現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

千代田ビルもロケ地に

2012-02-10 22:37:47 | 村野藤吾
名古屋市役所や県庁、旧裁判所などの建物が
テレビドラマのロケ地として活用されているそうな。

中日新聞の「コント」に「名古屋市役者です」とあって
笑えた。

私が千代田生命在勤時、雑誌のグラビア写真、広告、
CM、ドラマの撮影に、千代田ビルを無料で提供した。
これもパブリシティ(広告)の一環と考えたからである。

有名なのは、「レナウン,レナウン,レナウン,
レナウン娘が,おしゃれでシックなレナウン娘が ,
ワンサカ,. ワンサカ,ワンサカ,ワンサカ,イエイ,
イエイ,イエイエイ,テニスコートに 秋が来りゃ・・・・」の
CMだ。レナウンのCMは広告史に残るものとして
たまに新聞、雑誌で取り上げられる。そのバック(背景)が
千代田生命ビルだった。

東宝のカレンダーにも毎年使われた。毎年有名女優が
撮影に来社された。その中で心に残るのは、カメラマンの
立木義浩氏と女優の高橋恵子さん。撮影前に お揃いで
菓子折を持って広報室まで挨拶にみえたのだ。普通は
スタッフが挨拶に来るだけ、女優やカメラマンが挨拶に
来ることはまず無い。以後 私は 高橋恵子のファンに
なった。

ひどかったのは、「円○プロダクション」。
貸す時間は午後5時までという約束なのに、夜8時を
過ぎても終わらない。再三忠告しても、全く無視。
とうとう深夜0時を過ぎた。警備員も戸締りができない。
とうとう「警察を呼ぶぞ」と警告して、ようやく
お引取りを願った。このことがあって、以後何年か
撮影の貸し出しは不可となってしまった。

映画界やテレビ業界が、わがもの顔に のさばっていた
時代だった。


「ジパング舎」起動開始

2012-02-10 21:54:40 | 虚無僧日記
「ジパング」で検索すると、イの一番に出るのが「ジパング舎」。
なんと片桐朋子さんが立ち上げた団体。イベントやパーティに
和楽器の生演奏をお届けするという事業。

その「ジパング舎」が、三重県の「ビジネスプラン・コンテスト」で
グランプリを受賞した。

今日、三重県津市で、その表彰式があり、「和楽器出張生演奏を
はじめとした伝統芸能アトラクション企画」というタイトルで、
片桐さんが プレゼンを行った。私のマネージャー鈴花もスタッフ
として同席した。中日、朝日新聞の取材も受け、明日の朝刊にも
載る予定。

片桐さんとは10年来のお付き合いだが、すごい才能を秘めた女性だ。
邦楽の楽譜出版最大手である「大日本家庭音楽会」に ポピュラー
のアレンジ譜を売り込み、坂本社長に認められて、自身のアレンジ
曲の楽譜やCDを出版。

坂本氏の近著『琴の近代歴史本「三代記」』にも「片桐朋子」の
活動ぶりについて書かれている。坂本社長から「太鼓判」をいた
だいたようなもの。ここまで来るのに10年、長く地道な努力が
ようやく実りつつある。

私も「ジパング舎」の登録アーティストの一人に加えて
もらった。さっそくに2、3仕事が来ているようだ。
片桐さんの尻馬に乗せていただいて、ありがたいことだ。
感謝。




今年は「閏(うるう)年」知ってた?

2012-02-10 18:47:55 | 虚無僧日記
「今年は“うるう年”。知ってた?」という質問コーナーがあり、
アンケートの結果は、

○もちろん知ってます! 75.4%

○えっ!?そうだっけ? 9.1%

○言われてみれば・・・   8.1%

○思わず携帯のカレンダー確認した 2.1%

○今知ったけど、得した気分 2.9%

恥ずかしながら、私は「言われてみれば そうだった」。
「知ってていた」が 75.4%とは 少ない気がする。
社会全体が、毎日忙しくて、先に思いを馳せない
風潮になってきたのではないだろうか。「今日一日」を
刹那的に生きているのは 私だけだろうか。

保険会社に勤務していた時、カレンダーでミスが
あった。広報部で制作するカレンダーではなく、
業者が 営業職員に斡旋したもの。できあいの
モノに社名や職員の所属・氏名を印刷する類。
そのひとつに、「閏年」なのに「2月29日」が
漏れていたのだ。

