北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

東本願寺 平成の本堂大修復来年完了

2007-01-12 13:08:52 | 写真

■京都駅前に巨大航空機格納庫!?

 数年前だったか、友人のY氏が久々に京都へ訪れた際に京都駅を出た瞬間、「なにやら航空機用格納庫のようなものが」と言った。

Img_4247  高さ推定43㍍、幅90㍍、ボーイング747-400やエアバスA380充分収容できそうな巨大建造物が写真の通り、京都駅前、それも駅前にある京都タワーがしっかりとみえる徒歩五分のところに建っているのだ。無論、航空機工場でも格納庫でもない(小松左京の『こちらニッポン』で御所に着陸してたが・・・、まあ、堀川通りなら737クラスなら大丈夫やも!?)。何を隠そう、この巨大な建物は、東本願寺の本堂なのである。

Img_4254  これが本堂!、老朽化で堅牢な鉄筋コンクリート製建造物に立て替えたのか!?と一瞬途惑うが、実は、平成の大修復という改装工事の一環として行われているもので、写真は烏丸通を挟み、中央緑地帯の噴水越に撮影したのであるが、やはり目立つ大きさである。というのも、本堂自体、高さ38㍍、幅76㍍あり、中は927畳の大広間である。一般の六畳間や精々マンションで20畳、そんなところに927畳!(比べちゃイカンですね)、誰もがこんな広い部屋で一度は伸び伸びと暮らしたいものである・・・筈

Img_4221  さて、この東本願寺であるが真宗大谷派の本山で真宗本廟といわれる。堀川通に面した西本願寺と区別し、東本願寺と呼ばれるが、その始まりは1272年、親鸞の娘である覚信尼が東山大谷に仏堂を建て、親鸞の御影を安置したところからはじまる。大谷派は室町時代に大きな発展を遂げ、戦国時代にはその勢力は織田信長に対抗するまでになったが、破れ、急速に衰退の一途を辿った。しかし、豊臣秀吉の治世下で六条堀川に本願寺を再興した。

Img_4251  1602年には徳川家康が現在の土地を寄進し、此処に建立されたが、残念ながら度々火災の憂き目にあい、現在の東本願寺は全て明治時代の建築である。

 本堂は1895年に竣工し、真宗寺院の典型的な建築様式により建てられている。中央の本堂には親鸞の御影が安置され、そのとなりにやや小さい阿弥陀堂が建てられているのが特徴である。

Img_4227  本堂は修復のために大きな覆いが為されているが、その破損状況は虫食い(白華現象)、凍害や瓦の破損、建物自体を支える土居材への亀裂発生、経年劣化による萎縮、柱の傾き(左傾)、構造材への内障であり、これらの修復が今回の平成の大修復の主眼が置かれた部分である。

 この他、阿弥陀堂、御影堂門にもこうした破損もあったが、これらの修復は既に完了しているとのこと。

Img_4263  烏丸通の向かい側、自衛隊広報センター玄関前から撮影。東本願寺の大きさが判ると共に、その本堂の巨大さが一際目立っている。改修工事の完了は2008年であるが、こうした様子をみれるのも今後50年ほどは無いことを考えれば、ある意味貴重である。西本願寺の大修復は既に終了しているので、見比べてみるのも良かろう。東本願寺へは、京都駅より烏丸通を北へ徒歩五分である。

HARUNA

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コメント (2)
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