日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

顧客を失うきっかけ

2015-03-14 21:33:20 | ビジネス

我が家の近所にあった、マクドナルドが閉店をした。
「1月ごろ、前を通った時には営業をしていたという記憶があるので、先月末~今月初めに閉店をしたようだ。
閉店しただけかと思いきや、すでに店舗を壊し更地になっているらしい。
この話を聞いたとき、やや驚いた。
というのも、このマクドナルドの店舗は、とても流行っていて客の回転率も良かったからだ。
近くには高校があり、学校帰りの高校生たちが寄っていたり、昼間は「お誕生日会」のお子さん連れのママたちグループが複数あった。
とすると、閉店をすることになったのは、一連の不祥事が原因だろう。

そして一連の不祥事だけが原因なのか?というと、不祥事よりも経営トップの態度のほうが、影響力が強かったのでは?と感じている。
というのも、知人女性が「テレビでマクドナルドのカサノバCEOの記者会見をテレビで見ていたけど、腹が立った。起きてしまった事故に対しては、誠心誠意謝罪をすべきなのに、そのような態度が全く見られない。もうマックに行くのをやめる!」と話していたことがあったからだ。
言い換えれば、知人の「マックへ行かない理由」は不祥事ではなく、不祥事発覚後の経営陣の態度なのだ。
もちろん、知人はその前に日本人経営人が記者会見をし、謝罪をしていることは知っている。
腹を立てているのは、カサノバCEOに対してということになる。

もう一つ最近身近なところでも、「あ~~~企業は顧客を失うのは、些細なことなのだな」ということがあった。
それは父が心筋梗塞で緊急入院をしたとき、付き添っていた兄と話をしていた時だった。
兄は自動車免許を取得して以来、30年近く某メーカーのクルマに乗り続けてきていた。
もちろん、その間に車種などは変わってはいるが、決まったディーラーさんからクルマを購入し続けていたようだ。
ところが、最近クルマを買い替えた、という。
今度も同じメーカーのクルマなのか?と聞くと、意外な車種に買い替えたことを知り、ビックリしたのだった。
なぜ買い替えたのか?と聞くと、「懇意にしていたディーラーの店長さんが変わり、新しい店長さんはとにかくサービスが悪い。悪いというよりも、顧客である自分に必要な情報を提供しないことが度々あり、買い替え時期に来ていたのでメーカーそのものを変えた」というのだ。

クルマを運転される方の多くは、一つのメーカーに決めているというほどではないにせよ、同じメーカーのクルマを乗り続けている、という方のほうが多いのではないだろうか?
かつてトヨタのCMに「いつかはクラウン」というキャッチコピーが使われていたが、このコピーのようにトヨタ車に乗っているユーザーは、トヨタ車に乗り続ける、という傾向がある。
逆に他社に乗り換える、というのは微妙に操作性の違いに戸惑うということがあるので、なかなかメーカーを変えるということはしない、という話をよく聞く。
ところが、その操作性などの親しみ感よりも、ディーラーの態度一つで、メーカーごと変わってしまうような感覚をユーザーは持っている、ということのようだ。

マクドナルドにしても、兄のディーラーにしても、メーカー側からすれば「些細なコト」かもしれない。
しかしその「些細なコト」が、裏切られたというか、評価に値しないという気持ちになるのが生活者である、ということだと思う。


安倍さんは、日本よりも米国がお好き?

2015-03-13 19:55:48 | 徒然

今朝、FMを聞いていたらオーストリアが国連加盟国に呼びかけていた「核兵器禁止条約」にサイン(=同意)をしない、というニュースがあった。
こんな大事なニュースなのに、全国紙のWEBサイトでは記事の確認ができなかった。
私のチェック漏れの可能性はあるとは思うのだが、とても重要なニュースだと思うのだがトップで扱われていない、ということがなんとなく、嫌な感じがしている。
唯一というわけではないとは思うのだが、東京新聞のWEBサイトで記事を読むことができた。
東京新聞:核禁止文書 賛同せず 政府、米の意向を重視

FMで聞いたときにも感じたことなのだが、これまで日本は「核」という言葉にとても敏感で、一種のアレルギーのようなモノを持っていた。
それは「被爆国」だったからだと思っている。
毎年開催される「ヒロシマ・ナガサキ」の慰霊祭などでは、「核のない国。他国を侵略しない平和国家」ということが、宣言されている(と、記憶している)。
「被爆国だからこそ、核兵器の悲惨さを知り、核兵器のない世界を目指そう」ということは、戦後70年間繰り返し言われ続けてきたことだ。
その意味で、日本は「核兵器廃絶」に向けてのフロントランナーであるべき国だと思っていた。
ところが、どうやら安倍さんはそのようには考えていないようだ。