まさかである。それがお客様に渡り、2月29日が
欠落していたことで、「予定を取り違えた」と
「賠償金まで請求される羽目になった。ミスを
取り上げてのタカリだ。以来、こうしたことに
敏感になっていた私だが、今年は、もう どうでも
よくなってきたか。

Facebook 停止処分

2012-02-10 18:22:34 | 虚無僧日記
「Facebook」が開かなくなった。「あなたは、
『知らない人に友達リクエストを送っている』と
告発があった。利用規約に反しているため、
利用を停止する」というメッセージ。

「Facebook」は「友達の友達は友達」という感覚で、
何人か友達ができると、「あなたの知り合いでは?」と
共通の友達をリストアップしてくれる。

尺八を50年も吹いていると、結構知り合いは多い。
だが、最近 若い人がどんどん増えてきた。私の知って
いる人の 娘さんだったりする。私は知っていても、
相手は私のことを知らない。

それで「知らない人からのリクエストが届いた」と
迷惑メッセージが本部に送信されたようだ。
「Facebook」でも、若い人たちから無視され、
取り残されていく自分を 寂しく見つめるだけと
なったか。

と、一日落ち込んでいたら、夕刻には回復して、
見れるようになっている。いったい何だったの???

建築史に残る「千代田生命ビル」

2012-02-10 09:22:16 | 社会問題
現「目黒区役所ビル」は、昭和41年、千代田生命が
建築家「村野藤吾」に依頼して、総工費70億円を
かけて建築したものだ。

村野藤吾は、知る人ぞ知る建築界の巨匠。代表的建築は、
箱根、新高輪、宝ヶ池の各プリンスホテル。京都、東京、
名古屋の都ホテル。日生劇場、興銀本店、千代田生命本社、
大阪、東京のそごうデパート 他、300以上。

90歳を過ぎても 宝塚市庁舎、新高輪プリンスホテル、
谷村美術館、宇部興産ビルなど10以上の設計に携わって
いることにまず驚嘆する。

私は、千代田生命の広報部在席時、多くの建築家や一般の
方が見学にこられ、その案内を務めていた。ご案内した
数は1000人近くなる。海外からも来られた。それほど
有名な建物なのである。

村野氏について語れば、一晩中でも話すだけの材料を
私は持っている。

千代田生命ビルの特長は、とても書き尽くせないが、
ひとつ、外壁を全部アルキャスト(アルミの鋳物)で
覆った建築の世界初のものなのである。

それまで、ビルの外壁はコンクリートやタイル、煉瓦、
石造りだった。村野は、繊細な外観を築くために
アルミの鋳物でパーツを造り、組み立ててはどうかと
考えた。当時、アルミメーカーをはじめ、誰もが
「無理、無理、コストもかかる」と反対したという。

その反対を押し切って、みごとに完成させた。もし
あの外壁の柱をコンクリートでやっていたら、今頃は
ヒビがはいり、雨で汚れ、無残な姿となっていたこと
だろう。昭和41年(1966)の建築が、50年、半世紀を
経て、未だに「目黒区役所」として使われているのだ。

村野藤吾と対照的なライバル丹下健三の旧都庁ビル
(有楽町駅前)や赤坂プリンスホテルが取り壊された
ことを思うと、感慨一入(ひとしお)である。

村野の建築は残ったが、「プリンス」も「そごう」も
「千代田」も「都ホテル」も「興銀」も、企業の方が
次々に倒産してしまった。感無量である。

千代田生命本社ビルが目黒区役所に

2012-02-10 09:22:04 | 社会問題
現「目黒区役所」のビルは、千代田生命の本社ビルだった。
千代田生命の倒産により、目黒区が買収したものだ。

旧区役所の建物は安く売り、千代田生命ビルは高く買った
責任を追及されて、当時の目黒区長が自殺したという。

2001(平成13)年
・目黒区土地開発公社が千代田生命本社ビルの購入を契約。(174億5250万円)

2002(平成14)年
・元千代田生命本社ビルの改修工事を(株)フジタが17億2725万円で落札。
 (新庁舎移転にともなう2002年度予算208億円)

・旧区役所跡地を三菱商事に売却。(「111億円の入札があったのに
 72億円で売却した」として、須藤甚一郎区議会議員が原告となり提訴)

2004年3月
・薬師寺目黒区長自殺

 目黒区長自殺の真意は不明。千代田ビルだけでなく、他の工事でも
 収賄、汚職、恫喝などいろいろあったようだ。

目黒区役所になって一度だけ行ったが、あのビルは、区役所ビルと
してはバカでかく、使いづらい。用あって訪れる人も、どこへ
行けばよいのか判らず、迷うようだ。