日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

一票の格差よりも、選挙制度を見直す時では?

2012-12-18 12:15:48 | 徒然
日曜日行われた衆議院選挙の結果を受け、全国各地で「一票の格差による選挙無効」の裁判提訴が一斉に行われた。
ご存じの通り、衆議院選挙前に「現在の状況は、違憲状態にある」と最高裁で認められた。
この「違憲状態での選挙なので、無効である」と言うのが、提訴をしている弁護士さんたちの意見だ。

しかし、それよりも問題なのでは?と言うニュースが昨夜あった。
それは今回の選挙の死票率が56%もあったことだ。
小選挙区では、僅差であって最多獲得者飲みが当選をする為に、僅差で敗れた候補者に投票した人の意見や考えを国政に反映されるコトができない。
その結果として今回死票率が、56%もあったと言うのだ。
逆に考えれば、44%の意見や考えが国政に反映されてしまう、と言うコトになる。
コレは「民主主義」の大原則に当てはまっているのだろうか?

新党を結成した元民主党の小沢さん流に言うなら、「数の論理に合わない結果」と言うコトになるだろう。
もっと違った見方をするなら、当選議員の数は自民党圧勝だが、国民は自民党を選択したわけでは無い、と言うことになるのでは?
多様な意見や考えを持った人が多く、分散した結果、少ない数でもある程度まとまった自民党が選挙に勝った、と言うコトになる。

安倍さんをはじめ自民党の皆さんは、「自民圧勝」で気をよくして「国民の信託を受け・・・」と思っていらっしゃるかもしれない。
しかし、本当に信託を受けた訳では無い。
少なくとも56%の死票がある、と言う事実を冷静に考えれば、選挙公約であげた様々な施策・政策を国民が支持をしていない可能性が高い、と考える必要があると思うのだ。
いずれにしても、「選挙に勝った!」と喜んでいると、死票化した人達の意見や考えを忘れてしまい、早晩支持率低下を招くのではないだろうか?

本来であれば、小選挙区制という選挙制度そのものを早急に見直す必要があると思うし、「一票の格差」で提訴した弁護士さんたちは、この点に付いても言及する必要があると思う。



この夏国会前に集まった人達は、どんな投票行動をしたのか?

2012-12-17 06:48:13 | 徒然
昨日行われた衆議院選挙(と最高裁判所裁判官国民審査)では、自民党が圧勝した。
この選挙結果で「政権奪回!」が、実現したコトになる。

選挙期間中、私の選挙区の自民党立候補者は実にスタンダードというか、古い選挙戦を繰り広げていた。
「勝たせて下さい」と「国政の場で、活躍をさせて下さい」、そして「政権奪回」の繰り返しだった。
これでは、一体どんなビジョンを持って国政に臨むのか、震災以降のどんな国のカタチを作っていきたいのか、判らない。
「情に訴える」選挙戦を未だに展開するコトに、とても違和感を感じていたのだが、どうやら日本全国、政党を問わずこのような「情に訴える」選挙戦が、繰り広げられていたのだろうか?
そしてその結果が、自民党圧勝だった。

この選挙結果を受けて、感じたコトがある。
それが今日のタイトルだ。
野田さんが、大飯原発の再開を決めた直後から何度も繰り返された、「脱原発」の国会前のデモや集会。
主催者側の発表の参加者人数なども、数万人単位だったと記憶している。
その人達だけでは無く、「フクシマ事故」発生以来「放射能」に神経質になっている人達にとって、今回の選挙は「原発再稼働」を決めている自民党なのか、「脱原発」を進めたい他の党なのか、と言う選択選挙でもあったはずだ。
デモや集会をしても国が動かないのであれば、自分たちで政権を選ぶしか方法はない。
そのための選挙でもあったはずだ。

その選挙の投票率が、過去最低であったと言うコトは、どういうことなのだろう?
「放射能」に敏感に反応し「脱原発」などに熱心だった層は、20代~30代だったと思う。
この世代層が、以前の選挙から「投票行動に結び付いていない」と言われている。
投票行動などについての分析は、これからと言うコトになるのだが、この「投票に行かない層」が、「放射能に敏感で、この夏国会前に集まった層」と重なるとすれば、彼ら自身が「原発再稼働」を認めたと言うコトになる。

