以前、「書道家」と自認される方から「書道パフォー
マンス」のバックで尺八を吹いて欲しい」との依頼が
あった。そして、その方の「作品集」が送られてきた。
その方の書は「字」というより、墨を縦横無尽に
塗りたくって「空間」や「間」が無い。電話で話しを
聞いてみると、「ロックやレゲェなどの激しい曲を
ガンガン流して、勢いをつけて書きまくるのだ」と
いわれる。私にも「そういう前衛的な尺八を吹いて
もらいたい」と。
私は、「書」というと、心落ち着けて 墨をすり、
一筆一筆、全神経を集中させて、心こめて書くもの。
紙の白い部分にも“美”があると思っている。
それには、古典本曲のような“間”のある曲が
ふさわしいと思っていた。
あまり気が進まなかったが、一応 お引き受けした。
しかし、予定の日が迫っても、何の連絡も無し。
立ち消えになってしまったようだ。「字は体を表す」。
「書」からも「そういう人か」とわかった気がする。
さて、あれから何年か経って、テレビドラマの影響か、
「高校生の書道パフォーマンス」が盛んになってきた。
You-Tubeで見たが、まさに、今流行りの若者の音楽を
ガンガンかけてのスポーツまがいの演技だ。愕然。
でも、ある書道家のパフォーマンスについて、こんな
批評もあった。
「筆がかわいそう。墨もかわいそう。消費される物も
かわいそう。なによりあなたに教わる生徒がかわいそう」
「こういう目を背けたくなる醜悪さを産んだのが近代主義
なのかもしれん。“奇観”かもしれんが、銭は払えん」。
「これだけ奇抜だと誰も振り向いてくれませんよ。
もっと正道を行かれることをお勧めします」
「書家を目指すのであれば、まず基本の習字、そして
古典をしっかり学んでから創作へと発展させた方が、
実力を備えた立派な書道家になれますよ」
この方、テレビでも 「書道の手ほどき」で出演していた。
マンス」のバックで尺八を吹いて欲しい」との依頼が
あった。そして、その方の「作品集」が送られてきた。
その方の書は「字」というより、墨を縦横無尽に
塗りたくって「空間」や「間」が無い。電話で話しを
聞いてみると、「ロックやレゲェなどの激しい曲を
ガンガン流して、勢いをつけて書きまくるのだ」と
いわれる。私にも「そういう前衛的な尺八を吹いて
もらいたい」と。
私は、「書」というと、心落ち着けて 墨をすり、
一筆一筆、全神経を集中させて、心こめて書くもの。
紙の白い部分にも“美”があると思っている。
それには、古典本曲のような“間”のある曲が
ふさわしいと思っていた。
あまり気が進まなかったが、一応 お引き受けした。
しかし、予定の日が迫っても、何の連絡も無し。
立ち消えになってしまったようだ。「字は体を表す」。
「書」からも「そういう人か」とわかった気がする。
さて、あれから何年か経って、テレビドラマの影響か、
「高校生の書道パフォーマンス」が盛んになってきた。
You-Tubeで見たが、まさに、今流行りの若者の音楽を
ガンガンかけてのスポーツまがいの演技だ。愕然。
でも、ある書道家のパフォーマンスについて、こんな
批評もあった。
「筆がかわいそう。墨もかわいそう。消費される物も
かわいそう。なによりあなたに教わる生徒がかわいそう」
「こういう目を背けたくなる醜悪さを産んだのが近代主義
なのかもしれん。“奇観”かもしれんが、銭は払えん」。
「これだけ奇抜だと誰も振り向いてくれませんよ。
もっと正道を行かれることをお勧めします」
「書家を目指すのであれば、まず基本の習字、そして
古典をしっかり学んでから創作へと発展させた方が、
実力を備えた立派な書道家になれますよ」
この方、テレビでも 「書道の手ほどき」で出演していた。