■平野神社を昨年撮影した際の写真
京都観光への道標を目指す北大路機関であるが、初詣特集用の平野神社写真探索が未掲載であった為、此処に掲載することとした。
平野神社は北野天満宮より程近い西大路通り沿いにあり、平野の夜桜は古来より有名である。北野天満宮より徒歩にて五分、北門より出てそのまま左手をみるとその鳥居をみることが出来るほどである。さて、初詣用の写真である為、やや題材としては古くなってしまったが、実は昨年に北の天満宮を撮影した際に同時に撮影したものである。此処に改めて夜桜見物を考えられている方への案内として写真を掲載したい。
この神社は9世紀初頭、平安遷都に伴い都を奈良の大和から京都に遷座した神社仏閣の一つである。
神社には今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあなのかみ)、比売神(ひめのかみ)の四座を祀っている旧官幣大社である。残念ながら、この時期は桜は見る影もないが、春には満開の木々が神社を覆い夜間電飾が施される。
門をくぐり、能楽堂と本殿を望む。神社の向こうは駅伝などでお馴染の西大路通りであるが、木々に囲まれた神社は周囲の閑静な住宅街と同化している。
この平野神社は歴代の朝廷の崇敬が極めて厚く、祭日には皇太子や親王諸大臣以下が参列したという由緒正しい神社である。鳥居から石畳がそのまま本殿へと至る建築様式が組まれており、その区域の南隣境内が桜の木々で占められている。
前述した境内の桜は多くの珍種を含み、それゆえに平野の夜桜は有名であるが、特に開花の時期が異なることもあり、比較的長く桜を楽しむことが出来る。その区画は散歩道のようになっているため、一巡すると多くの夜桜を見ることが出来るが、企業や学生の花見と偽った宴会区画と、順路は明確に区分されており、文字通り夜桜見物を静に楽しむことも出来る。
1624~1644年の寛永年間の建築で、正面に向拝をつけ、左右両殿、この両殿を為す横棟に渡りをつける形で中央に合間を設け、いわば連絡通路により社を繋ぎ合わせることで、一見してあたかも三間社のようにみせる独特の建築様式は、平野造、または比翼春日造といわれている。
衣笠山に程近いことから、重巡洋艦衣笠の乗員が奉納しており、また、まもなくセンター試験の時期というが、ここ平野神社は学問成就の神社として名高い。加えて、安全保障を研究する学生や研究者にお馴染の京都大学のK.S教授(国際安全保障法、ピンと来ない方は勉強不足)は、平野神社の宮司のご子息であり、安全保障問題や国際政治を研究する方は一つ参拝されてみてはいかがだろうか。
HARUNA
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)