もちろん「小選挙区制」という、選挙制度にも問題があるだろう。
僅かな差で落選した候補者に投票した人達の考えが、国政に反映されないのだから。
それでも、「投票率」が戦後最低という事実は、問題があると思う。
「どうせ、どんな政党になっても変わらない」という、諦めに似た感覚があり投票しなかったとか、「期待した第三極が、旧態依然とした人とくっついて、行く気が無くなった」という人もいるかも知れない。
政治家もこの様な「諦め感」を選挙民に与えている、と言う反省も必要だろうが。

さて、安倍さんが総理大臣となった。
安倍さんや自民党中心の閣僚達は、自分たち政党が作ってきた「数々の負の遺産」をどのように解決するのだろうか?
経済成長だけが、政治家の仕事では無いのだから。

タレントさんたちのペニーオークション騒動に思う

2012-12-15 20:18:51 | マーケティング
ここ数日、メディアを湧かしている話題に「タレントさんたちの、ペニーオークション騒動」がある。
複数のタレントさんたちが、特定のペニーオークションで落札した商品について書き込み、そのオークションに参加を促すと言う内容を、自分のブログにアップしていたが、実は金品を受け取っての「やらせ」であった、と言う騒動だ。
それだけでは無く、一部オークションサイトは「詐欺容疑」があり、関係者が逮捕されているという。

この騒動を知った時、いくつかの疑問があった。
一つは、今でもペニーオークションが大手を振って行われていた、と言う点。
ペニーオークションそのものは、数年前にその入札方法が社会的問題となり、それをきっかけに多くのペニーオークションサイトは、閉鎖されたと思っていた。
ところが、今でもいくつかのペニーオークションのサイトがあり、詐欺まがいのコトまでしていた、と言う事実だ。
利用していた人達の多くは、数年前に社会的問題になった、と言う事実を知らなかったのだろうか?
逆に、知らない世代=10代~20代前半を対象としたサイトだったのだろうか?

もう一つは、そのタレントさんたちの意識的なコトだ。

ペニーオークションサイトを運営している側としては、一つの広告宣伝というつもりでタレントさんに依頼をし、その依頼に応えると言うカタチでご自分のブログにアップしたのだろう。
でも、それによって自分が失うモノがどんなモノなのか?認識をしていなかった、と言う点で驚いている。
なぜなら、ブログという「インターネット上における公開日記」で、商品を勧めると言うのは、タレントさん自身に掛かる責任がとても大きいはずだからだ。
コレが所属事務所経由のコトであれば、その様な仕事の依頼を受けた事務所にも責任が発生すると思うのだが、あくまでも「個人的な日記」では事務所の責任は問うコトができない、と思うからだ。
タレントさん個人の責任で半ば詐欺行為に荷担した、と言うコトになれば、タレントとして築いてきた信用や信頼は、もろく崩れ去ってしまう。

あまたの星のごとくいるタレントさんの一人や二人、消え去ってもそれほど社会的な問題にはならないはずだし、そのくらいの覚悟はタレントという仕事をしている限りは、されていると思う。
であれば尚のこと、この様なコトに対しては慎重になるべきだったのでは?
ブログに掲載したタレントさんとすれば、チョットしたおこづかい稼ぎのつもり、だったのかも知れないが、それによって失う社会的信用や信頼は大きかったのでは?
そこまで考えていない、と言う軽率さは、今後の仕事にも影響するだろうし、少なくともテレビCMなどの様に、タレントさんのイメージが重要視されるお仕事は、CM製作をする側としては、使いたくない、と言う気持ちになると思う。

ただ今は、騒動となっているので注目されているだけで、年が明けたらすっかり忘れ去れてしまうのだろうが・・・。

政見放送も、ネットの時代?

2012-12-14 20:32:51 | トレンド
今朝の新聞に、Googleの広告が一面掲載されていた。
ご覧になられた方も多かったのでは?
掲載されていたのは、明後日投票が行われる「衆議院選挙」の党首への一般募集をした質問に対する、回答を含めた放送をする、と言う内容。
「政治家と話そう」
ライブ映像配信だけでは無く、録画された内容を見ることもできる様になっている。
確かその前には、党首の皆さんを集めての討論会をネット中継されていたと思う。

