現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

書道パフォーマンス

2012-02-15 12:30:20 | 虚無僧日記
以前、「書道家」と自認される方から「書道パフォー
マンス」のバックで尺八を吹いて欲しい」との依頼が
あった。そして、その方の「作品集」が送られてきた。

その方の書は「字」というより、墨を縦横無尽に
塗りたくって「空間」や「間」が無い。電話で話しを
聞いてみると、「ロックやレゲェなどの激しい曲を
ガンガン流して、勢いをつけて書きまくるのだ」と
いわれる。私にも「そういう前衛的な尺八を吹いて
もらいたい」と。

私は、「書」というと、心落ち着けて 墨をすり、
一筆一筆、全神経を集中させて、心こめて書くもの。
紙の白い部分にも“美”があると思っている。
それには、古典本曲のような“間”のある曲が
ふさわしいと思っていた。

あまり気が進まなかったが、一応 お引き受けした。
しかし、予定の日が迫っても、何の連絡も無し。
立ち消えになってしまったようだ。「字は体を表す」。
「書」からも「そういう人か」とわかった気がする。

さて、あれから何年か経って、テレビドラマの影響か、
「高校生の書道パフォーマンス」が盛んになってきた。
You-Tubeで見たが、まさに、今流行りの若者の音楽を
ガンガンかけてのスポーツまがいの演技だ。愕然。

でも、ある書道家のパフォーマンスについて、こんな
批評もあった。

「筆がかわいそう。墨もかわいそう。消費される物も
 かわい­そう。なによりあなたに教わる生徒がかわいそう」

「こういう目を背けたくなる醜悪さを産んだのが近代主義
 なの­かもしれん。“奇観”かもしれんが、銭は払えん」。

「これ­だけ奇抜だと誰も振り向いてくれませんよ。
 もっと正道を行かれる­ことをお勧めします」

「書家を目指すのであれば、まず­基本の習字、そして
 古典をしっかり学んでから創作へと発展­させた方が、
 実力を備えた立派な書道家になれますよ」

この方、テレビでも 「書道の手ほどき」で出演していた。


新しいものも古く、古いものも新しく

2012-02-15 10:15:57 | 村野藤吾
JR西日本のポスターに、「唐長(からちょう)」の娘、
千田愛子さんが起用されている。「唐長」は江戸時代から続く
京唐紙(版画で染めた襖紙)の老舗。千田愛子さんはモデル
ではないが、凜とした美しさで、人目を引く。

「唐長」は江戸時代から伝わる襖の柄(がら)の版木を
600枚も保有している。さて そこで また「村野藤吾」の
逸話。

千代田生命の和室の襖紙を選ぶために、村野氏は自ら
「唐長」に足を運んだ。そして一枚一枚丹念にサンプルを
見、すべて却下。そして、傷が入って、使われていない
版木を見つけて「これを」と注文。刷り上ったものには、
当然「傷」がはいる。それをあえて新築の千代田生命の
和室に使っているのだ。

そして、私が「大正の間」と呼んでいる狭い和室の照明が
また いわくつき。「山際電気」で さんざん物色して
気にいらず、先生は、宝塚の自邸から わざわざ電灯の
笠を持ってこられ、取り付けさせた。新築の和室に
中古の照明。大正時代の庶民の家にあったような電灯の
笠だが、これまたシンプルで風情のあるものだ。

古い伝統に基づく和室を “斬新”に見せる一方、
こうして、「新しいもの」を「古く」もみせる。
まさに「美の魔術師」だ。