確かに、中国は核兵器を持っている。
インドもパキスタンも持っている。
一部では「核兵器を持つことが、核の抑止力となっている」という考えを持っている方もいらっしゃる。
「核の抑止力としての核兵器」ということは、あくまでも個人の考え方として、あり得るとは思っているがそれが「国」ということになると、どうなのだろう?
しかも、ここ2年ほどの間で安倍さんが次々と決めた「戦争への道筋」のような行動は、今回の「核兵器禁止条約に賛同せず」ということでより一層、不安を持つ人を増やしただけではないだろうか?
しかも、「米国の意向を重視」というのは、いかがなものか?

「集団的自衛権」を容認される方の中には、「独立国家として、当然」という意見を持っている方がいらっしゃる。
それも一つの考えとしてあると思うが、「独立国家」というのであれば、何も米国の意向を重視する必要はない。
「自分の考えで、どうするのか?」というのが、独立国家の基本だからだ。
一連の流れをよくよく見ると、安倍さんは自国よりも米国のほうがお好きなのでは?
だから米国が期待する「集団的自衛権の行使」によって、日本も米国の戦争能力の一部としてもらいたいのでは?という気がしてくるのだ。

それにしても、なぜ全国紙はこのようなニュースを記事にしないのだろう?
メディアの自主的規制をかけさせるほど、政府が何等かの圧力をかけているのだろうか?


素朴な疑問。なぜ、東日本大震災の追悼式は東京だったのだろう

2015-03-12 22:00:38 | 徒然

昨日、「東日本大震災」の追悼式が、東京の新国立劇場で行われた。
天皇皇后両陛下も出席をされる、厳かな式典だったようだ。
式典そのものに、文句を言うつもりはないのだが、一つ疑問がある。
それは「なぜ、追悼式が東京で行われたのか?」という点だ。

たとえば、広島・長崎の「原爆慰霊式典」や、「阪神淡路大震災」の追悼式典は、東京ではなく被災地で行われていると記憶している。
東京から阪神淡路大震災の中心被災地である、神戸までの距離は遠いが東北は近い、という判断なのだろうか?
それとも、ご高齢の天皇・皇后両陛下に配慮している、ということだろうか?
様々な事情があるとは思うのだが、個人的には追悼式だからこそ、被災地で行われるべきではないか?という気がしている。
なぜなら、被災地で行うことで実際の復興の状況ということが、よりわかりやすく伝わると思うからだ。

もう一つは、やはり「フクシマ事故」のことだ。
つい先日も「汚染水が管理できずにいることを、報告していなかった」などのニュースが報じられていた。
しかし、安倍さんは2020年の東京オリンピック誘致に向け「フクシマ事故での放射能は、われわれのコントロール下にある」と、プレゼンテーションをしている。
そのプレゼンテーションと現実のギャップは、随分とある。
そして、東京というか霞が関にいらっしゃる方々にとって、今や「フクシマ」は過去のモノになってしまっているのでは?という懸念をしている。
だからこそ、現場に近いところで追悼式を行うことで、今の現状を把握し情報を発信する必要があったのでは?と、感じている。

東京そのものは、震災で大きな被害が出たわけではない。
綺麗に飾り付けられ、荘厳な雰囲気の中での追悼式というのは、式典としてはよかったとは思う。
しかし、現実の復興とは程遠い状況にある被災地の姿は、式典の綺麗に飾り付けられた会場とは程遠いモノではないだろうか?

もしかしたら、ご高齢の天皇・皇后両陛下のことを考えて、ということかもしれないが、先日55歳の誕生日を迎えられた皇太子様に対して「今上天皇が、天皇に即位された年齢になられ、自分が将来天皇となるための覚悟はあるのか?」といった趣旨の記事が、一部雑誌などで見受けられたことを考えると、このようなときだからこそ、天皇・皇后両陛下の名代として、皇太子ご夫妻が被災地での追悼式にご出席される、ということを検討されても良かったのではないだろうか?