これまで選挙で、立候補者が選挙民に直接話しかける手段というのは、NHKの「政見放送」か「街頭演説」の2つ位しか無かった。
子どもの頃、NHKの「政見放送」を見て「何だかな~?」と思っていた。
もちろん、政治のコトを判って見ていた訳では無いのだが、余りにも単調で紋切り型の立候補者の話には、面白みに欠けるような印象を持っていた。
「政見放送」なのだから、面白い話をする必要はないのだが、抑揚もなく原稿を棒読みする放送を見て「何だかな~」という気持ちになったのだと思う。
「街頭演説」も、先日エントリしたような決意表明のような内容ばかりでは、選挙に行く気にすらならない。

今回Googleが行ったのは、党首だったが選挙区ごとにこの様な選挙民と立候補者が直接話しをしたり、ツイッターなどで意見を聞いたりする、と言う方法が当たり前の様になっていくのではないだろうか?
注目したいのは、一般募集をした市民が直接立候補者(今回は党首だが)に質問をする、と言う点だ。
政治記者さん達が思いも寄らないような質問を投げかける可能性があり、その様な質問によってその立候補者の意外な一面や本音を引き出すコトができるからだ。
想定外の質問や意見に対して、どのような反応・回答をするのか?その時の表情や態度、言葉のトーンなどで、候補者が「政見放送」などで話しているコトとは違う部分を見るコトができる。

「やらせ」などがあっては問題だが、少なくともNHKの「政見放送」とは違い、ライブで双方向の意見を出せる、と言うのはネットが普及したからこそできるコトだと思う。
そして、テレビや新聞などが「信頼できるメディア」だとしても、ネットの特徴である双方向性による、一般の人からの質問や意見で微妙に変わる候補者の表情などを瞬時にとらえ、流せると言うのは、大きな力だと思う。
問題があるとすれば、選挙活動を規制している法律が時代にそぐわないと言う点だけだろう。
旧態依然とした発想しか無い、政治家の皆さんにとっては困った時代かも知れないが・・・。

「冬向けアイス」

2012-12-12 17:59:15 | トレンド
先週末から、一気に寒くなった感じがする。
食品の市場から考えれば、当然「鍋料理」などが主流になる。
ところが、この寒いシーズンに登場する商品がある。
ご存じ「雪見だいふく」だ。
お餅(厳密には「求肥」)とアイスクリーム(厳密には「アイスミルク」)という、和風の組み合わせで、基本的には「冬季限定」の商品だ。

この「雪見だいふく」が登場したのが1991年。
以来30年以上のロングセラー商品。
普通これほどのヒット商品であれば、似たような商品が登場してもおかしくは無いはずだが、今年になるまで似たような商品は、登場してこなかった。
「今年になるまで」と書いたのは、今年になって「だいふく」と言う形状では無いが、お餅がのっているアイスクリームが、井村屋から発売されたからだ。
井村屋が発売をしたのは、「やわもちアイス(つぶあんミルクアイス)」と言う、カップ入りのアイスクリーム(こちらも厳密には「アイスミルク」)。
「雪見だいふく」が求肥を使っているのに対して、井村屋はお餅を使っているようだ。

求肥は冷たくなっても、固くなりにくいと言う性質を持っているのに対して、お餅は冷たくなると、そのままでは食べるコトができない。
おそらく「雪見だいふく」のヒットで似たような商品を作っても、求肥を使えば結局「雪見だいふく」とかわらない、と言う判断が製菓会社にはあったのでは?と、想像している。
その意味で、今回の井村屋の「やわもちアイス」は、画期的な商品だとも考えられる。
何より、コレまで「雪見だいふく」が独占市場のようになっていた「冬向けアイス」という市場に、ライバルが登場したのだ。

そんなコトを考えながら今日のおやつを食べていたら、新たなライバルが登場したようだ。
赤城乳業の「ガリガリ君リッチ あずき大福(スティック)」だ。
こちらはまだ発売をされていないので、「大福」らしさをどのように出しているのか判らないが、「ガリガリ君」の商品というコトをかんがえれば、氷あずきにお餅が加わったような感じだろうか?と、想像をしてしまう。

考えてみれば、過去には「冬向けのアイス」として登場した商品は数々あった。
でも「雪見だいふく」程、定着できた商品は無かったと思う。
定着した大きな理由は「こたつで食べる」という、日本の冬の生活風景にマッチしたからだろう。
今年登場した「雪見だいふく」のライバル商品は、果たして「冬向けアイス」として定着するコトができるだろうか?
そんなコトも、気になる「冬向けアイス」市場だ。



