北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

きぬかけの路 仁和寺から龍安寺そして金閣寺へ

2007-01-19 15:04:41 | 写真

■古都の道をゆく

 仁和寺の写真を昨日は掲載したが、平安時代から避暑地として楽しまれた地を巡る衣笠山の山麓をまわる“きぬかけの路”を本日は扱いたい。

Img_4789  仁和寺の二王門は、江戸時代に再建された際に仁王を祀ったことからその名前がつけられた。

 さて、この写真は二王門で、昨日の写真とは別方向から撮影したものだが、昨日の写真のように“仁和寺”の名が刻まれた石碑は見えないものの、順光であるため空が碧く写っている。方向一つで空の写り方がここまで違うという端的な事例である。

Img_4776  二王門にはその名の通り、二対の木彫りの力強い力士像があたかも門を護るように置かれている。

 こうしたものは今まで北大路機関の“写真”特集で扱った京都の寺院には無かったように記憶するが、江戸期に再興された仁和寺ならではのものといえるのではないか。ややくすんだ色であるが、それがまた力強さを際立たせているようにみえる。

Img_4777  二王門をくぐるその時、木彫りならではの力強い姿に思わず足を止めて写真に収める姿が多々みられた(まあ、小生もその一人なんだけれどね)。

 さて、ここから“きぬけの路”の写真特集に至る訳だが、仁和寺からこの先は龍安寺、そして更にその先には金閣寺があり、京都というイメージを担う様々なものがこの道沿いに散在している。

Img_4708  きぬかけの路をいく、と書きつつもいきなり脱線であるが仁和寺の東門から駐車場を経て足を進めると近道である。写真の右側は仁和寺である。

 きぬかけの路は二王門から車道沿いに歩けばいいのだが、少々判りにくくともバスやトラックが行き来する車道よりも、こうした清涼を与えてくれそうな道の方が京都らしい印象を与えるのではないだろうか。

Img_4706  きぬかけの路とは、金閣寺と御室を結ぶ道として名前を公募し、1991年に名付けられた愛称でそもそも、“きぬかけ”とは、宇多天皇が真夏の衣笠山に白絹の布を掛け、あたかも雪景色のようにし、風流を楽しんだという故事に起因する。なお、衣笠山とはその所以ではなく、昔僧兵が争う際に山の頂上に寺院の印のついた絹の旗を掲げたことから衣笠山とよばれたと、昔タクシーの運転手さんに教えられた、しかし、宇多天皇の故事が衣笠山の所以ともいわれる。

Img_4700  龍安寺。龍安寺の石庭は余りにも有名であるが、ここから何を感じるかについて風情を感じるか、若いうちは解らないかで大学院でも議論があった(笑)。

 石畳が続いているように見えるが、写真の門と向こうに見える中門までの間に、きぬかけの路がはしっており、車道であるから当然信号機も設置されている。感動して向こうまで走ってゆくと轢かれるので要注意。

Img_4702  龍安寺まえ、そこに掲げられた“仁和寺まで五分”。・・・、絶対嘘である。十五分は歩いた(恐らく文字の大きさからみて自動車向けの看板なのだろう)。ここを南下すると妙心寺に至る。ここからすぐ先に立命館大学があるが、きぬかけの路はそのまま大学の裏手を走っている。ここが一番静かで、地層が剥き出しになった道は文字通り切り開いて車道としたことが瞭然であるが、木立に囲まれた道は、雑然として観光客溢れる“哲学の道”よりは風情がある。

Img_3059  山道のような道を抜け堂本印象美術館とバスターミナルのところに出るが、ここを道なりに進みしばらく北へゆくと金閣寺に達する。Y字路のところで間違えて桜木町方面へ行くと西大路通に出てしまう。

 ちなみにこの桜木町はラーメン屋は無いので要注意である。金閣寺は常緑樹が多く、秋の紅葉の美しさはないが、冬の落葉後の惨状とは無縁である。

Img_3060  仁和寺から龍安寺、そして金閣寺にいたるこの道は、五重塔、石庭、そして金閣寺を見ることが出来る。徒歩が疲れるならば59系統バスを用いればよいだろう。ちなみに写真の金閣寺は昨年撮影したものである。さて、この、きぬかけの路の散策というのは休日の楽しみとしていいのではないだろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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