「阪神淡路大震災」が、復興宣言をしたのは震災から10年経過してからだった。
「阪神淡路大震災」よりも、規模も被害も大きかった「東日本大震災」の復興が終わるのは、10年以上かかるだろう。
それを考えると、被災地以外に住んでいる私を含めた多くの人たちにとって「被災地の今を知る」という機会は、このような式典なのではないだろうか?
被災地で式典があれば否応なしに、被災地の姿を報道することになる。
綺麗に飾られた東京での式典とは全く違う現地の姿の中で、追悼式典を行うことのほうが、追悼としての意味も意義もあったのではないだろうか?


視点を変えると、方向性も違って見える

2015-03-10 20:35:43 | マーケティング

毎朝寝ぼけ眼で、FMの番組を聞いている。
その中で、「あぐりずむ」という番組がある。
2月までは、全農が提供していた番組だったのだが、3月からはスポンサーが変わった。
こんなところにも、農協改革の影響なのか?と、思いながら聞いているのだが、番組そのものに大きな変化があったわけではなく、全国各地の農家(農業法人を含む)の生の声を生活者に届ける、という趣旨は変わってはいない。

今日取り上げていたテーマは、「農業女子プロジェクト」
このプロジェクトそのものは、農林水産省の後押しで作られたプロジェクトのようなのだが、これまでの「官制プロジェクト」よりも、参加者の自由度が高いように感じる。
何よりも、女性が農業を目指す(?)と随分視点が違うものだな~と、感じることも多い。

今日放送された女性農家さんは、同じ志を持つ(というと、大げさだが)農業女子さんたちが集まり、異業種である「モンベル」と一緒に、イベントを開催している、というグループの話だった。
ご存じの方も多いと思うのだが、「モンベル」とい企業はアウトドア用品の中でも登山などのウェアや道具を企画・販売している企業だ。
それだけではなく、山登りやトレッキングを趣味としている社員が多く、社員自らが山登りやトレッキングツアーを企画し、集客をする、というユニークな一面を持っている。
従業員と顧客の距離がとても近く、共感性の高い企業と言われている。

そんな「モンベル」と農業女子が一緒になってイベントをする、というのは、異業種コラボといっても異色な印象を与える。
しかし、農業女子側の話を聞くと、納得できる部分があったのだ。
それは「農業の視点を変える」ということだ。
「農業=農作物を作る」という視点ではなく、「農作物を通じて、人の健康に携わる」と考えていたのが、今日取り上げられていた農業女子のグループだったのだ。
確かに「人の健康に携わる」という視点になると、「モンベル」のようなアウトドア企業であっても「健康」という共通のキーワードで結びついてくる。
「モンベル」自身も、「アウトドア用品の販売・企画、ツアーの企画・販売」を通して、「健康増進を促す」という視点を持てば、農業女子グループとコラボレーションをすることは、不自然ではない。
むしろ「美味しい野菜や果物を持って、山登りやトレッキング、アウトドアを楽しめば、より健康的になりますよ」と、言うことができる。

過去にも、様々な企業や団体が異業種コラボをしてきたが、話題になるもののなかなか定着することはなかった。
むしろ「異業種コラボ」を一つの話題作りや低迷する事業の起爆剤的な感覚で、行ってきた感がある。
だからこそ、今回のような互いにこれまでと違う視点を持ちながら、共通のキーワードを探し、生活者に提供する、ということは、新たなビジネスチャンスを互いに創る機会になるはずだ。
その為に必要なことは、「自分たちの事業の目的は?」という、根本の視点を変えることだ、ということを教えてくれていると思う。


PB商品も「プレミアム」

2015-03-08 21:10:24 | ビジネス

スーパーなどのPB商品と言えば、「スーパー側の様々な努力により、低価格に抑えた商品」というイメージがある。
実際、ナショナルブランドと呼ばれる商品よりも、1割~2割程度安い価格設定になっている。
特に食品に関しては、大手スーパーだけではなく、ある程度の規模を持つローカルスーパーなどでもPB商品が目立つようになっている。

随分前に、「プレミアムPB商品」を発売して人気を博したのは、コンビニだった。
その時のヒット商品となったのは、生クリームたっぷりの一人分のロールケーキやデザートだった。
その次は、パン製品やおにぎりだった。
そしてこの傾向は、今でも続いている。というよりも定着してきている。

