■本土決戦回避と続く基地負担
本日は沖縄慰霊の日、沖縄県では最後の激戦地である糸満市にて新型コロナウィルス禍下での配慮した慰霊式典が執り行われました。
慰霊の日。本日は20万の戦死者と戦災犠牲者を出した沖縄戦慰霊の日です、75年前の今日、沖縄では現在の糸満市において第32軍司令官牛島満大将が自決し、沖縄戦はその組織的抵抗を終えました。“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”, 沖縄方面根拠地隊司令官大田実海軍中将が県庁に代わり本土へ打電した最後の言葉です。
沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。その言葉の通り、沖縄戦は激戦でした、その激しさを説明する簡単な言葉は、第32軍司令官牛島満中将、第10軍司令官サイモン-B-バックナー中将、日米両軍の司令官が共に戦死しており、特にアメリカ軍では建国以来長い戦史を紐解いても、中将が戦死したのはこの沖縄戦のみというほど。
沖縄戦。考えてみますと日本列島、特に首都圏と九州を中心に本州九州の方々は、沖縄戦において沖縄県民が第32軍や海軍と共に、文字通り身を挺して戦い抜いた事により、相当、救われています。借りが在るのですね。どういうことか、元々、連合軍による沖縄侵攻のアイスバーグ作戦は四月中に沖縄本島を占領する事を目指していました。しかし、です。
第32軍は一個師団を欠いた編成で戦闘に臨み、本土からの膨大な航空戦力の支援を受け、なにしろ沖縄戦での日本軍航空機損耗は実に3007機に及ぶ、しかし、弾薬などの枯渇に苦しみながら戦い続けています。一日でも長期間戦う事を念頭に、そしてその粘りこそが沖縄本島の文民被害と民生被害を極限まで拡大しつつ、戦い続けた、これが沖縄戦でした。
6月23日の沖縄慰霊の日、この日まで第32軍は組織的戦闘を続けていました、そして沖縄に侵攻した連合軍は45万という驚くべき規模であり、第32軍の沖縄本島配備戦力は第24師団と第62師団に独立混成台44旅団など。第32軍だけでは戦えず、沖縄県での臨時現地召集により増強した、学徒や生徒も含め、こう戦い抜いたわけです。その意味は何か。
四月中に沖縄本島が陥落していたならば、連合軍は沖縄本島を最大の兵站基地として用いる構想でした、勿論、次は本土です。オリンピック作戦とコロネット作戦として、九州日向灘沿岸と首都圏九十九里浜へ100万名規模の着上陸を計画していました。しかし、これが実施されなかったのは8月15日の終戦記念日、無条件降伏を決断した為なのですが。
コブラ台風。1944年12月に発生した台風により、アメリカ海軍は駆逐艦3隻が沈没し、空母カウペンス、モンテレー、カボット等が損傷し、沈没した駆逐艦には新鋭駆逐艦であるフレッチャー級も含まれていました、これをもとに連合軍は台風シーズンには日本本土進攻は難しく、沖縄戦での激戦は結果的に1945年前半の本土決戦を回避出来た事になる。
しかし難しいのは、沖縄県民への借り、こうしたものをどう考えているのか、実際問題として経済振興策や税制優遇といった施策がある、と反論もあるかもしれませんが、県民の四分の一が死亡する状況は、広島長崎の原爆投下による死亡率さえも上回るものでして、安易に経済振興、という言葉で解決できるようなものではありません、余りに心が無い。
基地問題。難しいのは、北東アジアにおけるアメリカ軍の最重要拠点は、首都圏の横田-横須賀-横浜の在日米軍三角州とともに、明らかに嘉手納基地とキャンプシュワブを中心とした在沖米軍の海兵隊と空軍となっている点でして、ここが戦後の沖縄に一貫した厳しい基地負担を強いています。せめて、米軍が不要な程に自衛隊が強靭であれば、と昔は考えた。
自主防衛と云いますと響きは保守の方には良いのかもしれませんが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事といった所謂周辺事態に対して、従来は日本が米軍への後方支援を実施する事となっており、在沖米軍基地は首都圏米軍基地と並ぶ戦略拠点となっています、ここを自衛隊が置き換えるとなりますと、自衛隊が韓国軍や中華民国軍支援を行えるのか、となる。
駐留なき安保として、自衛隊の装備体系を米軍基準として、自衛隊の補給品などを米軍と共通化できるようにしてしまえば、問題は無いのかもしれませんが、自衛隊がB-52やB-1といった装備等を使う事はやはり想像しにくく、また膨大な米軍増援を自衛隊だけで兵站支援する基盤を構築するものは自主防衛とは程遠く、無駄な装備ばかりとなってしまう。
専守防衛の日本が全力で支援すると転換してもそもそも韓国や中華民国からは信用がない、こうなりますと、米軍ポテンシャルを動かす事は、旧軍の様な巨大な影響力を再構築するという選択肢でも採らない限り、地域安定を破綻させるものとなります。いっそ20km四方のメガフロートに移設でも出来れば、とも考えるのですが、歯がゆい難しさがあります。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