フリーペーパーで、発想力をつける

2012-12-11 19:09:57 | 仕事のコツ
拙ブログに来て下さる方の多くが、男性諸氏のようなので余り気にとめたコトが無いかも知れない、スーパーに置かれているフリーペーパー。
ご覧になられる方は、どのくらいいらっしゃるのだろうか?
実は、スーパーだけではなく東急ハンズやプラザ(旧ソニープラザ)などの店頭に置かれているフリーペーパーを貰ってくるのが、趣味のようなトコロがある。
東急ハンズは、様々な取扱商品の写真掲載。
眺めているだけで新商品がわかったり、「こういうモノが欲しかった!」と思うような商品に出会うコトができる。
プラザの場合は、やはり「(若い女性の)今の流行」という点で、参考になるコトが多い。

スーパーの場合は、客層が様々なこともありバラエティーにとんでいる。
ほとんどは、お店やカルチャーセンターの募集チラシ、旅行会社のツアーパンフレットなのだが、時々変わったフリーペーパーを見つけるコトがある。
しばらく前に見つけたのは、「特許庁」の関連団体のフリーペーパーだった。
「特許庁」の関連というのは、いわゆる「コピー商品」についての注意を促すフリーペーパーで、著名な女優さんのインタビューなどもあり、なかなか豪華な内容だった。

そして久しぶりに買い物に出かけたスーパーで今回見かけたのは、社団法人中央酪農会議が出している「MILK CLUB 別冊」というフリーペーパー。
「MILK JAPAN」と言うWEBサイトもあるようだ。

このフリーペーパーの目的は、乳製品の販売促進と酪農に対する理解を深めて貰う、と言うコトのようだ。
ご存じの様に、酪農に限らず日本の農業全体が高齢化により減少傾向にある。
それに拍車をかける様に、飼料などの高騰で酪農家はとても厳しい状況にある。
その様な「酪農の今」を伝える記事などを読んでいて、いろいろなコトを考えるのだ。
例えば「飼料の高騰」というけれど、別に米国から輸入する量を減らして、産業廃棄物として捨てられる「おから」や、精米時に出る「米ぬか」などを上手に利用すると言う方法はないのだろうか?とか、酪農や農業、林業場合によっては水産業などを今までのような位置づけの産業として考えるのではなく、「環境産業」と捉えるコトでもっと違う事業展開ができるのではないだろうか・・・などなど。

フリーペーパーは、その時々の情報を得るコトができる一つの方法だと思う。
それだけでは無く、それらの情報をもとにいろいろな考えを巡らせる、トレーニングの材料にもなる。
なんと言っても材料費は「ただ」なのだ。
仕事には直接関係が無い!と思わずに、時々フリーペーパーを眺めて見てはいかがだろう。



何だかな~と思う、街頭演説

2012-12-09 19:05:39 | 徒然
一段と冷え込んだ日曜日の今日。
何か暖かい鍋料理でも作ろうと思い、夕方の買い物へ。
地下鉄の駅前では、街頭演説が行われていた。
繁華街の街頭演説とは違い、住宅地の地下鉄の駅前では、寒く冷たい風の中を急ぎ足で歩く人達ばかり。
支援者の人達が寒そうに立っている姿を見ると、益々寒さを感じる・・・そんな街頭演説の光景だった。

それでも立候補者の演説には、力が入っている。
信号待ちで何となく聞いていると、「何だかな~」という気持ちになってきた。
その理由は、立候補を決めた理由の中に実に個人的なコトが含まれていたからだ。
「前職をなげうって、立候補しました。今の日本を変えるのは○○党しかありません」、そんな演説だったのだ。
まして話の内容は、現与党と自分が立候補した野党との二極の対比だけ。
それも、現与党を批判するばかりでビジョンが何も無い。
「何も無い」と言うよりも「何も語らない」と言った方が、正しいのかも知れない。

選挙民は、そんな話を聞きたいと思っているのだろうか?
「前職をなげうって・・・」と言われても、それは立候補者の都合のようなもの。
こちらはお願いをしたわけでは無い。
まして「不退転の決意で、この選挙に臨んでいます」と決意表明されても、こちらは困ってしまう。
下手にマニフェスト、党によってはアジェンダと呼ぶらしい、選挙公約を言ってしまうと将来的に「公約違反」と言われたく無い為の戦術だろうか?