この「プレミアム化」が、スーパーなどにもみられるようになってきたようだ。
価格にしても、これまでのPB商品よりも、ナショナルブランドに近い価格のPB商品が次々と登場している。
今現在は、スーパーという事業形態らしく、食品が中心だがイオンのような衣料品や日用雑貨のPB商品を発売しているスーパーなどでは、いずれ既存のPB価格よりもやや高めの価格設定をしながらも、ナショナルブランドに近い価格で、高品質を謳うような商品を発売する日も近いのでは?と、想像するほどの勢いがある。

大手スーパーだけではなく、ローカルスーパーなどもこぞって「PB商品のプレミアム化」を進めるのか?ということを考えると、一つはPB商品に生活者が飽きはじめたのでは?という気がしている。
確かに価格的には安いので手に取り・買いやすいという点はあるが、「味は?添加物は?」という価格以外に対しての欲求が、生活者に生まれ始めているのではないだろうか?
「安いだけじゃ×。美味しくて、添加物など食の安全・安心にまで気を配った商品が欲しい」という、生活者のPBに対しての期待の変化、ということだ。

他に考えられることは、やはり「経済の見通しが、やや明るくなり始めたのかな?」という、期待感だろう。
「毎日のことだからこそ、大きな贅沢はできないけれど、お財布が許せる贅沢は少しはしたい」という欲求だ。
これは数年前の「コンビニ、プレミアムスィーツ」の大ヒットくらいから、少しずつ出始めていたのだが、その対象となる商品に幅が広がり始めている、ということだろう。

このようなPB商品の「プレミアム化」は、PB商品すべてで起きるということはないかもしれない。
たとえば、アパレルなどは「流行」の問題があり、スーパー側が在庫を丸抱えにするPB商品は、リスクが大きすぎる。
とすれば、比較的リスクの少ないインナーや靴下などに限られるだろう。
それでもPB商品のプレミアム化には、生活者との信頼となるコミュニケーションが重要で、「PB商品の強み」である「生活者の声を反映したプレミアムPB商品」である必要がある。

「PB商品のプレミアム化」をするために必要なことは、生活者とのコミュニケーション力ということになりそうだ。



本当に、日本の政治家は大丈夫?

2015-03-07 21:28:56 | 徒然

このところ、「政治と金」という問題がクローズアップされている。
先日は、この問題で農林大臣が辞任した。
その直後、今度は文科大臣に同様の疑惑が浮上。
それだけではなく、安倍総理にまで「政治と金の問題」が出てきている。
民主党の岡田代表にも同じ問題があったことを考えると、「政治と金」の問題は与野党関係ない、ということだろう。

それでも気になるのは、この「政治と金の問題」に対して、安倍さんご自身は「スルー」する気満々という雰囲気があることだ。
民主党の岡田さんは、今日コメントを発表しているが、内容は内向きというか民主党党内向けという気がする。
「政治にお金がかかる」と言われて久しいが、いつまでたっても「政治と金」という問題が出てくる。
今回はそれだけではなく、安倍さんが国会で「知らなかったのだから、責任はない」というような趣旨の発言をしたことだ。
確かに「政治献金規制法」そのものが「ザル法」とも言われ、抜け道がたくさんあるにせよ、安倍さんのこの発言は選挙民から不信と政治家としての資質の疑念を持たれかねないと思う。
選挙民の「いやだな」と感じることに対して、鈍感すぎるのでは?という気がする。
それでも安倍さんは、先の選挙で国民から支持得置けたと、思い込んでいらっしゃる、というのは・・・。

そして昨日発売された写真週刊誌に掲載されていた、中川政務次官の写真は「なんだかな~」という印象しかない。
同性である女性から見ると「軽い女性だな」という、やや蔑視するような、写真だった。
男性の目から見ると、そこまで毛嫌いするほどのなか?と思われるかもしれないが、女性はこのような不倫が想像されるような写真は、いくら立派な政治信条や行動力があっても、レッドカード並みの不快感を感じさせるものだった。
酒席の後ということのようだが、酒席云々ではなく場所もわきまえず男性にしなだれかかりキスをする、という行為そのものが、生理的に受け付けない、という女性は多いと思う。

そして一連の政治家の不祥事(?)は、今の安倍政権をじわじわ崩壊させていく要因になるのでは?という気がする。
というのも、安倍政権の支持というのは「イメージ」で支えられている部分が少なくないと感じているからだ。
「アベノミクス」といっても、多くの人は実感がないままの状態であっても「なんとなく、経済がよくなっていそうだ」という、雰囲気というかイメージの部分だけで、支えられているという印象が強いと感じているからだ。
安倍さんご自身は、そのように感じていないと思うのだが、選挙民が一番嫌がるのが、安倍さんを含めて問題となっている「政治と金」や「中川政務官の不倫?を想像させるようなゴシップだ。