本日は沖縄慰霊の日、沖縄県では最後の激戦地である糸満市にて新型コロナウィルス禍下での配慮した慰霊式典が執り行われました。
慰霊の日。本日は20万の戦死者と戦災犠牲者を出した沖縄戦慰霊の日です、75年前の今日、沖縄では現在の糸満市において第32軍司令官牛島満大将が自決し、沖縄戦はその組織的抵抗を終えました。“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”, 沖縄方面根拠地隊司令官大田実海軍中将が県庁に代わり本土へ打電した最後の言葉です。
沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。その言葉の通り、沖縄戦は激戦でした、その激しさを説明する簡単な言葉は、第32軍司令官牛島満中将、第10軍司令官サイモン-B-バックナー中将、日米両軍の司令官が共に戦死しており、特にアメリカ軍では建国以来長い戦史を紐解いても、中将が戦死したのはこの沖縄戦のみというほど。
沖縄戦。考えてみますと日本列島、特に首都圏と九州を中心に本州九州の方々は、沖縄戦において沖縄県民が第32軍や海軍と共に、文字通り身を挺して戦い抜いた事により、相当、救われています。借りが在るのですね。どういうことか、元々、連合軍による沖縄侵攻のアイスバーグ作戦は四月中に沖縄本島を占領する事を目指していました。しかし、です。
第32軍は一個師団を欠いた編成で戦闘に臨み、本土からの膨大な航空戦力の支援を受け、なにしろ沖縄戦での日本軍航空機損耗は実に3007機に及ぶ、しかし、弾薬などの枯渇に苦しみながら戦い続けています。一日でも長期間戦う事を念頭に、そしてその粘りこそが沖縄本島の文民被害と民生被害を極限まで拡大しつつ、戦い続けた、これが沖縄戦でした。
6月23日の沖縄慰霊の日、この日まで第32軍は組織的戦闘を続けていました、そして沖縄に侵攻した連合軍は45万という驚くべき規模であり、第32軍の沖縄本島配備戦力は第24師団と第62師団に独立混成台44旅団など。第32軍だけでは戦えず、沖縄県での臨時現地召集により増強した、学徒や生徒も含め、こう戦い抜いたわけです。その意味は何か。
四月中に沖縄本島が陥落していたならば、連合軍は沖縄本島を最大の兵站基地として用いる構想でした、勿論、次は本土です。オリンピック作戦とコロネット作戦として、九州日向灘沿岸と首都圏九十九里浜へ100万名規模の着上陸を計画していました。しかし、これが実施されなかったのは8月15日の終戦記念日、無条件降伏を決断した為なのですが。
コブラ台風。1944年12月に発生した台風により、アメリカ海軍は駆逐艦3隻が沈没し、空母カウペンス、モンテレー、カボット等が損傷し、沈没した駆逐艦には新鋭駆逐艦であるフレッチャー級も含まれていました、これをもとに連合軍は台風シーズンには日本本土進攻は難しく、沖縄戦での激戦は結果的に1945年前半の本土決戦を回避出来た事になる。
しかし難しいのは、沖縄県民への借り、こうしたものをどう考えているのか、実際問題として経済振興策や税制優遇といった施策がある、と反論もあるかもしれませんが、県民の四分の一が死亡する状況は、広島長崎の原爆投下による死亡率さえも上回るものでして、安易に経済振興、という言葉で解決できるようなものではありません、余りに心が無い。
基地問題。難しいのは、北東アジアにおけるアメリカ軍の最重要拠点は、首都圏の横田-横須賀-横浜の在日米軍三角州とともに、明らかに嘉手納基地とキャンプシュワブを中心とした在沖米軍の海兵隊と空軍となっている点でして、ここが戦後の沖縄に一貫した厳しい基地負担を強いています。せめて、米軍が不要な程に自衛隊が強靭であれば、と昔は考えた。
自主防衛と云いますと響きは保守の方には良いのかもしれませんが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事といった所謂周辺事態に対して、従来は日本が米軍への後方支援を実施する事となっており、在沖米軍基地は首都圏米軍基地と並ぶ戦略拠点となっています、ここを自衛隊が置き換えるとなりますと、自衛隊が韓国軍や中華民国軍支援を行えるのか、となる。
駐留なき安保として、自衛隊の装備体系を米軍基準として、自衛隊の補給品などを米軍と共通化できるようにしてしまえば、問題は無いのかもしれませんが、自衛隊がB-52やB-1といった装備等を使う事はやはり想像しにくく、また膨大な米軍増援を自衛隊だけで兵站支援する基盤を構築するものは自主防衛とは程遠く、無駄な装備ばかりとなってしまう。