今回の選挙は、以前のような大きな支持母体を持った政党+ミニ政党という感じでは無い。
二大政党を脅かす第三極と呼ばれる政党が、雨後の竹の子の様に乱立している。
それも、二大政党から枝は分かれしたと言うよりも、地方の声を国政にと言う考えやもっと違った考えなどを持つ政党が、既存政党から離れた人達を集めてできている。
今までのような、二大政党の中で行われるような選挙戦術では、選挙民を立ち止まらせるだけの力は無いのだ。
そんなコトも気づかないくて、本当に国政を任せられるのか?と、逆に心配になってしまった。

Yahooをはじめとするインターネット広告でも、政党のCMが見られるようになった。
自民党のCMを見て感じるコトは、自民党時代の負の遺産をお忘れですか?と言うコト。
「(民主党の)バラマキ予算を阻止」というようなコトをアピールされても、「バラマキ予算」の原型を作ったのは自民党自身。
「成長戦略」と声高に叫んでみても、国民の多くは「低成長時代のビジョンをキチンと話すべきでは?」と、感じているのでは?
良いコトばかりでは無く、現実的な身の丈にあったビジョンを話してくれた方が、多くの人が足を止め、聞いてくれると思うのだ。

選挙戦術も、そろそろ変えた方が良いのでは?
そんなコトを感じた、街頭演説だった。



iPS細胞の山中教授にみる、新しい日本人の姿

2012-12-08 19:27:28 | 徒然
いよいよ、ノーベルウィークが始まった。
昨夜は、生理・医学賞を受賞する京都大学の山中教授が記念講演をされた。
その記念講演の内容が、新聞各社のWEBサイトに掲載されている。
講演内容を読んでみると、笑いのある中にも研究者としての心構えなどがあり、講演を聴いた人達からも高い評価を受けた内容だったようだ。
ご本人は、謙遜をされてか60点と自己採点をされている様だが・・・。

ノーベル賞受賞が決まった時から、頻繁にメディアに登場するコトとなった山中教授だが、いろいろなトコロで行われた記者会見などの報道を読む度に感じるコトがある。
それが、今日のタイトルだ。

ノーベル賞受賞の報告を受け、最初に言った言葉の一つに「日本という国が受賞した」があったと思う。
「国からの支援がなくては、研究が進められなかった」と捉えられたが、その実、研究費を捻出する為に、様々なアイディアと努力をされ、過去に受賞した際の賞金は研究に携わる人達の為に、貯金をしていると言う報道もその後された。
決して「国からの支援だけで、研究を進めるコトができた」と言う訳では無く、研究を進めるために、大学や研究機関の枠を超えた協力があった、と言うコトも後々判ってきた。
おそらく「日本という国が受賞した」という言葉には、その様な大学や研究機関の枠を超えた協力に対する感謝の意味もあったのではないだろうか?

そして、山中教授の記者会見などでは頻繁に一緒に研究を進めたスタッフ達、ご家族に対する感謝の言葉が必ず出てくる。
周囲の協力に対する感謝と敬意、そんな言葉が実に多い。
これまでのノーベル賞受賞者が、周囲に対する感謝や敬意の言葉が少なかったとは思わない。
思わないのだが、山中教授ほど発言される方は、コレまでいらっしゃらなかった様な気がするのだ。
そしてそんな山中教授の姿を拝見する度に感じるコトが、「新しい日本人リーダー像」だ。

山中教授にカリスマ性が無い、と言うのでは無い。
ただ山中教授ご自身が、「チーム」というか自分と一緒に研究をする仲間をとても大切にし、年齢や経歴で人を見ていないと言う気がする。
ご自分よりも若い研究者であっても、素晴らしいアイディアには拍手を送る・・・そんな姿勢が感じられるのだ。
昨今言われている「強いリーダーシップ」というと、ややもすると独善的で自己主張の強いリーダー像を指す傾向があったように思う。
それに対して山中教授は「協調型リーダー」という気がするのだ。
もちろん、最終的な決断をされるのは山中教授ご自身だとは思うのだが、その決断の過程において、信頼できるチームの意見や考えを尊重し決断をされているように感じるのだ。