「政治と金」という問題が起きると、「秘書が・・・」とか「帳簿の記載ミス」ということを言われるようだが、なぜこのような問題が起きないように、第三者のチェックを受けないのだろう?
そのような自助努力をせずに、いつまでも同じような問題をおこし、これまた同じような言い訳をする、という日本の政治家は、本当に政治を担うだけの覚悟や自覚があるのだろうか?本当に大丈夫?と、思ってしまうのだ。


実名報道とネット

2015-03-05 22:25:21 | 徒然

今日発売の「週刊新潮」が、川崎の中学1年生が殺害された事件の主犯格と思われる少年について、実名報道をしている。
この実名報道の前には、名大の女子生徒による殺害事件も同様に実名報道をしていた。
事件の背景となる部分は随分違うが、「未成年者の実名報道」という点では、共通している。
今回、日弁連が未成年者の実名報道に対して、遺憾であると声明を発表している。

確かに、未成年であれば殺人者といえども少年法により、保護される立場にある。
将来のことを考え、更生の機会を失わないようにという配慮のためだ。
日弁連が「遺憾である」という声明を発表した背景には、そのようなことがあるということは多くの人が理解されていることだろう。

その一方で、ネットの世界ではどちらの事件でも、相当早い時期から「実名と顔写真」が公開されていた。
名大生の場合、twitterで様々なつぶやきという「跡」があったために、その拡散は早かった。
川崎の事件でも、事件発覚当初からネット上では「コイツが犯人!」という実名と顔写真がSNSで公開され、「拡散希望」という言葉とともに、ネット上では「実名報道」以上の状況になっていた。
いわゆる「私刑」と呼ばれる、ネット上で実名と顔写真を公開することで、社会から抹殺するということが行われていた。

おそらく新潮社の言い分としては、建前として「社会に大きな影響を与えた事件なので、たとえ犯人が少年であっても実名放蕩をすることによって、社会全体に対して問題の提起をするためだった」ということだろうし、本音の部分では「販売部数(=購買部数)を増やしたい」というところもあったのでは?と、感じている。
というのもメディアがこのような事件を流し続けていると、受け手となる生活者は「いったいどんな犯人なのだろう?」という、興味が少なからず起きてくるからだ。
もう一つの本音があるとすれば「ネットで公開されてしまっていることを、紙メディアである雑誌ではなぜダメなのか?」ということだろう。

ただ、考えなくてはならないのは同じ「情報ツール」である雑誌とネットの本質的な違いだ。
「週刊新潮」を購入する人たちというのは、おそらく大人がほとんどだろう。
一方、ネットの世界は、大人も子供も関係がない。
「情報の信頼度」と言えば、雑誌だと思うのだが最近では「マスゴミ」とも揶揄され、その信頼が揺らぎ始めている。
とってかわったのが、ネットからの情報になるのだが上述した通り、「信頼度の高い情報なのか?」というと、決して信頼度の高い情報ではない。少なくとも、ネット情報よりも信頼度や正確性という点ではまだまだ雑誌などの旧メディアのほうが、高いはずだ。
しかし、ネット上の情報を信用する人も多く、特に若年層は「大人が作ったメディア(=新聞や雑誌)」に対する、信頼度は低く、自分たちが共感しやすいネット上の情報のほうに信頼性を置いている。

ネット上の情報を規制する、というのは難しいばかりではなく、ネットの強みである「自由さ」ということを束縛しかねない。
そう考えると、「大人が作ったメディア」が、ネット上の不確かな情報をけん制しつつ、丁寧な裏付けのある情報をルールに基づいて発信する、ということが今のところ一番大切なのではないだろうか?

