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石塚山の名前の由来となったものを写している。古墳表面がこのような石で葺かれてあった。それで命名されたのである。
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1700年以上も前に築造された。ご存知 箸墓古墳も同様である。ここに書かれてあることの意義はいったいなんなのか。
色々な含みを持っているようだ。一つ「卑弥呼」のことが一言も書いていない、一つ「魏鏡」であるのではということも書いていない。ここの管理者を知っているが、邪馬台国には興味を持ってない方で、この古墳の仕様を知りたがっている方である。
貴船神社本殿南側 ここにも石材が露出している 小さな墳丘のようである 例外にもれず古墳を削って神社を造営したのであろう。
山が平野部と接する場所の殆どに古墳が存在するこの地域だからこそなのかもしれん。
床石を除いて側壁石材はすべて礫岩である。今まで見てきた九州の石室石材は花崗岩が殆どであった。
だからここで用いられた礫岩は何処から運ばれたものなのかを記しておくべきであったろう。