北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

国産擲弾銃開発が遺した課題と可能性

2007-01-25 12:08:00 | 防衛・安全保障

■1970年代の遺訓

 国産擲弾銃に関しては過去に類似の記事を掲載したが、解析により多くのアクセスをいただいた一方で、その写真の大きさに関してのコメントも幾つかいただき、今回改めて掲載することとした。

Img_4009  国産擲弾銃は、1970年代に三菱重工顧問で、61式、74式と戦車開発に携った近藤清秀技師が陸上幕僚監部時代に推進した普通科部隊用の携帯火器で、口径は66㍉、狭い塹壕内や秘匿銃座からの運用を考慮し、発射後にロケットが点火するという設計により後方爆風が出ない点が特色である。1960年代末には、10発中2発程度を除き弾道の安定性に問題があったが、推進剤部分を担当する日産自動車宇宙開発部の努力により、1970年代半ばには10発中8発程度が高い命中精度を発揮するように改善されていたという。

Img_1491_1  なお、陸上自衛隊では現在も新旧二つの“小銃用擲弾”というものが装備されているが、本論で挙げる擲弾銃はこれとは全く異なるものである。

 小銃用擲弾とは、誤解を恐れずに書けば空包により手榴弾を投擲するもので、擲弾銃は66㍉の擲弾を発射する専用の発射筒のことを示す。その運用方式は、いわぱ対戦車ミサイルとのギャップを埋める装備であり、火力投射装置であった。

Img_0266  冷戦期にあって当時の陸上自衛隊では、押し寄せるソ連戦車軍団を地形を利用し如何に無力化するかが最大の課題であった。理想としては充実した戦車、装甲車により戦車戦を展開するのが望ましいが、予算の制約はそれを許さず、当時、最大の脅威正面である北海道には、一個機械化師団(後の機甲師団)と三個師団が配置されていたものの、機械化師団以外は現在の北部方面隊とは異なり、師団輸送隊により辛うじて普通科連隊一個をトラックにより自動車化できるという時代であった。

Img_0348  戦車部隊に数的限界がある中で、普通科部隊、特に戦闘基幹部隊である普通科中隊の戦力が戦車部隊を食い止め、いわゆる前線を形成できれば、ここに集中的に機甲戦力を投入し、各個撃破の可能性を切り開くことが出来るが、中隊規模では、81㍉迫撃砲や106㍉無反動砲、更に12.7㍉機銃が数基配備されているに留まり、基本的には小銃班が運用する64式小銃と、連射性能に難があるといわれた写真の62式機銃、更に携帯式対戦車火器として、89㍉ロケット発射器“バズーカ”という装備を以て立ち向かうしかなかった。

Img_6711  写真は84㍉無反動砲であるが、いわゆるバズーカは、この無反動砲と同じように、発射の際に後方爆風が出るため、最低限、後方25㍍の安全区画が必要であり、塹壕からの運用は制約があり、特に天蓋を設けた陣地での運用は事実上不可能であった。この点で、国産擲弾銃に求められた天蓋により野砲の弾幕射撃の危険から防護された地下秘匿陣地から運用できる能力は普通科部隊の火力を飛躍的に向上させるとの期待がなされたのは、ある意味当然といえよう。

Img_0633_1  特に、今日では普通科中隊対戦車小隊に射程2000㍍の中MAT4基が、普通科連隊の対戦車中隊に射程4000㍍の重MAT12基が配備されているが、当時は師団対戦車隊に師団長最後の手札として射程1600㍍の64式MATが16基配備されているだけであった。一方で1966年にソ連地上軍で歩兵支援用の73㍉低圧砲を搭載した歩兵戦闘車BMP-1が制式化され、機甲部隊の脅威を排除する降車歩兵の制圧も普通科部隊の課題となった。

Img_4014  さて、この擲弾銃の開発は、技術研究本部において基礎研究を行い、基礎研究を元に陸上開発官が具体的装備を開発するという従来の流れで進められる筈が、研究用の装置が人間工学に基づいた銃身長、重さ、弾薬初速などを計算する為に銃の形状をしていた為、内局が研究用装置ではなく試作品と誤解し、基礎研究が終わらぬまま、陸上開発官に開発を命令した為、頓挫する。予算を預る内局としては、基礎研究なども最低限の予算に収め出来る限り多くの装備を開発する事が至上命題であった為、一概に非難できないが、不充分な基礎研究の下で開発が行われ、冒頭に挙げた命中精度の低下という問題から“失敗”と結論付けられた訳である。

Img_2279_1  国産擲弾銃は、米軍や各国軍が用いるM-203やM-79の40㍉口径よりも大きい66㍉であり、さらに発射後推進剤に点火する方式であり、90年代にフランスが開発した肩撃式水平射撃用迫撃砲SAMURAIと良く似た性格の装備であり、66㍉という口径からBMPやBTRといった装甲車に対しては有効な打撃を加えることが可能であったと思われる。しかし、技術研究本部から不充分な基礎研究のまま内局により陸上開発官に投げ渡された事で、80年代の対戦車火器増勢まで、普通科の火力は不充分なまま放置された訳である。

Img_0684_1  今日では01式軽対戦車誘導弾などにより対戦車火力は大きく改善されたが、近接戦闘に関する機材は今尚整備の途上にある。近年では、軽装甲機動車や高機動車などのように、開発や制式化の過程に柔軟性を付与した方式が用いられ、擲弾銃の時のような問題は無くなりつつあるが、こうした過去の歴史と向き合い、装備品開発を進めることも重要であろう(なお、擲弾銃の展示に関しては06年より撮影禁止となっているが、写真は禁止以前の05年に撮影したおのである)。

HARUNA

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