

 数学的リテラシー全体

 日本  ――6位 534点
 フランス――16位 511点
 
 そのほかの課題でも日本はフランスを悉(ことごと)く上回っている。

 「日本より人口の少ないフランスがあんなに大きくみえるのは、文化を重んじ、予算を投じているからだ」とは逆行しているこの成績の倒錯はどう説明したらいいのだろうか。

 〈2006年の各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合は日本は 3.3%、データがある28カ国中下から2番目。28か国の平均は 4.9%。日本の支出割合はこれまで最下位層で低迷し,28カ国中最下位だった前年より,今回は順位を一つあげたものの,支出割合では 3.4%から 3.3%に落ちた。〉(asahi.com

 少ない教育予算で教育上の成果を挙げていると見るべきか、文化・芸術の情操教育に役立たない教育を日本は行っていると見るべきなのか。どちらなのだろう。


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2 コメント

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Unknown (通行人)
2009-12-16 09:30:45
突然のコメントすみません。

ネットサーフィンからたどり着きました者です。

芸術分野、及び教育分野に若干ですが関わっております。

非常に興味深い内容でしたが(特に、民間の助成に関しては私も必要性を感じます)、1点質問があります。

『フランスが大きい国』の解釈ですが、恐らく音楽家は情操教育の観点で述べていると思うのですが、比較対象として出されたデータは、テストの成績であったように思います。そのデータは比較対象として正確でしょうか。

確かに日本は他国に比べ賢い生徒さんが多いかもしれませんが、成績優秀=人間的に優れているとお考えでしょうか。

残念なことですが、成績が優れている生徒さんの中には、平気で人を傷つけ、自己中心的な振る舞いを行う子が少なからずいます。

共感力が乏しく、また、成績史上主義の影響でさして指導も入らない。加えて、学校という評価の場では自分を演じきり、すばらしい内申点を得る。

幼い頃から芸術やスポーツに触れてきた子とは、心の豊かさで差が出ているように感じます。

頭が良いだけで、平気で他人を傷つける子と、他人に共感できる感受性のある子ども、どちらが今後の日本にとって大事だとお思いでしょうか。

私は、あの『賢いだけ』の子達が、有名大へ行き、今
返信する
お答えします (手代木恕之)
2009-12-17 07:21:26
 お答えします。

 ――〈『フランスが大きい国』の解釈ですが、恐らく音楽家は情操教育の観点で述べていると思うのですが、比較対象として出されたデータは、テストの成績であったように思います。そのデータは比較対象として正確でしょうか。〉――

 説明不足であったように思います。謝罪します。

 OECDのテストの成績を比較対照として出したのは、日本のOECDのテストの成績がフランスより上回っていながら、日本とは逆に“フランスが大きな国に見える”この違いは何が原因なのかの答を提示するために持ち出した比較対象のつもりでした。

 最後にこう書いています。

 〈少ない教育予算で教育上の成果を挙げていると見るべきか、文化・芸術の情操教育に役立たない教育を日本は行っていると見るべきなのか。どちらなのだろう。〉

 ここで言っている「教育上の成果」とは日本はテストの成績が生徒の成績になっている関係からして(可能性の成績にまでなっていると思います)、あくまでもOECDのテストの成績に連なるテスト関連の「成果」のことを指しています。

 予算の少ない日本が予算の多いフランスと比較してテストの成績では上回っていることから、それを〈少ない教育予算で教育上の成果を挙げていると見るべきか〉、逆に〈文化・芸術の情操教育に役立たない教育を日本は行っているのではないだろうか。どちらなのだろう。〉と問題提起して、答を読者に委ねた――と言うと大袈裟になりますが、私自身はあくまでも後者に重点を置いた言い方をしたつもりで、単に断言しなかっただけのことです。

 確かに予算は重要な要素ですが、いくら予算を注ぎ込んだとしても、常に問題となるのは教育の質だと思います。各学校で年に1回あるかないかの頻度で文化・芸術を派遣したとしても、他の圧倒的に多い教科授業で教師から生徒へ機械的な知識授受をベースとした暗記教育を習慣としていたなら、例え優れた演劇をたまに観せられたとしても、情操への影響は暗記式知識授受の習慣の前に湖に小石を投げ込んだ程度の波紋を広げてたちまち消えて元の水面に戻る効果しか期待できないように思えます。

 このことは“自分で課題を見つけて、自分で考え、自分で解決して、それを生きる力に応用する”というかつての総合学習が成功しなかったことにも重なる文化・芸術の派遣の効果と言えると思います。

 機械的な知識授受をベースとした暗記形式の圧倒的に授業数の多さを誇る教科授業を手つかずにし、“自分で課題を見つけて、自分で考え、自分で解決して、それを生きる力に応用する”授業ではない状態のままに放置していたために総合学習の授業を週に2回かそこら行うだけでは、総合学習が求める考える知識授受への転換は見込めず、焼け石に水の効果しか見い出すことができなかったからでしょう。

 2009年11月30日に当ブログで《NHKクローズアップ現代/「言語力」》をエントリーしています。まだアクセスしていないようでしたら、参考にアクセスしてみてください。内容に疑義があるようでしたら、また質問してみてください。

 但し、コメントに気づくのが遅い場合がありますが、回答する必要のあるコメントには回答するつもりでいます。
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