政治の世界はもちろんだが、ビジネスでも山中教授型のリーダーの登場が、新しい日本を創っっていくのでは?と言う気がしている。

復興の最中に・・・

2012-12-07 19:11:31 | 徒然
今日の夕方、再び東北地方を震源とする地震があった。
震度5弱、と言う大きな揺れが再び東北地方を襲ったコトになる。
建てつけの悪い我が家は、何となく揺れたような気がしたのだが・・・どうやら私の気だけだったらしく、東海地方での揺れは観測されていない様だ。

それにしても何故、東北ばかり・・・と言う気がしてくる。
もちろん、どこに地震が起きても決して良いことではない。
ただ、復興の最中の東北で再び規模の大きな地震が発生し、気象庁が津波警報を出し避難を呼びかけている、と言う状況を考えると、復興そのものがまた遅れてしまうのでは?と、心配をしてしまう。

何より、これから厳しい寒さと雪の季節を迎える東北。
ようやく落ち着きを取り戻し始めた頃の、一番厳しい季節での震災だ、被災された方々の不安はいかばかりか・・・。
何より、昨日Googleの「未来へのキオク」についてエントリをしたばかり。
今日発売された写真週刊誌には、宮城県石巻市の荒浜海水浴場に「雄勝・希望のキャンバス」に漫画家の井上雄彦さんが、漆喰のキャンバスに絵を描き、地元の方々が津波で命を失った方々へメッセージを書いたと言う、記事が掲載されていた。
井上雄彦公式HP つれづれ記より。
ご存じの方も多いと思うのだが、井上雄彦さんは東日本大震災直後から「smile」というタイトルで、絵を描き続けyoutubeに公開してきた。
その様な活動をしてきた井上さんだからこそ、「希望のキャンバス」の作者として選ばれたのだと思う。

その記事を読みながら、被災された人達は少しずつ前を向き、やっと亡くなった方達へメッセージを送るコトができるまでに、回復しつつあるのだな~と思っていた。

その矢先の地震である。
前を向き始めた心が折れないコトを、願うばかりだ。

記憶と記録を残す意味

2012-12-06 19:20:50 | アラカルト
今日のGoogleのトップには「未来のキオク」と題した、東日本大震災で被災した建物内部のストリートビューがリンクされている。
対象となった建物の写真を見るだけで、当時の津波の威力の凄さを改めて感じる。
建物の柱とはがれ落ちた壁のクロス・・・写真で見られる建物の一部の中には、「旧釜石鉱山事務所」の様に、人の気配は無いものの以前と同じように置かれたと思われる机があったりするのだが、大船渡や陸前高田の様に津波の被害が大きかった地域の建物は、全くと言って良い程手つかずのままになっている。
それだけ、そこで生活をしていた人が戻っていない、と言うコトなのだろう。

Googleが、この様な震災写真を公開する理由は「震災の記憶と記録を残す」という目的がある様だが、これこそメディアが担う責任の一つのような気がする。
震災発生直後、テレビなどの映像メディアは繰り返し同じような震災の映像を延々と流し続けた。
その映像を見ることで、被災地以外に住んでいる私達はその震災の状況と災害の凄まじさというモノを、知るコトができた。
反面、同じ映像を繰り返し見続けるコトで、何処かその感覚が麻痺するようなトコロも次第に出てきたような気がする。

被災地出身のある精神科医の方が書かれたエッセイを拝読した時、以外なコトを知った。
それは、直接震災にあわれた方々がPTSD(心的外傷ストレス障害)を発症(と言うのだろうか?)するよりも、実はテレビなどの映像を見てなられる方のほうが多かった、と言うコトだ。
その理由については様々な指摘がされているようだが、一つの理由としては「同じ映像を繰り返し長時間見続けた」というコトのあると言われている。
しかし、震災から1年半以上の時間経過とともに、被災者以外の私達には震災そのものが少しずつ遠くなりつつある様に感じている。
忘れてしまうコトが、総て悪いコトでは無いと思う。
「復興をする」過程においては、時に震災を忘れると言うコトが、必要な時もあると思うからだ。
ただ非被災地にいる私達は、あの日を心の何処かに留めておく必要があると思う。
それが被災地、被災者に寄り添う、と言うコトだと思うからだ。

そのための重要なポイントとなるのが、今回のGoogleのような活動なのではないだろうか?
何も3月11日だけに、特集を組んで報じるのがメディアの役割では無いと思う。
折に触れ、被災地、被災者のコトをさりげなく伝え続ける・・・そんな姿勢がメディアな重要な社会的役割だと思う。