井上靖が「千代田生命」を評して「きれい寂び」と
表現している。
「きれい寂び」は 千利休によって磨かれた美だ。
千代田生命の外観は、まさに「利休鼠(ねずみ)」色。
晴れの日は陽光に照らされて輝き、雨に煙るグレイも
また美しい。
そして地下に築かれた和室。
「そこには、華やかさもあれば翳りもある。喜びも
あれば悲しみも、時には絶望感さえある」と。
さすが井上靖の表現は見事。
「ヒューマニズムの建築家」と言われながらも、村野の
建築は、人を寄せ付けない凛々しさがある。特に和室は
外から見るだけで、中に入るのを躊躇(ためら)わせる。
千代田生命在籍中、この和室に自由に出入りしたのは
私ぐらいだ。ここでは食事もできない緊張感があった。
「竹の間」の床柱。完成後、村の先生はその太さが、
気に召さなかった。「も少し細いのと取り替えるように」と。
これまた「云うは易く、行うは難し」。床柱を取り替える
だけでは済まない。天上も床の間の松の一枚板も、
網代も壁土も全部造り直しなのだ。
まさに、村野先生の建築に携わる者たちは、終始
「絶望感」との戦いだったのではないだろうか。
表現している。
「きれい寂び」は 千利休によって磨かれた美だ。
千代田生命の外観は、まさに「利休鼠(ねずみ)」色。
晴れの日は陽光に照らされて輝き、雨に煙るグレイも
また美しい。
そして地下に築かれた和室。
「そこには、華やかさもあれば翳りもある。喜びも
あれば悲しみも、時には絶望感さえある」と。
さすが井上靖の表現は見事。
「ヒューマニズムの建築家」と言われながらも、村野の
建築は、人を寄せ付けない凛々しさがある。特に和室は
外から見るだけで、中に入るのを躊躇(ためら)わせる。
千代田生命在籍中、この和室に自由に出入りしたのは
私ぐらいだ。ここでは食事もできない緊張感があった。
「竹の間」の床柱。完成後、村の先生はその太さが、
気に召さなかった。「も少し細いのと取り替えるように」と。
これまた「云うは易く、行うは難し」。床柱を取り替える
だけでは済まない。天上も床の間の松の一枚板も、
網代も壁土も全部造り直しなのだ。
まさに、村野先生の建築に携わる者たちは、終始
「絶望感」との戦いだったのではないだろうか。