専守防衛の日本が全力で支援すると転換してもそもそも韓国や中華民国からは信用がない、こうなりますと、米軍ポテンシャルを動かす事は、旧軍の様な巨大な影響力を再構築するという選択肢でも採らない限り、地域安定を破綻させるものとなります。いっそ20km四方のメガフロートに移設でも出来れば、とも考えるのですが、歯がゆい難しさがあります。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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自衛隊は平和安全法制により
台湾の許可を得て台湾に積極的に支援することになるでしょう。
台湾を失うことは日本にとって死活問題。
中国が台湾を統治すれば太平洋に穴が空く。
第一列島線存在の価値が格段に減る。
与党が自民党ならば少なくても海自は派遣するでしょう。
特に潜水艦は闇の中で簡単に派遣できて闇の中で戦果を得ることもできる。
補給も積極的にするでしょうね。
但し、補給は左翼労働組合のある民間の船舶や航空機を動かせない可能性が高いのが問題。
やはり自前の輸送船や輸送機を潤沢に保有すべき。
それは大災害時にも活用できます。
情報収集して米軍を介してかもしれませんが提供も間違いなくするでしょう。
まあ陸自も空自も海自も全面的に台湾を直接支援して共に戦うこれが本来の姿です。
台湾は日本と共に戦った者同士ですからね。
本来は韓国もそうです。
但し、韓国は自衛隊の直接支援を認めないでしょうから現状は無理で間接支援ですね。
情報提供・補給等。
でも本当に困ったら、直接支援を要請してくるでしょう。韓国は大昔からそういう国です。
軽々に台湾分離主義勢力の支援を主張しないほうがよい。
そのような軽挙妄動は日中平和友好条約に違反するばかりか、国連憲章の基本原則である内政不干渉原則にも違反する国際法違反行為だ。
君のような一般人が主張するだけなら冗談で済むのだが、日本政治家が主張すれば中国は決して座視しないだろう。日本の台独支援は日中戦争になることを明確に認識しなければならない。
動かざる負えなくなるという意味です。
俺の希望とかなんとかではなくて、
そうせざるおえなくなるという意味ですね。
私はそう見てます。
平和安全法制で可能になった、
存立危機事態認定で米艦防御等をするでしょう。
色んな見方や時の情勢等もあるでしょうけどね。
人民の目さんは共産主義なのか社会主義なのか、
スパイなのか、なんなのか?ですが、
中国や北朝鮮、現実無視の理想主義、理想を実現するためには強権発動で大きな犠牲も容認の共産主義や社会主義、
または共産党や社民党や山本太郎等にシンパシーを感じているような方の考えは違うのでしょうね。
香港・台湾の中国化、
米軍を追い出し、朝鮮半島の統一した上での朝鮮半島の中国の属国化・
沖縄県にスパイや工作活動を行い、分離独立させての中国の属国化。
そして中国軍の沖縄駐留。
結局米軍を追い払おうとしている左翼の活動家は、米軍に代わって中国軍を駐留させることになる。
今までよりも酷い犯罪や検閲、環境破壊や暴力や圧政・粛清まで受けるとになりますね。
平和で自由なな島どころか、
中国のチベットやウイグルのように、
漢民族が大量に移住し、反抗する沖縄の人を駆逐し、残った島民は圧政に苦しむ島となる。
さらに、日本本土に左翼思想を蔓延させ、米軍を追い出し、日本の中国の属国化、中国軍の日本駐留。
そして漢民族の大量流入、反抗する日本人を粛清・駆逐し、残った国民は圧政に苦しむ国となるやもしれません。
米が衰退して、中国がさらに強大になればそういった懸念も徐々に現実味を帯びてくる。
我々はそうならないように、あらゆる手段を講じて
中国などの野望を挫き、
日本にいるスパイやその支援者、日教組・日弁連・マスコミや野党や自民党内にもいる中国の犬みたいな政治家や、
化けの皮を被っている色んな市民運動家を、
本来あるべき姿にしていかなくてはならないと思います。
その為にも正しい歴史教育をしっかりと子供のうちからしていかなくてはいけませんね。
五毛なる物が存在すると訊いたことがあっても笑っていたが、辺境の地までご出張なさるとは少し驚いた。
話は替わって沖縄に対する心持ちはサイト運営者様の語る通りでありますね。
沖縄政策に配慮が些かないのではないかと思う事もしばしばある物です。
それを自称保守とやらが沖縄を糾弾する構えを見せるのを見るととてもじゃないが笑えない。
彼らがやっていることは中共の分断工作に手を貸しているに過ぎない。
彼らは保守を名乗りながら郷土愛や団結という物を全く理解しておらず、保守を名乗る資格はない。
多くの場合自らは安全圏から我が社を国際派遣に安易に送り込む。
必要だとしてもその代償を払う戦闘員のことを考えてケア対策、補償等も明確になく尚且つ装備面でも不足がある中、軽挙に賛同する。
国士様ではなく酷使様と改名すれば良いとも思う。
何なら共に我が社に入って働けば本当の意味で大切な事が見えてくるはずです。