一つ気になるのは、名大生のときの実名報道に対して日弁連がこのような「遺憾である」、という声明を発表したという報道がないことだ。
確かに名大生の起こした事件は「サイコ的要素」が高く、一般性(?)のあるような事件ではなかったかもしれない。
しかし、未成年者の犯人の実名報道という点では、同じだ。
このような態度の違いに、不信感と判断の基準がわからなくなる要素もあるのではないだろうか。


3Dがトレンドになりつつある?通販アパレル

2015-03-04 22:25:43 | トレンド

春向けの通販カタログが送られてくるようになった。
実際には、年明けから様々な通販カタログが登場するのだが、あまりじっくり見ることがなかった。
週末、複数のアパレル系の通販カタログを眺めていて気付いたことがある。
それは「3D」というキーワードだ。

テレビの3Dや映画の3D人気は、随分静かになってしまった感があるが、アパレル業界ではトレンドとなりつつあるようだ。
なぜだろう?と考えてみると、通販でアパレルを買う層が変化してきているのでは?という気がしている。
というのも、「3D」という言葉を使うアパレル商品の多くが、40代~50代の女性を対象とした商品だからだ。
おそらく10年ほど前の50代であれば、百貨店などで「マダム向け」のアパレル商品を購入する人が多かったのではないだろうか?
最近、60代の女性に話を聞くと「やはり百貨店の商品は良いものが多いから、安心して買い物ができる」と言われることが多い。
それは海外の高級ファッションブランドを扱っている、というだけではなく、日本のアパレルメーカーに対しても「百貨店扱い=安心できる良い商品」というイメージが強いようだ。
それが、50代くらいになると「ユニクロもファッションの一つ。通販のアパレルだって自分の好みに合っていれば購入する。自分のファッションセンスを(ある程度)信じている」という傾向がみられるようだ。
そこには、10代の頃は「MCシスター」や「セブンティーン」、20代になると「JJ」や「クラッシー」、「ヴァンサンカン」といったファッション雑誌をお手本としてきたという経験があるからだろう。それだけではなく、今の40代後半~50代半ばが20代の頃、一大ブームとなったDCブランドをけん引した世代でもある。コムデギャルソンやY'sといったブランドを国内で成長させた原動力となったのは、彼女たちだった。

そんな彼女たちも体形変化が著しい年代になり、若いころのような服装選びではどことなくちぐはぐ感を持つようになってきた。
そこで登場したのが「3D」でスキャニングして作られたパターンで作られた洋服だ。
体形変化はどうしようもないが、おしゃれは楽しみたいし、自分のファッションセンスでコーディネートしたい。
だからと言って、百貨店の「マダムファッション」は自分の好みではない・・・というところに目を付けたのが、通販アパレルなのだ。
「百貨店よりもお値打ちで、着心地がよく、仕事からプライベートまで着回しができる程よいトレンド感のあるベーシックスタイル。もちろん『おばさんファッション』ではない」という、欲張りな40代~50代は多い。
その意味では、百貨店向け商品よりも、大量のストックを持たなくてはならない通販アパレルと今の40代~50代のニーズがマッチしているのだと思う。



広告としての意図がわからないdocomoのiPhone6

2015-03-02 20:59:44 | マーケティング

今朝の朝刊の真ん中にdocomoが全面広告を打っている。
iPhone6に搭載されているカメラで撮影をした、トナカイの写真だ。
IPhone6:ワールドギャラリー 

至近距離で撮影された草を食む立派な角を持ったオスのトナカイの写真は、見ているだけで迫力を感じる。
それだけではなく、画像の美しさにも目を奪われる。
実際、ワールドギャラリーに掲載されている写真や動画を見ると、スマートフォンに搭載されているカメラで撮影されたとは思えないほどの画質の素晴らしい映像をたくさん見ることができる。
iPhone6のカメラ機能の素晴らしさを実感できるだけではなく、何気ない日常の中にも観方を変えると違って見えるモノやコトがたくさんあるのだな~と感じさせる。

この広告で気になったのは、広告主がAppleではなくdocomoであったことだ。
iPhone6のカメラ優れた機能を謳うのであれば、Appleが打つべき広告だと思う。
それをdocomoがしている。
しかも、docomoのロゴは、小さく左下に表示をされているだけだ。
この広告を観た人は「何の広告?」を思うだろう。
左側にさりげなく表示をしてある、「ワールドギャラリー」のURLを見て「あ~、Appleの広告なのか」と、理解すると思う。
この広告を観た人は「『ワールドギャラリー』へアクセスしてみよう」という気が起きても、docomoとの関連をイメージできる人は、そう多くはないと思う。

それだけではなく、iPhoneそのものはSoftbankもauも扱っている。
国内で真っ先に扱ったのはご存じのとおりSoftbankで、docomoはやっと昨年取扱いを始めた。
その意味では、iPhoneの取り扱いイメージはdocomoよりもSoftbankのほうが強いのではないだろうか?
それでも、あえてdocomoがこのような広告を打ったのはなぜなのだろう?と考えてみると、iPhoneをスマートフォンの中心に置きたい、という考えがあるからかもしれない。
というのも、先日「世界のスマートフォン市場での利益率」が、発表されたからだ。
CNET:世界スマホ市場で「Android」の利益シェアが11.3%に激減
スマートフォンのOSは、iOSとAndroidの二つしかない。
そしてAndroidの利益シェアが11.3%しかないということは、88.7%という圧倒的な数字をiPhoneが抑えている、ということになる。
Andoridは、様々なメーカーが参入し作っているので、スマートフォン市場における販売台数そのものの数は多くなるが、利益率が低いとなると、iPhoneの取り扱いが遅れたdocomoとしては、他社よりも積極的にユーザーを増やしていく必要がある。
そう考えると、今回の広告を出した意図はなんとなく理解できるのだが、受け手である生活者はこの広告を見て、それを理解し、結びつけることは難しいと思う。

広告は確かに「売る」だけを目的としているわけではない。
昨日エントリした、キューピーのような広告もある。
しかし、生活者に広告の意図が伝わらなければ、その広告は意味がないと思うのだ。


ロングセラーに必要なコトは?

2015-03-01 21:46:48 | マーケティング

今日の朝刊に、2つの食品会社の全面広告が掲載されていた。
一つは「丸美屋食品」。もう一つは「キューピー」だった。
この2社に共通する点がある。
それは、「ロングセラー商品」が看板商品である、ということだ。
ご存じのとおり「丸美屋」は「のりたま(ふりかけ)」、「キューピー」は「マヨネーズ」だ。

「丸美屋食品」の広告は、毎年この季節に行う「キャンペーン」の広告で、「キューピー」の広告は、企業広告で90周年を迎えたことへのメッセージという内容になっている。
キューピー:マヨネーズ90周年
 
特にキューピーの広告を読みながらフッと思ったことが、「ロングセラーを創るために必要なコト」だった。
連動テレビCM:「改良は発明」篇

ヒット商品が生まれると、その商品を大切に成長させるために、企業は様々な方法をとる。
一番わかりやすいというか、やりやすいのは「マイナーチェンジ」だろう。
自動車のように「マイナーチェンジ」が、生活者にもわかりやすければ、それまでの商品イメージを大きく変えることなく、「新しい」と生活者に感じさせることができる。
しかし「丸美屋」や「キューピー」のような、食品会社の場合「わかりやすい変化」は、様々なリスクを伴うことが多い。
たとえば、コカコーラだ。「ダイエットコーラ」が発売されたとき、「これはコカコーラではない」という、批判が少なからずあった。
その後も、新しい味の商品が登場するたびに、コカコーラファンからは批判が出てきている。
それだけ「慣れ親しんだ味」を変えるというのは、難しいのだと思う。

今回紹介しているキューピーの広告には、以下のような内容が書かれていた。

「壁に入ったマヨネーズが、新しいマヨネーズに生
まれ変わって戻ってきます。
完全と思われる製品から、改良の余地を発見すること。
キユーピーは、いままでもこれからも継続して
製品と向き合っていきます。

「KEWPIE MAYONNAISE.EVER NEW.」
キユーピー マヨネーズは2015年3月に、発売90周年を迎えます。
これからもキユーピー マヨネーズの進化は続いていきます。」

キューピーは「EVER NEW」と言っているが、別の言葉を使うのであれば、「Make New」というコトになるのではないだろうか。
「新しいを創る」というと、どこかで聞いたことがあるようなキャッチコピーのようになってしまうが、すでに「ブランド力があり、ベストセラーになりつつある商品」だからこそ、「慣れ親しんだ」というだけではなく「あたらしい何か」を見つける努力が必要である、ということをこの広告で言っている。
「慣れ親しんでいる」からこそ、常に「あたらしい何かを創り続けること」が「ロングセラー」に結びついている、ということなのだと思う。

「丸美屋」の「のりたま」にしても、パッケージのようなわかりやすい「新しさ」だけではなく、時代の変化(この場合は、「社会的味覚の変化」ということになるのかもしれない)に合わせて、調味具材の比率を変えたりしている。
「慣れ親しんだ味」だからこそ、「安心感」と「飽きさせない」という部分での「新しさ」が必要だということを、この2つの企業広告を見て感じた。